コトノコーヒー 姉の呟き   作:みえふぁ

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異物がもたらしたものは

 ドアを開く彼女の体は小さい。その分開ける幅も小さく、店内に響くドアベルの音も同様に小さく、静かなものだった。

 それが小さくとも響いたのは、他に誰の話し声もなかったことが理由だろう。この場所では聞きなれたが、年代ではないその曲が薄っすらと漂っているだけの空間では、わずかなベルの音でさえ存在感を主張できる。一瞬、ほんの一瞬、彼女の背後にその空間に似つかわしくない騒がしさがあったが、ドアが閉まるとともにそれは消えてしまった。

 

「あ、こんにちは」

「はいこんにちは」

 

 来客を認識した店員、琴葉葵が手元の書類から顔を上げて挨拶をする。声をかけられた客は返事をしつつ、慣れた足取りでいつものカウンター席へと向かうと、その年相応の小さな体で器用に椅子へよじ登った。

 彼女が席についたのを確認して、葵はおしぼりと水、メニュー表を手渡す。姉曰く「この人はメニューいらんなって思ったら一発目に渡さんでええよ」とのことだが、未だ接客に慣れていない自分にはその判断はつかない。もっとも、判断できたところで、彼女の性格的に実行には移さないのだろうが。

 

「月読さんは、何か目当てがあって?」

「まあ、とくには決めてきてないかな」

 

 その客、月読アイは、少し考えてから曖昧に返答した。目当てが全くないわけではないが、きっとその可能性を示せば、目の前の優しい店員はそれ以上何も口出しせずに注文を待つのだろう。しかし、それでは面白くない。

 他のことで葵の手が空いていないようなら真っ先に目当てのものを注文し、そうでなければ彼女のおすすめに任せる、というのがアイの中での決まりになっていた。

 案の定、葵はその返答に表情を明るくし、カウンターから身を乗り出してメニューを指さす。

 

「こっちのマウベシ、あ、そう上じゃなくて下の方のですけど、良かったです。値段も控え目でけどそのわりに味は良くて、あとたぶん月読さんの好みだと思います。あそうだ、まだメニューに載せてないんですけど、新しく入ったレッドマウンテンが、あ、ケニアなんですけど、こっちは好みから外れるかもしれませんが苦手までもいかないと思いますし、なかなか特徴的な味をしているので飲んで損はしません、一考の価値はあると思います」

「なるほど」

 

 まくしたてる葵にアイが軽く相槌を打つ。傍から見れば生返事にも聞こえるがきっちり話の内容は頭に入っている。それに、楽しそうな彼女の話を遮ってまで相槌を打ちたいわけでもないのだ。

 しかし、話を聞いているうちにあることを思い出し、アイは不意に「あ」と声を漏らしてしまった。

 

「でも目当てなしならあまり高いのも…どうかしました?」

「え?あ、うん…」

 

 中断させるのも悪いと思っていた矢先にこれだ。ほんの少し後ろめたさを覚えながら、彼女は事情を話すことを決める。この流れで言わないというのもおかしいし、絶対に言いたくないわけでもない。

 しかし、きっとこれを葵が聞けば、今日のおすすめのコーヒー話は一時中断となるのだろう。それに少しばかり惜しさを感じながら、アイは口を開く。

 

「ふたりがお店のまえでじゃれあってたよ」

「二人…ちょっと待っててください」

 

 しっくりきていない表情をしていた葵も、内容を理解して顔色を変えると、すぐにカウンターを出て外へと向かっていく。顔色を変えたと言っても血の気が引いて青くなったわけではなく、むしろその逆で真っ赤になっていたが。

 アイは葵を目で追って、本来背中を預けるべき場所に肘をつきながら、椅子の上で体ごと振り返る。彼女の視界の中で、葵は怒りと羞恥のままに力いっぱいドアを開いた。大きく開け放たれたそこから、何かを言い争っているような二人の女性の声が聞こえる。乱暴に揺らされたドアベルも、その雑な扱いに抗議するかのように大きな音を奏でた。

 

「何やってんの!」

 

 出ていく葵のその声を最後にドアがガシャンと閉まり、先ほどまでの騒がしさはピタリとやんだ。ドアベルだけがその余韻を残している。

 姿勢をもとに戻す。水の入ったグラスに口をつけながら、大した防音性だな、とアイは呑気に考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラスを片手に壁に飾られた自分の絵を見て、あそこだけでも書き加えておけばよかったなと反省していると、ドアが開いた。入って来たのはやはり、新しい客ではない。

 さっき出て行った葵と、それに続く女性が二人。

 

「いやでもさすがにさ、あれはないやん。文字読みにくくてしゃーないわ。お前センスどうなっとるん?」

「はあ?あんな下手な絵描くような人間にセンスがどうとか言われたくないんだけどねえ」

「お前のも大した差ないやろ。その上ご丁寧に消してから描きやがって」

「より良いものにしてあげたんだから、感謝こそされどそんな顔される謂れはないだろうに」

 

 先ほどのように騒がしくはないものの、未だ何か言い争っている。

 二人のうち片方は、アイも見慣れた店の人間、琴葉茜だ。

 そしてその隣で憎まれ口を返している彼女、アリアルにも見覚えはあった。しかしそれは基本的に私服姿のもので、ちょうど隣の茜のように髪を後ろで束ねエプロンをつけた格好は、やはり珍しいものである。現在諸事情あってここに住み働いているということは知っているが、その前にも確か一度、勝手に店を手伝う彼女が似たような姿をしているところは見たことがあったはずだ。

 店に入ってからも言い合いが続いていると、葵がくるりと振り返った。それに気づいた二人は彼女の表情を見て、ピタリと硬直する。

 

「もうその話は終わり」

「はーい…」

「ごめん」

 

 萎縮する二人の様子を眺めていたアイは感心する。よくもこの二人をここまで上手く制御できるものだ。

 アリアルの方は言わずもがな、そんな彼女と共にいるせいか、普段はある程度の分別がある茜の暴れっぷりも結構なものになっているように見えた。逆に言えば、触発された程度でアリアルと同レベルにはっちゃけられるということでもある。きっとそれは、今までは眠っていた彼女の素質のようなものがあったことが理由なのかもしれない。

 そのまま眠っていたほうが常識的で良かったと思うか、今の姿の方が健康的だと思うかは人それぞれだろう。しかし少なくともつい先ほど彼女が、それが原因で妹から大目玉を食らったというのは、確かな事実だった。

 

「あれ、アイちゃんやん」

「おや本当だ。いったいいつの間にお客さんが」

「ふつうにお店のドアあけて入ったんだけどね」

 

 叱られて多少しょぼくれていた茜が、ようやくアイの存在を確認し、アリアルもそれに続いて驚く。

 店の前に設置されたウェルカムボードの前で騒ぐ二人の前を通って入店したのだが、どうやら少しも認識されていなかったらしい。小さい体ではあるし、わからないものかもしれない。適当に推測しながら、アイは袖をひらひらと振って答えた。

 そんなやり取りをしている間に、店の奥から戻って来た葵がアイに話しかける。

 

「すみません待たせちゃって」

「いいよ。まよってたところだったし、かんがえる時かんもできてちょうどよかった」

 

 実際はおすすめを一通り聞いた時点で頼むコーヒーは決めていたのだが、そんなことは少しも言葉に出さないまま返す。そのまま注文をして、もう一口水を飲んだ。

 そして、カウンターに戻って来た茜とアリアルに、アイが会話を振る。

 

「ねえおふたりさん、ちょっとはなしあい手になってよ」

 

 呼ばれた二人はその言葉に反応して、待ってましたと言わんばかりにすぐ寄って来た。暇なのだろうか。もしかしたらさっきの言い争いも暇つぶしか、その延長線上のものとしてやっていただけなのかもしれない。

 

「まあ話し相手って言ってもなあ。ウチらコーヒーのことはようわからんし」

 

 茜の口から、およそ喫茶店店員にあるまじき発言が飛び出す。

 しかしアイは、少なくとも本人が言うほど茜に理解がないとは思っていなかった。コーヒーについて関心がないと言われれば、否定はしないが。

 

「そうだねえ、ああそうだ、この鹿とあそこの鳥の相性がすごいんだけどね」

 

 アリアルが指で示した先を見てみれば、カウンターの奥に鹿の、窓際に珍妙な顔をした鳥の置物がそれぞれあった。

 

「あいしょう?」

「そう相性。これが本当に奇跡ってぐらいのものでね」

「おっしゃアイちゃんにも見せたろっか。すんごいでこれ」

 

 茜がアリアルの言葉に同調しながら、彼女に何かを手渡す。それはさっき窓際に存在を確認したはずの、鳥の置物だった。アイがもう一度窓際に目をやれば、そこにはもう何もない。隣の窓際に配置された招き猫が、滑稽な顔を虚空に向けているのみである。

 いつの間に取って来たのだろうか。なぜ誰にも言われていないのに取って来たのだろうか。そしてなぜアリアルも、何の疑問もなくそれを受け取っているのだろうか。

 アイの疑問をよそに、二人はガチャガチャとそれらを弄り始めた。

 

「この鳥の口が開くんだけどね、こう」

 

 アリアルは手元の鳥のくちばしを大きく開かせ、珍妙さに磨きがかかったそれをアイに良く見えるように向けてくる。

 適当に頷いていれば、やけに精悍な顔立ちをした鹿の置物を持ってきた茜が、それをカウンターの上に置いた。鳥の置物より一回りほど小さく見える。

 

「そんでこっからが本番でな、こいつをこうひっくり返して」

「この口にこの位置から差し込むとね…ほら!」

 

 そうして二人が置物をカウンター上で組み合わせれば、逆さにされ立派な角と尻尾だけで己を支える鹿の上を向いた足に、開かれた鳥のくちばしが丁度よくはまったのだ。そしてそのまま倒れることなく安定している。二つの置物のサイズ差を考えれば、安定していることは不自然にも見える。よほどうまくバランスが整っているのだろう。

 そして、まるでイリュージョンでも成功したかのように大きく腕を広げてポーズをとる二人を見て、アイはとりあえず拍手で称賛を表すという選択をした。次いで言葉で二人を称える。

 

「いやあ、うん。すごいねこれは」

「やろ!?いやあ、これを見つけるのに研究しまくったからなあ」

「よし、待っていてくれ。この鳥の上にパイナップルってのがまた最高に」

 

 アリアルが言いながら振り返って、セリフが中断される。少し前から気がついていたアイは苦笑を浮かべた。

 何があったと茜も振り返れば、葵が注文されたコーヒーを片手に立っていた。

 取り繕った笑顔でもない、真顔。姉妹である茜はその表情から葵の怒りの深さを感じ取り、冷や汗を垂らす。

 

「お姉ちゃん」

「お姉ちゃんやで」

「在庫と仕入の計算お願い」

「了解」

 

 今朝やったけどな、とは言わない。言ってどうするというのか。

 葵は続いて、その隣の女に顔を向ける。

 

「アリアルさん」

「アリアルさんだよ」

「キッチンに貼ってあるメモの買い物、お願いできますか」

「お安い御用さ」

 

 あれ一人で持って帰るの?とは言わない。言っても結果は覆らないのだから。

 二人は置物をもとの場所に戻すと、さっさと退出していった。

 

「すみません本当に…」

「ははは、大じょうぶだよ」

 

 謝罪とともに差し出されたコーヒーを、アイは朗らかに笑いながら受け取った。

 そして笑顔のまま、それを二口ほど飲んでから続ける。

 

「いいじゃないたまにはこんな日も、ねえ?」

「六回目です」

「え?」

「置物のあれ、お客さんに見せたの、六回目です」

 

 アイの口からは今度こそ、乾いた笑いしか出なかった。

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