灰色世界と空っぽの僕ら   作:榛葉 涼

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慟哭

 

 シヅキはまるで空を飛ぶように跳躍した。

 

 彼の真横を先端の尖った蔦が通り過ぎていく。すぐ後ろで乾いた破裂音が響いた。

 

 間髪入れず、2発目が飛んでくる。シヅキから見て左の方向からだ。

 

「ふぅ」

 

 走り続けながらもシヅキは肩の力を脱力させた。大鎌の刃先を、蔦そのものを穿(うが)つかのように向けた。

 

 いや、実際に穿った。

 

 今度は姿勢を低くすることで伸びる蔦を(かわ)す。蔦が伸びきると一瞬だけ動きが止まる瞬間があった。 ――反撃の機会だ。

 

 腕に濃縮した魔素を一気に解放するように、シヅキは大鎌を振り下ろした。

 

 ブチッッ

 

 鈍い音と、確かな手応え。直径20cmはある極太の蔦はものの見事に切り裂かれた。

 

「ミィミィミィ」

 

 遠くの方でやけに耳につく声が聞こえてきた。それは漆黒の花弁を持つ花……“絶望”だ。

 

 シヅキはその姿を眼に捉えると、口元を僅かに歪ませた。

 

「これで3本目……あと2本だ」

 

 “絶望”の周囲の地面から生える5本の蔦。シヅキが鎌で刈った3本が、その後飛んでくることはなかった。残り2本だけが闇空に向かって畝りながら伸びている。まるで攻撃の機会を窺うように。

 

 改めて大鎌を握り直す……妙に手に馴染む感覚があった。それどころか、全身が軽いのだ。調子が良いと言い換えてもよい。

 

「魔素、だいぶん回したんだけどな」

 

 普段なら身体の中で魔素を脈立たせると、特有の疲労感が襲ってくるものだが、今回に限ってはまるでそんなものが無かった。頭の中で思い描いたように、身体は機能してくれる。ノイズが響かない丘で戦っているおかげだろうか?

 

「いや」

 

 小さく呟いて、シヅキは(かぶり)を振った。彼は胸に手を添えた。声に出すことは憚られ、心の中で言った。

 

(気持ちに整理をつけたからか……)

 

 ここ数日間に感じていた漠然とした思い。トウカのことをどう思っているのか、そこに一つの答えを出した。身体の調子との因果関係は無根拠だが、完全に別問題とは思えなかった。

 

「……だとしたら、単純すぎるだろ。お前」

 

 小さく溜息を吐いたシヅキ。その表情は彼らしからぬ柔和(にゅうわ)なものだった。

 

「ミィ」

 

 再び“絶望”が鳴いた。それと同時にやはり蔦が伸びてくる。

 

「さっきから攻撃が単調なんだよ。テメェ」

 

 身体を前傾に倒したシヅキ。鋭く息を吐き、走り出す。闇空を泳ぐように飛んでくる2本の蔦を眼に捉える。縦に、横に、不規則に揺れ続けながら動く蔦はなかなか距離感を掴みづらい。しかし、何度も同じ動きをされていては流石に慣れてくるものだ。

 

 1本目は鎌の峰で流しながら地面を転がった。間髪入れず飛んできた2本目はシヅキの心臓を目掛けて来る。

 

 鎌を構え直したシヅキは、

 

「らァ――!」

 

 小さな雄叫びと共に、鎌の中心を蔦へと噛ませた。再び鈍い音が走る。

 

 急ブレーキで速度を殺したシヅキ。振り返ると、やはり見事にぶった斬られた極太の蔓が灰色の花畑に転がっていた。

 

 シヅキはそれを冷ややかな視線で見た。

 

「植物が鎌に勝てるわけ……」

 

 ビュン

 

 すぐ背後から風を斬る音が聞こえた。残り最後の蔦……それがシヅキを(ころ)そうと不意打ちをしてきたのだ。

 

 しかし――

 

ブチッッ

 

 水平方向に、鎌を這わせるように当てたシヅキ。蔦の先端が大きく裂けた。こうなってしまえば、攻撃する余力が蔦には残っていない。

 

 止めの一撃を振り下ろしたシヅキ。両断された蔓の残存部がズルズルと地を這いながら、“絶望”の元へと戻っていった。

 

 それを見送りながらシヅキは言い切った。

 

「……勝てるわけねーんだよ」

 

 ついに“絶望”の武装である蔦をすべて斬り伏せたシヅキ。遠くで咲く“絶望”は大きくその花弁を畝らせていた。 ……それはまるで動揺しているように。

 

 シヅキは背後に目をやった。

 

「トウカ」

 

 まだその身体はちゃんと残っている。ホロウも魔人も……魔素で形作るモノ達の終わりとは、その存在の消失だ。つまり、その身体は世界から綺麗さっぱり消え失せてしまう。

 

 まだ残っているということは、トウカが(いきてい)るという確かな証だ。 ……無論、一刻も早く治療する必要はあるだろうが。

 

 シヅキは長く息を吐いた。荒い呼吸を整える。

 

「さて、どうするか」

 

 シヅキには2つの選択肢があった。1つは、このまま“絶望”を浄化してしまうというもの。武装が剥がれた今、またとないチャンスだ。そしてもう1つは、このままトウカを背負いオドまで逃げるというもの。

 

 ホロウとしての正解は無論、前者だ。トウカが気を失っている今、魔素の抽出を行うことは不可能だ。だが、同胞の仇を撃てるならば……躊躇いなどあってはならないだろう。

 

 

 あっては、ならないはずだが。

 

 

「……」

 

 シヅキは(おもむろ)に眼を閉じた。乾いた唇を舌で湿らせる。魔素の熱を帯びた身体が少しだけ冷めてきた。

 

「いや……」

 

 小さく呟いたシヅキ。彼は“絶望”を眼の端に捉えながら、トウカの元へ駆け寄った。

 

「トウカ、大丈夫か?」

 

 肩を軽く揺すってみるが、トウカが眼を覚ますことはない。シヅキはトウカの頬へと手を触れた。

 

(冷てえな)

 

 普段よりもずっと低い体温は、トウカの身体に起きた異常性をまるで体現していた。事は一刻を争う……シヅキにはそう思えた。

 

「ほんとは救援を待ちたかったんだが、まぁ、しゃあねえわな」

 

 シヅキが取った選択は後者だった。ホロウとしての在り方より、それは……優先したいものだった。

 

「ほんとらしくねぇよ。お前」

 

 そうやって自身を非難しつつも、シヅキがとる動作には何一つ躊躇いなどないようだった。

 

 彼が布袋から取り出したのは1本のロープだった。次に、トウカの上体を起こし自身の背中へと引き寄せる。

 

 ロープを伸ばし、自身とトウカを囲うように縛り付ける。結目(むすびめ)を複数作ったため、少しの衝撃で落ちることはないだろう。

 

「錫杖は……いや、置いてくか」

 

 地面に転がる錫杖を一瞥した後、シヅキは再び“絶望”を眼に捉えた。

 

「ミィ、ミィ」

 

 遠くで、鳴いている。漆黒の花弁は今、一体何を思っているのだろうか? 周りにはまだ5本の蔦が生えていたが、それらはすっかり動いていない。色だって、毒々しい緑から、周りの花畑のような灰色に変貌していた。もう使う事は出来ないだろう。

 

「……気持ち悪い」

 

 吐き捨てるようにそう言ったシヅキ。彼は“絶望”へと背を向け歩き出した。

 

「……」

 

 数歩進んで、振り返る。それを何度も繰り返した。“絶望”から意識を逸らすことは出来なかった。

 

 シヅキが逃げるという選択を取ったのは、何もトウカの身を案じてだけではない。彼の中には大きな懸念がいくつもあったのだ。それを考えると、これ以上“絶望”を相手にすることは不策だと考えたのだ。

 

 頬をツーっと一滴の汗が伝った。口内に溜まった唾液を飲み込む。懸念を考えれば考えるほど、シヅキの中で不安感が押し寄せてきたのだ。

 

 ついに耐えきれなくなったシヅキ。小さく震えた声で、彼は吐露しようとした。

 

「あいつ。本当にもう――」

 

 

「グギィエアアアアアアアアアァァァアアアアアアア!!!!!!」

 

 

 

 ――シヅキの声は、慟哭(どうこく)のような鳴き声に掻き消された。

 


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