この前、葵が友達と一緒にそのまた友達の家へ遊びに行ったことがあった。せっかくならと、そっちでコーヒー淹れて飲むことになったんやけど、その子の家にはドリッパーもケトルも無く、コーヒーメーカーが置いてあるだけらしい。葵はちょっと迷ってたけど、結局豆だけこっちで挽いて向こうのコーヒーメーカーで淹れることにした。こだわろうと思って用具持っていこうと思うと結構かさばるし、ミルとドリッパーはともかくケトルはまあ邪魔だろう。ミルも粉が出ちゃうし、そもそも初めて行くお家に道具一式持っていくのはちょっとな、ってこともある。色々妥協した結果のコーヒーメーカーなんやと思う。その日の朝に3種類の豆を挽いて出ていった。
でまあ帰ってきた妹に話を聞いたら、葵としては満足のいかない出来になってしまったらしかった。そのコーヒーメーカーが何かで貰えた安物やったってことも大きいんやろうけど、3つとも似たような味になってしまったという。その場で特に指摘されたわけではなかったみたいやけど、それぞれが持っている味もぼやけてしまってたみたいで。違いが少し分かりにくかったんじゃないかと、帰ってからずっと言っていた。
そんなら今度からはケトル腰にでもぶら下げで持ってきゃええんちゃう?と提案したら「それじゃホントにコーヒーをファッションにしてるだけ」と呆れられてしまった。確かに、マジでコーヒーが好きな人間はもっと道具を大事にするか。間違っても、どっかにぶつけかねない腰に付けるなんてしやんやろう。アドバイスのつもりが、ウチの浅はかさが浮き彫りになっただけだった。
葵の基本は「おいしいコーヒーを飲んでもらいたい」である。それはお店もそうやし、お友達相手でも例外はない。こういうときの葵は、オーソドックスで飲みやすくて、でも一般のものより全然おいしいって感じのコーヒーを持っていく。ブラジルとかが基本の、葵の言う「いい子」ではないものばっかりだ。コーヒー好きが相手なら「いい子」をオススメするけど、ウチみたいな特別興味があるわけでもない人には、それが一番喜んでもらえるみたいだ。自分の好み以上に相手のことを考えてるのは葵らしい優しさやなあと思う。
あと葵が、その友達の友達に琴野さんって間違えられたらしい。未だによく間違えられるけど、そら中々気づけやんし間違えて当然やな。ややこしい店名やけどここまでこの名前でやってると、ちょっと愛着湧いてくる。あと未だにアホの言葉の影響が残ってるのか「コトノハコーヒー」は語呂が悪い気がしている。もういっそ開き直って「琴野珈琲」にしてやろうかな。