タク、タク、タク、タク
橙の灯り一つが照らす、小さな部屋。響き渡るのは壁時計が秒針を刻む音……これ一つだけだ。
備え付けられている年季のある壁時計。シヅキがこの部屋に棲みだした頃からあるソレは、いつからだろうか? 秒針の進み方がおかしくなってしまった。突如止まってしまったり、かと思えば遅れを取り戻そうと高速で動き始めたり……そんな状態だ。
幸い、短針と長針は問題なく動いているためシヅキは今までこのおかしな秒針を放置していた訳だが……なるほど、重なるところがあった。
「このコーヒー苦い……」
存分に顔を顰めながらコーヒーを啜る目の前のホロウ。それを見てシヅキは鼻で笑った。
「な、なに? 急に笑って」
「別に。何でもねぇよ」
吐き捨てるように言ったシヅキは、トウカと同じようにマグのコーヒーを啜った。 ――あぁ、本当に苦いなこれ。そう思いながらもシヅキは表情を崩さなかった。
「マズい……」
崩してしまったら、目の前のこいつと変わらないと思ったからだ。
「文句あんなら飲まなくたっていいんだぞ」
「も、文句は言ってないって……事実を言ってるだけ。身体温まるし……あ、でもコーヒーは本当に嬉しい。ありがと」
「そうかい。……ちなみにだが砂糖みたいな嗜好品はこの部屋にねーからな」
「……そう」
残念そうに言って、コトとマグを置いたトウカ。しかしすぐにマグを持ち上げてコーヒーを啜って……再びマグを置く。さっきからソワソワと落ち着きがないのだ。
「……さっきからなんだよ。別にもういいだろ? 取り繕わなくたってよ」
「そ、そういうんじゃなくて……えっと」
琥珀の眼を泳がせるトウカ。無意味に髪を手で梳かしだす始末だ。引っ込み思案なところは出会った時の印象から変化ない。むしろ増した。
「……その、私のことは内緒にしてほしくて」
「私の……あぁ。他の奴には愛想の良い自分を見せるってことか?」
シヅキがそう訊くと、トウカは不満ありげに口をへの字に曲げた。
「愛想良いって……そんなふうに見てたの?」
「“見てた”じゃねぇよ、“見えた”だ。さっき言ったろ? ボロ出てたってよ」
「……ぐ、具体的には?」
顎を引き、上目でシヅキを見るトウカ。シヅキはハァと軽く溜息を吐いた。
「それ、説明しねーといけない?」
「お、お願い……」
「……初めに違和感があったのは俺が魔人と対峙してた時だ。あん時トウカ、『シヅキ、叩いて!』とか叫んだろ? それ聞いてよ、普段は丁寧な言葉遣いに慣れてねぇやつなんだろうなと薄々思ったんだ」
「……やだった?」
「嫌じゃねーよ。あん時は、まぁ……助かった」
「そ、それはどうも……」
ぎこちなく頭を下げたトウカ。対してシヅキは後ろ髪を強引に掻くだけだ。
「んでも、初対面ならまぁ………んなもんかって思った。なんつーの? 行儀よくするのはな」
「シヅキ……も最初は無理に丁寧な言葉遣いしてたよね。すぐ止めたけど」
「うるせ。 ……俺には向いてねんだよ」
ぶっきらぼうに答えると、トウカはなぜかくすくすと笑った。「そこ笑うとこかよ」とは口に出さず、代わりにシヅキは溜息を吐いた。
「……んで、まぁあとは何となくだよ。勘だ。さっきトウカがソヨの名前を出した時に確信した」
「わ、私……そんなに違和感あった?」
「突然のことに弱いだろ? お前。変なことが起きると口が回らなくなる」
シヅキの指摘に対して、トウカはすぐに返事をしなかった。しばらく何も言うことは無かったが、彼女がシーツをギュッと握る様子にシヅキは気がついた。
「そう、かも……」
やがて彼女が発したのはそんな言葉だった。何をそんなに気にすることがあんだ、とシヅキは思う。
「ともかくだ。変にキャラを作るとしても、もう少し詰めた方がいいと思うが。 ……何で俺がアドバイスしてんだよ」
「ぐ、具体的に――」
「知らねぇ自分で考えろ。どうせ今日が終われば、お前とは赤の他人だ。そこまでする義理がねぇ」
そう捲し立てたシヅキはマグのコーヒーをぐっぐと一遍に飲み干した。
ドンと机にマグを降ろすと、そこにはシヅキを見据えるトウカが。その表情はきょとんとしている。
「……なんだよ。ただの事実だろ?」
シヅキがそう言っても、トウカは首を傾げるだけだ。彼女の頭の上には大きな疑問符が見えた。
「えっと……シヅキ、聞いてないの?」
「あ? 何をだよ」
「私とシヅキのこと」
「……いや」
「そうだったんだ。 ……えっとね? 私とシヅキは明日から同じチームだから」
………………
ん?
「……チーム?」
「うん。その……シヅキが私の監視役……みたいな?」
頬をポリポリと掻きながら、また、バツが悪そうにしながらそんなことを
「えっと……よろしくね? シヅキ。明日からも」
無言で座り尽くすシヅキに対し、トウカは手を伸ばした。ちょうどそれは、船着場でシヅキがしたように。
眼前の手を眼に捉えたところで、やっとシヅキはトウカが発した言葉の意味を理解した。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」
シヅキらしからぬ大声が、秒針音を消し去るかごとく部屋中に響き渡った。