コトノコーヒー 姉の呟き   作:みえふぁ

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本編をもとにした小説パートになります
本編でぼかしたキャラクターの名前が出ます
読まなくても本編を読む上で問題はありません








ある日のお店
行きつけのお店


 結月ゆかりは、普段より軽い足取りで帰り道を進んでいた。火曜日は、自分と友人、二人の放課後が空いていて、あの喫茶店が営業している唯一の平日である。水曜日も放課後に予定はないのだが、目的の店の定休日だから仕方ない。

 単純に考えれば週に1回だが、高校生の小遣いとコーヒー1杯の値段を考えれば、行ける日は月に3回程度になる。そして、今日がまさにその日なのだ。

 学校の授業をそわそわと落ち着かない様子でやり過ごし、ホームルームが終わるとともに教室を飛び出して別のクラスの友人と合流すると、そのまま後ろを歩く友人のペースを考慮していないような早足で校門を出た。

 

「今日はまた急いでるねー。何か新しいのがあるの?」

 

 ゆかりの早足に置いてはいかれない程度に足を動かしながら、ゆかりの友人、弦巻マキが尋ねる。

 マキの質問に反応したゆかりは速度をゆるめ、歩きながら体ごと彼女の方へと振り返った。

 

「そりゃあもちろんですよ!聞きたいですか?」

 

 疑問形ではあるが、普段は見せない期待に満ち溢れたその表情は『ぜひ聞いてくれ』と訴えている。苦笑を浮かべながら、マキは「じゃあ聞いてもいい?」と友人の要望に応えた。

 ゆかりはその言葉を聞いて力強く頷く。今日一日中頭の中を巡り続けていたものを、ようやく口に出せるのだ。

 

「つい昨日アナエロビックが、ほら、前に話した豆をお酒の樽に入れて発酵させるやつ、あれが入ったらしくて」

「ああ、あの言ってたやつ。おいしいの?」

「前飲んだやつは美味しかったので、今回も期待しているんです。あの人が選んだものならはずれもなさそうですし」

 

 マキ自身はコーヒーに特別興味があるわけではない。適当な相槌を打ちながら、目の前にあるゆかりの顔を見つめ、楽しそうな人の目ってほんとに輝いてみえるもんなんだなあ、とよそ事に意識を飛ばしていた。

 しかし、話題を変えようとはしない。この友人は、コーヒーについて話し始めたら店に着くまで止まりやしないし、話を無理に切り上げさせようとすると分かりやすく落ち込んだ表情をすることを、彼女は知っている。

 今の自分がすべきことは薄い知識で適当に話を合わせながら、前見なよー、と未だこちらを振り返りつつ歩く友人に注意を促すくらいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10分も歩けば、目的地にはたどり着く。この店に来て最初の3回くらいのうちは、ゆかりは何故か店の前を一度通り過ぎたり、扉の前で立ち止まったりと、なかなか素直に入れないでいた。店構えが高校生に入りやすいものでないことは確かだが、誘っておきながらさっさと店に入らない彼女にマキも呆れていたが、ある日を境に急にすんなりと入れるようになっているのだからわからない。

 それなりに長い付き合いのつもりだが、この友人にはいまだよく理解できない部分があることを、マキは感じていた。

 そのころのためらいが嘘のように慣れた様子でゆかりがドアを開ければ、耳に入るのはいつもの声だ。もっとも、いつものような歓迎の言葉ではなかったが。

 

「まあまあ、もうお店の一員みたいなもんなんですから。ちょおっとぐらいいいでしょ?」

「もう、勘弁してくださいよ。僕はそんな面白い人間でもないですし」

 

 マキがゆかりの後ろから店内をのぞき込めば、カウンターの向こうで店員の女性が、同じくカウンターの向こうで対面に座る男性に何やらお願いをしている姿が目に映った。もう少し顔を出して周りを見渡してみれば、ほかに客はいないようである。

 

「そんなことないですって!ね、悪いように書くわけやないんですから…あ」

 

 そこまで言ってその店員、琴葉茜は、マキたちの来店に気づいたようだ。顔を彼女らの方に向けると、笑みを浮かべた。

 

「おーいらっしゃい!そろそろ来る日かなあとは思っとったんよ」

「あの、なにかお話の途中のようなら、そちらを先に…」

 

 そこで茜の向かいに座っていた男が、これ幸いとすばやく隣に置いてあったカバンを手に取り、立ち上がった。

 

「じゃあお客さんも来られたみたいですし、僕はこれで」

 

 そう言うと彼はカウンターの外に出た。そして、マキとゆかりの隣を通り過ぎながら二人に軽く会釈をし、そのままそそくさと店を後にしようとする。

 その背中を引き留めようと、茜が声を上げた。

 

「あ、ちょっと、待ってくださいよ!返事しないなら、適当にあることないこと書きまくりますよー!」

「悪いように書かないんじゃなかったの」

 

 カウンターのさらに奥で妹の葵が言葉を漏らすが、そのつぶやきは姉の耳に届かない。茜がまた何か言おうと口を開いたところでドアが閉まり、その上部分に取り付けられたベルのカランコロンという音が、口から出かかった茜の声をかき消す。扉越しに男の背中を見た彼女は、肩の力を抜き、一つ息を吐いた。

 

「相変わらずガードが固いなあ伊織さんは。あんなにケチしやんくてええのに」

「今日はちょっと疲れてる風だったしね」

 

 そんな会話を聞きながら、蚊帳の外に置かれたマキとゆかりは互いに顔を見合わせる。マキが首をかしげてみれば、ゆかりもよくわからない様子で首を振る。

 その二人を見て察した茜が二人に説明を始めた。

 

「さっきの人はコーヒー卸してくれる商社の人なんやけどな、ぜーんぜん許可くれへんのよ、ブログに載せるやつ」

「ああ、あの人が」

 

 ゆかりが頷く。隣のマキも納得がいったように「へー」と間の抜けた声を出した。

 毎日念入りにチェックし何度も読み込んでいるゆかりほどではないが、この店のブログはマキも読んでいる。そこに店の仕入れに関わっている業者の人が何度か登場していたおぼえがあった。読んでいながら何となく女性だと想像していた彼女は、先ほどの低い声を思い出し、男の人だったんだ、と意外に思う。しかし男性のわりには華奢だったよな、と彼が出て行ったドアの向こうに目をやれば、すでにその姿は見えなかった。

 

「あの、ちょっとお先に、お手洗い借りてもいいですか」

 

 その言葉を聞いて視線を戻せば、少し恥ずかしそうに胸のあたりで小さく手をあげている友人の姿が目に映る。

 

「あれ、トイレ行きたかったなら学校で行けばよかったのに」

「早く着きたかったんですよ…」

「なんじゃそりゃ」

 

 店に着いてから済ませようと早くコーヒーを飲めるわけでもないだろうに、何を言っているのだろう。そんなマキの疑問をよそに、ゆかりはとっととトイレに入ってしまった。

 置いて行かれたマキは、二人のときのいつもの席に向かう。カウンターのすぐ隣のテーブル席だ。

 はじめの頃は、ゆかりがカウンターやその近くの席を嫌がって、店内の隅の方にある、窓のないテーブル席に座っていた。その頃のことを考えれば、今のゆかりがお店の人と楽しそうに会話をしているというのは大きな変化だろう。自分ともたまたまきっかけがあって仲良くなったのであって、基本的に人との関わりを避けるタイプだと思っていた。そんな彼女が、行ける日を心待ちにするほどこの喫茶店にハマってしまったのだから驚いた。これが好きなものの力ということだろうか。

 

「んで、今日はなんかお目当てがあってきたん?」

 

 茜は、マキが席に座るのとほとんど同時に、持ってきた水とおしぼりをテーブルに置くと、そう尋ねた。

 

「私はいつも通りだけど、ゆかりちゃんは、えーっと、何か言ってた気がする」

 

 ここに来るまでにゆかりが散々喋っていたことなのだが、マキは話半分に聞いていたためよくおぼえていなかった。

 

「お、もしかしてお酒のやつ?」

「そう!お酒のやつです!」

「っしゃあ当たり!」

 

 予想を的中させた茜は、得意げな顔のまま葵の方へ振り返って続ける。

 

「葵!なんて名前やっけ!」

「アナエロビックだよ」

「あー、そんな名前だった気がします」

 

 もっとも、そう言うマキの記憶はおぼろげなものなので、どんな名称を聞いたところで『そんな名前だった気がする』のだろうが。

 先に自分の分だけ注文しておくのは気が引けるが、かといって適当な記憶で勝手に注文してしまうわけにもいかない。ゆかりが戻ってきてから一緒に頼むことにしようか。そう思い、いつものクセでカバンからスマホを取り出し画面を見ると、メッセージの受け取りを知らせる通知が映っていた。

 それを見たマキは思わず吹き出し、そのままテーブルに突っ伏して肩を震わせる。

 

「え?え?マキちゃんどうしたん?」

 

 彼女の異変に気付き心配そうに近寄る茜に、マキは顔を伏せたままスマホの画面を茜に向ける。覗いてみればそれは、メッセージアプリのトーク画面だった。相手の名前は『ゆかりちゃん』で登録されている。

 

『アナエロビック』

『代わりに頼んどいて』

 

というメッセージがゆかりから送られてきている。

 

「ああ、あおいー、アナエロビックとホイップカフェオレやってー」

 

 画面を確認した茜が、カウンターからこちらを見守っていた葵に注文を伝える。

 

「え、あ、うん。その子大丈夫なの?」

「わからんけど、多分」

 

 いまだにテーブルに伏せているマキに怪訝そうな目を向けながら、茜が返した。

 トイレに入ったゆかりが、マキに代わりに注文を頼んだ。何があったのかは把握できたが、目の前のこの子がずっと笑い続けてるほどの理由がわからない。

 

「あ、マキさん。頼んどいてくれましたか?」

 

 しばらくしてゆかりが戻ってきた。マキの反対側に座り、荷物を横に下ろしながら聞く。

 マキも笑いが収まってきたようで、一つ大きく息を吐くと、顔を上げた。

 

「うん、うん」

 

 しかし、ゆかりの顔を見てまた笑いがこみ上げてきたようだ。あまり多くしゃべると吹き出してしまいそうで、口元に力を入れて、ぎごちなく首を縦に振ることが精一杯だった。

 

「マキさん?どうかしましたか?」

 

 ゆかりもその様子がおかしいことに気がつき、尋ねる。それをきっかけにマキの我慢は遂に限界を迎え、再び笑い始めた。

 

「だ、だって、ヒヒッ!わざわざトイレから、フッ、アハハハ!」

「え、そんなに笑うことですか?」

 

 顔を赤くし笑いを堪えながら、マキは乱暴に首を振り頷く。

 友人の突然の変化についていけないゆかりは、カウンターの茜の方を見て助けを求めた。茜もそれを受け取って、口を開く。

 

「いや、そらマキちゃんの気持ちも多少はわからんこともないけど、そこまで笑うことやないんちゃう?」

「え、別におかしなことじゃないでしょ」

「え?」

 

 茜の言葉に反応したのは、そのすぐ後ろでコーヒーを淹れている葵だった。

 

「そりゃ、楽しみだったらトイレでもどこからでも連絡しますよ」

「ですよね!」

 

 ゆかりが声を上げて葵に同意を示す。そこに再び落ち着きを取り戻したマキが口を挟む。

 

「絶対ゆかりちゃんと葵さんがおかしいだけだって!」

「いやまあそうなんやけど、マキちゃんも笑いすぎやと」

「おかしいおかしいって言いますけど、少なくともここじゃ半分の意見ですからね!」 

「あーもう!また話がややこしくなる!」

 

 結局その言い合いは、コーヒーを口にしたゆかりがその味に関心を向け、葵がそれに同調し話がうやむやになるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マキはカップを置いて店内を見渡す。ゆかりと葵はコーヒーの話で盛り上がっている。それが落ち着くのを待って今度は学校の出来事などを話すというのが、いつもの流れだった。それまで自分はホイップクリームを溶かしながら音楽に耳を傾けるのだ。茜は何か作業をしたり、たまに二人の話に入っていったりする。

 しかし、何か違和感が拭えない。この店の内装はまあまあな頻度で変化がある。きっとそれのせいだろうと目を凝らし続けて、気づいた。

 

「招き猫の場所変わった?」

 

 それは、少し前から置かれた置物だった。茜のブログが発端で一時期小さな店の中でブームとなり、レジの横から存在感を放っていた招き猫である。縁起物らしからぬコミカルな顔をしたそれは、カウンターから店内の隅の窓際へと居場所を変えていた。

 

「ああ、もうメニューにも書いたし、実質御役御免みたいなもんやからな」

「あ、ほんとだ。変わってる」

 

 ゆかりが葵との会話を中断して反応し、葵もそちらの話に加わる。

 

「でも、なんであんな端っこなんですか?」

「ねー、せっかくの貰い物なんだから」

 

 ゆかりに同調する葵の言葉を聞いて、茜が苦い顔をした。

 

「半分押し付けられたようなもんやろ。おかげで変なのも流行ったし」

「ああなったのはお姉ちゃんが原因でしょ」

「ぐっ…」

 

 言葉を詰まらせる茜を見ながら、ゆかりはふと思い出す。

 

「そういえば私、その人と会ったことないです」

「あれ、そうだっけ?」

 

 その人、というのは招き猫の送り主のことだろう。

 向かいのマキが疑問符を浮かべているようなので軽く記憶を掘り起こすが、やはりゆかりにそれらしい憶えはなかった。

 

「あんときはマキちゃんだけやったな。えーよあんなもん見やんくても。学生に見せても教育に悪いだけやわ」

 

 茜が呆れた口調で返すが、ゆかりにはその声が、少しの朗らかさを含んでいるもののように聞こえた。多分、口で言う程悪く思ってはいないのだろう。

 一度ため息が挟まり、言葉が続く。

 

「まあしばらくは来やんやろうし、少なくとも今日は出くわさんで済むんちゃう?」

「今日アリアルさん来るんじゃないの?」

 

 葵のその発言に茜が、は?と間の抜けた声を漏らした。

 

「なんやそれ、普通に仕事とちゃうん?」

「連絡入ってたよ?お姉ちゃんの方にも届いてるもんだと思ってたけど」

「あいつのことやしわざとやろな。ほーらゆかりちゃん、コーヒーも飲んだことやし早う帰ろか」

「まだ残ってます」

 

 突然急かし始める茜の様子に、ゆかりのその人物への興味は大きくなっている。

 それを察したマキが横から口を挟んだ。

 

「普通にいい人そうだったけど?せっかくなら待ってみる?」

「だめよあんな奴。何か悪影響あったら二人の親御さんに申し訳立たんし待つなんて」

 

 そこまで出た声はしかし、ドアが開いたことを知らせるベルの音でかき消された。

 それを耳にした茜は会話を切り上げて素早く振り返る。ゆかりとマキもつられてその視線の先に目をむけた。

 白く長い髪をした女性が、閉まるドアを背に立っていた。その女性は黙ってカウンターをじっと見つめ、今度は隅の窓の方に視線を移す。そして茜を見つけると、口を開いた。

 

「あの猫、あんな場所に置いちゃあ可哀そうだろう。元に戻しなよ」

「来やがったなアホッタレが」

 

 女性、アリアルは茜の言葉に何を返すでもなく一直線にカウンター席に向かって歩く。茜もそれ以上は何も言わずにカウンターへ入り、まだ席に着いていない彼女におしぼりを軽く放り投げた。アリアルはそれを危なげなく受け止めると、そのまま椅子に座る。

 水の入ったコップを渡しながら茜が聞く。

 

「何でウチに言わんかった」

「ちょっとした悪戯心だよ。まあおかげで」

 

 そこまで言って、こちらのテーブル席を見てきた。マキを軽く確認し、ゆかりを目で捉えて口角を上げる。

 

「文章越しにしか知らない子と直接会えた。知ってたらさっさと帰らせてしまっていたんだろう?」

「あたり前やろ教育に悪い。こっち向けや」

 

 アリアルは前を向かずにゆかりを見つめながら会話を続けていた。

 目が合っている。後ろに視線を動かしてマキに助けを求めることもできない。

 

「やあやあ、私はアリアルだよ。名前だけでも覚えて帰ってね」

「おいこら喋りかけとんなアホが。お前は金輪際あの子らとの会話禁止や」

 

 茜がカウンター越しに腕を伸ばして両手でアリアルの顔を挟み、強制的に前を向けさせた。

 不満げな表情を浮かべ、頬を挟む手を外す。

 

「ちょっとの交流ぐらい健全なものだろうに」

「お前が相手な時点でアウトやわ!」

「客同士の会話を妨げる喫茶店なんて前代未聞だねえ!」

 

 店内が一気に騒がしくなったように感じる。先ほどまで静かだってわけではないが賑やかという程度であって、騒がしさを感じるほどのものではなかった。

 喫茶店らしい雰囲気ではないが、悪くもない。そうした空間が苦手だと思っていたが、案外受け入れられている自分をゆかりは意外に思っていた。

 部屋の中心にある振り子時計で時間を確認する。私はあとどのくらい、ここにいられるだろうか。

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