一般的に船乗りの仕事は、配属されている船がそれなりの大きさであるなら
一度出港すれば月単位の海上での寝泊まりとなり、帰港して停泊中の際に連続した休暇となる。
もちろんそれは、整備や荷役作業などの必要性もなく休暇の為だけにいちいち近場の港へ
出入りしていては、効率が悪すぎるからなのだが。
一方、艦娘の場合は、
一応、その気になれば長期に渡る海上での連続的な活動も可能であるとはいえ、
機械の域からまだ脱しきれていない通常の艦船と違い、性質的にはむしろ生物に類似する存在、
正確には情報構造体であるため、
未整理あるいは動作に支障をきたすような不要な入力データ、すなわち
精神的な疲労もたまりやすく、
作戦行動への参加でもしない限り、どこの鎮守府であっても艦娘の出港一回分の活動時間は、
艦船のものと言うよりも、どちらかと言えば人間寄りと言えるものとなっていた。
あくまでも“どちらかと言えば”である。
人間の価値観に照らし合わせた場合、そこはかとなくブラックな香りも漂うが。
きっと艦娘の特質を生かした最善の采配なのだ。
すがすがしい朝である。まったくもって
二度寝をしていつもよりも遅い時間に起き、がらんとした貸し切り状態の洗面所で
眠い目をこすりながら、誰に
出しっぱなしの水道水をふんだんに使って顔を洗うと気持ちがすっきりとした。
お腹が鳴る。
食堂では
大盛りの刻みキャベツと一緒に、中濃ソースをたっぷりとかけた一切れを
口の中いっぱいに
じんわりと幸せな気持ちが湧き上がってくる。
うん、いい感じ。
あかつき?は貴婦人にふさわしい
そう。何を隠そう、今日は待ちに待った休日。
夜番明けの休日は、はっきり言って睡眠をとるだけの物で余暇とは言えないので、
実に12日ぶりの、れっきとした休日である。
彼女には本日、“ちょっとした計画”があった。
自室に戻ると同居人と兼用の小さなクロ-ゼットからお気に入りの外出用の私服を取り出して、
Tシャツ短パンのラフな部屋着から、初夏の
くどくない程度にワンポイントのフリルのついたノースリーブの白いワンピースに着替える。
時期的に露出した肩が少々肌寒いが、そこはレディーの根性でカバーだ。
ワンピにはつばの広い麦わら帽子が定番だろうとも思ったが動きづらそうなのでやめておく。
…そもそも太い
”計画”の
人間の感覚からすると信じがたいことかもしれないが、もちろん一人分。
艦娘にとっては食後の口直しにうってつけの、「マミヤストア」の定番商品。
バケツプリンもこれほどの大きさのものになると、底に
自重でしみだしてきてしまう。
だが、「マミヤストア」の品は、大きさの割には比較的安価な量産品であるにもかかわらず
他社製品とは一線を
出来立ての形状を崩すことが無い。
一見、大したことの無いように思われる長所だが、そんなことを指摘する
全く分かっていない。
一切の濁りが無く、透明感のあるさらさらとしたカラメルソース。
無垢で手つかずのなめらかなカスタード。そして、カラメルの良くしみ込んだ境界部。
3つのハーモニーが、芸術の域にまで達していた。
この夢のような商品の唯一ともいえるネックが争奪戦にある。
それはもう、タイムセール時の豚こま肉の
日配品扱いなので日に一回、毎日午前10時頃に入荷するのだが、
かなりの数が用意されているにもかかわらず、艦娘たちの仕事が一段落する
昼休みに購入者が
午後の仕事初めの頃には、売り場は大抵すっからかんとなっている。
発売
海上で訓練を行っていた、とある空母艦娘がこの甘味を手に入れるために
艤装を外す手間を惜しんで店に駆けつけ、当人にその気はなかったそうなのだが、
艦娘本来の馬力で「マミヤストア」の外壁に大穴を開けてしまったという話は、
もはや業界関係者の間で語り草となっていた。
争奪戦に勝利し購入できた艦娘は、買ったその場で口にしたいのはやまやまだろうが
体力と気力を消耗して食欲も落ちたことだしと、
本棟へと持ち帰って食堂の業務用冷蔵庫を借りて保管しておき、夕食後の楽しみに取っておく。
“ちょっとした計画”とは。
今回、あかつき?は、一般的なバケツプリンの購入パターンをあえて崩し、
おしくらまんじゅうで汗をかくことのないようピーク時を避け、
午前中入荷してすぐに
夜まで
人呼んで、”午前スタイル”。
別にその道の先駆者というわけではなく、艦娘の間で結構広く知られている購入の仕方
ではあるのだが、これまでためす機会がなく、一度はやってみたいと前々からあこがれていた。
何という贅沢。きっと、素晴らしい満足感が得られるに違いない。
机の上のポストの形をした貯金箱から必要な分を取り出して、がま口
本棟の北館三階にある自分の居住室から、
仕事中の他の艦娘たちの
食堂の横の勝手口を通って本棟を抜け出した。
晴れ渡った青空。初夏の、草木の匂いに満ちた空気がすがすがしい。
「マミヤストア」は、鎮守府の「正門」と、正門入ってすぐに位置する「本棟」、
そして少し奥まった内陸部にある「技術棟」とをつなげる「大通り」沿いの、
「本棟」と「技術棟」のちょうど中間あたりに位置している。
大通りと合流する比較的道幅の狭い一本道のかたわらで、ふと、足を止めた。
いかにも田舎の平日の昼前といった感じで、皆仕事に
明るい日差しが音もなく降り注ぐ中、あたりには人けが無い。
あの一本道の先には、「菜園」がある。
提督の話によると、「菜園」はこの鎮守府の建物が建てられる以前より存在するらしい。
艦娘にとっては特に用のない場所なので、
実際に足を踏み入れた事は無く、
あかつき?の頭の中では、「菜園」はまさに、神話の時代の“いにしえの地”であった。
その伝説の地へと続く一本道にいくらか入ったところで。
まだ老境に差し掛かったばかりといった感じのおばちゃんが、荷物の積まれたリヤカーを引っ張って悪戦苦闘していた。
車輪が何かに引っかかったらしい。
脱輪したわけではなく用水路の金網のへこみに落ち込んだだけで、
おばちゃんの体格もがっしりとして健康そうなので、
しばらくすれば道に復帰できそうだが、どうにも気になる。
この子はこういった状況を見過ごしにはできない
あかつき?は大通りから脇道に
「おや、まあ。ありがとねえ。」
「力を合わせて一気に前進させるので、掛け声に合わせてください、せーのっ!」
「
何やら変な引っかかり方をしているようだ。思ったよりも
これは手伝う必要性のある状況だったなと、ちょっと妙な喜び方になる。
あかつき?はプライベート用のラフな
しかも編み上げのサンダルを履いており、少々
勢いをつけて何度か前後に揺さぶっているうちにようやく車輪を道路の上へ乗せる事ができた。
その場で前かがみになって
おばちゃんが前の方から後ろに回ってきて、よっこらしょ、と荷台に腰を下ろす。
「助かったわぁ。人通りもないし、一体どうなることかと思っちゃった。ほら、座った方
が楽よ。」
自分の隣を手でぱたぱたと
「いえ。このくらい、どうってこと、ないので…。」
やせ我慢でもなんでもなく、
普段艤装をつけて活動している時の感覚とごっちゃになってしまったが
実際は
「お船のお
恐らく艦娘か、との問いかけだろう。
ようやく息も収まり、衣服の乱れを整えながら
「あかつき?って言います。駆逐艦、やってます。艦娘をどうぞよろしく。」
おばちゃんも軽く自己紹介をした後、感心したように言う。
「力持ちだねえ。やっぱり、若いと違うねえ。」
根が単純なので、
それくらいばちは当たらないだろう。
静けさの中、そよ風に揺れる木々の枝葉の間からちらちらと
初夏のさわやかな空気に身をゆだねて体の
まるで一日の仕事が終わったかのような思考になっていた頭の中に、何かを忘れているような
気持ちが湧き上がってくる…。
そうだ。バケツプリンっ!
「何か、お返しができるといいんだけど。」
「それじゃあ、これで失礼しますっ。あたしには、やらなければならない事があるので!」
「ああ、これ、お礼だから…。」
財布の中から取り出した一枚の千円札を差し出される。
「お構いなくー。おかずもう一品の幸せにでもしてくださーい。」
何とも生活臭の漂う
あかつき?はワンピースの
走り去るあかつき?を、彼女に渡しそびれたお礼のお金を手に持ったまま見送り。
おばちゃんは頭の中で遠慮しないでもいいのにねえ、と思いながらも
同時に一つの疑問を感じる。
「お嬢ちゃん、菜園の方に用があったのかしら。」
あかつき?は、その時すっかり
自分が
あたりに満ち溢れる、濃厚で匂い立つような野菜の
まるで迷宮のごとく、密集するように立ち並ぶビニールハウス。
麦わら帽子を頭に被り首にタオルをかけたおっちゃんの乗った、港で見る重機とはまた違う
あかつき?にとっては、初めて目にする目新しいものばかりである。
あんぐりと口を開けて周囲の光景に目を見張りながら、
通常ならば、うきうきと
今のあかつき?は、なかなかそこまでの心の余裕は持てないでいた。
迷った…。
背の低いあかつき?には、なおさらのこと見通しが
おまけに、先程からやたらじめじめと蒸し暑くなってきており、
見上げると何やら
ほどなくして、大粒の生暖かい雨粒がパラパラと地面に模様を描き出し、
あかつき?はすんでのところで、雑木林の端の
めぼしい物置小屋へと駆け込んだ。
そこはあばら家
幸い屋根はしっかりとしているようで、どうやら雨宿りに支障はなさそうだ。
あかつき?は体が濡れないように入口のそばから、なるべく小屋の奥へと身を潜める。
厚い雨雲ですっかり日が
寒くはないが、感じられるのが雨音と、
古い物置小屋の
広い世界に自分が一人だけ取り残されたような、そんな感覚にとらわれそうになる。
心細くなり、考えたくもないようなことをつい、思い浮かべてしまう。
なんだか、お化けでも出てきそうな…。
そんな時ふと、気配を感じ、あかつき?は背後を振り向く。
そこには…。
あかつき?は自分の心臓の鼓動が大きく跳ねるのを感じ、
口から出かかった叫び声を、手で必死に押し殺すのであった。
次回、「あかつき?の大冒険」後編。
疑似バタフライエフェクト。