平戸ちゃんのお話   作:伊村ハク@駄文存在

29 / 31


【インフォメーション】(2022-08-12)
この回は08.「おでかけ」の続きになります。
目次ページの付録の部分は投稿順に並んでいます。
読む順番には並んでいませんので、ご注意ください。
(あくまでフィクションですので、文頭のへりくつに関しても、
ナンセンスだと感じたら読み飛ばしてください)

※今回投稿文(08-補.)への変更※
(2023-05-14)
文頭の整合性を欠いた部分を修正しました。

(2023-05-04)
・改稿後の微調整を行いました。

(2023-05-03)
・雑に感じる部分がありましたので、全体的に改稿しました。

(2022-09-10)
・提督の過去の戦闘放棄への折り合い方について
 >提督といなづまとの関わり合いに嘘が含まれてしまってはいけない。
 >結果として、人類の存続をおろそかにするような方向性になってしまってはいけない。
 >道の誤りを全肯定するような内容になってしまってはいけない。
 以上の3点を踏まえ、
 整合性に欠ける部分を調整しました。
・いくつかの箇所を加筆修正。

(2022-08-17)
・本文の内容に納得がいかなかったので、
 全面的に加筆修正を行いました。

(2022-08-14)
・説明不足だった部分に加筆。
・細部の微調整。

(2022-08-13)
・本文の仕上げを行いました。
・気になった箇所をいくつか加筆修正。




        08-補.「彼岸と浮世と反抗期」

 

 

 人間は弱く、一人では生きていけない。

当たり前といえば、当たり前の事だ。わざわざ言い表すまでもない。

 

力任せに他者を排除するのではなく、他者の力を借りることで自らを存続させる。

すなわち、記憶し、推測、仮定して行動する。それが人間の持つ本質と言える。

心の底から他者に嫌われたいと考える人間は、余程、人間関係をこじらせない限り、

おそらく少数派だろう。

 

その枷に縛られているからこそ人間は。

進化の過程で多くの生物が陥った、自分以外の他者の排除、多様性の軽視という

袋小路に迷い込むことなく、

経年による避けることのできない単体への情報の累積という自我の限界はあるものの、

多様性の力を借りて、理論的には無限に自らの可能性を拡張していくことができる。

 

 だが。自分は、自分だ。

他者の価値観を尊重しようとするあまり、自分という存在を無理に変えようとすれば、

結局多様性が損なわれ、本末転倒になってしまう。

 

組織力の利用も含め、他者との協力関係という人間の持つ本質を

否定することができない以上、

自分という存在を維持しつつ、他者との協力関係の中で、” 意図しない ”無用な軋轢

までは生じさせないよう、心掛けるよりほかない。

 

 ただし。上に立つ者の采配がどれほど優れていようと。

そして、人と人との協力関係つまり社会を構成する者たち全員に、その優れた采配による

「単一の価値観」を押し付けて、半ば強引に協力関係を安定させていたとしても。

そもそも、市井の個人ひとりひとりが自分自身で

「自分が”本当に”必要としているものが何か」についての模索を

十分に行えていなければ。

どこまでいっても結局のところ自分の頭の中の単なる推測にしかすぎない、

他者から押し付けられただけの「単一の価値観」から生じる無用な軋轢は、

自分の意図したものであるか、自分の意図したものでないかの制御、柔軟な補正が

困難なまま社会に蓄積し続け。

価値観の単一化と、軋轢による無用な潰し合いにより多様性を失った文明の発展は

驚くほど容易に上限(キャップ)へと達して社会は閉塞し、

さほど時を経ずして、人と人との協力関係は崩壊する。

 

個人ひとりひとりが自分自身で「自分が”本当に”必要としているものが何か」を、

より明確に把握することは、

人と人との協力関係の恒久的な維持にとって、欠かすことはできない要素と言える…。

 

 

 

 

 

「数々のお目汚し失礼いたしました。それでは、これでおいとまさせていただこうと思います。」

「お目汚しだなんて、おっしゃらないでくださいな…。こうして気配りをしていただいて、

あの子もきっと喜んでいると思いますから。」

 

仏壇のしつらえられた畳の間で、

目の前の老女の言葉に、提督はただただ、平伏するばかりである。

 

 

 

 それからしばらく(のち)

かしこまって礼を行いつつ玄関の扉を静かに閉め、

庭の門を通り表の通りへと出た提督は、

閑静な住宅街の人けのない通りを少し歩いて、訪問した家から

少し離れたところで立ち止まり

明るい日差しが降りそそぐ蒼空を黙って見上げた。

 

 先程の老女の、提督に対する対応が穏やかだったのは、

もちろん人柄もあるだろうが

生活が裕福であることも無関係とはいえないだろう。

 

向き合うべき相手はそんな恵まれた環境ばかりでは決してなく、

規律上の提督の責任が問われる事は無いと、既に結論は下されているわけだが、

それで事を納めてしまってよいというものでもない。

 

 今の提督は、典型的な喪服姿である。

本営で開かれた「提督総会」から母港へと戻って数日後。

今年の夏は、総会の様子から推測すると忙しくなりそうなので、

先方の同意を得て、訪問の時期を少し早めることにした。

 

提督が若かりし頃の”あの艦娘”との顛末の(あと)

「菜園」での軟禁状態から解放された提督は、遺族のもとへと伺い、

毎年決まった時期に仏壇の前で手を合わさせてもらっているのだが。

 

この地上にまだ艦娘が存在していなかった20年前、

人類と深海棲艦との間で行われた敵中枢での決戦時。

同じ隊に所属していた家族を、死へと追いやった原因の一端である提督と

顔を合わせることを、

未だに拒絶する親族もいる。

 

それでも可能であれば

承諾を得たうえで、毎年の墓参りは欠かさずにいた。

 

 

 

 いくつかの公共交通機関を乗り継ぎ、目的の墓標の前に到着した提督は、

墓を借りている檀家に失礼にならない程度に、目についたゴミを拾い集めて

墓の周辺を清め、

携えてきた切り花を供え、線香に火をつけて墓の前で身を屈め手を合わせる。

 

 

 

 あの作戦時の、敵の要衝中心部での自分の戦闘放棄は。

間違いなく、動機の明確化を欠いた衝動的で浅はかな行動だったと言える。

 

たぶん、理性と感性の未分化。そういった問題だろう。

精神的、体力的に極限まで追い詰められていない、今の落ち着いた状態で、もし同じ場面

に遭遇したら、おそらく引き金を引けるはずだ。

 

 しかし同時に。

提督は自らの持つ、艦娘と人間を同一視してしまうという性質を、自責の念に従って否定

してしまうようなこともできないでいる。

 

自律した本分、すなわち「自分が”本当に”必要としているもの」を、逸脱した行為が、

人為的な極限状態を生み出す道の誤りであるとするならば。(注1)(注2)

自分の持つ性質を否定してしまえば、”艦娘たちが存在すること自体 ”が、道の誤りの結果

ということになってしまうし。

なにより。

思い出の彼方の”あの艦娘 ”に対する自分の思いが嘘だったことになってしまう。

それだけは決してありえないことと断言できる。

 

そのような問題、つまり、

 「自分が”本当に”必要としているもの」と、

他者の価値観の尊重、あるいは他者を思いやる”きっかけ”としての

明確化前の動機との兼ね合いに関しては、

提督はこれまで様々な経験を経て、自分なりの答えは導き出せているのだが、

その導き出された答えは、長年の試行錯誤の結果生み出された、

あくまで提督個人にとっての、ある程度有効な手法にすぎず、

当の提督にとっても未だ不完全なものであって、

完全不完全云々(うんぬん)以前に。

もちろん、他者の場合にまで、それがそのまま当てはまるというわけではないし、

こうと定まった正解というものもおそらく存在はしない。

こういった物事は、いくら焦ったところで永遠に答えの出ない課題なのだろう。

 

 

 

 望まれぬ訪問者なのだ。あまり長居はできない。

やがて墓の前から立ち上がった提督は

線香を水を張った桶の中に入れて消火し、

掃除を始める時、ツツジの茂みの上にのせておいた

長袖の黒い上着とネクタイを掴み上げ

ネクタイは丸めて背広の内ポケットにつっこんで、

気温が高いので背広は羽織らず、掃除で腕まくりしたままの腕にかけておく。

 

供えた切り花を回収して、あたりが散らかっていないかをざっと確認すると

墓地の細い道を帰路につく。

 

 

 

 公園墓地のその区画には、

野良猫が一匹

近くの墓石の根本で眠そうにしている以外は動くものが見当たらず、

閑散としている。

 

すっきりと晴れ渡った青空を、

足元に広がる樹々のこずえの影に木漏れ日をちらちらと揺らしながら

清涼なそよ風が吹き抜けていった。

 

 

 

汗をぬぐうのに、ハンカチ一枚では少々心許(こころもと)ない。

初夏という季節柄、暑く感じるか涼しく感じるか微妙なところではあるのだが、

事前に天気予報の気温までしっかりと確認しフェイスタオルを持参すべきであったかと、

提督は少し後悔する。行程のほとんどが市街地とはいえ油断は禁物である。

 

この手の用事は訪問先に気を遣わせぬよう、スマートさが第一であるので、

なるべく身軽に、を心掛けたのが(あだ)になったか。

 

平戸の風呂敷包みならば即座に出てきそうであるが…。

心の中で思うだけに留めておこう。これくらいのことで人頼みは良くないぞ、俺。

 

 

 

 しばらく歩みを進めると

細い道の少し先に人影が見えた。

 

背格好からすると、10歳前後の少女といった所か。

淡いパステル系の橙色をベースとした半袖Tシャツに、デニムのオーバーオールを合わせ、

ぶかぶかの大人用の帽子を目深にかぶり顔立ちははっきりとしない。

 

頭髪も帽子の中にしっかりと押し込まれているため、

全体のシルエットが印象に残りにくい。

 

その少女は当然のように、手に風呂敷包みを携えている。

ぱっと見、家出少女に見えなくもない。

よく警官に呼び止められなかったなと、提督は真っ先に変なところに感心してしまう。

 

 どうやら提督のことを待っていたらしく、

横を通り過ぎる提督の歩幅に歩みを合わせて、黙って横に付き従う。

 

公園墓地の中を二人並んで歩き、少し広い通りへと出ていくらか経った頃、

少女が提督におずおずといった感じで声をかけてきた。

 

「提督。こそこそと、あとをつけたみたいになってしまって…。」

「自分から出てくるとは思わなかったけどな、平戸。同行を言い出せなかった気持ちも、

なんとなくわかるし。気にしなくていい…おっとサンキュー。」

 

そう返答しながら、

ごく自然に差し出されたフェイスタオルを、

軽く頭を下げて感謝の意思表示と共に受け取る提督。

今回も大活躍の、何でも出てくる風呂敷包みだ。

 

 ちなみに。

平戸が提督の身辺の安全確保を目的として肌身離さず持ち歩いている爆雷は、

スカートの場合と違い、大腿部にひっそりと投射機やホルダーを装備することができず、

かといって、街中で堂々と露出させるわけにもいかないので、

こまごまとした日用品と一緒に風呂敷包みの中に幾つか忍ばせてあった。

通常の兵器とは違い艤装の一部でもあり、艦娘の意識と連動した特殊なものなので、

誤作動の危険性は限りなく低いが、

平常時の爆発物の所持は物騒といえば物騒だし。

できれば控えてもらいたいと提督が思っている、平戸の数少ない欠点の一つだ。

平戸が旅客機に乗る予定は今のところ無いが、もし乗るとしたら、

税関の手荷物検査等で普通に引っかかりそうではある。

 

 

 

 話が少しばかり横道に逸れてしまったので、元に戻すとしよう。

平戸が船舶だった頃の記憶に縛られ、

提督の健在を常に把握していないと落ち着けない性格なのは

同じ鎮守府の関係者の間ではよく知られている物事だし、

提督は周囲に対して、自分の過去の戦闘放棄について特に秘匿はしていない。

 

今回のように、提督が全神経を集中させて臨まなければならない

デリケートな問題であればこそ、

邪魔をせぬよう、毎年我慢していたのが

積もり積もって、今年は抑えきれなかったのだろう。

結果として、あとをつけまわすような感じにならざるを得なかったのだ。

 

ついてきたはいいものの、

目の前で何人もの相手に頭を下げ続ける提督を(はた)から眺めることに対して、

途中で罪悪感が(まさ)って

とうとう隠れ続けることができなくなったらしい。

 

 

 

 提督の、毎年恒例のこの罪滅ぼしは、

一度にすべてまわるのは先方の都合もあり無理なので、何回かに分けている。

 

日にちを開けて合計五日間のうち、今回、提督は二日間かけて訪問と墓参りを

行っていたのだが、

昨日は平戸の気配がなかったので、

尾行を開始したのは今朝宿泊先を出た時からだろう。

 

軍隊の職員は職場に対して自分の所在を常にはっきりとさせておく必要があるので、

さほど難しいことではない。

 

 平戸からは確かに休暇の申請は出されていたが、

まさかこのためとは思わなかった。

 

提督の予定がはっきりしてから

自分の方をそれに合わせたのは間違いないだろう。

彼女の性格からして、鎮守府の自分の仕事をおろそかにしてまで

このような行動に身を投じたとは考えにくい。

 

にもかかわらず、提督が鎮守府を出発する時に見かけた、

執務の仕事をこなす平戸の様子は普段通りで特に慌てることもなく、

イレギュラーな予定をねじ込むことで負担がかかっているような素振(そぶ)りは

まったく見られなかった。

つまり、通常時の事務作業の、

あの迅速丁寧さは、まだ余力を残していたということになる。

 

のちに提督が他の職員から聞いた話だと、

やはり平戸は、前の日までにしっかりと必要な仕事を終わらせ、

当日でないとできない部分だけ、初風や同僚の事務員に

肩代わりしてもらったようなのだ。

 

それを知った時、デスクワークが苦手な提督は舌を巻いてしまった。

いろいろとスペック高すぎやしませんかね平戸さん…。なんて恐ろしい子っ。

 

とはいえ、自分に負担がかかっていてもそれを周囲に感じさせないよう

自分の中だけで処理してしまおうとするのが平戸という子でもある。

 

 

 

 初夏ではあるが、昼下がりで今日は気温も高めだ。

先程のお参りでちょうど今回の遠出の日程をすべて終えたところなので、

お互いに休息も必要だろうと、

首にかけたタオルで(ひたい)の汗をぬぐいながら提督は提案してみた。

 

「せっかくだし、何処かに寄ってお茶でもしていくか。もちろん奢るぞ?」

「め、滅相もないです。私の独断でした行いですから…。」

「平戸が自分で考えてやりたくてやったことなら、俺はいつだって大歓迎なんだけどな」

爆雷については…まあ、そのうちなんとかなるだろう。

 

食事を無理に勧めても平戸の罪悪感を刺激してしまうだけなので、

提督は粘らずに引き下がる。

 

あそこの茶屋のところてん、結構うまいんだが…。

 

缶コーヒーの好みは無糖だし、甘味処の嗜好でもあくまで辛党の提督である。

押して駄目なら引いてみろと、(ちまた)でもよくいわれる。

 

「それにしても今日は暑いなぁー。汗かいて喉がカラカラだぜ。ところてん食いたいなぁ。

でも、平戸がそう言うなら仕方がないかー。」

 

「……。」

歩みを止めずに通りの前方へ顔を向けたまま、平戸が目をぱちぱちとさせた。

何かしらの物事で動揺したときの、平戸の癖だ。

 

もう一押し。

 

「ゲホゲホッ…。年寄りの身にはつらいのぅ。この二日間歩きどおしで、ふくらはぎもすっ

かりパンパンだな。それでも休めないとなると…そうかぁ。これからしばらく身動きが取

れないかもしれないな。疲労で寝込むかもしれないな。いやだなぁ。」

 

少々強引な話の持っていき方だが、これでどうだ。

 

実際のところ、アウトドア派を自認する提督の体のつくりは頑丈で、

幼少の頃、父親につきあわされて山歩きが趣味になって以来、

数日間立て続けに山道を歩き回るようなことになっても、余程の悪路でもない限り

へばったことが無かった。

同じような趣味を持つ鎮守府の職員たちの間でも、結構有名な話だ。

 

 己への罪悪感よりも、

言葉の向こうの本音がいかにも見え見えの提督の誘いに対する

可笑(おか)しさの方が勝ったのだろう。

 

笑っていいのか、申し訳なく思っていいのか分からないような複雑そうな表情で

眉毛を八の字にしながら、隣を歩く提督を見上げ平戸は承諾した。

 

「お供…させていただきます。提督に寝込まれてしまっても困りますし、ね。」

「そう来なくてはな。」

 

いたずらを成功させた子供のような得意げな顔で、

平戸に笑顔を返した提督である。

 

 

 

 

 

 青海苔がふりかけられた透明感のある涼し気な寒天の上に酢醤油をかけ、

チューブ入りの既製品ではなく、しっかりと粉から練られている和がらしを溶かし込む。

 

からしを入れないところてんに何の意味があろうか。

 

舌に感じるぴりっとした刺激に加え、

ほどよい寒天の歯ごたえ、青海苔の磯の香り、

酢醤油のすっきりとした酸味が体の熱冷ましになり元気を回復してくれる。

 

 空調の利いた涼しい店内で席に座り、

手に持った器からところてんを箸でつまみ口に運びながら

提督が向かいの席に座っている平戸の方を見てみると、

平戸はスプーンを手にしたまま

テーブルの上にドスンと置かれた宇治金時の大きな器を前にして

体を硬直させていた。

 

もう顔を隠す必要性は無いので、帽子は小さく折り畳んで、

傍らの椅子の上に置いた風呂敷包みの中へしまいこまれている。

店内の和風のたたずまいに、平戸のつやのある銀髪が

何故か随分とよく調和していた。

 

抹茶シロップと練乳のかけられた大盛りのかき氷の上には、

自家製の小豆やらバニラアイスやら、蜜漬けの果物やらが器一杯に盛り付けられており、

メニューの中から値段が比較的安めだったこれを選んだようであるが、

予想外のボリュームに、どこから手をつけてよいものかと混乱している様子である。

 

…そういえばそうだった。

この茶屋の宇治金時はコスパが良いことでも評判だった。

さすがに食べきれないかもしれない。

注文時にあらかじめ教えておいた方がよかったか、判断を誤ったかもしれないと。

今更ながらに思う提督である。

 

 やがて意を決したように、平戸はふわふわに盛られた氷と一緒に

小豆をスプーンに乗せ口へ運ぶ。

 

お、そこから手をつけるとは。なかなか目の付け所がいいな。

 

豆から丹念に炊いた自家製のつぶ餡は、この店の売りの一つである。

それを口に含んだとたん、眼鏡の向こうの平戸の目が輝く。

 

「ん~~~っ♪♪」

 

とろけたように顔の表情を弛緩させ、頬に手を当てて満面の笑顔。

平戸には珍しい直球の感情の発露に、まるで店内の明るさが倍になったかのようだ。

 

思わず懐から携帯端末を取り出し撮影しそうになった提督であるが、

肖像権侵害になるかもしれないので寸前で踏みとどまる。

 

提督が自分の方を見ていることに気付いた平戸が

顔を赤らめてうつむいた。

 

あざとい。実にあざといぞッ平戸!だが、それがいい。

こうやって、平戸の心を縛る” 迷い ”の鎖を少しづつでも緩めていけば、

いつか、きっと…。

 

「できれば、その…。あまり見つめられると恥ずかしいです。」

「悪い。あまりにもうまそうに味わうもんだから。つい…、な。」

「とてもおいしいです。幸せ過ぎて、なんだかいたたまれない気持ちに…あ、提督も

お食べになりますか?」

スプーンにひと匙すくい、身を乗り出してくる平戸。

 

「いやいや俺は辛党だから。見すぎないようにするから、気にせず存分に味わってくれたまへ。」

 

思いもよらぬリアクションに意表を突かれ。

普段からそれほど優秀だとは思っていない自分の頭脳の処理限界を優に超えた

度重なるクリティカルヒットで、変な口調になってしまった提督である。

 

相手が、誰もが振り向くような才色兼備の超絶美少女(眼鏡装備)とあっては、

こういった反応もやむなしと言えるのではないだろうか。

…ではなくて。

1回口を付けた食器を他の人と共用とか、如何(いかが)なものであろうか。

そんなふしだらな子に育てた覚えは以下略。

とりあえず、ここは辞退しておいた方が無難だ。

 

「そう、ですか…。それでは遠慮なくごちそうになりますね。」

 

どことなく残念そうな感じで提督にそう返答した後。

椅子に座り直し、

ときおり、うっとりとして手の動きを休める以外は黙々と

器と口の間でスプーンを往復させ続ける平戸。

 

その夢中な様子に。

やはり、少しばかりごり押してでも、誘ってよかったと感じた提督である。

 

 

 

 今回の平戸の行動には、おそらく実害はなかったし、他者に対して害を成そうと

するような意志もそこには無かったのだ。

律儀すぎる平戸がいたずらに悩むことのないよう、良い思い出を作ってもらいたいという、

提督の目標はどうやら達成されたようである。

 

また、それとは別に。自分では認めたがらないだろうが、

提督は自分の過去の過ちと向き合うことに、いくらか心労も感じていたのだろう。

 

遠い昔、 ” あの艦娘 ” と心を通わせたことで、

その頃見失いかけていた、自らを律することのできる自信を取り戻し、

提督の心は救われたとはいえ。

過去の行い自体が消え去ったわけではない。

 

自分の行動によって生じた責務と向き合うということは、

それに対する誠意さとはまた別に、

心の奥で常に相当な精神力が費やされることでもあるのだ。

一生背負い続けていかなければならないことであるが故に。

 

 そんな中。” あの艦娘 ”が示してくれた” 生きる目的 ”が、

自分の過去と向き合い続ける提督の気持ちを、強く支え続けてくれている。

平戸たちに対する自身の立場の認識のしかたにも、それは如実に表れていた。

” お養父(とう)さん ”。

” あの艦娘 ”の願いと共に、艦娘たちに寄り添う。

それはこれからも、きっと変わることはない。

 

 

 

 気がつくと、平戸は器に大盛りの宇治金時をペロリと平らげていた。

小型艦艇であってもさすがは艦娘、といったところか。

体が冷えすぎるのもよくない。

平戸にお茶を勧めようとすると、平戸は既に二人分の湯飲みを準備中であった。

 

テーブルに置かれていた急須から、平戸が湯呑みに注いでくれた濃いめの番茶を飲むと、

熱の冷めた体に温かいお茶がちょうどよく、心地がいい。

テーブルを挟んで向き合ったまま、店内の賑わいに耳を傾けて、

平戸と提督はしばらく無言で湯呑のお茶をすする。

 

「御馳走様でした」

ひと心地着いた頃、空になった器に向けて手を合わせ食後の挨拶をする平戸。

やがて平戸は居住まいを正すと、こんなことを言い始めた。

 

「提督。まず今回の私の行いについて改めて謝らせてください。申し訳ありませんでした。

そして私の罪悪感を和らげてくださろうという配慮にも感謝いたします」

 

さすがに気付かれていたか。

穏やかに事を収めようとする相手の好意を無下にせず甘んじて受け入れたうえでなお、う

やむやに終わらせることなく自らの非も認めはっきりと謝罪する。

やろうと思っても、なかなか実行できることではないが…。

それはさておき。提督は平戸の言葉に対して、これは異なことを言うものだとも感じた。

 

「さっきも言ったが、平戸が自分で考えてやりたくてやったことなんだから、俺は大歓迎

だぞ?タオルもとても助かったし、少なくとも平戸に非があるわけではないから謝らなく

てもいい」

 

すると平戸は、静かに首を左右に振り、こう言う。

「やはり人のあとを付け回すのは良くないことですし、実際にやってみると思っていたの

と違うと言いますか、事前の思慮が足りなかったように感じるのです。自分が何をやりた

いのか、もっと見極めるべきでした。それに…」

 

平戸はそこでいったん言い澱むと、心の中のつかみどころのないものを手繰り寄せるよう

に口からゆっくりと言葉を絞り出す。

 

「それとは別に、なんと表現したらいいのでしょうか。お知り合いの家庭を訪問する提督

の姿を拝見していた時、相手の身になって考える時よりもずっと強い臨場感を伴って、ま

るで自分が実際に提督の立場に立たされたかのようにチクチクと胸の奥が痛んで。提督に

対して、とても悪い事をしている気がして本当に申し訳なく」

 

そこまで言いかけて、

平戸は自分の頭の上にポンと大きな手をのせられて驚いて我に返る。

 

「ひゃっ!」

 

向かいの席の提督が大きな上体をテーブルの上にのりだして、

平戸の方へ手を伸ばしていた。

 

 

 

 実のところ提督は、自分の過去の件に平戸を関わらせる気はなかった。

平戸の方が俺なんかより、余程ひどい光景を目にしてきただろうに…。

 

平戸の境遇については、敷波の持つ過去の記憶を基に推測を行ったり、歴史の文献を

紐解くことで、提督も敷浪以下鎮守府の面々も、ある程度は把握できている。

 

艦娘の持つ ” 船舶だった頃の過去の記憶 ” は(おぼろ)げなもので、

はっきりとこういった事があったとは認識できないらしい。

それでも、人間の持つトラウマのようなもので、何らかの物事がきっかけで

過去の経験の一端が呼び起こされ精神的に苦しむことも少なくはない。

いわゆる、艦娘が生来持つ” 迷い ”と呼ばれるものだ。

 

これまでもたびたびそうであった通り、平戸の場合はそれが顕著で、

提督の過去へのつぐないに接することが平戸を苦しめることになりはしないか

という懸念もあったのだが。

 

「もう大丈夫だ平戸。言ったろ?俺は怒ってないって。」

 

このまま深みにはまらせては、提督の過去に共鳴して平戸の過去の記憶が呼び起こされ、

その” 迷い ”が平戸を苦しめることになってしまう。

提督としてはそれは何としても避けたかった。

 

そのまま提督は平戸の頭をぐりぐりぐりぐり、これでもかとばかりに撫でまわす。

整えられたせっかくのヘアスタイルが台無しになりそうだとは思ったが、

この際構ってはいられない。

 

()い奴めぇ。平戸は可愛いなあ、このこのこのぉ」

 

平戸の頭が揺り動かされるたびに、平戸の後頭部の黒いリボンもヒラヒラと揺れる。

そのリボンの黒さは、提督の着ている喪服の色とどこか重なり合って見えた。

 

「て…、提督!?いきなりどうされたんですか」

 

そのうち頬擦りでも始めそうな勢いだ。

提督としては平戸を安心させたかったのと、平戸の人柄に対する尊敬の意もあっての

行動だったのだが、事情を知らない周囲からは不審に思われそうだし、

見ようによっては聞き分けの無い駄々っ子があやされているようでもあり、

まるっきり ” 子供 ”扱いである。

しかも、いささか突発的で平戸が目を白黒とさせたのは無理もなかったといえる。

どうしてこうなった…。

 

子供たちはこうやって反抗期への一歩を踏み出すのだ。

世のお父さん諸氏は気をつけよう。

 

「もう…」

しまいには提督に身を任せたまま諦めたように苦笑いの平戸であった。

 

 

 

 会計を済ませ、茶屋の店内から公園墓地の通りへと出た提督は、

すっきりとした面持ちで大きく背を伸ばし、深呼吸した。

 

いやー、なかなか良いものを見せてもらった。と、

平戸の気を楽にするというよりも、かえって助けられた感のある提督である。

 

 二人の目の前の通りを、

放課後になって学校の授業から解放された子供たちが自転車に乗り

元気に会話しながら通り過ぎていく。

 

それを目で追い、じっと見つめる平戸に気付いて、

提督は声をかけた。

 

「どうした平戸。何か気になるのか?」

 

問われた平戸は深く溜息をつきつつ。

「ハァ…。アレを身に付けても私は、やっぱり”子供”なのでしょうか。」(注3)(注4)

 

平戸の瞳は、提督とは対照的にすっかりハイライトを失い暗く澱んでいる。

今回のこれは、

船舶だった頃の過去の経験にもとづく”迷い”が原因ではないようだ。

過剰な自己抑制で感情が失われたのではなく、

逆に、何かのフラストレーションが溜まりに溜まっているという感じだ。

 

どうやら ” 子供 ” がキーワードのようなのだが…。

” アレ ”の方はよくわからない。

 

声にも抑揚がなく、何となく不気味である。

要するに。この様子をひとことで説明するならば。

ヤバい。

 

「まさか…反抗期。反抗期がきたのか平戸。お義父(とう)さんはそんなの許さないぞォッ!!」

「違いますっ!艦娘に反抗期はありませんッ。いえ、排水量関係でちょうどその年頃の子

もいるのかも…。と、とにかく私はそんなんじゃありませんから…んもうっ知りませんっ!」

 

プイッと顔を背け、どんどん先へと歩いて行ってしまう平戸。

慌ててあとを追いかけ、なんとか機嫌を直してもらおうと言い繕う提督。

 

でっかい喪服姿と、小柄でオーバーオールに半袖Tシャツの

一風変わったコンビの二人は、

公園墓地の緑の中、

にぎやかに言葉をかわしながら肩を並べて母港への帰路についた。

 

 

-「彼岸と浮世と反抗期」おわり-

 

 

【追記】(2022-08-12)

本編の途中からここへ飛んで読まれた方は、

本編の続き(09.「船揚げ場」)もよろしければどうぞ…。

 

 

自律=他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。『デジタル大辞泉(小学館)』より引用。

本分=人が本来尽くすべきつとめ。『デジタル大辞泉(小学館)』より引用。

関連:08.「おでかけ」平戸と羽黒の会話中、女性という概念と艦娘の実際の機能との間に生じる認識のズレについて。

ここの台詞の”アレ”は、もちろん例のアレのことです。関連:03-1.「黄昏の岸辺 前編」文末のおまけ「平戸ちゃんの出会い」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。