灰色世界と空っぽの僕ら   作:榛葉 涼

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最強の浄化型

 ジリリリリリリリリ

 

 突如として鳴ったのは甲高いベルの音だった。無意識的にシヅキは天井を見上げる。

 

「なんだよ、この音は」

 

 しかし、シヅキの問いかけへの答えは返ってこなかった。代わりに聞こえてきたのは、慌ただしい足音だけだ。

 

 視線を戻すと、そこには医務室を駆け回るヒソラの姿が。シヅキは彼の表情に緊張を感じた。

 

「なぁヒソラ。どうしたん――」

「シヅキ君。急患なんだ」

 

 シヅキの発言に重ねるようにそう言ったヒソラには、明らかに余裕がないようだった。

 

「あぁ、そういう合図な。 ……俺はどいたほうがいいよな?」

 

 既に身体の治療(メンテナンス)を終え、ただ身体を休めていただけのシヅキ。火急になるであろう現場には明らかに邪魔な存在だった。

 

「ごめんね。 ――ちゃんと、身体を大事にするように。いいね?」

「……善処するよ」

 

 棚やら引き出しから治療用の薬や器具を引っ張り出しているヒソラを尻目に、シヅキは医務室を退出した。すると――

 

「すまん! 通るぞ!」

 

 鋭く刺さるような声色とともに、担架を担ぐ2体のホロウが医務室へと駆け込んでいった。

 

 そして、医務室の外には多くのホロウ達が。皆がシヅキ以上に疲弊しきっていることは火を見るより明らかであった。状態は様々で、一見無傷な者もいれば、顔中に泥や(すす)を被った者、布の巻かれた腕を押さえつける者、床に座り込んで全く動かない者……

 

 その惨状を見やってシヅキは口内の唾を飲み込んだ。

 

「……随分とまぁ、やられたんだな」

「そうだな。しかし、新地開拓となればある程度の消耗は避けられないものだよ」

「え?」

「失礼。邪魔だったかな」

 

 落ち着いたトーンでシヅキの呟きに答えてみせたのは、1体の女性だった。長身の、長髪。髪は黒色でそれを一括りに縛っている。そして何より印象的なのは……右眼に付けられた眼帯。

 

 その姿を見るや否やシヅキの眼は大きく見開かれた。

 

「……あんたは、えっと……や、あなたは」

新地開拓大隊(しんちかいたくだいたい)隊長……“コクヨ”だ。今回の肩書きだがな。 ……お前は確か、私と同じ浄化型のシヅキだったな」

 

 その口元に僅かに笑みを浮かべてそう言った女性……改めコクヨ。シヅキはまさに、開いた口が塞がらなかった。それもそうだ。何てったって、あのコクヨなのだ。

 

 コクヨ。オドという組織の中で、その名を知らない者は存在しないだろう。人呼んで彼女は……“最強の浄化型”だった。

 携えるは1本の長刀。気が遠くなるほどに細く、それでいて鋭利な刀だ。コクヨはそれを振るい、魔人共を打尽する……らしい。今まで数千は葬ったとかなんとか。

 

 “らしい”と言ったのは、あくまで伝聞なのだ。シヅキは彼女が戦場で舞う姿を見たことがなかった。主に単独か極少数で任務にあたることが多いシヅキ。一方で大隊か中隊を先導するのが殆どのコクヨだ。彼らがまともに交えたのは今回が初めてだった。

 

 しばしばその態度を指摘されるシヅキですら、今回ばかりは姿勢を正した。

 

「浄化型のシヅキです。名前を覚えてもらっているようで、光栄というか……」

「なに、同じ型の者くらいは把握していないとな。シヅキは単独での任務が完了した後か?」

「は、はい。一応医務室に寄ってという感じで……」

「そうか。それはご苦労だったな。知ってはいると思うが、私が率いた大隊も先ほど帰ってきたところだ。結構な数の負傷者を出してしまったよ」

 

 医務室付近に座り込むホロウ達。見ると先ほどよりも数が減っていた。どうやら、傷が深い者から優先して中に呼び込まれているらしい。それでも数十人ほどいうホロウ達は、やけに広い廊下とも広間とも言いづらい医務室付近の空間を覆い尽くさんとしていた。

 

(なるほどな、だから俺たちが帰ってきたときはホロウ共が少なかったのか)

 

 ソヨが聞いたら、「シヅキねぇ、無理してでも周りに馴染めとは言わないけれど、せめてそういう大事なイベントくらいは知っておいてよね? 分かってる?」くらいは言いそうだ……とシヅキは思った。

 

 細い記憶の糸を辿って、今回の新地開拓について思い出そうとした。

新地開拓……名の通りホロウの活動拠点の拡大を目指す、そして比較的に()()()()()魔人の浄化を目的とした遠征の一種だ。そして今回行った先が……あぁ。

 

「確か……新地開拓って『棺《ひつぎ》の滝』周辺でしたよね。“不侵領域”に設定されていた」

「そうだ。かつての人間の名残だろうが、魔人は水辺付近に多く存在する。その分、魔人から魔素の回収を行うには理に適っているのだがな……どうも獣形(けものがた)の数が目立つ」

「……獣形は強いですよね、やっぱ。人形(ひとがた)とは別格って感じで」

「今回の遠征でも、3人と対峙したよ。なんとか浄化して、魔素の回収まで出来たが……この有様だ」

「あれすかね。全部、コクヨさんがとどめを刺す……みたいな」

 

 シヅキのそんな疑問に対し、コクヨはくつくつと笑って見せた。自身の口元を押さえる様子は、普段の厳格というか、荘厳な感じとは異なり……なんというか無邪気な笑みだった。そもそもコクヨは痩せぎすだが、顔が整っており、かなりの美人だ。そのように表情を崩す様子はたいへん絵になっているものだとシヅキは思った。

 

「私が全て浄化できるのなら、大隊なんて引き連れずとも単独で潜るさ。十数人の浄化型で叩いて、やっと浄化……という感じだ」

 

 そう言い、小さく息を吐いたコクヨ。彼女の顔にも疲弊の色が滲んでいた。

 

「すんません、その……立ち話に付き合わせてしまって」

「いや、いいんだ。元は私が呼び止めたことだ。前々からシヅキとは話がしたかったからな」

 

 予想外のコクヨの言葉にシヅキの眉が上がった。頭の中に疑問符が浮かんだ。

 

「それって……どういう――」

 

 しかし、そんなシヅキの問いかけは1体のホロウにより遮られてしまう。

 

「コクヨ隊長。少し中へ……」

「ああ、すぐに行く。 ――ではな、シヅキ」

「は、はい……」

 

 軽くお辞儀をするシヅキ。彼の視線の先で、コクヨの一括りにされた長い黒髪が揺れていた。

 

 ――これが後に起こる“ホロウ事変”における渦中となるホロウ、コクヨとの出会いだった。


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