「――それでは、今日も座学です。テキストの――」
「待て。待ってくれ」
懐かしい声と、懐かしい記憶。
「……なんですか? まともに
「いやそれは御免被る。言いたいのはそんな事じゃない。テキストと言うのはこの――」
ぼんやりと、視界が晴れていく。
それなのに、霞がかかったように儚く朧気な。
私は、この光景を知っている。
「子供向けの図鑑の事か?」
「図鑑では有りません。今日の『魔物生態学』の
「たのしいまものずかんと書いてあるぞ?」
「
「……」
そうだ、結局、何を言っても彼女は意見を曲げなかった。
懐かしい記憶だ。
「……まあ、大人しく授業を受けるしかないから、何でも良いか。しかし私は、魔物なんぞと戦う
声には隠せない不貞腐れの気配が籠もる。
「知っていると知らないとでは、いざ直面した際の心構えが変わるでしょう。ただでさえ」
私を諭すような声は、溜息の気配を隠す気は無いようだ。
「貴方は生き物を殺すことに抵抗があるのでしょう? 外側がいくら強くとも、内面が脆弱なままではそちらを壊されます。それでは私が困るのですよ」
言い返そうにも、此処はそういう世界なのだ。
命の価値というものは全く、世界の有り様で幾らでも変わってしまう、難儀なものだ。
私は彼女からこの世界について、様々学んで辟易していた。
「困るのなら、私を追い出して自由になってはどうだ? それだけで、キミは自由に戻れるのだろう?」
「……
「死にたくはなかったが、残念なことにもう死んでいるからな。悔いも未練もどうしようもない」
私は冷静に嘯くが、本心からどうでも良い、等と思っては居なかった筈だ。
だが、私はそれまでの、取り巻く環境全てを失ったのだ。
違いすぎる生活環境、理由も知らされずに始まったこの世界に関する授業。
そして、同じ
半端な有様で、生きていると言えるのか。
私には答えられない。
そんな私では、自信をもって「生きたい」とは言えなかった。
「……
この時、私は何を思っていたのか。
不満を持っていたとしても、少なくとも疑いの心は持っていなかった。
今ならば、私は彼女に――先代に向かって、こう答えただろう。
嘘つき、と。
結局酔っ払って脱ぐくらいなら、堅苦しくも暑苦しい、軍用の礼服など着なければ良いのに。
大体、何処の軍がそんな面白おかしいポップな色彩の礼服を採用しているんだ。
あと、狐面も胡散臭いからやめたほうが良い。
酔っ払った双子をタイラーと手分けして運搬した私は、そんな疑問を抱えながら与えられた部屋に戻り、睡眠の為に衣服を脱いだ。
この部屋を使うようになってから、私は寝間着を着用していない。
わざわざ『霊廟』まで取りに戻るのが手間なのだ。
――他のメンツには何がしかの日用品を取ってきたいと言われていないのだが、みなどうしているのだろうか。
少なくとも同室のカーラも私と同じ考えのようで、既に横になっている彼女もまた下着姿なのだろう。
人形作りのプランをレイニー嬢と1日練っていた筈なのだが、進捗はどうなっているのだろうか。
気になったが、わざわざ起こす程の事ではない。
私も大人しくベッドに潜り込んだ。
翌朝、例によって風呂上がりなのに青い顔のイリスが、不景気な顔で食堂へと顔を出した。
「もう、無茶な呑み方はしねェ……」
聞き飽きた台詞を口にして、申し訳程度のサラダを自分の皿に取り分ける。
「イリス姉ちゃんは、毎朝それ言ってるよな!」
先にテーブルに付いていたゴブリンの少年が、元気に笑う。
あまり少年少女に見せて良い姿ではないと思うし、そもそもイリスも見た目で言えば少女の範疇だ。
自分のクランメンバーにも言われてしまった事も合わせて、よくよく考えて欲しいものだ。
「おう……俺はもう、酒は辞める……」
「立派な決意だけど、何時間保つのやら……」
弱々しく宣言するイリスに、即座にカナエが言葉を被せる。
我関せずな様子のタイラーの隣でジェシカが頷き、リリスは妹と似たような顔色で沈黙している。
このクランは、酒で崩壊するのではないだろうか。
ふと見れば、ここ数日の触れ合いで、エマは少年少女組と随分打ち解けたようだ。
ちゃっかりと輪に入るような形で、席を確保している。
見た目で言えば違和感のない眺めだが、あれで実は私の姉なのだと言うのだから、私が驚く。
アリスはと言えば料理人やタイラー・ジェシカなどの近くで、大人組とでも言いたげな雰囲気を醸し出している。
初対面で喧嘩をふっかけられた気がするのだが、あれも大人の態度だったのか。
そしてカーラは、初めてのお友達の隣で楽しくお食事の最中だ。
実に三者三様、微笑ましい光景である。
お前らはこのまま、此処に残っても良いのだぞ。
なんだかんだで、イリスはクランメンバーの面倒見が良いと評判なのだし、楽しく暮らして行けるだろう。
彼女には鬱陶しいと言う重大な欠点があるので、私は勘弁願い下げだ。
「マリア、今日は空いているか? 私の『工房』に行きたいんだが、良いだろうか?」
周囲を眺めながらそんな事を考える私は、自分がボッチであることを自覚する直前に、掛けられた声の方へと顔を向ける。
そこに居るカーラはキラキラの、早く遊びたくて仕方ない、そんな子供のような顔を私に向けて晒していた。
そろそろ、私が他人の幸福を喜ぶような性格では無いと、理解して欲しいのだが。
「構いませんよ。食後すぐに向かうのですか?」
イリスやリリス、タイラーはまだしも、他の、特に純真な少年少女の前で性格の悪さを露呈させる趣味は無い。
私は取り繕った澄まし顔で、寛大な大人の余裕をこれでもかと見せつける。
戻るのが面倒だとか、そんな怠惰な思考は子どもたちに見せてはならない、それが大人の矜持と言うものだろう。
「微妙に嫌そうな顔してんぞ」
イリスが根拠のない誹謗を投げつけてくる。
内心を見透かすのはやめろ。
「とんでもない、私も着替えを取りに行きたいので、ちょうど良いのですよ」
澄まし顔をキープし、冷ややかに答える。
……自分で自分の顔は見れないので、きっと冷静な顔が出来ていたのだと、信じる他無い。
今日も平和な一日であるようだ。
私は今朝方に見た夢を思い出し、視線を目の前のサラダに落とす。
全てを教えるどころか、あれが『霊廟』だったことすら隠していた先代。
あの工房フロアの先、上へと繋がる通路とその先は有るのだろうか。
有るとすれば、そこにはどんな光景が広がっているのだろうか。
私は思いついた事を口に出したりはしない。
冒険者クランで、冒険者などという好奇心先行気味な人間しか居ない空間で、そんな事を言ってしまったなら。
『霊廟』内を探索させろと言われかねない。
私とて興味が無いことはないが、どうしても面倒が先に立ってしまう。
先代が秘していたのは理由があるからで、それはマスターの後継者発見阻止だと私は見当を付けた。
だが、それが正解である保証はない。
先に有るのが財宝の類ならばまだ良いが、禁忌の類が寝ていたら、そんな物を起こす気にはなれない。
臭いものには蓋、使い勝手の良い言葉だ。
朝日の差し込む食堂で、優雅で充実した食事を楽しむ。
問題の先送りは大抵良い事が無い、そんな簡単な事実から、私は意識して目を逸らすのだった。
なんでも見ないフリですが、そろそろ溜まったツケが襲ってきそうですね。