灰色世界と空っぽの僕ら   作:榛葉 涼

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今日が終わったら……

 

 バクバクと暴れる心臓を抑え込みながら、シヅキは一音一音をハッキリと言った。

 

「とにかく……ここを離れるぞ。“絶望”と近すぎる」

 

 トウカは何も言うことなく、首を落とすかのように頷いた。 ……今の彼女にとってはそれが精一杯の意思表示なのだろう。

 

「歩けねえだろ……おぶる」

 

 今度は返事を待つことなく、シヅキはトウカを自身の背中に寄せる。幸いトウカから首元に腕を回してくれたため、後はやり易かった。

 

 背中にトウカが密着した後、ふらつく身体を一気に持ち上げた。長身の錫杖を持っているくせして、彼女は酷く軽かった。

 

(よし……歩ける)

 

 下唇を強く噛みしめる。冷静だ。冷静に。出来ることだけを考えろ。

 

 長く息を吐きながら、シヅキは歩を進めようとした――

 

「……どこへ………行くの」

「え?」

「ノイズ……酷いから……丘の方向、へ……」

 

 絞り出したトウカの声。途切れ途切れの言葉だったが、彼女が言わんとしていることは伝わった。

 

(俺は、どこ行こうとしてたんだ?)

 

 心の中で問いかけた後、シヅキは大きく舌打ちをした。何が冷静だ。自分に言い聞かせてるだけで……テメェは何も考えちゃいない。

 

「方向、分かる……?」

 

 耳元でトウカが囁くように言う。シヅキは一呼吸を置いて答えた。

 

「……ああ」

「ノイズが…………消える前に……早く…………」

 

 

 ズズズズズズズズズ

 

 

 身体を内側から蝕むノイズは、ゆっくりと、でも確実に大きくなっている。もし……ノイズが完全に止んでしまえば……つまりは、“絶望”の魔人が目の前に現れてしまえば……間違いなく、(ころ)される。

 

 長く息を吐いた。“冷静になれ”なんてもう念じない。その言葉は、今の自身が動揺していることを認めているに過ぎない。そうじゃないだろう。

 

(いつも通りに……やれ)

 

 シヅキは通心を開始した。当然、相手はオドの管理部だ。そこへ短く、簡潔に意思を伝える。

 

(“絶望” ノイズ反応あり。シヅキとトウカは丘へと退避。救援あるいは指示を要請)

 

 メッセージを魔素へと圧縮し、送りつけた。

 

「よし……」

 

 一つ頷いた後、シヅキは足を動かした。大きな歩幅で歩き出した。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

 神経を擦り減らしながら歩き続けたシヅキ。何とか、先日訪れた丘へと辿り着くことが出来た。

 

 トウカを滑り落とさないように慎重に地面へと下ろす。その後、シヅキは灰色の花畑へと背中を預けた。

 

「……辿り着けた」

 

 精神的な疲労感が酷い。何日分かの心をまとめて削ぎ落とされてしまったかのようだ。こういうのを虚脱感と言うのだろうか? 

 

「ありがとう、シヅキ。ここまで運んでくれて」

 

 真っ黒の空を見上げていると、そんな声と共にトウカが映り込んできた。 ……やはり、その顔色は悪い。しかしノイズに苦しんでいたあの時と比べると、幾分かマシに見えた。

 

「……大丈夫かよお前」

「大丈夫では、ないよ? 頭がクラクラする」

「休めって」

 

 トウカはふるふると首を振った。

 

「誰かが見てないと……何かあった時に、早く行動しなきゃだから」

 

 そう言って、なんとトウカは笑みを浮かべて見せた。焦点の合わない眼で彼女を見たシヅキは困惑する。

 

(よくもまぁ……そんな表情を出来るよな)

 

 体調に異常を来すほどに大きな魔素のノイズ。現物を見なくたって何者かが分かるくらい程に(おぞま)しいソレは、間違いなく“絶望”が発したものだ。それが今もまだ近くに居る。きっとホロウを探している。 ……それは、トウカも分かっている筈だ。

 

 闇空からゆっくりと視線を動かした。次に焦点が合ったのは、自身の右腕である。

 

さっきから……震えが止まらない。小刻みに、振動を繰り返しているのだ。止めようと思っても、どうにもならない。

 

(何も笑えねぇよ。ほんと)

 

 擦り減った心が思い描くのは……最悪の結末ばかりだった。

 

「……シヅキ、腕どうしたの?」

「え」

 

 視線を戻すと、琥珀色の瞳と眼が合った。

 

「これは――」

「怖いんだね」

「ち、(ちげ)えって! こいつはただ……」

「えい」

 

 シヅキが自身を取り繕おうとする一方で、トウカはそんな小さな掛け声とともにシヅキの腕をギュッと掴んだ。

 

「やめろって!」

「いいから」

「いいとかそういう問題じゃねえだろ! 俺は別に…………あ?」

 

 トウカの手を振り解こうとしたシヅキ。しかしその時気づいてしまった。

 

「トウカ……お前も、手が」

「怖いよ、私も。怖い」

 

 シヅキよりも、一回りも二回りも小さなトウカの掌。それは細かく、でも確実に震えていた。

 

「前に、『植物形状の魔人を何人か見たことがある』なんて言ったの覚えてる? ……あれはね、ほんとに見たことがあるだけなの。遠くから、薄っすらとだけ。だからあんな強力な魔素のノイズを感じ取ったのは初めてだった。 ……大きすぎて、怖いね」

「だったら……怖いんだったら、何でそんな笑えんだよ」

「笑う? 私、笑ってた?」

 

 きょとんとした表情でそんなことを()かすトウカ。シヅキは開いた口が塞がらなかった。

 

「無意識だったのかよ……」

「無意識……うん。そうかも。気持ちが表情に出ちゃったみたい」

「……どういうことだよ」

「私ね。シヅキに背負われている時にね、今度のお休みの時のことを考えてたんだ」

「は、はぁ?」

 

 あまりにも突拍子なトウカの言葉に、シヅキは耳を疑った。そんなシヅキを知ってかしらずか……トウカは話を続ける。

 

「昨日ね、ソヨさんが言ってくれたの。今度のお休みにでもシヅキと港町に行ってきたらって。その……仲直り? みたいな」

「仲直りって……いや、そうじゃなくて! 何でんなことを今なんかに……!」

「目先の理由が欲しかったんだ。楽しみに思えることがあったら、頑張ろうなんて思えそうだったから」

「何だよ、それ……意味分かんねえ」

 

 トウカが言わんとしていることが全く分からない。シヅキの口からは、困惑の嘆きしか出やしなかった。

 

「“絶望”のノイズを感じて、すごく怖かったから。もしかしたら、今日私は消滅しちゃうんじゃないかなって考えちゃって……でも、そのことで頭がいっぱいになるのは辛いから。前を向ける未来が欲しかったんだ」

「……それが、港町に行くことなのか?」

「シヅキと、ね。甘いもの好きって聞いた。一緒に食べよ?」

 

 ニッといたずらな笑みを浮かべたトウカ。 ……そんな彼女を見て、まるで自分とは対照的だとシヅキは思った。

 

 トウカは最悪の結末に悲観するのではなく、今日が終わった後のことを考えている……そうやって、前向きになろうとしているのだ。それは見方を変えれば現実逃避でしかないのかもしれない。もしそんな考えの奴が居るなんて噂で聞いたならば、シヅキは簡単に嘲笑うだろう。

 

(でも……)

 

 そうやって未来を描こうとするトウカが……希望を見出しているトウカが…………今のシヅキにはやけに眩しかった。闇で覆われた世界における唯一の光源だなんて思えてしまった。

 

 (おもむろ)に眼を閉じた。ちょっとだけ、眩しすぎたから。

 

 

 

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