「おーでかした。さっさとそれをこっちに」
「でかしたちゃうわアホが」
アリアルが柵越しに腕を伸ばし、茜がそれを叩き落とした。
叩いた方と反対の手には1枚の紙幣があり、彼女はそれを伸ばされた手から遠ざける。アリアルの「ああっ」という声を尻目に指で挟んだ紙幣をヒラヒラと揺らしながら口を開いた。
「こんな夜中に何かと思ったら、知らん場所で酔っ払って財布なくすてどうなってんねん」
「何の気なしに歩いてたら気が付いたらここにいてねえ」
「お前歩いてここまで来たん!?」
二人が話している場所は、地方都市とはギリギリ呼べない程度に発達した地域の郊外の、そのまたはずれにある駅だ。
そろそろ日付を跨ごうかという遅い時間であり、駅以外に明かりはほとんどついていない。
「優しい友達持てたことに感謝しろよ。できれば次はメロン以外でな」
茜がそう言いながら手を差し出して紙幣を渡す。
アリアルもそれを受け取りながら返す。
「もちろん。今度の仕事先で色々見繕っておくよ」
アリアルは受け取った紙幣を二つ折りにしてポケットにしまった。
地方の夜中の駅だ。茜がここまで来た電車がついさっきなのだから、雑談をしてから切符を買うくらいの余裕ある。無人駅なので二人以外には誰もいない。
どうせもう今日は遅いのだし、多少帰る時間が遅れてもいいだろうと、茜は話を始める。
「こんなバカなことばっかしとって、ミリアルちゃんも心配するんちゃう?」
「妹は大丈夫だよ、私がどういう人間か知っているし。こういうとき面倒なのはどっちかって言うとアベルーニの方だねぇ」
「面倒てお前。心配してくれとるんやからさあ」
「大丈夫だって何回も言ってるのに心配しすぎなんだよ」
しかし、アルコールに侵された赤ら顔で柵にもたれかかる彼女を目の前にしている茜に対して、その言葉は説得力をもたない。自分が来なければ今頃どうなっていたことか、と考えるが、すぐに思い直す。
アリアルはそういう人間なのだ。好き勝手にやっているようで、ギリギリ他人に助けてもらえる範囲内で遊んでいる。助けてくれる人間がいることを無意識に把握しながらやっているのだ。
それでも徹底的に図々しいかと言われればそうでもなく、しっかりと感謝もしていくのだからタチが悪い。
「それに、茜もなかなか心配されてるじゃないか」
ぼーっと考える茜の耳にアリアルの声が挟まり、意識が現実に引き戻された。
「ウチが誰か心配させたか?」
「え、葵ちゃん」
怪訝そうに聞き返す茜に、アリアルも不意をつかれたような声色で反射的に口にする。
「は、葵が?いつ?」
「ずっとに決まってるだろう…。え、ほんとに気づいてなかったの?」
「え、は?知らんけど。なんで」
「そりゃあ大学の頃に比べればだいぶ良くなったけど。はー知らなかったんだあ。はー」
呂律の回っていない声でとぼけたような反応を見せるアリアルとは逆に、茜は深刻な表情を浮かべながら俯いている。
いつ、妹を不安にさせてしまったのだろう。姉として頼れる存在であろうとしてきたつもりだった。完璧な姉ではなかっただろうが、ミスをして呆れられるようなことはあろうとも、心配されるほどのことをしただろうか。
「一応聞いとくけど、ちっちゃいことじゃないよな?」
「んまあ、小さくはないね。ボクもずっと気にはなってたし」
「何かしたんやろか」
「うーん、何かしたって言うより」
アリアルは手を口元に添え、考えこむような仕草をとる。
対面の不安げな茜の瞳を見つめ、口を開いた。
「つまらなさそうだった」
「…ん?どういうこと?」
「あの、何だろうなあ。ゼロからじわじわマイナスに寄っていってる感じというか…」
理解できていないであろう茜にアリアルも何とか言葉にしようとするが、酔いと眠気で頭がうまく回らない。
少し頭を働かせて、これは無理だと彼女は自分の脳に早々に見切りをつけた。
「とにかく退屈そうだったんだよ。葵ちゃんにも相談されたしねぇ」
「何それ聞いてないけど」
「言うはずないだろう。今私が言っちゃったわけだけど」
「…何かよう分からんしもうええわ」
「うんうん賢明だね。私たちはどうせ悩んでも仕方のない人種だ」
一緒にすんな、という喉まで出かかった言葉はすんでのところで抑えられる。理由は単純で、やはり自分もアリアルと同じ人種だからだ。
「そっか、心配させてたかあ」
「保育のときなんか特にひどかったね。でもさっきも言ったけど、今はだいぶ良くなったと思うよ」
アリアルは、茜の目が潤んでいることに気づく。口に出してからかってやろうかと考えたが、やめた。
今言わなくとも、何年後かに何も知らなかった間抜けが泣いていたなどと言って、からかってやればいいのだ。
「そうかなあ。でもそれって結局葵のおかげやんなあ」
「そんなもんだよ。姉といえど、妹には迷惑をかけるものさ」
その言葉に茜はクスリと笑いを漏らす。
先のものとは打って変わって、今度はえらく説得力がある。
「気張りすぎだよ、茜は。どうせそんなに賢くないんだから」
「やかましいわ。それに、ウチは少なくともお前みたいに、自分から迷惑かけにいくようなことはせんからな」
「私だって好き好んで迷惑かけてるんじゃないよ。私が自由にしていたら周りが勝手に色々やってくれるだけさ」
「お前も大概やな」
「まあとにかく!」
アリアルが手を鳴らしながら声を上げ話を切り上げる。その声と音は夜中の片田舎に小さく響いた。
「姉妹なんてそんなものさ。それにボクたちはどうせ双子なんだし、やたらと気にしちゃいけないよ」
「お前は極端やと思うけどな。…あ」
「うん?」
茜の様子に何かと彼女の目線をたどれば、駅前に設置された時計があった。次の電車の時間までそう長くない。
「夜中に湿っぽい話はあかんな」
「あらら。じゃあさっさと切符買ってくるかな」
「おう、はよせえよー」
券売機へ向かうアリアルを見送ると、茜は深くため息をついた。そのまま脱力し、柵にもたれて体重を預ける。
アホの面倒を見に来てやったつもりが、逆に何か助けられた気分だった。
虚空を見つめもの思いに耽る彼女の隣で、改札機の動く音がする。
「じゃ行こうか。はいおつり」
「はいはい・・・待てそれお前」
手渡された小銭を確かめる茜は何かに気が付き、上着のポケットに切符をしまおうとするアリアルの腕を掴んだ。
そして、彼女の手にある切符を取り確認する。
「え、何さ。一銭だってちょろまかしていないよ?」
「お前これ一駅分余計に金払っとるやろ」
「あホントだ」
「あとでその分も返せよ」
「ケチくさいねぇ相変わらず」
アリアルは返された切符を受け取りながらケラケラと笑う。
茜はそれ以上何を言うでもなく黙り、少し俯いた。
そんな彼女の様子を見たアリアルが尋ねる。
「どうかした?」
「あの、あのさ」
「はいはい」
「ありがとうな」
最後の言葉は、小さく聞き取りづらいものだったが、アリアルの耳にはしっかりと届いた。
電灯に照らされた茜の顔をよく見てみれば、その表情は真っ赤に染まっている。酒のせいで赤ら顔なアリアルと大差ないほどだ。
今度こそからかってやろうか。しかしまあ、顔を赤くしながらも感謝を述べてくれたのだ。こちらもやはり数年後の楽しみということにしておこう。
「じゃあお礼として余分のお金返すのはナシってことで」
「それとこれとは話が別やな」