灰色世界と空っぽの僕ら   作:榛葉 涼

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むせ返る

 

『……シヅキだって、魔人を刈るのは嫌でしょ? 苦痛に思ってるよ』

『勝手に決めんなよ。俺はただ……与えられた役割をこなすだけだ。魔人の刈りだって……苦痛なんかじゃねえよ』

『嘘だよね?』

『あ?』

『嘘だよ……だってシヅキ、魔人を浄化した後すごい苦しそうな顔をしてた』

『黙れ』

『自分に言い聞かせてるんだよね? 魔人を刈らないとって』

『黙れ!』

 

 ……数日前の会話(ゴミみたいな夢)を見た。寝覚めは酷く悪い。

 

「チッ……」

 

 大きく舌打ちをしたシヅキ。彼はすぐに部屋の奥にある水回りへと移動した。

 

 質素なシンクの上に置かれたコーヒーの粉。シヅキはそれをカップの中にぶち込むと、粉で濁ることお構いなしに、水桶の中へ潜らせた。

 

 並々に注がれたコーヒーの粉入りの水。シヅキは何の躊躇いもなく、ソレを喉へと流し込む。

 

「ゲホッ……ゲホッ……ゲホッ………………ああ゛っ……!」

 

 満足に粉が溶けていないコーヒー未満の代物(しろもの)。そんなものを一気に飲み干そうとすれば、むせ返ることなんて当然だった。

 

「ああ……クソ…………不味い」

 

 ビシャビシャに濡れた口周りを強引に拭いながら、シヅキは言葉を吐いた。今日という日を、そうやって迎えたのだ。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 いつまで経ったって、世界が変わることはない。目の前に広がるのは黒を黒で塗りつぶした闇の世界だけだ。太陽とやらも、月とやらも、星とやらも……そんな眩しい光は微塵もない。あるのは辟易の景色だけだ。

 

 そんな闇とは対照的に、真っ白に染まりきった森。ソレは“純白”や“雪白(せっぱく)”なんて綺麗な表現では言い表せられない。濁りきった澱みの白色だ。そんな中を今日もまた、歩く。闇の空と白の木々に囲まれながら、シヅキは歩く。 ……そう。全ては人間の為に。

 

「シ、シヅキ! ちょっと足速いよ……」

 

 篝火に従って、廃れの森を奥へと進んでいたシヅキ。そんな彼の背後からは、制止を呼びかける声が聞こえてきた。

 

「……」

 

 しかし、シヅキがその声に応えることはない。むしろ、彼の歩幅はより大きくなった。

 

 目深に被ったフードの中で、彼は舌打ちをする。

 

(何なんだ? 今日は)

 

 シヅキが激昂してからの数日間、彼がトウカと口を利くことは殆どなかった。あの日以来、いつまでもどんよりとした空気を引き摺ったまま、ひたすら任務に当たっていたのだ。トウカの方も、魔人との戦闘中を除けば、一切口を開くことはなかった。そこにはゴミみたいな静寂だけが渦巻いていた。

 

「ま、待ってってば……」

 

 しかしながら、今日ときたらこのザマだ。トウカはあの日のことを気にしている素振りを見せず、慌ただしく話しかけてきやがる。 ……すっかり忘れてしまったのだろうか? そう思えてしまうほどに。

 

 まるでそれは……

 

「いつも通り」

 

 僅かな声で呟いた後、シヅキは溜息を吐いた。彼の中には行き場のない感情が渦巻き始めていたのだ。

 

 数日前。トウカの言葉に対して、シヅキは大きく感情を動かした。無論それは怒りでしかなかった。自身の在り方を推し測ってきたトウカに対する怒り……シヅキはソレを引き摺り、引き摺り、引き摺り……そして今に至る。

 

 しかしどうだろう? 今、トウカに抱いているこの感情は、激昂した時と同じままだろうか? ……未だに、“怒り”として機能しているだろうか? シヅキというホロウはあの時と変わらずにいるだろうか?

 

 闇に染まった空の下、どうもシヅキは首を動かせずにいた。ただモヤモヤとした気持ちだけが、胸の内を揺蕩(たゆた)うばかりだ。

 

(気色悪い……)

 

 この怒りだけは決して失くしてはならない……そんなふうにすら感じていたくせして、時が流れてみればどうだろうか? 酷く曖昧なものになりつつある。シヅキには、ソレは受け入れ難いことだった。

 

『自分に言い聞かせてるんだよね? 魔人を刈らないとって』

 

 脳裏に呼び起こされたのは、やはりトウカのあの言葉だった。何度も、何度も脳内でソレを反芻し、自分の胸に問いかける。「お前はちゃんと怒れているのか」と。

 

 今度は、首を縦に振ることができた。そうだ……しっかりと否定することが出来た。

 

 ゆっくりと息を吐いたシヅキ。後ろからは、相変わらず歩幅の小さな足音が絶え間なく聞こえてくる。「それでいい」と思いつつ、更に歩速を上げようとした時だった。

 

「……あ?」

 

 急に後方から音が止んでしまったのだ。パタパタと地面を踏む音が止み、シーンと空気が主張をする。

 

 これにはシヅキも反射的に首を向けてしまった。向けてそうして……眼を見開く。

 

「……トウカ?」

 

 眼前には地面に(うずくま)るホロウが1体。肩で呼吸を繰り返している。心底苦しそうに。何の突拍子もなく。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…………」

 

 思考を放り棄て、シヅキは駆け寄った。

 

「トウカ? おい、トウカ!」

「シ、シヅキ…………! ま、まず…………い」

「まずい? ……何がだよ?」

 

 その首を震わせながらシヅキを見上げたトウカ。それを見たシヅキは大きく表情を歪ませた。真っ青に染まったトウカの顔……それはあまりにも尋常ではない様子だったのだから。

 

「な、何だよ……何があったんだよ!?」

「ぜ……ぜ……!」

「“ぜ”? んだよ?」

「ぜ……ぜ…………ウォェ!」

 

 トウカの喉が一瞬膨らんだかと思うと、彼女は大きく顔を下に向けた。ビシャビシャと液状のモノが溢れ落ちる音がする。嘔吐したのだ。

 

 シヅキは首を大きく横に2度振った。

 

「ほんとに……何が――」

 

 

 

 ズズズズズズズズズ……………

 

 

 

「――っ!?」

 

 瞬間、訪れた違和感。強烈すぎる違和感。それは波紋のように、シヅキの体内を急速に駆け巡り、広がり、内側から蝕んでいく。 ――魔素の、ノイズだ。

 

「こ、これは…………っ」

 

 むせ返ってしまう程の体内異常を感じる。否応もなく感じさせられる。 ……それは悪寒となって、或いは発作となってシヅキを襲った。

 

「クソッ……!」

 

締め付けられる胸を握り潰すように強引に掴み、シヅキはその場にしゃがみこむ……

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 荒い呼吸の最中、シヅキは確信を持った。トウカが何を伝えようとしたのか……そのことについての確信だ。

 

 

 シヅキは呟いた、震える声で呟いた。

 

「“絶望”だ……」

 

 

 


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