結局その後、魔人と対峙することはなかった。
真っ赤に染まっていた篝火の炎はすっかり色を褪せ、真っ黒に変貌してしまっていた。シヅキは何も操作をしていない。これは、管理部からの通達を意味していた。「戻ってこい」と。
丘を抜け、白濁の森の中を帰る。大股で黙々と歩くシヅキ。その一方で、トウカの足取りは落ち着きがないように思われた。左右に揺れたり、立ち止まったり、突然速くなったり……まるで浮かれているようで。
それを見て、シヅキは真っ黒のフードの奥で顔を歪ませた。喉の奥でくつくつと笑う。
――やがて彼らはオドに辿り着いた。昨日と同じ手順で昇降機を動かし、シヅキとトウカはそれに乗り込んだ。
ギギギと軋んだ昇降機が大きく揺れ動き始める。
「お疲れさま、シヅキ」
昇降機の端で意味もなく底を見下ろしていたシヅキ。そんな彼に、トウカは優しげに声をかけた。
「ああ」
「無事に帰ってこれて、よかったね」
「ああ」
「私……こんな少人数の任務って経験がないからちょっと緊張してたの。でも……上手く出来て良かった」
「ああ」
「シヅキも怪我がなくて良かった……魔素の活性化も、今日は身体に負担があまりなさそうだったから、安心した」
「……ああ」
「あと、あの丘の――」
「……おい」
饒舌に喋るトウカを遮ったシヅキの声は、自身でも驚くほどに冷たかった。
「…………疲れてんだよ。ちょっと黙っててくれ」
「え……あ、ご、ごめん」
真っ黒のフードの奥から覗くようにシヅキはトウカを見た。その表情は悲しみというより困惑だ。それを見てシヅキは小さく舌打ちをした。
「……シヅキ、帰り道でずっと黙ってたけど、もしかして……機嫌……悪い?」
「……別に。いつも通りだろ」
「そう……」
「ハァ」
隠すこともなくシヅキは大きく溜息を吐いた。 ……昇降機に重い沈黙が漂う。
「…………」
何も話すことなく、頬杖をつくシヅキ。彼の頭の中には一つの光景が思い出されていた。つい先ほどのことだ。
『もし……世界が命を取り戻して……遙か昔のように生命が芽吹くようになったらね……ここから観える景色はきっと……すごく、すごく綺麗だと思うんだ』
(くだんねえ。本当にくだんねえよ)
シヅキは苛立っていた。何故なのか……それはシヅキ自身も分からなかった。とにかく、あんなセリフを言ったトウカのことが気に食わなかったのだ。
ギギギギギギギギ
やがて昇降機が軋んだ。甲高い歯車の音がやけに耳に残ってしょうがない。
※※※※※
昇降機を降りたシヅキとトウカを迎えたのは1体のホロウだった。
「おかえり〜シヅキ、トウカさん」
その右手をひらひらと振りながら笑みを浮かべるソヨ。シヅキにとっては、今現在会いたくない相手だった。
「……ああ」
「た、ただいま……帰りました」
2体の態度を前に、ソヨはその眼を細めた。
「なんでシヅキ、そんな機嫌悪いの?」
「……別に、悪くねーよ」
「うっそだ〜めちゃめちゃ悪いじゃん」
「悪くねーっつーの」
その腕を前に組み、目線を逸らしまくるシヅキ。ソヨは怪訝な表情を浮かべた。
「……トウカさん、シヅキと何かありましたか?」
「え……いやぁ…………」
「……」
ソヨは首を傾げる他なかった。
「まぁ、何はともあれ2体とも無事で良かったわ。今日は負傷もないのね」
「ええ。そう、ですね」
「うん。じゃあ今日はもう身体を休めて……と言いたかったんだけどね」
「……あ?」
「ちょっとそういう訳にもいかなくてね」
「……何か、用事があるんですか?」
トウカが恐る恐るの口調で聞くと、ソヨはコクリと頷いた。その表情は先ほどまでより少し引き締まっている。
「コクヨさんからオドのホロウ全体に話があるのよ。悪いんだけど、すぐに着替えてまた戻ってきてくれないかしら」
「コク……ヨ?」
「あーそうでしたね。トウカさんは会ったことなかったですものね」
ソヨが簡単にコクヨというホロウについて説明すると、トウカは「なる、ほど」と一言。
「シヅキも参加ね」
「……ああ」
「それまでにちゃーんと機嫌を直しておくんだよ?」
「だから俺は――」
「あーじゃあ私はお仕事あるから。詳細は後で通心するね」
捲し立てるようにそう言うと、ソヨはそそくさとロビーの奥まで引っ込んでいってしまった。
「あの女……」
「えっと、シヅキ」
振り向くとそこには上目遣いで見るトウカの姿が。まるでそれは顔色を窺っているようだった。
「……なんだよ」
「えっと……私のせいだったら、ごめん。機嫌悪いの。でも……理由が分からなくて」
「…………」
頬をポリポリと掻きながら謝罪の言葉を口にしたトウカ。本当に恐る恐るの口調だ。分からないから、少しだけ触れて感色を確かめようとしているようで。
しかし、そんな態度を取られると、余計にムキになってしまうのがシヅキというホロウだった。
「何でもねーよ。トウカには……お前には分かんねーよ」
「……どういう、こと?」
「……叶わねえ夢を見ようとして、虚しくなんねぇのか?」
「夢……? ねえ、シヅキ、はっきりと――」
「俺は部屋帰る。一度着替えたいからな」
トウカの返事も待たず、地下階層へと向かうシヅキ。トウカは何度も制止の声をかけたが、ついにシヅキは振り返ることはなかった。