気が付くと。
平戸は薄暗い空間に一人ぽつんと佇んでいた。
「…?」
知らない場所だ。
確か、今は昼間だったはずだが。
外界から完全に隔絶されたかのような、耳に圧力を感じるほどの静寂。
提督と庭園で話をしたことは、憶えている。
でも、どうやってここに来たのか、思い出せない。
なかなか思うように働こうとしない、妙に重く感じる頭を振る。
情報が少なすぎる。答えの出ないことを、いつまでも考えていても仕方がない。
まずは、体を動かそう。
握りしめた右手を胸の前にやり、動悸を押さえつつ
不安げにそろそろと歩みを進める。
暗がりに次第に目が慣れてきて、
近くにある影の細部の見分けがつくようになってくる。
周囲にはいくつもの設備らしきものがあり、いずれの場所にも、
艦娘のものと思われる艤装が鎖によって
それらの横を通り過ぎつつ、
平戸は引き寄せられるように、そのうちの一つの前にたどり着いた。
「これって、もしかして…。」
床には幾何学模様のようなものと一緒に、
模様とは対照的な、飾りけのないアラビア数字が記されている。
”370”。
平戸はもう理解していた。
ここにあるのは、普段、自分たちが身につけ戦っている艤装に他ならない。
そして今、目の前にあるのは…。
平戸のものと思われる見慣れたその艤装も、他の艤装と同じく、
設備の中に鎖によって固定されていた。
それが、ほんの少しだけ動いたような気がして、目を
いや、動いたのではない。かすかな“声”が耳に入ってくる。
「あそこへ、いかなくちゃ。」
もっとはっきりと聞き取りたくなって、平戸は荒縄の下をくぐり
幾何学模様の中へと足を踏み入れる。
/ そっちへ行っては駄目!自分に、負けないで。/
そんな制止の呼びかけが、どこからか聞こえたような気もしたが、
すぐに、先程の“声”にかき消される。
呼びかけをかき消し、艤装から聞こえてくる ”声”は、
睡眠中によく見るあの夢の中の声と同じような、
そうでないような。
誰の声だか、どうしても判別することができない。
だが、その声が“何を意味しているのか”だけは認識できる。
時折、“自分の声”が重なって聞こえるのは、気のせいであろうか。
(( 平戸。おいで、私の
その声に、
心を塗りつぶされるような達成感が、胸の奥底から湧き上がり。
ここが、終着点。
大規模作戦の戦闘のさなか、平戸の心の中で引かれてしまったトリガーが、
平戸という存在を怒涛のごとく飲み込んでいく。
平戸の顔は表情を失い、見開かれたまま微動だにしなくなった目からは
いつのまにか、生気の感じられない乾いた涙が流れ出して、頬を濡らしていた。
平戸は気付いていない。
目の前の、鎖に縛られた自分の艤装が次第に形を崩し、
平戸に向かって太い触手を伸ばし始める。
(( 私を、私の愛する者たちから引き離したのは誰だ?))
(( 私に地獄の業火と水の責め苦を味わわせたのは、誰だ?))
ごめんなさい…。ごめんなさい…。
触手が徐々に平戸の服の中、スカートの
平戸の体を捕捉する。
その時。
”自分は、何も求めるべきではない”という思考に支配されつつある
平戸の頭の中をよぎったのは、
鎮守府の日常を過ごすうちに積み重ねられた、皆との様々な思い出。
最後の最後で、
平戸は自分でも思いもよらず、”声”に抗いたい気持ちに取りつかれる。
それは、敷浪や提督たちの努力が、決して無ではなかったことの証明。
「許し…て…。」
しかし、それもむなしく。
(( 永遠の苦しみを。私と共に味わうべきなのは、誰だ…!))
「っ…。」
平戸の心の中で、何かが、ぽっきりと折れた音が響き。
その瞬間。平戸の小さな体は、
もはや原形をとどめぬ自らの艤装の中へと、一気に引きこまれた。
いきなり、ベテラン艦娘の二人が胸を押さえて
苦しげにその場にうずくまる。
「どうした。敷浪。如月!」
戸惑う提督に言葉を返す余裕もないのか、
如月が独り言のようにつぶやく。
「何?この感覚。物凄い圧迫感。胸が…、苦しいっ。」
突然。
激しい縦揺れに襲われ、提督はたたらを踏んだ。
…真下かッ!
委細構わず、提督はうずくまる二人を両脇に抱え込むと、
がむしゃらにその場からの離脱を
提督たちの後を追うように松林の地面に亀裂が生じ、
大きく盛り上がると。
地面を突き破り、漆黒の木の根のような何かが無数に溢れ出して
天高く、急速に
その木の根の中に。何らかの予感が働いたのであろうか。
ほんの一瞬、見慣れた小さな姿を認め、
提督に抱えられた敷浪が悲鳴に似た声を上げる。
「平戸ッ!!」
500メートルほどを一気に走り切り、坂道を盾にして地面に伏せ
降り注ぐ土埃から二人を守って覆いかぶさる提督が目にした光景は、
己の目を疑うようなものであった。
船揚げ場に沿って続く松林から、すっきりと晴れ渡る上空へ向けて、
まるで、抜けるような青空に対して反旗を翻すかのごとく。
墨で塗りつぶした様に真っ黒で巨大な“枯れ木”が、
日差しを遮り、
その輪郭をくっきりと浮かび上がらせ、そびえたっていた。
三人は目を丸くし、
金縛りにあったかのように身動きもせず、
その場で茫然としていたが。
突然、提督のズボンのポケットから甲高い携帯端末の着信音がする。
普段、マナーモードなので緊急回線だ。
提督が我に返り、慌てて通話をつなげると。
相手は、こちらの名前を確認もせず。いきなり本題に入る。
「単刀直入に聞く。今そこで、何が起こっている?」
携帯端末から聞こえてきたのは。
白衣の女科学者の声だった。
「技術棟」の「計測室」は、騒然としていた。
演算機の筐体と端末の立ち並ぶ広い部屋の方々で、
確認と応答の声がひっきりなしに響き渡る。
今、この部屋の指揮をとっているのは、本営の幹部である白衣の女科学者ではなく、
以前、彼女とこの部屋でやり取りをしていた眼鏡をかけた研究員である。
まだ若年ではあるが、この人物は、平戸の所属している鎮守府にある「技術棟」の、
現在の実質的な最高責任者、主任研究員だ。
「対処比率、40パーセントを切りました。影響の波及を抑えきれません。」
「やむをえません。…370番を、放棄。」
「放棄します。」
海岸付近に位置する「封印庫」からかなりの距離があるにもかかわらず、
室内に、施設の限定的パージに伴う、ゴンッという振動が伝わってきた。
最終手段の虎の子を行使し、何とか持ち直したように見えた状況であったが、
しかし。
続けざまに新たな振動と地響きが技術棟を襲う。
今度は何事かと、室内の空気が凍り付いた。
「何だ…、あれ。」
窓の外へ震える人差し指を向け、
研究員の一人が声を上げる。
その声を聞き、あるいは自分で気付いて窓の前で足を止め、
部屋の中で働く者たちが目にしたのは。
技術棟の周囲を囲む雑木林よりもひときわ高く、
真っ黒な”枯れ木”のようなものが
みるみるうちにその体積と高度を増してゆき、
視界の及ぶ範囲を、一気に非現実的な視覚情報で埋め尽くす光景であった。
一方、
座り込んだまま、顔も制服も埃だらけの敷浪と如月は、
その目の前で地面に片膝をつき、端末と会話する提督に注目している。
提督たちが今置かれている状況を伝え終わり、女科学者の説明に耳を傾けているところだ。
専用の周波数帯を使った暗号化通信が、
提督の持つ携帯端末のスピーカーを介して、その場に女科学者の声を紡ぎだす。
「状況は、こちらの認識とおおむね、一致している。あの塔状の構造物は、簡潔に言えば。
艦娘に対象を限定しハッキングを行う、情報戦術兵器のようなものだ。
広範囲かつ無差別に“怨嗟への回帰願望”を投射し、影響範囲内に存在する艦娘の、
形態の不安定化、すなわち、深海棲艦化を促進する。因果関係は不明だが、近辺で
深海棲艦の活動の活性化も確認された。交通封鎖は既に実施済みだ。」
人間の車両、船舶、航空機の投入は望み薄、か…。
偵察に使用する程度ならば、無人機の使用も許可が下りやすいだろうが。
人が乗ることでハードルが一気に跳ね上がる。
人間社会内の組織と組織の相関関係が必ずしも”一枚岩ではない”以上、
本営にとっても、そのあたりへの配慮を軽視することは得策とは言えないのだ。
”怨嗟への回帰願望”…。その言葉を聞き、
敷浪がうつむき、如月がそれに寄り添う。
あれが、平戸のもう一つの姿であるらしいことは、二人から聞いている。
提督も同じ気分だった。
結局、平戸の心を十分に理解しきれず、支えきれなかった。
だが、今はそんなことを言ってはいられない。
反省なら、後でいくらでも行えるのだ。
「どうすれば、平戸を救うことができるっ。」
細かいことなど、どうでもいい。端的に。
何よりもまず、その事柄について、提督は女科学者に返答をうながす。
平戸を元の状態に戻す方策があるならば、当然、この事態の終息にもつながるはず。
「安全に事を運ぶのであれば。当面の対策としては深海棲艦への対処法と同じように、
艦娘の能力を行使し、活動を抑制しておくよりほかない。深海棲艦化の波及と本体の動きは
それで封じ込めが可能だろう。しかし艦娘への負担は大きく、外部からの増援を要請し、
ある程度距離も置き、多数の艦娘で幾重にも囲んで、ようやく、といった所か。
また、当然の事だが、それだけでは根本的な解決にはなっていない。」
携帯端末の画面が、解決策を暗示するかのように、
一つの画像を映し出す。
この鎮守府を中心とした付近の海域の衛星写真である。
次いで、何段階かに分けて拡大されていく。すると…。
「これは塔の最上部の、現在の様子をとらえた画像だ。」
最近の衛星写真は歩行者が手に持つ文庫本の内容まで見て取れる。(注)
その拡大画像には、眠っているかのように目を閉じ、
一糸まとわぬ姿で
下半身と両腕を”枯れ木”に飲み込まれた平戸が、鮮明に映し出されていた。
飲み込まれた…?
”枯れ木”を構成する物質との境界部が、溶け込んでいるように不明瞭になっている。
…”安全に事を運ぶのであれば”、と言ったな。
「だが、このまま時間を置けば、平戸の救助はそれだけ難しくなる。違うか?」
提督の投げかけた質問に、携帯端末の向こうの白衣の女が黙りこくる。
”
この画像を見れば薄々見当がつく。
融合が進めば、恐らく取り返しがつかない。
艤装内部で活性化した海底の怨嗟が
平戸の自我を蝕みつくす前に、何とかしなくては。
それだけではない。
悠長に構えすぎて、もし今、泊地内に深海棲艦の侵攻を許せば、
この鎮守府はひとたまりもない。考えるまでもないことだ。
話は少し横道に逸れるが…。
有り体に言ってしまえば。
軍事衛星の撮影ひとつを行うにも、それなりの手続きが必要なのである。
いくら急を要するとは言っても、
今すぐに完成品を出せというのは、どだい無理なのだ。
必要と思われる情報の収集、専門家による状況の分析、対応のシミュレーション、
会議を重ねてのしかるべき責任の所在と、具体的な対応の決定。
時間の必要な事柄を挙げだしたら、枚挙にいとまがない。
しかし女科学者は、そういったことをすべてすっ飛ばして、
いきなり、現場に指示をとばしてきた。
少なくとも、タイミング的にはそう見える。
今現在ここで起こっている事態について、あらかじめ承知していたかのように。
…また何か、思惑でもあるのだろうか。
いちいち、回りくどいまねをする。
実は、20年前の船着き場での件の時もそうなのだ。
いなづまを艦娘の自然発生の起爆剤として成立させるために
様々な要素を、そう帰結するように誘導したのはもちろんのこと。
提督自身はそこまで気付いていないが、
女科学者の言葉に追い詰められた提督の、いなづまに対する
積極的な自己表現がなかったら、
いなづまの努力は、根底から水泡に帰していた可能性もある。
先程までの大混乱が一段落して、
“枯れ木”の周囲の物事が安定した様相を見せ始める中。
女科学者は提督を焚きつけるように、
それとなく、言葉を続ける。
「状況から判断してほぼ確実な事だが。平戸はまだ、”迷い”から解放されてはいない。
ということはすなわち、あの子の無意識の中で過去の司令と現在の司令は、未だ、
同列であるということだ…。」
平戸を助けるために、平戸の弱みを利用するのは少しばかり癪ではあるが。
背に腹はかえられまい。
人数が少ないうえに、この環境下で満足に動ける艦娘は限られているだろう。
“枯れ木”の動きを封じるため、相当な苦役を強いなければならない。
もちろん、
だが、やらねばならない。
「敷浪。如月。」
会話に耳を傾けていた不安げな二人へ、提督は声をかける。
「俺に、命を預けてくれるか?」
その一言に、希望の所在を感じたのだろう。
自信を取り戻したかのように、二人は不敵な表情で力強く頷く。
「…ロッククライミングか。久しぶりだな。」
そう口にした提督の顔には、
地下でいなづまと出会った頃のような、自らの情動に翻弄される
野生じみた笑みが浮かぶ事は無い。
目的をはっきりと見据える、決意に満ちた表情がそこにはあった。
首都の中心部からは少し離れた場所に位置する、
本営本庁舎内の一室。
あたりの床は、書類やら、書棚から引っ張り出したままの
専門書やらで、とっ散らかっている。
部屋の主からすれば、どこに何があるか、わかりやすく分類されているそうなのだが。
傍から見ると、とてもそうは見えない。
慌ただしく人が行き交う部屋の外とは違い、静けさを失わないその場所で
提督との通信を終えた白衣の女科学者は椅子から立ち上がり、部屋の入口へと歩みを進める。
さて…。
現場の見通しは、取り敢えず立ったと言っていいだろう。
事態がどう転ぶにせよ。あとは彼と、彼女たち次第だ。
だが、悲観はしていない。
今まで触れ合ってきた、あの鎮守府の艦娘たちについても、
そして、学生の時分からその人となりを熟知しているあのデカブツに対しても。
奴らに任せておけば、大抵、何とかなる。
そんな風に思わせてくれる信頼を、女科学者は感じていた。
もちろん、丸投げという訳ではなく、
それなりの勝算があっての話だが。
いずれにせよ。
外部の者であれ、身内であれ、
やっかいな連中に、こちらの動きを封じる口実を与えぬよう、
細心の注意を払わなくては。
「あとは、裏方の野暮用をすますだけか…。」
そうつぶやくと。白衣の女は、本営の自分の仕事場を後にした。
次回、「嘆きの塔」後編。
ク○イジー・クライマー。(たとえが古すぎ)
(注)この二次創作物は、近未来を舞台としたフィクションです。