盗賊を撃退し、この村で生活することになって1週間が過ぎた。
最初に正体を明かした筈なのだが、村人たちは気にした様子もなく接してくる。
その事実に、クロエは酷く戸惑った。
知らないと言うだけで、人というのはこれ程までに無防備になれるのだろうか。
確かにクロエはリズと共に、賊を殲滅した。
思惑が有ってのことではあったが、確かに、見方によっては村を護った英雄とも言えよう。
だが、その実態はヒトでは有り得ない膂力を用い、死体を量産しただけの事でしか無い。
村に放たれた火を消したのは村人達だし、村の片隅に穴を掘り、賊の死体を埋めたのもまた村の人々だ。
――私達は、私達の有り様を素直に示しただけだと言うのに。
村の中でも、戦う力を持つ者たち……若い男や、特に自警団に所属していると思しき者達はにこやかな中にも警戒を持っているのが判る。
だが、それ以外の者達は、概ねクロエ達に好意的だった。
遠い国のザガン人形は名前程度しか知らないが、その中のただ1体、「
――海を隔てただけで、殺戮人形が英雄扱いとは。
サラが何を考え行動し、そして今何処に居るのか、見当も付かない。
だが、クロエから見て姉に当たるその存在に、感謝したものか悩む。
クロエ達の行動の結果では有るが、サラの存在が有ったからこそ、村人達は受け入れてくれた、とも言える。
だがそもそもザガン人形として、恐れられるならともかく……持て囃されるが如き扱いを受けると言うのは、どうなのだろうか。
――或いは、少し前までのお姉様と同じく、サラもまた、何処かの国に食い込んで中から崩そうとでもしているのか?
そう考えて、クロエは白けた顔を空へと向ける。
彼女の表情とは対象的に、底抜けに晴れ渡った空は広く深い。
――いや、人間種がそれほど多くないこの大陸で、そんな事をする意味は有るのか?
さり気なく見回せば、ドワーフやゴブリン、コボルトにヒトと、それだけで多様な種族が目に飛び込んでくる。
もしや人間狩りでも号令する気なのかとも考えるが、この村を見ただけでもヒト種は多くない。
――普通なら、直接殺して回る事を選ぶか。
自分本位の考えだが、すぐ傍らに居る特異な人形と比較して、クロエは勝手に納得する。
「考え事も良いですが、きちんと頼まれ事を片付けましょう。鍛冶屋さんから、ミスリルのインゴットを頂いてくるのでしたよね?」
その特異な姉は、振り返る事もせず、しかし妹の様子などお見通しだと言わんばかりに口を開く。
海を渡る直前から「聖女」としての衣装は辞めていたが、全体として、その印象が大きく変わることはない。
清楚でいて凛々しく、見た目だけは儚い。
「はい。それから、狩人の……なんと言いましたか、狩人のところで、適当に肉の確保をお願いするのも、ですね」
そんな姉の後ろ姿を眺めながら、クロエは覚える気の無かった狩人の名を思い出す努力を、すぐに放棄する。
「……少しは友好的に振る舞いなさい。折角私達は容姿が整っているのですから、使える武器を使わないのは損ですよ?」
その台詞は溜息に
きっと。
「自分の腕の修復の為ですから、努力はしますが。……あまり媚を売るようなやり方を、知りませんので」
嫌味でもなく、クロエは素直に答える。
実際の所、自分の右腕の修復――と言うよりも応急処置に近いのだろう――が目的である以上、自分なりに最大限友好的に接したいと思っているし、そうしている
ただ、表情筋が思考についてこないだけで。
「微笑むだけで、少なくとも男性には好印象を与えるのですよ? 覚えておくと便利です」
得意げに語るその背中を、クロエは複雑な眼差しで追う。
――お姉様だって、笑顔は得意では無いのに。
人形師のおつかいをこなす人形の、その心は複雑だった。
人形師であるドワーフの男は、名をボリスと言った。
ドワーフらしく短躯でありながら力強い筋肉に覆われたその見た目に似合わず、細かな作業も小器用に
弟子は居ないが家族は居り、ヒトである妻と、母の容姿を引き継いだ娘1人での3人暮らしで、普段は鍛冶屋の真似事を行い、日用品を打ったりして生計を立てているようだ。
――人形師よりも、一端の武具師として売り出したほうが良いだろうに。
クロエは、壁に掛けてあった短剣を手に取り、考える。
名は柄に隠されて見えないが、何の事はない、簡易な鑑定魔法で誰の作かは判った。
刃渡りは30センチ程、人間相手を想定しているクロエにとっては手頃な長さだ。
――何が、武器は作らない……だ。
余計な装飾もなく、総じてシンプルなその短剣を、クロエはそっと壁に戻す。
素材はミスリルと鉄を中心とした合金。
硬度と粘り強さを両立した見事な一振りで、その出来栄えは、クロエをも魅了する程だ。
「お父さん! クロエお姉ちゃん! もうすぐご飯だよ! お母さんが、早く来てって!」
壁に戻しはしたが、なお目を離せないクロエの耳に、元気な明るい声が飛び込んでくる。
ホッとしたような、少し残念なような、そんな複雑な気分で顔を向ければ、父親には似ていない娘が工房の入口に立っていた。
「ああ、すまない。私が呼びに来たんだったな……」
バツの悪い思いで、クロエは左手で不器用に頭を掻く。
そうだ、もう日も暮れようとしているのに戻ってこない工房主を、奥方に頼まれて呼びに来たのだった。
戸口から覗く外は、もうすっかり日が落ちている。
「ううん、クロエお姉ちゃんは気にしないで! どうせお父さんが『ああ』とか『うん』とか、適当な返事ばっかりで動かなかったんでしょ?」
「……」
屈託のない笑顔とその言葉に、クロエは何も言えずにウロウロと視線を彷徨わせた。
実際その通りなのだが、それに乗じて工房内を……というか、工房の壁に飾られている幾つかの武具を眺めていたクロエは、今この瞬間まで、その任を忘れていたのである。
「ほら! お父さん、またお母さんに怒られるよ! っていうかもう怒ってるよ! 作業場は逃げないんだから、また明日にしなさい!」
ずかずかと工房内に入り込んだ娘は少し怒ったような表情を作ると、父親の肩を引いて強引にこちらを向かせようとする。
「わっ! 待て、なんだニナか、落ち着け! 引っ張るんじゃない!」
流石に強硬策に出られては、さしもの職人とは言え反応せざるを得ない。
椅子に座ったまま転ぶという事態に陥らぬようなんとか身体支えているが、娘の方は容赦というものがまだ得意では無いようだ。
「だったらさっさと立つ! ご飯が無いと拗ねるクセに、なんですぐに来ないかなあ?」
大きくバランスを崩しながら両手を挙げての降参の意思表示を確認し、娘はようやくその手を離した。
「やれやれ、少しばかり集中し過ぎたらしい。お前さんも迎えに来てくれたんだろうに、悪かったなあ」
娘の頭を撫でながら、ボリスはクロエへと顔を向ける。
それは認識しているらしいが、果たして、クロエがいつからここに居るのか、それを理解出来ているかは疑問だ。
そんなクロエを他所にボリスは立ち上がると、娘に再度平謝りをし、先に出ていく娘を追うような何気なさで入口近くの壁際へと寄る。
――この男は、まだ娘に怒られ足りないのか?
内心で溜息を
すぐに娘に付いていくものとばかり思っていたので、完全に不意を突かれてしまったのだ。
「ほれ」
だから、クロエはボリスが放り投げたそれを、ただ受け取ることしか出来ない。
「物珍しそうに色々見てたみたいだが、そいつが特にお気に入りなんだろう?」
言われて視線を手元に落とせば、先程までクロエが見惚れていた短剣が、鞘に収まってその手に有る。
「……こんなものを人に向かって投げるな。また奥方や娘さんに叱られるぞ」
「ヘッ。お前さんが受け損じるなんて思えないんだがな?」
とりあえず視線を上げて人並みに文句を言ってみるが、言われた方は何ひとつ悪びれる様子もない。
「そいつはくれてやるよ。此処にあってもただの未練だ。お前さんに持ってって貰ったほうが、
改めて、クロエは手元を――その鞘に収まった短剣を見る。
確かに、欲しい、そう思っては居た。
「……良いのか? 売る気も譲る気も無いから、工房の壁に飾っていたんじゃないのか?」
だが、それを受け取ってしまうことに戸惑っている、そんな自分に気付いてまた戸惑う。
「良いんだよ。どうせもう武具を打つ
クロエには、ボリスの言っていることが理解出来ない。
――人殺し人形に、こいつは何を言っているんだ?
残念ながら彼の勘は外れるのだろうが、それをこの場で指摘するのもなんだか憚られた。
「もう! お父さん! クロエお姉ちゃん! ご飯冷めちゃうよ!」
どう返したものか言葉が出てこないクロエの耳朶を、ニナの声が打つ。
「おっと、こりゃいけねえ。ほれ嬢ちゃん、さっさと行くぞ」
「あ、ああ……」
戻ってきたニナがぷりぷりと怒りながらボリスの袖を引き、やや丸めて出ていくその背について歩きながら、クロエはまだ、返すべき言葉が見つからない。
ただ、前を歩く親子の姿に、自分には無かった幸福を。
クロエは、何を思うのでしょうか?