あの通りは、よくニナと通った。
あの辺りは狩人のデッケンの家が有った。
あっちには……。
それほど長く居着いた
ニナも、ボリスも、そして、結局名も聞けなかった奥方も。
ああ、妙な遠慮などせずに、素直に名を聞いておくべきだった。
歩こうとして上手く踏み出せず、クロエはその場に崩れ落ちる。
村は既に、取り返しが付かない程に業火の底にある。
無事な建物は、ひとつとしてない。
燃える。燃えてしまう。
思い出が、笑顔が。
ボリスの工房も何もかも。
村の全てが、炎を吹き上げて夜空を焦がしている。
私のともだちが。
燃えてしまう。
リズの放った火種は、寝静まる村を、その村人ごと紅蓮の炎に飲み込んだ。
別け隔てなく、全てが一瞬で。
リズがその気で行動したのだから、誰も気付くことも出来ず、その行動を阻害するどころではなかっただろう。
「
クロエと同じく、特殊型の人形。
村人の誰も、苦しむ間も無かった事だろう。
それだけが救いだろうか。
クロエは自分に言い聞かせる。
「……だから。もっと後から来なさいと言ったのです」
いつから、そこに居たのか。
余りにも平板なリズの声。
激昂し掛けて、しかしクロエは動けない。
当たり前の様に私のともだちを殺しておいて、何を。
反射的にそう考えた、しかしその相手は敬愛する姉だ。
私はそんな姉に、お父様の遺してくれた家族に牙を向けるのか。
自分の有り様に愕然とする。
――家族とは何だ? ともだちって、何だ?
クロエは、ヒトを憎む人形師によって生み出された、ヒトを殺す人形だ。
リズは姉で、リズの言う事に従っていれば、それはお父様の願いにも適う。
ニナは初めてのともだちで、よく笑って、よくボリスを叱っていた、年相応に生意気な小さな女の子で。
ボリスは奥方と娘に頭が上がらない。
奥方はいつも微笑んでいて、優しくて。
ヒトを殺すことが私の、ニナはともだちで、お姉様の言うことを聞いていれば、ボリスも奥方も良いヒトで、お父様の願いはヒトに復讐することで。
思いは言葉の形で膨らみ、それはすぐに飽和して零れ落ちる。
クロエは気付かぬまま、崩れ落ちた姿勢のままで大地に爪を突き立て、溢れる涙と感情のままに慟哭する。
悲しみ、怒り。
その元凶はすぐそこに居るのに、敵意を向ける訳には行かない。
――何故?
どこに向けていいか
いつしかリズはクロエに背を向け、まだ火に呑まれたままの村へと消えた。
その事にも気付かず、クロエは感情のままに声を上げ続けるのだった。
初めて感情に呑まれ、そしてそれを吐き出すように泣き続けていたクロエは、今はまるで空っぽの瞳で。
昇る朝日が照らし出す、惨憺たる村の様子を、思い出を火に
回収していた兵士――賊の死体を幾つか村のあちこちにばら撒き、賊に襲われたが如き風を装って、リズはクロエの傍らへと戻った。
少しの時間を与えてみても、クロエは
――ヒトを殺すのが使命だと息巻いていた割には……なんと半端な。思っていた以上に脆弱だ。
放心したままのクロエを見下ろしながら、リズは感想と嘆息を飲み込む。
呆れるほど容易くヒトに心惹かれ、心を開いた妹に、掛けてやる言葉も無い。
――普段からヒトを憎むような事を口にしていたクセに、ヒトを知ろうとしなかったから、そんな無様を晒すのです。
クロエは立ち上がる様子もなく、まるでその活動を停止してしまった様に、身動きひとつ無い。
或いはこのまま、此処で破壊するべきだろうか。
リズは静かに武器庫から短刀を取り出すが、クロエはそれにも反応するどころか、気付いた様子もなかった。
――いや。或いはこれは、私の落ち度ですか。
静かにその背後に立ち、その魔力炉に向けた切っ先を静かに下ろす。
――私はヒトを愛している。愛しているからこそ……。
その瞳に、僅かな哀れみの情が浮かぶ。
――喜んでヒトを殺せる。
少しだけ距離を取り、リズはクロエを見守る事に決めた。
きっと立ち直れると、信じたから……では、無い。
――愛するからこそ、他の誰でもない、自分の手で殺す。慈しむからこそ、互いに殺し合わせる。その喜びを、きちんと教えるべきでした。
クロエを連れて村に戻っていたら、恐らくクロエはリズの前に立ちはだかっただろう。
そんな予感があったから、クロエを置いて村に戻り、火を放ち、村人を尽く殺したのだ。
別にクロエの心情を慮った訳でもなければ、その戦闘能力を恐れた訳でもない。
厄介な双子から逃げ果せたは良いものの、この先何処にどんな敵が居るとも限らない。
自身の身を守るための手駒が、もはや
便利に使えていたモノでもあるし、長く使えば道具にも愛着は湧く。
この大陸の現状を把握できていない段階で、そんな道具を手放すのは些か惜し
だからリズの出来る範囲でケアをしたかったのだが――クロエの抱える病は予想よりも遥かに深刻で、そして滑稽だったのだ。
ヒトを殺しヒトに憎まれる事に慣れ、それを当たり前だと認識していたからこそ、ヒトと深く接して知ってしまった時、純粋な子供相手には特に。
どうして良いか
原因の理解は容易い。
なんのことはない、クロエを創ったのもまたヒトで有ったのだし、そうである以上……クロエもまた、何処かで父を、家族を欲したのだろう。
今までは、その心の隙にリズが収まっていた。
だが。
――いざとなれば、担いででもこの場を離れますか。
クロエの心には、どうやらヒビが入ってしまったらしい。
ヒビは埋めることは出来ても、元通りにはならない。
そして、このヒビはいずれ、完全な崩壊を齎す。
いつまでも村を、村の跡を見続けるクロエを見守るリズの目は。
道具の処分をどうするべきか、そして次の道具を如何に用意すべきか。
そんな目だった。
リズは、もしかしたら、当代のマリアと気が合うのかもしれません。