【インフォメーション】(2022-06-09)
・15-1.の前半を、さらに改稿。
(↑ここには、本当、語弊が生じないよう気をつかいます…。)
・13.の文末の後日談的な部分に、少し追加。
・15-3.を、加筆修正。
※今回投稿文(16.)への変更※
(2022-07-03)
・模索済みの他者も変わることなく推測のままであることを明記。
・「求めるという行為は、認識できる範囲でしか行えない。」
という一文を追加。
(2022-06-20)
・”求める”、”与える”の部分に少し説明を追加。
・細部の微調整。
(2022-06-19)
・他者に”求める”という欲求と、他者に”与える”という欲求が
分離しているかのような表現となっていたため、
必然的に、他者に”与える”という行動の敷居も高くなってしまいました。
それに関する部分を修正。
(2022-06-18)
・論点がずれているように感じたので、前半部分に加筆修正。
・説明を端折りすぎているように感じた部分についても加筆。
(2022-06-13)
・意図せず、”抑制”の方向へ向いてしまっている本文のバランスを
”解放”の方向へ全体的に調整。
(2022-06-12)
・誤解をまねくといけないので、「声のぬしに許しを乞いたい」という表現を
「声に対して罪を償いたい」に変更。
(2022-06-10)
・本文の二か所に、
「程度にもよるだろうが、衝動的で大雑把な行動を
一回とっただけでアウト、という訳では決してない。
あくまで、推奨はできないというだけのことだ。」
の一文を追加。
・提督が平戸のところまで来て何をしようとしていたのか、
わかりにくかったので、それに関する一文を追加。
・艦娘が、ちぐはぐな存在であることについての記述を追加。
・”求める”という行為の対象が自分であるかのように誤解させる表現を削除。
この部分に関しては、完全に蛇足でしたね。反省…。
・文中の法律、規則に関する表現を、誤解が生じないよう、
”当然”から”大前提”へ変更。
・「動機を持つ事自体が悪さをすることはない」の一文を追加。
・「分離」という表現では語弊があるので、「明確化」に変更。
【本文を読み始める前に】
この作品はフィクションです。
作者には、史実を代弁する意図も、立場もありません。
予めご了承ください。
物語の展開上、今回(も?)本文中にはへりくつが多めになっています。
あくまでフィクションですので、ナンセンスだと感じたら読み飛ばしてください。
“枯れ木”の頂上に開けたテーブル状の、比較的平坦で、だだっ広い
その空間の中央付近に。
下半身が床に埋まるようにして、探し求めていた姿があった。
提督が立ち上がり、周辺の気配に警戒しつつ、
平戸のそばへと近寄ろうとすると。
/ こないで…。/
唐突に、提督の頭の中に平戸の小さな声が響き、
思わず足を止める。
昔、いなづまと一緒に海上で戦っていた時と、ちょうど同じ感じだ。
「そうも、いかんだろう。」
提督は少し困ったように微笑み、歩みを進める。
/ 私は、
「そんなことを考えて、こんな高いところまで逃げてきたのか。」
目を固くつぶっているが、平戸に意識はある。僥倖だ。
「たとえお前が嫌がったって、俺はお前の本当に欲しいものを一緒に探し続けるぞ?」
一糸まとわぬ姿で下半身と両手が床に溶け込んでいる、平戸の間近まで
そのまま歩み寄ると、屈みこみ。
なんとなくそうした方がいいように感じたので、手袋を外し、平戸の頬に右手の指を
そっと優しく触れさせる。
「平戸…?」
その姿勢のまま。
提督は平戸に、意識の確認のため、改めて声をかけた。
「平戸、聞こえるか?」
返答がない。
可能ならば、平戸のおかれている現状を確認しておきたかったのだが、
平戸の方でも、すんなり自分の思い通り、という訳にはいかないようだ。
単に平戸の気が進まないだけ、ということもありうるが、
返答を無理強いしたところで、始まるものも始まるまい。
まずは、こちらの思うところを伝え、自然と会話をしたくなるのを待つのが先決だ。
さて。ここからが問題なのだが。
いったい、どう話を切り出したものやら。
数時間前のやり取りで得た、携帯端末からの情報通り、
提督という立場にあることで
今の状態の平戸とも意思の疎通は可能となっているようだ。
提督は、白衣の女科学者から
はっきり、どうしろと指示を受けたわけではないのだが。
要は、平戸の心を絡めとっている
過去の司令への償いの思い、”怨嗟への回帰願望” とやらを
なんとかして軽減してやればよい…筈だ。
思ったよりも、というか、かなりシチュエーションが異なってきているが。
元々、今日はそうする予定だったのだ。
話の運び方はそれなりに、めやすのついている提督であったが、
どんな感じで話し始めたらよかろうかと。
平戸から注視されているとは限らないのに、
手持ち無沙汰にその辺りの空間へ目を
今の平戸の心身に、過度な負担をかけることはできない。しかし…。
「い、生きるって何だろうな、平戸。」
やばい。倫理の授業でも始まるような妙な感じだ。内心焦る。
とっさに思いついた導入が、これか…。
自分の感性に対して、自信を失いそうになる提督である。
…ええい、ままよ。
「生き物に一つとして同じ存在なんてありはしない。生き物だけじゃない。物でさえそうだ。
協力し、反発しあいながら多様性を維持し、世界に時を紡ぎだしていく。」
多様性の現れとも言える時の流れの中、たくさんの出来事があった。
「提督。いなづま、浴衣を着てみたのです。」
菜園の収穫祭で縁日のための晴れ着を着て、少し恥ずかしそうだった。
「メリークリスマスなのです!」
皆で飾り付けたきらびやかなツリーを見上げ、うっとりとしていた。
「こうやって、ここを…こう。できたのです、可愛いのです!」
初めて作るテルテル坊主が存外にうまく出来て、うれしそうだった。
「たらこ、おいしいのです!」
無防備さが感じられるくらいの満面の笑顔。
あいつと過ごした日々。
まだ人類が深海棲艦に対抗するすべを持たなかった時代、
初めて共に戦った艦娘「いなづま」。
彼女が自ら進んで海の底へ沈んでいったその時、
振り返って見せた最後の微笑みが、自然と提督の脳裏に思い起こされる。
いなづまの事は、艦娘たちには話していない。
話せば、個人的な生きる意味を皆に押し付け、縛ることになる。
それは、いなづまにとっても。恐らく本意ではないだろう。
だが今回ばかりは、
そのあたりの事も持ち出す必要性があるかもしれない。
いかん。
思い出にふけっている場合ではない。
こちらから無理矢理話しかけておいて、別な事を考えていたのを気取られ、
平戸を不安にさせてしまっただろうか。
他者は認識した時点で実物とは別物。
あくまで、個人的な仮定、推測に過ぎない。
結局のところ、自分にとって正確に把握できる可能性があるのは自分の事だけ。
いついかなる時でも。自分の頭の中のものを、
その時”思い浮かんでいるそのままの形で”実現可能なものであることを前提として、つまり、
その時”思い浮かんでいるそのままの形で”実現可能なものであると本気で思いこんで、
”実物の”他者に押し付けてはならない。
思い込みは、他者の力を借りるという人間の得意な分野が内包する、副次的な弱点である。
一見すると、他者が何を考えているのか分からなく感じてしまうことなど、
当たり前の事なのだ。気にするほどの事ではない。
わかっていることとはいえ、
いざ、自分の考えを他者に伝えるとなると、
先程まで頭の中に響いていた平戸の声が静かなままなのが、少し気になってきてしまう。
能天気に晴れ渡る、澄んだ頭上の青空までが、やけに薄情に感じられてくる。
…横道にそれず、すみやかに、話を先に進めるとしよう。
明確な違反にこそ問われなかったが、
提督が過去に、戦闘放棄という大きな罪を犯していることは、
平戸も、それ以外の皆も多かれ少なかれ認識している。
迷いを振り払うように、提督は思う。
平戸、お前はお前だ、俺はお前の事について何とも言えない。
優劣など関係なく。俺の個人的な考え方が、そのまま平戸の場合にも
当てはまるわけではないから、押し付ける気もない。
だから俺は俺自身の経験を、感じたままに言う。
分不相応な俺の言葉はこの子を傷つけるかもしれない。
これは俺の単なるわがままかもしれない。
けれど、この子の中にもあいつがいる。
いなづまと同じような状況は、絶対に再現してはならない。
提督は、平戸に威圧感を与えぬよう、
静かに淡々と言葉を続ける。
犠牲という言語は、元来、強く極端性をはらんでいる。
あらゆる状況に当てはまるような表現ではない。
それでもあえて、犠牲という言語を用いて表すならば。
生きるという事は多かれ少なかれ、常に他者に犠牲を強いることだ。
どれほど努力をしたところでそれを避けることは決して出来ないもの、
という事になってしまう。
精神を檻に閉じ込められ、思考の身動きを封じられるようなものだ。
それでは感覚的、盲目的に、当てずっぽうに物事をこなすしかなくなる。
当然。個人が、自らの思考、自らの意志で自らを制御しつつ行動することなど、
到底、望めない。
それは、多様性の崩壊に他ならず。
そして、多様性を軽視した結末がどうなるかは、生物の歴史の上で数多く示されている。
手あたり次第に、犠牲という表現でひっくるめず。
はたしてどこからが、犠牲と言えるのか。
人によりけり、状況によりけりであり、
その問題に対して明確な“基準”を示せる人間など、恐らく存在しないだろう。
実物と自分の頭の中のものの区別がついていれば、
思い込みで物事の実質を見誤ることが少なくなり、問題ないと、
単に、そう言ってしまえれば簡単だし、じっさい、大抵のことはそれで充分なのだが。
目の前の他者の死を、自分にとって必要なものだったと言えるか、という、
極論を投げかけられた時、それを冷静に肯定することは、
たとえそれが最良の選択であるとわかっている場合でも、人として難しい。(注1)
そもそも、
人為的な極限状態が生じたこと自体、何らかの存在がどこかで道を誤った発露であり、
そんな極限状態は極力生じさせないよう、心がけるべきなのだが。
人間の生死にかかわるなど、そういった極限状態に、やむを得ず対処する場合は、
人として。どうしても”最良の選択”をできず、衝動的、大雑把な行動を選択したとしても、
意図しない、不本意な結果をいたずらに引き寄せたりしないように、
選択により生じた状況、結果に、柔軟に対処できるよう、
常に ”注意を払って” おくよりほかない。
程度にもよるだろうが、大雑把で衝動的な行動を
一回とっただけでアウト、という訳では決してない。
あくまで、推奨はできないというだけのことだ。
”注意を払う” ためには、あらかじめ物事の問題点を洗い出しておく必要があり。
一介の人間の経験にもとづく、浅はかで不完全な感覚では、
やはり、こうも感じる。
大切なのは、言語による表現でも、他者から与えられた自分という存在の価値でもない。
その時自分が求めている物が自分自身にとって、“本当に”必要とするものであるか否かだ。
その模索を
得てして、その結末は“現状よりもさらに”悲惨な様相を帯びたものとなってゆく。
その最たるものが、「人身御供」、「人柱」と呼ばれるものであろう。
他者の犠牲を回避するため、すべてを受け入れているようでいて、まったくその逆。
よくわからないもの、気にくわないものへの対処に
「人柱」という”感覚的” で、”大雑把” な手段を選択して、安易に思考を停止し、
それで正確な対処を行えると、自分からすすんで盲目的に自分に思い込ませ、
直面している困難への、根本的な解決策を見いだせないまま
ただひたすら、
気にくわなく感じたものに対して、その存在が丸ごとすべて消えて無くなることを求める。
身も蓋もなく、一言で言い換えるなら。
気にくわないんで、この世から消えてなくなってください。
それが、他者のために命を賭して自らがイケニエとなろうとする者の持つ、
意識の根幹と言っていい。
どのような物事も、いくら思考したところで、完璧な答えが出ることはないが、
少なくとも。
行動の選択を行う際、そんなの当たり前、などという逃げ口上で、
自分自身が”本当に”必要としているものが何かについての模索を怠るのは、
あまりにも稚拙な意識のあらわれに他ならないのだ。
もちろん、他者に対する共感、すなわち、心の動き、感情は、
他者を思いやる動機、きっかけとして、必要不可欠なとても大切な要素の一つであり、
動機が存在し続けていなければ、当然、物事の実行は不可能だ。
動機の扱い方を間違えるのが問題なのであって、動機を持つ事自体が悪さをすることはないし、
動機をそのまま物事の判断基準とすることが、即、意図しない結果につながるという訳でもない。
感情は、どこぞの魔法少女のマスコットものたまっていた通り、
エネルギー保存の法則を凌駕し、エントロピーの増大を軽減できると言える程に、
人間に活力を与えてくれるものでもある。
だが、動機のような感覚的で大雑把なものを
物事の正確な判断基準と誤認してしまうのは非常に危険なことなのだ。(注2)
人柱のような、”人為的な極限状態”が”新たに”作り出されてしまう。
それは、個人の制御の及びにくい組織力という手段を利用したとしても変わりはない。
自律した本分を逸脱しすぎないよう、
常に、自分自身が”本当に”必要としているものは何か、の模索を心掛けるべきだ。
結論として言えることは。
あくまで、法律、規則の順守は大前提として。
自らの行いであれ、他者の行いであれ、
その人が、その人自身にとって、”本当に”必要とするものが何かの模索を怠った、
という立証を十分に行わず、
その人の、”求める” という行為を
問答無用で、周囲へ向けての過剰な犠牲の要請、すなわち害悪と判断するのは、
本来、適切な対応のしかたとは言えないのである。
ただし、ここまでの要素だけでは、”人為的な極限状態”の発生自体を抑制する
説明としては、不十分だ。
そこで、”本当に”とは何か、をはっきりとさせる必要性が生じてくる。
動機は感覚的で、大雑把なもの。
その中でも特に、他者にかかわる認識は、どのような場合であっても、
常に自分の頭の中の推測にしか過ぎない。
動機のような感覚的で大雑把なものを
物事の正確な判断基準と誤認してしまい、新たな極限状態を人為的に生み出さないためには、
動機の中に、自分自身が”本当に”必要とするものが含まれているかどうかを模索し、
自分の目的を可能な限り ”具体化” 、 ”明確化” する必要がある。
必要そうに感じた、見えただけで、
動機の中に、自分自身が”本当に”必要としているもの は 含まれていなかった
という結論に至る場合もあるだろうし、
いくら模索を試みたところで、
模索済みの他者も含め、
他者に対する認識は、変わることなく推測のままなので、
常に模索を行い続けるよう、心掛ける必要もある。
なんだか大変そうだが、要は、
自分の頭の中のものは、いつだって変わることなく、実物とは別物である、
ということが、なんとなくわかっていればいいというだけのことだ。
そうすれば自然と、物事を、より正確に把握しようという意識が生じる。
他者の節度や、他者の持つ利潤の分配などを、他者に対して ”求める” ことであれ、
自分の持つ優位性を他者に ”与える” こと、つまり他者に受け取らせることであれ、
それはいずれも、自分自身の欲求だ。
極端な話、「自分のやりたいようにやらせてもらう」と口では言っておきながら、
自分よりも他者の事を優先した行動をとることも、
あながち、嘘をついていることにはならないのだ。
他者に”求める”という欲求と、他者に”与える”という欲求は
ある一つの動機について、
他者に対してどこまで求めるのか、他者に対してどこまで与えられるのか
あらゆる動機で必ず対になって連動しており、
求めるという欲求、与えるという欲求、どちらか一方だけで
動機の具体性が成立することはない。
要は、程度の問題だ。
”求める必要性のないもの”を、いたずらに軽々しく求めることが、
人為的な極限状態の発生を意味するのならば、
”求める必要性のないもの”は、”与える”ということと同義。
求めるという行為は、認識できる範囲でしか行えない。
認識できていることよりも、認識できていないこと、気がついていないことの方が多い、
つまり、求める具体的な目的よりも、与えることのできる範囲の方が圧倒的に広いので、
基本的に、他者に対してどこまで求めるのかという思考に変換した方が把握しやすい。
他者に ”求める” という行動と、他者に ”与える” という行動の判断基準を
一括して説明しようと思うならば、それは、
自分自身が、何を ”本当に” 必要としているのかに他ならない。
よく、人の欲求はとどまるところを知らぬもの、と言われるが。
それは極限状態に置かれ、状況的、あるいは精神的に、自らを探求する余裕のない場合に
顕著にみられる傾向である。
極限状態下においては、どのような極論も、正論へと、たやすく転化する。(注3)
本人の好む好まざるにかかわらず、やむなしという場合も多いであろうが。
極限状態下での手法が、事態を好転させる基本的な手法として多くの場合に適用可能かと
いえば。恐らく、
“動機” から、”自分自身が本当に必要としているもの” への
”具体化”、“明確化” は可能であるということだ。
提督は、目を閉じたままの平戸の顔を見つめ、
平戸に伝えんとする言葉に、自分の、ありったけの思いをのせる。
自らが大切に思うもののために尽力したという点で、
「大規模作戦」時の”艦娘としての”平戸と、いなづまの境遇は一見、
にもかかわらず。
それぞれの実質的な到達点は、片や、極限状態の拡大、片や、極限状態の縮小という、
180度異なるものだ。その相違は、一体どこから来るものなのか。
いなづまの場合は、
自らの自律した本分、つまり、自らが”本当”に必要とするもの、自らの生きる目的が
「自らが”これからもずっと生き続けたいと思う”理由」、
すなわち、その場限りの他人任せではなく、
「うまずたゆまず模索を行うことにより、
あやふや、大雑把、単なる思い込みの域を脱した状態を維持し、
自分自身が“本当に”必要としているものが何かについて、
どれだけ “具体的に把握できている” のか。
そして、把握した対象を、
自らの身体を恒常的に活動させるという物理的な労力を費やして、
”自らの手で存続” させる道」、
について、常に模索し続けたからこそ。
自らの持つ特性を積極的に活用し、
いなづま自身の望んだであろう方向へと、的確に、物事を好転させることが出来たのだ。
対象が自らの”本当に”必要とするものか、否かの根幹は、
“自分以外からの判別は難しい”とはいえ、
一時の激情による、その場限りの、あやふやで衝動的な欲求ではないという、
まさに、その部分にある。(注6)
勘違いしてはいけない。
「他者」に自分が何を求めるのか、ではない。
つまり、”実物の” 他者に
自分の頭の中の動機、思い込みを、あやふやなまま丸ごと直接押し付けるのではない。
「自分自身」が”本当に”必要としているものが何か。である。
他者に対して実際に求め始めるのは、まずは、その模索を常に維持できてからだ。
それが、あらかじめ自分で理解できていさえすれば、
厳密に行使する必要はない。
たとえその時、大雑把で衝動的な行動をとらざるを得なかったとしても、
選択により生じた結果をそれ以上極限状態へと近づけないよう、
注意を払うことができる。
人為的な極限状態の新たな発生、拡大も、だいぶ抑えることが出来る。
程度にもよるだろうが、
大雑把で衝動的な行動を一回とっただけでアウト、という訳では決してない。
繰り返すが、あくまで、推奨はできないというだけのことだ。
”実物の” 他者が、自分の頭の中のものとはどんな時でも常に別物である、つまり、
自分の頭に思い浮かんだままの形の、自分の思い通りのものではないとわかっていれば、
思い込みで実物の実質を見誤って、意図しない不本意な選択を行うことも減らせるし、
いきなり他者の実質を見極めようとすると、やたらと手間がかかる上に、
大抵うまくいかないので、
まず、自分が必要とする目的を明確に把握することから始めた方が、
手っ取り早いし、より確実といえる。
結論として言えることは。
あくまで、法律、規則の順守は大前提として。
自らの行いであれ、他者の行いであれ、
その人が、その人自身にとって、”本当に”必要とするものが何かの模索を怠った、
という立証を十分に行わず、
その人の、”求める” という行為を
問答無用で、周囲へ向けての過剰な犠牲の要請、すなわち害悪と判断するのは、
本来、適切な対応のしかたとは言えないのである。
世界大戦時、 ”船舶だった頃” の平戸の心情について言及するのは
容易な事ではないし、
基本的に、平戸のことは平戸にしかわからないことだ。
だが、つい先日行われた「大規模作戦」時の
”艦娘としての” 平戸の挙動について、あえて考察を試みるならば。
平戸は、自らの欲求を根本から害悪とみなし、拒絶していることで、
それは直接的、衝動的に、自らをかえりみることなく他者を思いやるという行為の選択に
つながるかもしれないが、
反面、 自分自身が具体的に、何を必要としているのかの模索を十分に行えず、
頭の中に生じた 、 ”単なる推測” の域を出ない動機をそのまま、
物事の判断基準として使用しすぎてしまった。
事態が悪化の一途をたどったとしても、何ら、おかしな事ではない。
自らの自律した本分を著しく逸脱すれば、
道を誤り、新たに人為的な極限状態が生み出されてしまう。
未来の他者に、新たに生み出された極限状態を継承させてしまう。
”他者の犠牲を享受したことへの良心の呵責”という激情に飲み込まれ、
道を誤りそうになっていた俺に対して、
いなづまは、自らの行いで俺の進むべき道を体現し、
そして最後の時、呼びかけた「言葉」で俺を救ってくれた。
いずれの艦娘の中にも、記録上は、
それらしき意識の存在は確認されているようなのだが。
いなづまが、果たして目的を達成することが出来たのか
残念ながら今のところ、俺が直接確認するすべはない。
他者の思いを代弁することなど誰にも出来はしないし、
自分に対する必要以上の他者の犠牲を正当化するつもりはない。
先人への恩義を忘れていいとも思わない。
これから俺の言うことは都合のいい解釈だとも思う。それでも。
誰かの犠牲によって生かされている者たちが、
先に逝った者たちの死に囚われて、生き永らえた自らの命を憎み、呪いながら、
何も成し遂げる事が出来ずに生きることを。
犠牲となり、己の本分の終焉を経たものたちが、もし、生者と同じ思考を持ち得たとしたら、
望みはしないのではないか。
自らの犠牲を無為に消費されてしまっては、それこそ、浮かばれないのではないか。
なぜなら。
艦娘の怨嗟への再統合を人の死と同一視してしまう俺に、
いなづまは、最後に、こう言ったのだから。
「”自由に”、生きて。」と。
…………。
近づいてくる。それを感じた時、平戸が真っ先に思ったのが、
”見られたくない。”だった。
気がついたら素っ裸だったので恥ずかしかったとか、そういうことではなく。
…少しは、そういう面もあったかもしれないが、
その時は一心不乱に、”提督や皆に、合わせる顔がない。”ただ単純に、そう、思った。
思った、とはいっても、
提督の接近に反応して活性化できた、平戸のごく一部分でだけで、
意識の大部分は過去の司令への
地上から離れよう、離れようとして以降のことは、
何が起こったのか分からない。
麻痺状態の部分と活性化した部分の区別も、なかなか判然とはしないし、
今の平戸が感じ取れるのは、提督の言葉だけだ。
…………。
提督は…なんだか、いつもどおりだ。
自分の言った言葉に自分でダメージをこうむって、あたふたしたりしている。
どんな時でも、根底の部分では変わることはない。
艦娘は、
船舶の経歴に由来する意志と、女性という概念、
そして艤装部分に宿る、
大戦時の海上で命を落とした、不特定多数の死後の人の魂。
3つの要素のハイブリッド。
不安定な、ちぐはぐな存在である私たちは、
提督の持つそういった揺るぎのない個性から、
安らぎを与えてもらえる。
与えてもらう資格がない。それが骨身にしみてわかってはいても、
やっぱり、嬉しく感じてしまうんだな、私は。
この気持ちは、どうしたって、誤魔化しようがない。
胸の痛みと喜びが混在する中、
うまく機能しない頭で、平戸はぼんやりと、
そんなことを思う。
……………。
なんだろう。
提督は、妙に気を遣ってくれている。話の運び方とか。
ふふっ…。私たちの上に立つ者なんだから、もう少し、はっきりと言ってくれてもいいのに。
そこで、自分の思考に引っかかりを感じ、
平戸の意識はわずかながら覚醒の兆しを見せ始める。
提督の話の内容については、正直、平戸にはよくわからなかったが。
言葉に乗せる、平戸のことを心配する気持ちは、痛いほど伝わってくる。
…そうだった。提督は、こういう人だった。
艦娘の事となると、自分への配慮など
こんな大切なことを、私は、どうして忘れて…。
平戸の気持ちは、申し訳なさ、
それまで焦点の定まっていなかった虚ろな瞳に、生気が宿る。
提督は一人だけなのだろうか。どうやって登ってきたのだろう。
まさか…自力で?
この人ならやりかねないし、実際にできそうだから怖い。
提督の命を危険にさらすようなことに、
なったりしなかっただろうか。
ふと気がつくと、遠くから、鎮守府の皆の声が聞こえてきた。
敷波さん、如月さん、初風ちゃん、対馬ちゃん、あかつき?ちゃん、
他にも、あんなにたくさん。
…?増援、でしょうか。何人か知らない顔も。
皆の艤装の様子が、何か変だ。…私のせい?
艦娘たちの経験した人間との思い出が、
平戸の残された意識の中に、徐々にではあるが確実に流れ込んでくる。
それは、海の底に沈んで以降、自分の欲求と向き合うということを拒絶していた平戸にとって、
決して手の届かなかったであろう可能性の数々。
平戸は自らの中のそういった可能性を、一刀両断に放棄しようとしていた。
浅はかな判断であることだけは確かだ。
そちら側にくみしてはいけない。
提督はきっと、そのあたりを気にかけてくれているのだと思う。
……………。
何とかしなければ。
このまま、ただ手をこまねいて終わりを迎えるわけにはいかない。
私の最後の仕事が、皆を海の底に戻すことだったなんて、
そんな行い、断じて加担するわけにはいかない!!
必死になって、心の中ではそう思うものの、今となっては。
麻痺した大部分の意識の制御を取り戻すことは、どうあがいたところで、不可能だろう。
どうして…。なんで、自分の体なのに、
自分の思うように働かないの?!
麻痺した自分の意識に触れようとするたび、
残された今の自分の意識の方も、痺れたようになって霧散してしまいそうになる。
この期に及んで、私はまだ…私は、まだ…。
艦娘の平戸に、自発的に、かの世界大戦時の経験を超越しろというのは、
無茶な要求だろう。
平戸の知る
提督の呼びかけで活性化できた意識が、
徐々に、麻痺した部分に飲み込まれていくのを感じる。
遠くから聞こえる皆の声も、こころなしか、
先程までのような勢いが感じられなくなってきている。
嫌だ…。私は…、こんなこと。したくは………。
ブラウン管の明かりがぷつんと途切れるように、平戸の意識が暗転したとき。
暗闇の中に。
外から聞こえる提督の短いひとことが響いた。
………そして。
提督の発した、その短い言葉に呼応し、重なるように、
同じ「言葉」の。その声が聞こえた。
「”自由に”、生きて。」
初めて聞く声のはずなのに、どこか懐かしいような、どこか身近に感じるような。
気弱そうであっても、
不思議と空間に強く響く、凛とした少女の声。
平戸は自分の中に、荒々しい炎に包まれる海上に立って振り返り、優しく穏やかに微笑む、小柄な艦娘の姿を幻視した。
提督の口にした短いひとことは、強い意味を持っていた。
別の言葉による説明を行わずとも、すんなりと他者に伝わるほどに。
提督自身がいなづまに救われた、きっかけそのものであったから。
提督はその時、平戸を救おうと全身全霊を込めて、そのひとことを発したであろうし、
恐らく、他の者が同様の言葉を発するのでは効果は得られなかったであろう。
平戸は唖然とする。
無理もない。暗闇の中から、いきなり激しい炎の渦巻く戦場の真っただ中に
放り込まれたのだ。
自分の体は存在するかもはっきりとせず。
そのかわりに、
身体も艤装も戦闘で傷だらけの凄惨な姿をした艦娘と、一体となったかのように、
その思考、感覚が平戸の中に流れ込んでくる。
その子は。
これから海の底へ沈もうとしていた。自分から望んで。
大規模作戦時の、“艦娘としての”平戸と同じ境遇だ。
しかし。その子は確固たる面持ちで、どこまでも穏やかに”平戸に向かって”微笑む。
…提督は都合のいい解釈、などと口にしていたけれど。
平戸にはわかった。
その艦娘の心の中には、もちろん不安も存在していたが、
少なくともその子の場合、それは絶望ではない。
むしろ、その子の心には、
自らに対するごまかしでも、現実逃避でもない、自信と希望が満ち溢れていた。
平戸はいなづまに問いかける。
/ あなたはどうして、そんな風に笑っていられるの? /
いなづまが問いかけに答える。
/ これは私の、”本当にやりたい“ことだから。/
いつの間にか、戦場の光景は幻と消え、
平戸は、自分の体の存在を感じ。
二人は純白の無垢な空間の中で、お互いに、程近く向き合う。
いなづまは平戸の頬に手を伸ばし、
いとおしむようにそっと撫でながら優しくほほ笑む。
「だからほら。こうして、あなたとお話しすることもできた。」
いなづまは、幻などではない。
どういった仕組みかは、平戸には皆目見当もつかないが、
確かに目の前で“息をしている”。それが、はっきりと理解できた。(注7)
あの船揚げ場のベンチの時と同じように、心が軽くなっていくのを感じる。
「悲しみに、
いなづまのその願いは、平戸の心の中に深く浸透していき。
平戸がありえないこと、ゆめまぼろしと、自分から心の奥底に固く封じ込めていた、
暗い海の底での記憶の扉を開放する。
夢の中で何度も見た、あの光景である。
一寸先も見通しのきかぬ暗闇の中。
海底に横たわる船体から…声が聞こえる。
平戸…、平戸。
今ならわかる。
私の操船を指揮していた、司令官の声だ。懐かしい。
以前のように、声に対して罪を償いたい狂おしい程の衝動に
思考を刈り取られることはなく。
平戸はその声を、素直に、あるがままに、受け入れることができた。
その声には。平戸を恨み、糾弾するような響きは感じられない。
平戸に対する慈しみと思いやりが強く込められている。
海上の艦娘たちに憧れ、鎮守府へと“零れ落ちて”きた時。
暗い海底へ引き戻されようとした平戸の背中を押してくれた、あの言葉。
平戸…。私は、お前に……。
”自由に”、生きてもらいたい。
おずおずと。
自分の心の
平戸は、自分が絶対に口に出してはならないと禁じていた言葉を口にした。
「いいのかな…。
私は本当に、海の上のあそこで、皆と一緒に居てもいいのかな…。」
突然、提督の目の前で、小さな白い裸身が“枯れ木”の外部へと吐き出され、
残留物が平戸の体から、パラパラと剥がれ落ちるように離れる。
両膝をつき、前のめりに倒れかかる平戸の体を、提督はしっかりと受け止めた。
“枯れ木”に取り込まれている平戸にいくら話しかけても反応がないので、
内心、ハラハラとしていたが。
これは…成功した、のか?
と。提督の腕の中の平戸が、少し身じろぎをする。
「平戸。無事だった…」
そう言いかけた提督は、振り返った平戸が、泣いていることに気付いた。
それ以上は言葉をかけず、提督は自分の着ていたジャケットをぬいで、
黙って、平戸の埃だらけの小さな体に羽織らせる。
いくらか汗臭いかもしれないが、吹きさらしで体が冷えてもよくないし。勘弁な…。
平戸は、自律した本分を果たす事の出来る喜びと、
抑制から解き放たれたばかりの感情の激しい動きに、すっかり顔をくしゃくしゃにして。
明らかに、その涙は。いつものような感情のこもらない、冷たく乾燥したものではなく。
強い心の動きの反映された、温かく、豊かなものだった。
今の平戸は、“動機”と“自律した本分”の違いを理解することで、
心の動きを、自らの制御を失うものとして極度に恐れることなく、
表に出すことが出来ている。
初めて流す “自分のための涙” に、なかなか泣き止まない平戸に胸を貸してやりつつ。
提督は思う。
ああ、この子はもう、大丈夫だ。
しかし、状況は、あまり猶予を与えてはくれなかった。
唐突に足元が揺らぎ始める。
艦娘たちに動きを封じられていたはずの周囲の触手が、
再び、活動を開始していた。
次回、最終回。
「大団円」。
(本文補足):04.「資材倉庫」の伏線以来でしょうか。
やっと、”二人”を会わせてあげることが出来ました…。