戦闘行為が有った訳でも無いのに、私は疲れていた。
人形だろうと、疲れるものは疲れるのだ。
そんな時は、気分転換に限る。
と言う訳で、私はアルバレイン北地区、商業区画を散歩中である。
「東門から出て暫く行くと、でけえ川がある。
双子魔導師との心温まる挨拶の後。
昼食を頂いて午後からはどうしようか、と言うかどうやってこの屋敷を出るか。
仲間と相談したかった私に背後から声を掛けたのは、悪戯っぽく笑っているイリスだった。
「……そうですか。私には関わりのない事ですが、
彼女の言う「連中」とは、聖教国の暗部の事だろう。
心底腹が立つしその連中の邪魔をしてやりたくは有るものの、この悪戯魔女っ子の手の平の上で踊るのも癪だ。
カーテーシーに馴染みのない私は日本式に頭を下げ、再びイリスに背を向ける。
「あー、それと」
そのまま立ち去ろうとする私に、イリスは無遠慮に声をぶつけてくる。
仕方なく足を止めた私は、ゆっくりと振り返る。
あちこちを向かされて、忙しいことだ。
「この近くに、商業区画が有るんだ。そん中にゃ、酒屋も有るし菓子屋も有る。それと、魔道具屋なんかもな。土産を探すなら、なかなか面白いと思うぜ?」
そう言いながら、イリスは私に小さな、1枚のコインを投げて寄越した。
反射的に受け取ってしまった私は、それをしげしげと眺める。
表裏どちらにも文字や数字等は無く、見た覚えの有る紋章が片面に、その裏面には知らない紋章が刻まれていた。
「そいつは手形みたいなモンだ。それを見せれば、無条件で街を出入り出来るぜ」
楽しそうなイリスを無視して、私は記憶を、その中の先代との授業のものを掘り起こした。
退屈な座学であったが、講師が頭の中に居るので逃れる事も出来ない。
だがそれでも、こうして役に立つ事もあるのだから、受けていて良かったと思わない事も無くもない。
「……これは、ファルマン家の紋章ですか? その裏のは、見たことが有りませんが」
見覚えの有るそれは、アーマイク王国モントレイア領を治める、ファルマン公爵家の紋章だった筈だ。
カルカナント王国との国境に接する領を預かる、バリバリの武闘派一門だったと記憶している。
北の大森林から「忘れられた都市」までを含む他領がカルカナント王国に攻められ、この国は領土を大きく失ったが、この領はその猛攻を見事に撃退したと言う。
結果、取り戻した大森林の南半分までを領地として増やし、現在に至るとか。
「ああ、
ごくごく気軽な返事と、とても粗雑……庶民的な態度に忘れていたが、確かこの双子はファルマン家の養子だったか。
「知らん奴に見せてもなんにもならんけど、この街の衛兵には、どうしようもねえ程効くぜ?」
ファルマン家の関係者だから、この街の出入りも自由になると言う事か。
有り難くはあるが、しかし。
「私は、
警戒を隠しもしない私は、当然のように半眼で言葉を投げ返す。
それを受け止めるのは、鉄で出来ているような笑顔だ。
「構わねえよ、妙な言い掛かりつけた詫びみてえなモンだ。遠慮しねえで持っときな」
からりとした笑顔と言い草でひらりと手を振ると、今度はイリスの方が背を向け、歩き去ってしまった。
望外に妙なものを手に入れてしまったが、差し当たって私はこの街を出入りするような用事はない。
出ていきたい理由なら、既に山となって積み上がっているが。
しばし手の中のコインを眺めた私は、それをそっとベルトの
そんなコインよりも重要な情報を得た私は、先の事は全て後回しにすると決めた。
甘いモノが食べたい。
疲れた精神を癒やすには、それが最も必要だと強く思ったのだ。
国際色豊かと言うべきか。
ヒトは勿論、エルフやドワーフ、ゴブリンにコボルト。
およそこの世界で人間に分類される者達がごっちゃになって活気を形成する通りを、私もその一部となって歩く。
同じ交易都市なのに、ベルネよりもどこかお上品な気がするのは何故だろうか。
クッキーやマドレーヌなどの焼き菓子や、様々な果物類。
見事なデコレーションのケーキなどはホールごと購入し、この場で食せない事を残念に思いながら、店から少し離れた所でそれらを
商業区画の先には商業ギルドの建物も有るとのことなので、ついでにそちらにも足を伸ばし、ベルネ式ボイラーの使用料その他を纏めて受け取る。
一応金貨3000枚程はギルドに預けたままにしてあるが、手持ちが9000枚程増えた。
これは、ケーキを全て買い占めろというお告げだろうか。
馬鹿な事を考えながら商業区画……商店街に戻り、チョコレートなど見つけて阿呆のように買い漁ったり、好き放題に買い物を満喫する。
止め役が居ないのも嬉しいが、私が気を張って監視しなければならない、そんな楽しい仲間も此処には居ない。
いっそこのまま、街を出てしまおうか。
それなら、甘味はもっと確保しておくべきか。
「おー、いたいた。ホントにお菓子買ってるよ」
「マリアちゃん! 私もお菓子欲しい!」
私の幻聴で無いならば、どうやら楽しい時間は終わった様子である。
短過ぎはしないだろうか?
「お菓子なんて、アンタ食べるの? あんま想像出来ないんだけど」
周囲を見回しながら、アリスは私へと言葉を投げてくる。
エマは楽しそうに私に駆け寄ると、抱きついてきた。
なにが有ったら、小娘人形のテンションがこんなに上っているのだろうか。
「離れなさい、エマ。お菓子を買ってあげますから」
困惑を顔に貼り付けて、私はエマを引き剥がしに掛かる。
経験上、単なる腕力では難しいと分かっているので、此処は地の利を活かすのが有効だろう。
「ホントにぃ!? やったあ、マリアちゃん大好きぃ!」
逆に貼り付かれてしまった。
私の肋骨に当たる
「私は酒が欲しいんだけど、見なかった?」
ソワソワと周囲を見回し、アリスは少し早口にそんな事を言っている。
お前には息も絶え絶えな私が見えていないのか。
私の姉妹人形は私を拘束する力をむしろ増していき、金髪冒険者人形はキョロキョロと、視線で酒屋を探すのに忙しい様子だった。
酒屋を見つけたアリスはエマを放置し、あっさりと離脱した。
カーラは屋敷で、レイニーとか言う名の錬金術師となにやら話し込んでいるという。
エマは買い込んだ菓子類をわざわざ手提げの袋に入れて貰い、大事に抱えている。
「ねえねえ、あのね、お菓子、あのお屋敷のコたちと分けてもいーい?」
見たことがないほど瞳を輝かせて、エマは私を見上げてくる。
お屋敷の子、と言われて思い起こすのは、全員が10代半ば以上の少年少女。
むしろ、今のエマの方が子供というか幼児化していると思えなくも無いが、機嫌を損ねられても面倒なので口にはしない。
「ええ、構いませんよ。みんなで仲良く食べると良いでしょう。ああ、それでは私の買ったお茶をあげますので、メイドの方に入れて貰うと良いでしょう」
私は買い込んだ戦利品の中から、茶葉入りの缶を取り出し、エマに手渡す。
見てわかるほど嬉しそうなエマは、大事そうにそれを袋に入れると、もう一度私を見上げた。
「ありがとぉ! あのね、先にお屋敷に戻って良いかなぁ?」
思えば、人間種を殺害対象としか見ていなかったエマ。
そんな彼女が、ここまで気を許すとは思っていなかった。
私に対しても勿論、その殺害対象で有るはずの人間種に対して。
私がささくれた気分で屋敷を出た後、余程良い触れあいが有ったのだろう。
素直に微笑ましいと思う。
そんな彼女に出来た、新しい友人。
私やアリス、カーラとは違う存在。
エマの本性を知らないからこそ、そうも思うが、しかし指摘したり暴露したりとか、そういう野暮なことはしたくない。
私に手を振り走り去るその姿を見送り、「でもやっぱり殺人人形なんですよ、
まったく、この街に着いてから、疲れることばかりだ。
甘味類は、夕食後にでもゆっくりと味わおう。
……あの屋敷で。
双子とその振る舞いを思い出してしまえば腹が立たない事もないが、エマが楽しそうで、アリスが自然体で、カーラにも友人が出来た様子で。
歩を進める私は、口元を笑みが飾っているなど、知る由も無かった。
ひとりになりたいとか常々言っている割には、なかなかどうして……。