大河。
話には聞いていたし、勿論地図でも確認はしていた。
とは言え、実際に対岸が水平線に隠れて見えない程の大河というのは、私は生まれて初めて目にする。
これは、実は海なのでは?
馬鹿な考えを脳裏に揺蕩わせ、探知魔法を走らせて見る。
賢者様の指導を受けて魔法の扱いに多少慣れたものの、それでも私の探知の有効範囲は半径1500メートル。
正面からは何の反応も帰ってこない。
まあ、行ってみて、無駄足だったのならそれで構わない。
戻って緑の狐に文句を言えば良いのだ。
緑と言えば狸だろうと思ったが、そう言えば本人にはぶつけていなかった。
機会が有ったら実行するとしよう。
私は複雑な感情の動きに任せて、この河を渡ろうとしている。
良いように使われている実感、この街についてから受けたストレスの発散。
良き友人と出会えた様子の仲間達の、気の抜けた笑顔。
或いは、この街を出る時は……私は再び、ひとりになっているかも知れない。
私は小さく微笑んで、河岸から飛び出す。
足元には障壁で作った急造の小舟。
いつもの感覚で作ってしまえばそのまますり抜けてしまうので、純粋な壁――板材として作られ組み上げられたソレは、複雑な透過機能を失ったことでより強固なものになった。
まあ、強固になった所で、結局渡河用の小舟としてしか使わないのだが。
私を乗せた魔法障壁の小舟は揺らぐことも無い。
私は姿勢を低くすると、風の魔法を起動させる。
ゆっくりと進みだした小舟は徐々に速度を上昇して行く。
進路には何もない。
まっすぐに、私は水面を滑った。
ものの数秒で制御できない速度に達したが、まっすぐ走れば良いので気にもしなかった。
対岸が迫った所で床板を蹴った私の足元からは、小舟が前方へすっ飛んで消える。
私自身は置いていかれた様な形だが、慣性によって前方へと投げ出されているので河に落ちると言うこともない。
まあ、思った以上にふっ飛ばされた訳だが、華麗な3点着地を決めて事無きを得た。
人間だったら、両手と右腕が複雑な骨折をしていた事だろう。
人形で良かった。
立ち上がった私は再び探知を起動し、そして右手にメイスを取り出した。
反応は幾つかあるので、念の為、それぞれに探査も走らせる。
冒険者、冒険者、狩人、漁師……。
比較的小さな群れや単独の反応は、不審な点は見られない。
私が注意を向ける相手では無い。
残るのは、此処から少し南の、比較的人数が纏まっている反応。
探査から返ってくる反応は、戦士や治癒士などの、冒険者の反応。
そして、暗殺者と言う物騒な職業の5人が、他の冒険者を纏めているらしい、という事が
当然のように、所属が聖教国である、と言う事も。
思えば、こいつらの所為で私はしたくもない圧迫面接を受ける羽目に陥ったのだ。
数分前の、私の中のおセンチな感情が跡形もなく消失する。
私がこの世界に来る切っ掛けにもなった、そんな国に所属する集団。
トンチキな理屈でアルバレインに難癖をつけた馬鹿ども。
八つ当たりの対象として、これ以上無い玩具を発見した私は、右肩にメイスを担いで。
爽やかに微笑んだ。
念には念を入れて隠身を使用した私は、割りとすんなりと怪しい集団の付近に接近する。
河岸の茂み、というか林になっているその中に身を潜めている辺り、連中も自分たちの放つ怪しさに自覚が有ると言うことだろう。
しかし、どうやってこの大河を渡るのかと思っていたが、まさか現地で筏づくりとは。
発想が似ているというだけで、酷く嫌な気分になる。
ま、まあ、私は作るのに手間取ったりもしていないし、移動もスマートであった……筈だ。
障壁小舟がぶつかった河岸は爆撃を受けたような有様になってしまったが、きっと必要な犠牲だったのだ。
人的被害は無かったのだし、良しとしよう。
少し観察していると、あちこちで悪態と愚痴が行き交っている。
纏め役は居るようだが、纏まっているとは言い難い。
その纏め役、5人の暗殺者はレベル150前後。
残りはレベル30前後が15名で、どうやら高レベル5名が力で押さえ付けている様子だ。
彼らは知らないから、ゴブリン村の制圧は総勢20名も居れば余裕だと思ったのだろう。
その後の言い訳はどうする気だとか、気になることは有るが。
あの街に化け物が少なくとも3体も居ることを知っている私としては、無謀な挑戦にしか見えない。
しかも、その3体が3体とも、ゴブリン村と関わりが有るのだから。
あの3人は街に関わりが深いので、却って思うままに暴れる、なんてことは出来ない。
出来ないからこそ彼女たちは対策を考えていて、そんなタイミングで私達はあの街に足を踏み入れてしまった。
……まあ、その私たちが悪名高いザガン人形とその仲間達、と言うのも、その後の対応に関係していたのだが。
考えれば考えるほど、苛々は募る。
「夜の間に川を渡って、そのままゴブリンどもを殺すのか?」
筏作りに苦戦していた戦士が、地面に両足を投げ出しながら呑気な声を上げる。
周囲に気を配るとか、そう言った知恵は無いらしい。
「そうだな。手早く終わらせて、イリスとリリスとか言う小娘共が出てきたらそれを殺す。それだけの、簡単な仕事だ。他の冒険者共は、邪魔する者だけ殺せば良い」
答えたのは、纏め役のひとりだ。
此方も、どうにも警戒感が薄い。
確かに周囲には私と彼ら以外の気配は無いが、それでも彼らにとっては敵地の間近だ。
もう少し慎重に行動したほうが良いと思うのだが。
筏なんて作っているのは、乗り合いの船を使って足が付くのを恐れたのかも知れないが、急造の筏で無事に渡れるのかとか、帰りはどうするのかとか、ちゃんと考えているのだろうか。
あの5名以外は捨て駒で、混乱に乗じてさっさと彼らだけが逃げ出す
だとしても、随分と甘い見積もりと言わざるを得ない。
仮に彼らの計画通りに事が進んだとして、あの2人が出てきたら終わりだと思うのだが。
捕縛で済んだら喜んで良いと思う。
情報収集がちゃんと出来ているとも思えないし、これはもう、聖教国から見れば、この一団はひっくるめて捨て石なのだろう。
この馬鹿どもにあの街で騒ぎを起こさせ、後々何かしらの因縁をぶつける算段なのかも知れない。
――だとすれば、この男達を監視する、聖教国側の監視者が居る?
私はようやくその事に気が付き、己の見通しの甘さに溜息が漏れる。
小舟爆弾で岸の一部を爆散させた事も感知されただろうし、そうであればその時点から、私も監視されているだろう。
その旨があの5名に伝達されている様子が無いのが妙と言えば妙だが、遠距離での意思疎通の手段が無い可能性も有る。
捨て駒だから放置されている線も有る。
ゴチャゴチャ考えても仕方がない。
監視者が居る可能性も考慮し、素早く仕事を片付けて周囲を探れば良いと乱暴に結論づけると、私は低くしていた身を起こし、愛用の得物と共に、堂々と足を進めるのだった。
エマの事をどうこう言えないレベルで、ただ暴れたいだけのようです。