曇天の下、街道を歩くエリスは、故郷に帰る喜びと解雇という不名誉に沈む気持ち、その他私では及びもつかない様々な思いが絡まり合っているのだろう。
硬い表情でニナへの答えも短く、そのやり取りも何処かぎこちない。
道中なんやかんや有りつつも、エリスの故郷の村まであと僅かである。
急いで離れたかったのに加え、ひとり旅気分を満喫できた私は浮かれに浮かれ、人目を避けては全力ダッシュを繰り返した結果、一度は通り過ぎて国境に出てしまい、慌てて戻るというハプニングを挟みつつも1週間程度で到着した。
「クアラスを目指した時は、一月以上掛かったのに……」
緊張とは別の理由で
人形に限らず、ある一定以上のレベルの者が移動に能力を傾けるとこうなる、という例のひとつになってしまったが、浮かれ気分で鼻歌交じりだった私は別に本気であった
今後異世界に転移ないし転生する予定の方は、かようなうっかりによる人外ムーヴには気を付けて頂きたいものである。
私? 今更であろう。
エリスの生まれ育った村は、村というには少し規模が大きい。
村人も多く見る限りはとても快活で、戦争の不安からくる疲労が多少見受けられるものの、悲壮感が漂う程ではない。
衛兵や傭兵の姿も有り、頼もしくも映る反面、それなりに手近な危機が有ると示しているようだ。
エリスに聞く所によると、村としては規模が少し大きくなり、もうじき名を変えて街になる予定なのだという。
アルバレインの近くの、野盗群の襲撃を受けたあの街の少し手前くらいの規模、と言った所か。
私の目から見た違いと言えば……街を囲む「壁」の有無、くらいだろうか。
一応は立派な柵が設けられているが、大型の獣や軍勢相手には心許ない、そんな様相である。
とは言えそのような事など、為政者が見過ごす筈もなかろう。
発展する地域に力を注がないようでは統治者としてどうかと思うし、私が気付く程度のこと、とっくに気を回していることであろう。
ただ、時間が追いついていないだけだ。
「あっ! お父さん!」
人の良さそうな傭兵……いや、衛兵だろうか? そんな男が仲間たちと談笑している様子を眺めていると、エリスの声が耳に飛び込んで来た。
振り返ると、駆け出すエリスの背中が見える。
不安も、悲しみも、悔しさも。
その全てを置き去りにして、走る先には家族が居る。
壮年の、口髭を蓄えた男性に弾かれたように飛びつくその小さな背中は、今、ようやく居場所に帰り着くことが出来たのだ。
私ではもう辿り着くことも出来ない、そんな優しい場所。
私と同じ様にエリスの背を見守っているアリスの瞳に、郷愁が浮かんでいるような気がした。
「お父さん、かあ。今更そんな
声にも、それは現れている。
恐らく、同じ日本に生まれ、そしてこんな世界へと魂だけが連れ去られた、私とアリス。
境遇が非常に近いが故に、いや、だからこそ、と言うべきか。
私の感傷は、アリスのそれと重なることは無いのだろう。
故郷の風景も、生活していた街も思い出の中で風化しては居るが、覚えている。
あれこれと口煩かった両親や、世話になった人たち。
その他良い人も気に食わない奴も、程度の大小はあれど覚えている。
自分がどう生活していたかも、思い出せないこともない。
だと言うのに――名前だけは、私の元の名前だけは、忘れ去ってしまった。
「霊廟」で工房フロアへの階段を見つけたあの日。
あの後に起こった事が衝撃的かつ非常識すぎてそれどころでは無くなり、タイミングも失ったし誰に告げても意味が有るとは思えず、そのまま口を閉ざしていたのだが。
あの日あの時、私はこの「
「……私は今更顔を突き合わせた所で、殴り合いになる程度でしょう。そもそも戻る術も有りません。考えるだけ不毛ですよ」
アリスだけでなく、他にも事情を知っているエマとカーラが、気遣わしげな視線を向けてくるのを感じる。
妙な所で変に気がまわる人形どもだ。
「……さあ、エリスの親御さんにご挨拶しましょう。直ぐに
先頭に立って歩くことで、私は仲間たちに顔を隠す。
私の事などどうでも良いのだ。
せっかくエリスが無事に故郷に到着し、家族と再会を果たせたのだ。
思い出せもしない私の名前など、この場に於いてはどれほどの価値も無いのだから。
私の後ろに付いて来る仲間たちの気配は、隙間風の吹き込む私の心に何処か遠慮でもするかのようで、いつもの賑やかさは影を潜めてしまっていた。
泣き笑いのエリスの紹介で、私たちと彼女の父親とはそれぞれに挨拶を交わした。
或いはエリスが、ニナをこの村での生活に誘うかも知れない――そんな事も想定していたのだが、なにか言いたげなエリスは、結局その言葉を口にすることは無かった。
孤児だったというニナは、私たちとの旅をむしろ望んでいる様子だったし、ふたりの間ではきちんと別れは済まされているのだろう。
ふたりがどんな決断をしようと、それはふたりだけのものなのだから、私たち外野はそれを尊重するしか無い。
それに、これが今生の別れになる訳でも無いのだ。
エリスには彼女の実家への滞在を勧められたが、幾らなんでもこの人数は多すぎるだろう。
ニナにはエリス宅へ逗留することを勧め、私たちは村の宿泊施設へと足を運んだ。
村の子供――もう年齢的には成人している筈なのだが、親しい大人たちから見れば、いつまで経っても子供は子供だ――を村まで無事に送り届けた、という事で思った以上に感謝された私たち。
それを形にしたような心尽くしの料理の群れに舌鼓を打ち、村出身らしい衛兵たち、特に若い衛兵たちに囲まれて、私たちはそれは楽しい時間を過ごした。
どれくらい楽しかったかと言えば、酒の入ったアリスが駄目な大人の見本のような有り様で羽目を外しているのも気にならないくらい、と言って伝わるだろうか。
「エリスちゃん、お父さんとお母さんに会えたんだよねぇ。良かったよねぇ」
此処でエリスとは別れることになる。
それを知っているエマが、私とは対象的に、寂しそうな俯き加減で口を開いた。
「……ええ。良かったのです。それに」
別に無視しても良かったのだろう。
だが、私はエマの頭に手を伸ばし、撫でながら応える。
「いつかまた、旅の思い出とお土産を持って友達を訪ねるのも、悪くはないでしょう?」
陳腐な慰めの言葉しか出てこない私に、エマはおずおずと顔を上げる。
「良いのかなぁ? 私、また来ても良いのかなぁ?」
私を見上げるのは、爆殺人形ではない。
見た目相応の、友達との別れを悲しむ、ただそれだけの少女だ。
「当然です。エリスは、エマとニナのお友達なのでしょう?」
エマに浮かんだ、淋しげで有るものの、それでも気恥ずかしくも嬉しい、そんな小さな笑みを見て、私は心を決める。
エリスは、私にとっても友人なのだ。
「エマ、アリス、カーラ。私たちはこの村を離れますが、村の周辺に居る
それは、いつも通りの小声で発せられた。
そしてそれは、仲間たちに私の意図を正確に伝えてくれたらしい。
酔いどれて歌い笑うアリスが、サラダを絶賛するカーラが、私の隣で着恥ずかしげに微笑むエマが。
それぞれが剣呑な光をその
村の夜は更けていく。
雲に隠された月は、見下ろすことも出来ない。
人形が4体、寝静まった村を静かに抜け出したことも。
それらが、人形としての本分を思い出したことも。
要するに……マリアの憂さ晴らし、と言うことですね?