コトノコーヒー 姉の呟き   作:みえふぁ

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一人増えるかもしれません

ドラマとか小説の中の喫茶店といえば「お客さん来なくて退屈ー」とかなんとか言ってたらフラっとお客さんがお店に現れて~みたいな流れをよく見るけど、現実じゃそううまくもいかない、少なくとも最近は忙しい。こいつをこの休み前後の目玉商品にしようと仕入れた二、三種は在庫の底が見え始め、休みに入る前になくなりそうだ。業者さんに予約してある分込みでも、休みが明けたらすぐなくなる勢いである。しかも向こうで手違いがあったとかで予定通りに入ってこないものもあって、この時期だけ一人くらい人を雇おうかとちょっと本気で検討し始めた。

 

喫茶店で短期のバイトとか、大学時代のウチなら多少給料が悪かろうが間違いなく飛びつく。実際大事なことは私たちの方でやるから、バイトの子にはちょっと普段より忙しい接客をしてもらうだけである。いいかもしれない、妹にも話したら同意してくれたので、今度からは一時的に店員が一人増える可能性が出てきた。バイトの募集ってそういうサイトとかにお願いすればいいのだろうか。こんな個人経営の喫茶店で短期のバイトなら、店の前に張り紙貼っときゃええんやろか。しかしバイトも雇うお金も必要となれば、もっと計画性をもって仕入れなきゃいけないのだ。少なくとも今のように、あれがいい、これもいいなで仕入れまくってちゃあ、いけない。まあ我々もいい加減大人にならないとダメなのだろう。

 

さて、うちのお店はコーヒーを大きめのカップ一杯にたっぷり注ぐので、たぶん、よそのお店より一杯頼んだときの量が多いと思う。ウチは「コーヒーを一杯」って言ったら、カップにおける適量の限界、ある程度余裕をもったものを一杯と言うのだけど、葵はカップなみなみのギリギリを一杯と呼ぶ。お店のコーヒーを淹れているのは葵なので、当然、お店に出てくるコーヒーはたっぷり入ったものになるわけだ。このへんの感覚の食い違いのせいで、例えばウチが葵に「コーヒー半分おねがーい」と言うと、想定していた量より少し多いものが出てくる。これはどうも、葵の「コーヒーは多い方が嬉しい」という感覚が根本的な理由なのではないかと、私は勝手に考えている。私はある程度飲んだら満足だけど、あの子に適量なんてものはない。限界はあれど、飲めれば飲めるだけ嬉しいのだ。まあいくら好きなものでも飽きるものは飽きるのだろう。

 

おいしいもので飽きるといえば、いつだったかに親戚一同でたっかい料理を食べに行ったとき、一口目はこんなものがこの世に存在してたんかと驚いたけど、食べ進めてるうちに飽きてきて、こんな短い時間で舌も慣れるもんなんやなあと思ったことがある。焼肉だって一口目が一番おいしい気がする。やっぱり我々みたいな一般人には、適量というものがあるのだろう。それでいいのだと思う。

 

もしバイトで来るならどんな人なんだろうと想像するのが、最近クセになっている。コーヒーが好きでたまらない葵みたいなタイプか、喫茶店というオシャレな響きに惹かれてやってきたウチみたいなタイプか、それともどちらでもない第三勢力か。もしこのブログを読んでて応募してみたいけど、コーヒーのことよくわからないって人は、安心してください。葵は我々みたいな素人に理解のある良い子です。「私も美術館に通おうとは思えないし、ドラマ見ていても演技の良し悪しとかわかんないし」と言えるとても良い妹です。まあ次の長い休みってなると結構先の話なんやけど、ご興味のある方は今のうちにでも、言ってくだされば対応します。

 

 

 


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