灰色世界と空っぽの僕ら   作:榛葉 涼

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私はまだ……

 

 ………………

 

 ………………

 

 ………………。

 

 ――あれ? どうなったんだっけ?

 

 あまり意識がハッキリとしない。何があったのか、何をしているのか……よく分からない。

 

 夢を見ているのだろうか? 眠った覚えなんて全然ないのに。でも現実か夢どちらか? と訊かれれば、夢と答えてしまうだろう。 ……なら、夢? 

 

 ――よく、分かんないや。

 

 思考が上手く働かない。考えようとすればするほど、煙に巻かれたかのように辺りは白んでしまう。

 

 どうしたものかと途方に暮れていたところ、突如としてボンヤリとした影のようなものが現れた。

 

 酷く輪郭が曖昧で、影の正体はイマイチ掴めない。

 

 ――なんだろ、あれ。

 

 直感的に、眼を離してはならない代物(しろもの)だと思った。だから凝らすように見る。

 

 不思議とそれを見るだけで、ひどく心が高鳴り、全身が熱を帯びた。 ……そうやって、私を大きく突き動かしてくれるものなんて、たった一つしかなかった。

 

 ――ああ、そうだったんだね。なんですぐに気づかなかったんだろう。

 

 私は、その影に手を伸ばそうとした。別にそれで()()()()が叶うなんて思ってはいない。 ……ただ、手を伸ばしたいと思える自分が居ることを、再確認したかっただけなのだ。

 

 しかしながら、そこで私は状況を(ようや)く理解できた。

 

 ――手が、ない?

 

 視界に映るのは曖昧な影だけで、そこに自身の手が映り込むことはなかった。それどころか、身体が()()()()すらも……無い。

 

 ――なん、で? 私はどうなったんだっけ?

 

 そうやって最初の疑問に帰結したところで、遠くから声が聞こえた。

 

「………………カ!」

 

 やはり初めは分からなかった。でも何度も声は聞こえる。

 

「………………ウカ!」

 

 ――わた、し?

 

 最後はハッキリと聞こえた。 ……聞き慣れかけている声だ。

 

「トウカ!!!」

 

 呼ばれてる。自分の名前を何度も、呼ばれている。すごく悲しそうな声だった。

 

 ――行かないと、いけないね。また怒られちゃう。

 

 不思議とどう行けばいいのかは、迷わなかった。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

「………………あぁ…………」

「――っ! トウカ?」

「シ……ヅ…………キ?」

 

 焦点の合っていない眼、掠れきった声、常に小刻みに震えている頬……状態は最悪だ。いつ終わりを迎えても、おかしくないほどに。それでも……

 

「トウカ……お前、まだ……良かった」

 

 まだ、トウカは(いきてい)るのだ。その事実が身体中を駆け巡り、シヅキは一遍に脱力した。途端に溢れてしまいそうになったが、強引に腕で擦り付けて誤魔化す。

 

「だい……じょう…………ぶ?」

「……バカ野郎。俺のことはいいだろ。それよりお前……傷が」

「き……ず?」

「刺されたんだよ、トウカ」

 

 シヅキがそう言うと、トウカは固まってしまった。状況が未だ理解できていないらしい。思考が鈍っているのだろうか? その眼で辺りを見渡して、漸く彼女の口は開いた。

 

「…………魔素の、流出が」

「……そうだ。お前、このままだと消えちまうって。でもよ……頭悪いから俺分かんねぇんだ。どうしたらお前を……助けられる?」

 

 自身の赤黒く染まった掌を見ながら、シヅキは(すが)った。他に道なんて、無かった。

 

 浅い呼吸を繰り返しながら、トウカは話さない。考えているのか、それとも考える力も残っていないのか……後者であれば、もうトウカは。

 

 しかし幸いにも、彼女の口は動いてくれた。

 

「かん…………そ…………やく」

「え? なんだ?」

「還素薬……応急……措置」

「! ヒソラの……」

 

 シヅキが思い返したのは、先日医務室を訪れた時のやりとりだった。

 

 

『この前、還素薬(かんそやく)を支給したでしょ? あれだって、解読の賜物なんだから』

『還素薬?』

 

 シヅキは数日前の記憶を思い返してみて、すぐに思い当たる節があった。液体状の何かを飲まされた記憶があるのだ。

 

『あーあれか。飲んだけど、よく分からんかった』

『プレ版だから薬の配合量自体は少ないよ。効果に気づかなかっただけだと思うけど、あれは傷ついた魔素を回復する作用があるんだ。魔人と戦闘する浄化型には必須だと思うよ』

『……どうだかな』

 

 

「あれか!」

 

 シヅキは、腰元のベルトに装着された、布製の袋を強引に(まさぐ)った。彼が取り出したのは、真っ黒の小瓶が2本。

 

「こいつ浄化型用のものじゃないのか?」

「体内……魔素が…………空気に触れたら……希薄…………する……から。魔素の……状態を…………維持する……ために」

「ああ、そういう使い方もあるのか」

 

 大きく頷いたシヅキ。細かく震える手を押さえ込みつつ、小瓶の蓋を開けた。すぐに濃い魔素の臭いが鼻につく。

 

「……いいか? 飲ませるぞ」

 

 トウカが僅かに頷いたのを確認した後、シヅキは彼女の顎を上げた。そして、ゆっくり、ゆっくりと流し込んでいく。先ほど派手に吐血をしたばかりではあったが、トウカは瓶を1本、飲み干した。

 

「これで、いいか?」

「う、ん。 …………シヅキ…………私…………まだ終わり……たく……ない」

「――っ!」

 

 (うつろ)な琥珀の瞳。トウカの綺麗な瞳は、すっかりと澱みきっている。 ……それでも、綺麗なままだった。綺麗でならなかった。

 

 シヅキはその場に立ち上がった。自身の表情を見られたくなかったから。気を抜いたらポロポロと溢してしまいそうになる喉を、首ごと強引に掴んで押さえ込む。低いトーンで彼は言った。

 

「……終わらせるかよ。港町、行くんだろ」

 

 シヅキは目線を逸らした。それ以上、トウカを見ることが出来なかったから、というのもある。 ……しかし、それ以上に。

 

 

 ――灰色に染まった花畑。シヅキはそこに異分子を見つけた。どす黒い異分子だ。ソレは灰色の花に紛れるようにポツンと在るが、擬態なんて全く出来ていない。

 

 彼が眼を向けたからか、それとも単なる偶然か……ソレは笑うように鳴いた。

 

「ミィミィミィミィミィミィ」

 

 シヅキは大きく舌打ちをする。

 

「さっきから気色(わり)いな、マジでよ」

 

 体内魔素を操作。間も無くして彼の手には大鎌が宿った。

 

「ミィミィ」

「残念だったな。奇襲は失敗に終わった。同じ手はもう効かねえよ。 ……俺が効かさねえよ」

「ミィ」

 

 最後に小さく鳴いたソレ。間も無くして、奴の近くの地面から蔦が生えた。 ……先端が鋭く尖った蔦だ。

 

 対してシヅキも武器を構えた。漆黒の大鎌は、まるで闇空に溶けている。

 

 口元を歪ませながら呟いた。

 

「……真っ黒だな。俺も、お前も」

 

 眼に捉えたソレの正体は、黒色の花だった。花のくせして左右に揺れ動くし、ミィと鳴く。そんな奇怪な存在を見ることは、当然初めてだった。

 

 しかしシヅキには検討がついている。 ……流れからして、正体なんて一つしかなかった。

 

 フゥと息を長く吐く。乾いた唇を舌で湿らせる。そして、随分と低いトーンでシヅキは問うた。

 

 

「お前、“絶望”か?」

 

 


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