辛かったので連投です。本日2本目なので、こっちから見た人は全話からどうぞ
生徒会の空気が大変なことになっているらしい、とはエアグルーヴの話。結局凱旋門賞で負けたあいつは今まで以上に個人主義になって、レース以外でも近寄りがたい空気を醸し出しているらしい。言いたいことはあるけれど私にそんな権利はないので黙って話を聞くだけしか出来ない。
あれから、いまだに話をしてくれるのはタマとエアグルーヴぐらいだ。自分の人望のなさに情けなくなる。
押し付けられた手袋も返したし、もう心残りはない。ないはずなのになぜか納得出来ていない。もう、私が渡せるものは全部渡した。意味は違うかもしれないけど形見分けも済んだはずなのに。トレーナーも気づいてはいるんだろうけど、それでも口に出さないだけの思いやりを持ってくれているみたい。
そんな決着は付けたはずなのに、ぐるぐると意味のない考えが頭の中を回り続ける。なによりなかなか退院は許されないのがつらい。このタイミングで後遺症がないように、日常生活で問題が出ないように休息を強制されている。予定では十一月の頭の退院になるそうだ。それまで何してろって言うのよ。URAからも走れないのであれば学園を出ていくように、なんて通達が来るし、一応年内は待ってくれるらしいけど、それでもねえ?
凱旋門賞も終わり、秋のG1シーズンに入っていることもあって、見舞いに来る子達もパタリといなくなった。それでいいのよ。こんなポンコツより自分の事を大事にしなさい。それでもトレーナーだけはほぼ毎日のように顔をだす。そろそろ鬱陶しい、なんて思っちゃいそう。考えてもみれば走っていた時はほぼ毎日顔を合わせていたのに、環境が変わると考えも変わるものね。
それからどれぐらいたっただろうか。エアグルーヴからこっちに来たいと連絡があり、一応トレーナーにも確認して私がいいなら。なんて返信が来たからエアグルーヴにも連絡しておく。前は生徒会が忙しいからと謝ってきたが、やっと落ち着いたのかな?
「失礼します」
そう言って入ってきたの予定通りのエアグルーヴだ。時間までピッタリでらしいわね。でもらしくないのは
「あんたらも来たんだ」
「ふん……」
「ご無沙汰しています」
意外なことにブライアンにハヤヒデまで付いてきた。ブライアンはともかくハヤヒデとは意外な組み合わせ。聞けばハヤヒデも来ようとは思っていたけどあれ以来ほとんど接点もなかったので、そんな自分が行っても良いのかと悩んでいたらしい。そんな所にブライアンが見舞いに行くと聞いて渡りに船と同行してきたらしい。しかし、見舞いの品がバナナなんて、これ絶対ブライアンの趣味でしょ。
「調子はいかがですか?」
「それ、みんな聞くけど入院してるウマ娘に聞く話じゃないと思うんだけど、どう思う?」
質問に質問で返すなと怒られてしまった。ああそうだ。机の上に退学の書類、出しっぱなしだった。見られても面倒くさいし、しまっておこう。そう思って手を伸ばしたけど先にハヤヒデに奪われてしまった。
「ちょっと、いくらなんでも無作法過ぎない?」
「……これは?」
「見りゃわかんでしょ。さっさと返しなさい」
今の私はそれを書くぐらいしかやることがないんだ。流石に客が来ている前では書かないから。そう言っても一向に返してもらえない。そろそろ腹が立ってきた。剣呑な空気が漂い始めた頃、何を思ったかいきなり私の書類をビリビリに破り捨てやがった!
「ちょっと! 何考えてんのよ!」
睨みつけても当の本人は涼しい顔だ。もしかして舐められてる?
「いえ、以前言われたことですが、言いたいこと、思っていることがあるならはっきりすることをおすすめします。私の計算では先輩に必要なのはこんなものではないと思います。もし、冷静になって考えて本当に必要なのであれば私が持ってきます」
「はあ? 何言ってんのよ」
「一人で考え込んで、だんまりでは話がややこしくなるそうですよ? それにきっと必要なのはこちらだと思いますが」
そう言って黙っていた二人から渡されたのは補習課題、なんて表紙に書かれたプリントの山とテーピングセットだった。百歩譲って前者は分かるけど後者はこれ、喧嘩売られてるのよね?
「まずは学園に帰ってきて、話はそれからです。授業の遅れもあれば大変でしょうし、先輩の担任から預かってきました」
「そっちはまあいいわ。でもね流石にテーピングセットなんておかしいでしょ。私の状態聞いてるんでしょ? それでそんなもの持ってくるなんて何されても文句言えないわよねえ?」
「それも渡すかどうか迷いましたが、直接あって必要だと思いましたので。なにより、こんな時に何を送ればいいかアドバイスをしてくれたのは先輩ですので」
はあ? 何言ってるの?
「あんた、自分でも分かってないかもしれないが、見れば分かる。あんたは飢えて、渇いている。レースに、走ることに。私だってそうだったからわかる」
「何言ってんのよ! もう帰って!」
わけが分からなくなり三人を追い返す。なによこんな……。走れないウマ娘に送るものじゃないでしょ。しかも結局全部おいていきやがった。見たくない、不要なそれらをゴミ箱に捨てようとして、結局捨てることが出来なかった。
こんな時に限って何も言わなかったトレーナーを見れば神妙な顔で目をつぶったまま何も言わない。何考えてんのよ、こんな時のためにいるんじゃないの?
それからはもう誰も来ることもなく、時間だけが過ぎていった。リハビリも進み、もう一人で歩けるようになるまでに回復していた。それでもどうしても走ることが出来ない。医者は問題ないとは言うけれど、いざ走ろうとすると、最初の一歩を踏み出すことが出来ない。歩くことはできる。早足だってできる。でも、どうしても走ることだけはできなかった。こんなオンボロがレースに戻りたいなんて言ったあのマヌケは何を考えてんでしょうね。
なぜか、ハヤヒデに退学の書類を持ってこい、ということも出来ずに時間だけが過ぎていった。気がつけば退院ももう目の前だ。だというのに何もやることもなく、仕方ないから置いていかれた補習のプリントを進めている。なにやってんだろ。もうあそこには戻る気なんてないはずなのに。
ああそうだ、今日は久しぶりに来客があるんだった。こんなもの見られたらまた勘違いされてしまうかもしれない。そうなっては厄介だし、隠しておこう。
「先輩、久しぶりやな。調子はどないや?」
暇つぶしも出来なくて無駄な時間を過ごしているいたらやっとタマが来た。あれ? そう言えばトレーナーがまだ来てないじゃない。今日も時間を合わせて来るはずなのに。
それも気になるけども一つ気になるのはタマは一人ではなかった。それも私の知らないウマ娘を連れてきていた。
「先輩に紹介したくてな、連れてきてん」
曰く、名前をオグリキャップ。ジャガーと同じく地方からスカウトされたらしい。どこか抜けているらしく面倒を見ている間に仲良くなったらしい。それに寮も同室になっているとか。それにしたって、初対面のウマ娘を紹介するのに入院している病室はないでしょ。
「先輩、前言うてたやん。うちにもライバルが出来るって。オグリのやつな、一つ下やねんけどどんどん伸びてきてんねん。このまま行けば来年にはシニアに殴り込んで来そうでな」
楽しそうに話すわね。自分のことのようにそのウマ娘の事を話すタマを見ていると胸が苦しくなる。いいことなはずなのに、喜んであげたいのに。それでもその言葉が出ない。まるで私に見せつけているような、そんな事を考えてしまう。つい、そんな事を口に出してしまえば、年下には見えないような表情で
「前な? 先輩レースの楽しさとか教えてくれたやん。最近やっとうちにも分かってきてん。だから今度はうちの番。全部を聞いて欲しかってん」
タマまで当てこすりに来たのか。そう思ってしまうのは私の心が弱いからだろうか。
そのまま全員が黙ってどれぐらいたったのか、タマが時計を見て騒ぎ出した。
「なにしてんの?」
「いやもう出走の時間やん。テレビテレビっと」
タマが私になんの断りもなく電源を入れたテレビの画面にはでかでかと天皇賞なんて文字が踊っていた。ああ、今日だったんだ。最近レース関係は目に入らないようにしていたから忘れていた。
「シチー、走るんやで。ちゃんと見たってや」
すでに出走直前だったようでウマ娘達がゲートに入っていく。その中でもシチーはやはり目立っていた。解説を聞いていれば二桁人気らしいけど頑張ってほしい。
それからレースはあっという間に終わってしまった。勝ったのはミスターシービーだった。天皇賞連覇。まさに記録に残る偉業だろう。それに比べてシチーはレース中も名前を呼ばれることもなく入着すら遠い順位だった。ああ、残酷だ。やっぱりレースなんてろくなもんじゃない。見るんじゃなかった。
私のことでもないのに泣きそうになって、涙がこぼれないように上を向いていたら画面の向こうが騒がしい。どうやら勝利インタビューみたいだけど、どうしたんだろ? そんな事を思ってたらいきなりシチーが画面外から飛んできてインタビュアーのマイクをひったくった。え? 何やってんの?
『先輩! 見てますか!? 私……勝てなかった! 全然ダメな結果だった……。でも! 先輩に言われたみたいにこんな情けない私も大好きになったから、私は諦めない! だから先輩も諦めないで!』
人の勝利インタビューで何やってんの? いや、自分のだったら良いわけでもないけど。ああ、ほら係員が取り押さえに来た……、ってミスターシービーが係員を追い返した? なんで?
『彼女が言ってた先輩って多分私の頬を引っ叩いた君なんでしょ? なんかやめるって噂聞いたけど許さないからね?』
あんたはあんたで何言ってんの? 叩いた? いやそれはそっちがやれって言ったんでしょうに。
混乱して何がなんだかわからなくなってたらゲラゲラと笑っているタマが目に入る。まさか……
「全部仕込み?」
「いやいや、シチーに絶対天皇賞を見せろって言われただけや。それでもまさかこんなことになるなんてな。あー笑った。おなか千切れそうや」
唖然として何も言えない。それからやっと落ち着いたタマがずっと持っていた紙袋を出してきた。いや、今そんな場合じゃないでしょ。そう言っても無視して押し付けてきて、何やら預かり物のようで伝言もあるらしい。タマが読むのかと思ったらオグリキャップだっけ? そっちが読み始めた。
「ではいくぞ。久しぶりだな。入院してるらしいから見舞いに行こうかと思ったけど走れなかった分を取り戻すために忙しくてそいつらに預けた。中身はチョコレートだ。走らないなんて腑抜けたこと言ってるからカフェインたっぷりのやつにしようかと思ったけどやめた。どうせおまえは戻ってくる。だからウマ娘用のカフェインレスのやつにしてやった。感謝しろよ? 何をグダグダしてるか知らないけどどうせレースに帰ってくる。私には分かる。なぜかって? 私はお前以上にお前のことを知っているからな。ああ、なんで忙しいか言ってなかったな。私は有馬記念にでる。そのためにいろいろやらなきゃいけないんだ。おまえもさっさと戻ってないとどうなっても知らないからな。じゃあな。 ステートジャガーより。以上だ。ジャガーには同じ地方から来たウマ娘ということで気にかけてもらっているんだ。その中で君のお見舞いに行くと言ったら渡されたんだ」
理解が追いつかない。正式には言っていないとはいえ私の引退は広がっているはずだ。なのになんで? 誰一人それを信じていない。それどころか走れない私をレースに引っ張り出そうとしている。なに? 好かれているとは言わないけどそこまで嫌われてたの?
理解が追いつかなくて混乱している私、いまだに笑い続けているタマ、なぜかやりきった顔をしているオグリキャップ。そんな混沌とした空間にトレーナーがやってきた。良かった救いの手だ!
「おいおい、来るまで待っておくように言ってただろ。それになんだこれ」
「すまんすまん、どうしても間に合わせなあかん用事があってな。おたくの担当がミスターシービーとステートジャガーに宣戦布告されて、ゴールドシチーに全国放送でラブコール貰っただけや」
「ああもうわかんない! トレーナー! なんとかして!」
「……あー、よくわからないが、すまない。もう何個か追加になりそうだ」
そう言ってトレーナーの後ろから出てきたのは学園の制服を着たウマ娘だ。それもどこかで見たことのある……
「お久しぶりです! 皆の委員長サクラバクシンオーです!!」
うるさい! あれか、感謝祭の時のやかましかったやつだ! しかし、どうして? あれ以降何もなかったはずなのに。
「サクラ家の先輩からの伝言です! 宝塚記念の借りを返す機会を準備するから有馬記念に出るように! 以上です! では、私の用事は終わりましたので失礼します!」
嵐の様に去っていった……。あれを連れてくるから遅れたの? 流石に恨むわよ? トレーナーに責めるような視線を飛ばすけど、どうやら違うらしい。荷物が届いていたらしく、それの受け取りに時間がかかっていたようだ。どうやら私宛の荷物らしく、それも海外から送られてきたみたい。伝票を見ると小洒落た筆記体でシリウスシンボリと書いてあった。
「……ねえ、これ」
「君宛の荷物を勝手に開けたりしないさ。多分大丈夫だろう」
そんな無責任な……。そうは言ってもこのまま放置も出来ないし恐る恐る開けてみれば蹄鉄が一つ、それと海外のものらしきレース名が書いてある紙が一枚入っていただけだった。首を傾げていると覗き込んできたタマに心当たりがあったらしい。
「ああ、それシリウスがこの前勝った海外の重賞の名前やん。先輩それすら見てなかったん?」
……いくらなんでもここまでされれば私でも分かる。なによ。私に失望したんじゃないの? なんで今になってこんなものを送ってくるのよ。いつの間にか涙が一筋ほほを流れていった。ああ私……、まだ泣けたんだ。
もういっぱいいっぱいになった私は取り敢えず全員を追い返した。それからなんとなく病室にいたくなくて病院の中庭にでた。長いこと入院してたけどここに来るのは始めてだ。どうしても、一面に生えてる芝が思い出したくないことを連想させてくる。ベンチに一人、空を見上げるけど考えがまとまらない。一体私が何をしたってのよ。もう頑張ったの。ダメなの。走りたくても走れないの。なのにどうしてそんなに私を追い詰めてくるの? 答えてくれるわけもない空を見上げていると子どもの甲高い声が聞こえてきた。なんだろう、まあいいや。なんて思ってたらいかにも高そうな服を来た小さな芦毛のウマ娘が私の前までやってきた。この子がなんの用事かはわからないけど、今日立て込みすぎじゃない?
「お久しぶりですわ! 感謝祭以来ですわね!」
どうやら顔見知りらしい、ええーと……、ああ
「スイーツのタダ券で喜んでた子か」
「どうしてそこだけ覚えてますの!? メジロマックイーン! あの時もちゃんと名乗りましたわ!」
そんな名前らしい、ウマ娘は私の横に座って聞いてもないことを話しかけてくる。どうやらこの子の中で私は憧れのウマ娘らしい。……私はそんな大層なもんじゃないのに、ほんと勘弁して欲しいわ。
「そう言えばなんでこんな所に? どっか悪いの?」
「いえ、親戚のウマ娘が検査入院していまして。今日はその御見舞です」
「あっそ。でもいいの? 今日は天皇賞だったじゃない。メジロなんでしょ? こんな所にいていいの?」
なんの気なしに言った言葉で黙り込んでしまった。どうやら地雷を踏んでしまったようだ。ポツリポツリと話し始めた内容は、どうやら彼女の世代でもっと期待されているウマ娘がいるらしい。天皇賞の盾を、と家の期待を一身に背負わされてそっちは今日もレース場にいるらしい。かたやこの子の方は一応は手厚くトレーニングもされているが、どこか一歩引いたような立場らしい。あー、嫌になる子どもに分かるぐらい露骨な態度取ってんじゃないわよ。そう言えば優しいなんて言われてしまった。そんなつもりは全然ないのに。
「でもさ、つらくない? 勝手に期待を背負わせておいて、こっちのことなんてなんも考えてくれない。そんな身勝手あんたも嫌でしょ」
あたかも相手のことを言っているようで、自分の本心をぶつけてしまった。こんな子どもにまですがって。何考えてんだろ、私。
「いえ、私つらくなんてありません」
帰ってきた言葉、子供らしからぬものだった。
「確かに、期待は重いものです。プレッシャーも感じています。私が本命でないこともつらく感じたこともありました。でも、もうそんなの気にしていませんわ」
「ど、どうして?」
いつの間にか私は目の前の子ども……、いやメジロマックイーンに答えを求めていた。
「だってどれも私の夢でもあるんですもの。始まりは誰かに言われたからかもしれません。でもお母様の話を聞いて、家の皆の話を聞いて。話している時の誇らしい、自分のことのように楽しそうに話す顔を見て、ああ、私もそうなりたいと思ったんです。そしたらいつの間にかメジロの夢は私の夢になっていました。ならば後は走るだけ。ライアンが本命というのなら私が、このメジロマックイーンが追い抜いてあげましょう。ね? 簡単な話でしょ?」
「……ハッハッハ! こりゃ傑作だ!」
「ええ!? 私なにか変なことを言いましたか?」
いや、そうじゃないんだよ。はは、まさかこんな小さな子どもに教えられるなんてね。
空を見上げて笑っていたらいつの間にか曇っていた雨も降ってきた。
「ほら、雨がひどくなる前に帰りな。それと。今日は助かったわ。今度会ったら私特選のスイーツでもおごってあげる」
「スイーツですか!? ……コホン。そうですわね、雨も降ってきましたし、早く戻りましょう?」
「いや、私は後で戻るよ。大丈夫だから。それよりほら、向こうから来たの君の家の人じゃない?」
傘を持って走ってくる正装の男の人を指差せば、当たりのようだ。それでも動こうとしないマックイーンの背中を押して戻らせる。
「ひどくなる前に早く戻ってくださいねー! それとスイーツ! 約束しましたからねー!」
大声を出しながら走っていくマックイーンに小さく手を振る。そうして彼女が見えなくなったころ雨も本降りになってきた。
「ああそうだ、雨なんて関係ないんだ」
いつの間にか私は立ち上がっていた。
「そうだった。雨の日は芝で滑りそうになるんだ」
いつの間にか私は歩き始めていた。
「そうだった。雨の日はこう走るんだった」
いつの間にか、私は雨の中、一人芝の上を走っていた。
どれぐらい走っただろう。遅すぎるしすぐに息も切れる。いくら病み上がりとはいえ情けないなあ、一応これでもG1ウマ娘のはずなのに。芝に寝転んで雨の中笑っている。ああ、涼しいなあ。
そして私一人の空間に足跡が近づいてくる。何度も何度も聞いた足音だ。間違えるはずもない。
「おいおい、もうすぐ退院だってのに怪我しないでくれよ?」
「何言ってるのよ。私が誰だか分かってる? それにそっちこそ傘ささないと風邪引くわよ」
「職業柄な、傘をさす習慣がないんだよ」
「あっそ。ねえ、それより頼みがあるんだけど」
「なんだ?」
「有馬記念、走りたいんだ」
「地獄だぞ?」
「今更よ」
「もう、速くはなれないぞ」
「そんなもん、走らない理由にならないわよ」
「そうだな……」
「そういうこと、だからトレーニングメニューよろしく。また徹夜なんじゃない?」
「なめるなよ。そんなもんもう出来てる。だから風邪なんてひくんじゃないぞ」
「あらほんと。都合がいいわね」
「当たり前だ。なんたって担当トレーナーだからな」
それから二人笑い合っていたら看護師が飛んできてしこたま怒られてしまった。なんとも締まらない終わりだけど私らしくて丁度いいかもしれない。
それから、二人まとめてシャワーに投げ込まれて入院着を新しくしてもらった。トレーナーも身ぐるみ剥がされたせいで帰れずに乾燥機待ちだ。
「ああそうだ、あと一つ……、ううん、あと一人話さなきゃいけないやつがいるの。手伝ってくれる?」
「誰かは分かるが、俺はともかく、向こうに迷惑かけるなよ?」
「そりゃ無理って話よ。だって」
だって、私とあのバカなのよ?
「改めて、月間トゥインクルの乙名史です。ではシンボリルドルフさんへの凱旋門賞と学園生活に関してのインタビューを始めさせて頂きます。最後には写真撮影もありますので勝負服までお願いしてしまい、申し訳ありません」
「いえ、勝負服を着ると気が引き締まりますからね。それでは、よろしくお願いします」
生徒会室でインタビューが始まるが、どうも空気が重い。同席しているエアグルーヴやブライアンもどこか気まずそうだ。それもそうだろう。こんな私がいるんだ。嫌にもなる。だが、それでも私は進まねばならないんだ。
最初の挨拶も終わり、インタビューが始まろうとした時生徒会室のドアが勢いよく開け放たれた。
「たのもー!!」
……入ってきたのはもう、ここに来る事はないと思っていた彼女だ。それに何だその格好は? 学園共通の勝負服などクラシック以来だろう。
「な……。ゴホン、どうされましたか。申し訳ありませんが今は取材中ですのでお引取り願えますか」
唖然としていたエアグルーヴも思考が追いついたのか当たり前の対応をする。そうだ……、今更君に話すことなどないだろう。
だと言うのに彼女はエアグルーヴを押しのけ私の前までやってきた。ああ、後ろで彼女のトレーナーが乙名史記者に何か耳打ちしている。トレーナーもグルなのか? かと思ったら乙名史記者までキラキラした目でこちらを見始めたじゃないか。一体何がどうなっているんだ。
「函館記念、いや、見事な走りだったわね。素晴らしかった」
……彼女は一体何を言っているんだ?
「なにか気に障るようなことを言ったかしら。嫌みなんかじゃない、いい走りだったわね」
訳がわからない。何を言っているのか、それもクラシックの時にしか着ていない……クラシックの時の勝負服? 引っかかるものがあり自分の着ているものを思い出す。……いや? まさかな? しかし、私にそんなことが許されるのだろうか。聞こうとしても目で止められる。まるでここが分かれ道だというのか? だが、今の彼女は私の知っている彼女だ。ならば。
私は右手を彼女のほほ目掛けて振り抜いた。
「なにするのよ」
言葉で怒っていてもその顔は笑顔だった。ああ……今度こそ私は間違えずにすんだのかもしれない。
「ふざけないでもらおうか。何が見事か、素晴らしいだ。君は何を見ていたんだ?私は君の後輩でも教え子でもないんだぞ」
突然のことに皆が唖然としている。笑っているのは彼女とそのトレーナーだけ。ああきっと私も笑っているんだろう。乙名史記者もそんな目でみないで欲しいな。
「ここはどこだ? 私は誰だ? 今のはなんだ? 私を見ろ!」
それから次は……ああ、そうだった。しかし今のままでは少し都合が悪いな。
「済まないが今の君では少々手が届かなくてな。しゃがんでもらえるかい?」
「病み上がりよ? 椅子でも持ってきなさい」
「ふふ、そうだったな。ブライアン、椅子を頼めるかい?」
いかにも困惑したという表情のブライアンが椅子を持ってきてくれる。二人してお礼を言った後彼女に座ってもらう。それから深呼吸を一つして、
「君をブクブクに太らせてやろう!!」
彼女にヘッドロック、といったかな? その技をかける。こんな事は初めてだが力加減は大丈夫だろうか? 痛くないと良いのだが。
それから
「エアグルーヴ! 来客用の菓子を出してくれ!」
「は、はい!」
エアグルーヴに菓子を山程持ってきてもらって机に並べてもらう。
……これから言うことが正しいのかわからない。それでも彼女は一歩踏み出してくれたんだ。なら私も怖気付く訳にはいかない。
「次は君を……、君に勝ってみせよう!」
「ふん、言うじゃない。有馬よ、有馬記念で決着を付けましょう」
それから二人で流れる涙も気にせずに、机の上の菓子の山を食べ始めた。あの時のスイーツバイキングとは違う和菓子ばかりだが、それでも私たちは泣きながら、それ以上に笑いながら、何かを取り戻すように食べていた。他の皆にはわからない、この部屋で私たち二人だけの大切な思い出だった。
「ふう、どうしてくれる。私はジャパンカップも走るんだぞ? トレーナー君に怒られるじゃないか」
「はっ、やっといつもの調子に戻ってきたじゃない。それぐらいなんとかしなさいよ。だって……」
「あんたはシンボリルドルフなんだから」
「私はシンボリルドルフなんだから」
思っていた通りの言葉が出てきて、笑ってしまう。彼女も肩をすくめていても笑ってくれている。ああ……、こんな時間が戻ってくるなんて……
ああ、そうだ、もう一つ大事な事を忘れていた。都合よく来ていた勝負服の左の手袋を彼女の顔めがけて投げつける。彼女も分かっていたようで、ちゃんと受け取ってくれた。
「……なにこれ?」
「見てわからないかい? 手袋だ。貸した相手にボロボロにされてしまってね、交換しようと思っているんだ。君に持っていて欲しいんだがどうだろうか?」
「あんた、意味分かってんの?」
「言う必要があるかい?」
「ふふ……、ああそう、こんなもん押し付けられて困っちゃうわ。ちょうど私もどうしようか困ってたものがあるし、後で送りつけとくわ」
こうして彼女の手元に白い手袋が、きっと私の元には黒い手袋が届けられるだろう。
ああ……、もう一度、こんな日が来るなんて……私はきっと世界一幸運なウマ娘に違いない……
そんな感傷に浸っていれば、ついに堪忍袋の緒が切れたエアグルーヴに二人まとめて説教されてしまったが、これもまた帰ってきた日常なのかもしれない。だが、乙名史記者、この事を記事にするのは勘弁してもらえないだろうか……!
今まで好き勝手に投げてたブーメランが返ってくるだけのお話。