走って、ひとり。
ハイペリオを1日で抜けられたのは国土の狭い部分を突っ切ったからで、私が特別速かった訳では無い。
いや、人間基準で言えば速すぎるとは思うのだが。
ノヴァックに入ってからも引き続き人目を避け、主に森の中を移動して居たのだが、クアラスに近付くにつれ街や整備された街道に行き交う人も増え、所々では普通の徒歩を強いられた。
それでも隙を見つけては街道を逸れて距離を稼いだのだが、クアラス港が確認出来る場所までには3週間を要したのだった。
とある事情から最大級の警戒を行いたい私だが、探知魔法は起動してすぐに解除した。
貿易港は人が多過ぎる。
ヒューゴに出会わない事を祈りながら私は入場の列に並び、左耳にカーラお手製のイヤーカフを装備している。
当然魔道具で、索敵機能は組み込まれていないものの、空間を隔てて『霊廟』との通話が可能という、相変わらず意味不明な技術が使われている
ちなみに、私は途中の街で変装用の服を買い、現在着込んでいる。
薄緑色の長いスカートと袖の長いシャツに身を包み、足元までを覆うようなフード付きのローブを羽織っている。
旅行用のトランクを片手に、空いている右手にはミスリル合金製の杖を持つ。
勿論メイド服とセットのヘッドドレスは外しているしフードも被っているので、見た目は完全に偽装出来ている筈だ。
何処から見ても、ごく普通の旅人にしか見えまい。
そう思いつつも私は俯き加減で列に並び、ヒューゴに見つからない事を祈り続けるのだった。
『……カーラ。聞こえますか?』
無事にクアラスに入った私は広場の一角に腰を下ろし、イヤーカフに耳を添え、念の為小声で呼び掛ける。
『聞こえているぞ。クアラスに到着したのか? それとも、何か問題が?』
すぐに返答が有った。
ヒューゴに出会ってしまわないかビクビクしていた私は、カーラの声にさえ安堵を覚えてしまう。
『問題は有りませんが、気疲れが凄いです。取り敢えず、これから港湾維持局の方へ行こうかと思うのですが、その前にカーツさんを探そうかと思っています』
とは言え心細かったから通信した、とは言えない。
ごく軽い愚痴だけを置いてから、私は今後の方針を伝える。
『ふむ、良いのではないか? 見知った顔では有るし、あれで部下を従える立場だったな。であれば、話も通しやすかろう』
カーラの言葉の前半に笑いが含まれていた気がするのは、私の気にし過ぎだろうか。
気弱も過ぎれば良い事は無い。
私は気を取り直し、静かに立ち上がる。
『では、私は行動を開始します。そちらはお任せしますよ?』
『任せよ。……特にこちらでする事も無いのだがな?』
そして私たちは互いに短い言葉を交わし、通信を終える。
馴染の深い訳でもない、しかし大きなこの街で、私は数少なすぎる知り合いを探すか、素直に港湾維持局の局員を探すか、少し迷う。
見上げた空では、太陽が直上に掛かろうとしている。
もう昼になる、か。
考えるまでもなく局員を探してカーツに取り次いで貰うか、なんなら直で責任者の……誰だったか、ああ、確かテイラー氏か、そちらに繋いで貰うのが確実だ。
しかし私は、記憶に残るとある場所へと、足を向けるのだった。
昼食時の飲食街。
確かここは
とは言え、そんな毎度同じ場所で昼を取っている訳も無いだろうが、ダメ元で足を向けてみた次第である。
「肉串盛り合わせ追加で! あ、あとエール……はマズいか、コーヒーくれ!」
ダメ元で立ち寄った先で、ダメな大人の見本みたいな見慣れた大男を見つけてしまった。
なんだろう、今の気分を口語にするなら「ホントにヤだ」と言った所か。
もう、無視して港湾維持局の方へ直接行ってしまった方が良い気がする。
「……カーツさん? お仕事中では無いのですか?」
とは言え見掛けてしまったし、なまじ見慣れない旅人衣装な私をさり気なく不審者か確認している様子も有ったので、私は露骨に溜め息を
「あん? なんだアンタ? 俺の知り合いか?」
フードに隠していたとは言え、近寄って声まで掛けたというのに、気付いては貰えなかった。
まあ、立場上この港で毎日何百人と見ている訳で、いちいち私の事など覚えていないのも無理のない話だ。
理解は出来るものの、些かムッとしてしまったのも事実。
「つれない方ですね? つい3ヶ月前ですか? あれほどお話しした仲だと言うのに」
私はフードを上げて、無表情な顔を晒す。
「……? スマン、ホントに誰?」
顔まで見せたのに、カーツは私を思い出せない。
客船沈没の生き残りを運んだ私は結構なインパクトを残したと思ったのだが、流石に自信過剰だったか。
或いは、もっと大事でも起きていたのか。
「たいちょ、隊長。この人アレです、客船事故の時の。……ザガン人形っすよ」
人知れず落胆する私を置いて、カーツの隣の席の男がこっそりと耳打ちする。
人形の耳はとても良いので、わざわざ小声で告げた言葉も全て聞こえてしまっている。
耳打ちされた方は、一度その男の方を振り返り、それから見上げるようにして考え込んだ後、私の方にもう一度顔を向ける。
「……あ? 確か、マリアって言ったか? 何だお前、メイドはクビにでもなったか?」
「誰が失業者ですか」
思い出した途端に失礼な男に、私は不機嫌な声を抑える事が出来ない。
今現在、仲間が近くに居なくて良かったと、私は心底安堵するのだった。
昼食を終えるまで待てとぞんざいに言われた私だが、ただ待つのも味気ない。
適当に席を確保し、通り掛かったウェイトレスに声を掛けてメニューを貰い、何故かここでも見掛けた「港町の海鮮焼きそば」を注文してしまう。
この世界、焼きそばは意外とスタンダードな食べ物なのだろうか。
素朴な疑問を抱えつつも美味しく頂き、ついでに勤務時間中の皆様の目の前で堂々とエールを飲んで反感を買ってみたりと楽しんでから、外回り局員の皆様と連れ立って歩き出した。
「美味そうに飲みやがってコンチクショウ。んで、わざわざ声掛けてきたのは何だよ。ウチで働きたいとかか?」
「ですから、私は求職中では有りません。私が戻って来て、わざわざ港湾維持局の貴方に声を掛けたのです。ある程度の察しが付くのでは?」
「……厄介事かよ。なんだ、今度は商船でも沈んだか?」
歩きながら、私と外回り組の隊長は小粋な会話を繰り広げる。
まあ、厄介事と気付くだけでも大したものか。
私はわざと周囲を見回し、そして声のトーンを落とす。
「……アイセスブルトからの亡命者です。人数は22名。種族はドワーフ。この国で受け入れて欲しいのですが、私はここしか伝手が有りませんので」
流石に、即座の返答はない。
ちらりと視線を転がせば、難しい顔のカーツが私を睨んでいた。
「特大の厄介事じゃねえか。しかしまあ、アイセスブルトからって……お前、まさかあの国に入ったのか?」
「ええ、当然真っ当な方法では有りませんが」
「聞きたくねえなあ、おい」
いつしか、私は外回り組に囲まれて歩いている。
周囲の男たちは素知らぬ顔で、何なら隣の仲間と雑談などを繰り広げているが、その耳はきっちりと私の方を向いているのだろう。
「残念ですが、ここに至るまでの経緯はきちんと説明させて頂きます。責任者の、テイラーさんでしたか? 至急お繋ぎ頂ければ助かります」
私はとびきりの笑顔を向けるが、そんな魅力的な表情を向けられたカーツは心底嫌そうに顔を引き攣らせ、心持ち腰の引けた様子はなんだか逃げたそうに見えるのだった。
嫌がらせは笑顔でこそ効果を発揮します。私の教えは、きちんと息づいていますね。