夏の日差しもかげり始めた、それでもカレンダーは8月を示しているそんな日。私は生徒会室でやりたくもない仕事の手伝いをしていた。
「相変わらずこのこれ、生徒がやるもんじゃないと思うんだけど」
来年の行事の準備やら何やら。どう考えても学園でやるべき仕事にしか思えない。手伝いなんて欠片もする気はなかったんだけど夏合宿組がごっそり抜けて人手が足りないせいでこんなところに缶詰だ。
「そういうわけにもいかないさ。少しでもこの学園の皆が不足なく過ごせるように必要なことだ」
「たった今ここにやりたくもない手伝いをさせられて、不幸になっているウマ娘がいるんだけど?」
「なに、君も生徒会の一員だろう。であれば手伝いではなく義務だ。礼も不要だろう。ああ、エアグルーヴありがとう。夏休みにまで済まないね」
エアグルーヴから書類を受け取りながらいけしゃあしゃあと言ってのけるのこのバカに嫌になる。まあ今更夏合宿で追い込む立場でもないし、ダービーのこともあって騒ぐ気にもならないからいいんだけれど。なんて考えは胸の奥にしまっておく。
当面の山は越えたみたいでなんとなく少し緩んだ空気になり、バカの一言で休憩となる。そうなると自然、雑談も始まるわけで、ここ最近やかましく乗り込んでこないテイオーの話題にもなる。
「しかし……、ダービーでの怪我とは残念だ。あいつはずっと三冠を目指して走ってきたのにな……」
いつもカミナリを落としているとはいえなんだかんだ面倒見のいいエアグルーヴが小さくこぼす。まあ確かに誰にとっても悲しいニュースだったわね。
「それでもあいつは強いウマ娘ですから、菊花賞は走れなくても次の目標に向かってくれるでしょう。そのためにも早く回復してほしいですね」
偉そうに座っているバカに対してか、それとも私も含めた二人に対してか慰めるような音を含んでいる。まあ、なぜか私もテイオーのことを心配している組に入れられているようだ。まあいい、そんなことよりも
「賢しらなことを言ってんじゃないわよ。虫酸が走るからだまりなさい」
ちょっと強く言い過ぎちゃったかしら? 副会長二人がすごい顔してるわね。だけれども本当のことだから仕方ない。
「な、何を言うのですか!? 怪我をしてしまった以上次のレースに期待するのは当たり前でしょう! あなたも聞いたんじゃないですか? テイオーの怪我は秋までかかると……」
尻すぼみになった理由は私の表情か、何も言わないくせに態度でぶつけてくるあのバカのせいか。ちらりと視線を投げてみてもバカは私に言えと、口に出さずに言ってくる。ああめんどくさい、めんどくさいけど仕方ない。偶には先輩風でも吹かせましょうか。
「エアグルーヴ、お前が間違っているのは二つ。一つはテイオーの怪我を残念に思うのはいい。けれども憐れむことは許さない」
「ですが、実際に……」
「あれの誰が悪いといえば身体が強くないテイオーが悪い。怪我するほどに走らなければいけなかったテイオーの弱さが悪い」
「なっ、それは暴論でしょう! そんな言い方はあんまりではないですか」
「横見てみなさいよ。同じように走って、トライアルまでわざわざ走って怪我すらなく走りきったバカが居るでしょうに」
実際にこのバカは怪我とは無縁だ。唯一と言っていい宝塚前の怪我ですらとっとと治して夏から走っていたぐらいだ。
そう、この怪我をしない、故障をしないということも含めてこのバカは強いのだ。腹立たしいけどね。
「で、黙り込んでるあんたも言ってあげなさいよ」
なんで私ばっかりめんどくさい仕事をしないといけないのか。エアグルーヴはあんたに懐いてんだから説明してあげなさいよ。
エアグルーヴも違うと、そう言ってほしいのだろうバカの方に視線を向ける。残念だけどそれに優しさを求めるほうが間違ってるわよ。
「……ああ、コバンの言うことも一理あるだろうな。テイオーはもっと身体を鍛えて怪我を防ぐべきだった。怪我の危険性があるのであれば全力を出さずに勝てるようにするべきだった。それだけの話だよ。無論すべて結果論であり、理不尽な言い分なのは重々承知だがね」
「そ、そんな……」
信じていた者からも理不尽を叩きつけられて呆然としているわね。やっぱりここらへんのメンタル教育もっとちゃんとしてもらったほうがいいんじゃないの?
「エアグルーヴ、確かにテイオーのことは残念だった。だがテイオーだけが特別ではないんだ。悲しい話だが怪我をする、長期休養を余儀なくされる、そして学園を後にする。ありふれた話なんだ。無論そうさせないために学園もトレーナーたちも、私だって日夜動いている。それでも今はまだ、なんだ」
「バカ、説明しろと言ったけど追い詰めろとは言ってないわよ。ほらエアグルーヴ、こっちおいで」
このまま放っておいたら調子が絶不調まで落ちそうなエアグルーヴを隣に座らせてあやしてやる。まあ私達もちょっと大人気なかったわね。でもね、外から見てるだけの私達が運が悪かったと言ってしまってはいけないの。
「まだあんたもデビュー前だもんね、わからないことも一杯あるでしょう。今はまだ受け止めきれなくても大丈夫よ」
「……君のその、落として上げるやり方はこう、やはり少し、あれじゃないか?」
うっさいわね、やりすぎたあんたが悪いのよ。崖から落とせばいいってもんじゃないのよ。
それから少しエアグルーヴが落ち着くまで待って、変な空気になっちゃったけどお茶会を再開する。
あったかいものを飲んで少し落ち着いたのか、それでも少し青い顔をしながら聞いてくる。
「……それでは二つ目の間違いとはなんですか」
「ああ、簡単な話よ。勝手にテイオーが菊花賞に出られないと決めつけるんじゃないわよ」
「あの怪我ですよ? どう考えても……」
「じゃあ、あんた怪我したからってオークスをスパッと諦められる?」
そう言うとエアグルーヴも少しは分かったのか黙り込んだ。まあそうでしょうね。この子もずっとオークスを夢にしてるんだから。
「はい、辛気臭い話はこれでおしまい。私達にできるのはテイオーがどんな選択をしようがそれを肯定して、応援してあげることよ」
手を一つ叩いて話を打ち切る。当事者でもないしこれ以上暗くなっても仕方ない。
「ああそうだ、まさに私が、皇帝が……」
最後に情けなくなるぐらいしょうもないことを言おうとしたバカに手元の菓子を一握りぶつけておく。
「で、なんで休みの日にわざわざ呼び出したんだ?」
8月も最後の日、明日からまた日常に戻るという今日。私は校門の前でシリウスといた。
「もう少し待ちなさい。真犯人が来るから」
そう言いながらもう数分も待てば特徴的な足音を立てながら問題児がやってくる。
「やっほーコバン! おまたせ! あ、シリウスも来てくれたんだ、今日はよろしくねー!」
大分とマシに、それでも少し痛々しく松葉杖を突きながらテイオーが歩いてくる。
「おい……! どういうことだ」
「見りゃわかるでしょ、子守りよ子守り」
見てもわからないでしょうし、この前聞いた話を簡単に伝える。夏休み一杯リハビリに費やしたテイオーだけど、トレーナーから休息兼頑張ったご褒美に一日休みにして遊んでこいと言われたらしい。実際私も見聞きした程度だけど今日までかなりきついリハビリだったそうだ。そのおかげでもう少しで走れるようなところまで戻ってきたらしい。
「ちっ、おいお前のトレーナーと行けばいいだろ。なんで私まで巻き込まれなきゃいけないんだ」
「ボク、シリウスは呼んでないんだけど。カイチョー誘いに行ったら忙しいからコバンと行ってきなさいって」
「で、一人でガキンチョの相手するなんて嫌すぎるし、色々と都合のいいあんたを呼んだってわけ」
ことのあらましを優しく教えてあげればどんどんシリウスの顔が茹だっていく。大丈夫? 熱中症には気をつけなさいよ?
「おまえはなあ……! しかもお前のトレーナーがいない理由になってないだろうが! そっちと行けばいいだろ!」
「ダメだよ。トレーナーは今必死にボクのリハビリとトレーニングを考えてくれているんだもん。そんな時間ないよ」
静かに、だけど前向きにテイオーがそう答えると、スン、とシリウスも静かになる。そして大股で校舎の方に歩きだす。
「おーい! どこ行くんだよー。せっかくこのテイオー様と一緒に遊べるんだぞー!」
「うるさい! そんな足でまともに動けるわけないだろうが!」
そう言いながら消えていくシリウスを見送って少しの時間が経った後、エンジン音と共に一台の車が目の前に停まる。運転席から出てくるのは
「おら、さっさと乗りやがれ」
「ねえ、シリウス。この車どうしたの?」
「私のトレーナーのだよ。どうせ夜まで仕事してんだ使えるもんは使うだけだ」
免許を持ってるのは知ってたけど思い切りがいいというか。あんたこれ保険とかはどうすんの? え、シリウスも乗れるように変えさせた? あんたちょっとあのバカに似てきたわよ。
また騒ぎ始めるシリウスをなだめていれば、テイオーが小さく、
「足の事心配してくれたんだね。ありがとう」
「うるせえ」
まあ、あんたも優しくて面倒見がいいもんね。撫でてやろうとしたら顔を赤くして手を払われちゃったけどテイオーと二人で笑ったら運転席に隠れてしまった。ほんと素直じゃないんだから。
それから三人で無計画に遊び回った。テイオーが証明写真機をプリクラって言い出したり、デパートの屋上にあるよくわからない動物の乗り物に乗ろうとしたりとまあ大変だった。思った以上にシリウスが過保護で助かったけど、まさかちょっと煽っただけでほんとに動物のやつに二人乗りするとは思わなかったわ。調子に乗ったテイオーが落ちかけたからちょうど良かったけど。
「あー、楽しかった。二人とも今日はありがとね!」
日も落ちる時刻、最後にはちみーとやらを飲みたいとか言い出されて三人並んでベンチでゆっくりした時間ね。しっかしこれ、甘すぎるわね。注文を任せるんじゃなかったわ。
「……思ったより落ち込んでねえんだな」
探るように、傷つけないようにシリウスが声をかける。確かに私も会って話すのは久しぶりだからもう少し暗い感じを想像していた。思ったよりもリハビリがうまく行って菊花賞を走れる目処でもついたのかしら。そう聞いてみれば
「ううん、この足は菊花賞には間に合わない。出るだけなら出られるけど、本当に出るだけしかできない」
なんでもないように言ってのけられた。ダービーの後、菊花賞に間に合わないかもしれないと落ち込んで、泣きそうになっていたのに何があったのか。シリウスの方を見ても同じ感想のようで、少し慎重に聞いてみれば
「確かに菊花賞までにはギリギリ走れるようになるかもしれない。ダービーも勝ったし走ろうと思えば出走はできるよ。でもそれじゃダメなんだ。そんな中途半端なウマ娘が、ううん、中途半端なトウカイテイオーが走っちゃダメなんだ」
大人びた、半年前の青臭いガキンチョではなく一人前のウマ娘がそこにいた。
「ダービーの後にね、トレーナーに泣いて謝られたんだ。すまない、俺のせいで、俺ができなかったばっかりに、ってね。トレーナーはなんとか菊花賞に間に合うようにしてみせるって言ってくれたんだ。でもね、きっとそれは間に合うだけだと思う。自分のことだからね、ボクが一番わかるんだ。どんなに頑張っても菊花賞には勝てない」
涙は流していない。けれども泣いている。ああ、そうでしょうね。遊び方すら知らないほどに夢に向かって打ち込んでいたのだ。それが叶わないと、挑むことすらできないと。この子は聡い、それ故に理解できてしまったのだろう。
「だからね、ボク決めたんだ。無敗の三冠ウマ娘にはなれない。なら無敗の最強ウマ娘になるんだって」
誇るように、でも泣くようにトウカイテイオーは続ける。
「だってボクはもう皐月賞で、ダービーで夢を叶えたんだ。夢を砕いたんだ。だから止まれない、止まっちゃいけない。ボクは……、皐月賞ウマ娘トウカイテイオーは、ダービーウマ娘トウカイテイオーは、たとえ無敗でなくなっても進み続けなくちゃいけないんだ」
私も、シリウスも何も言えない、トウカイテイオーの決意に気圧される。
だからまた、いつかのように頭をくしゃりと撫でて
「頑張んなさいよ、あんたなら大丈夫」
「そうだな、せいぜい気張れよ。そうでないと私が倒す時に面白くない」
夕焼けの中三人、なにかに目を背けて、だけれども大事な何かを胸にしまい時が流れていく。
「リオナタール一着! リオナタール一着! 主役不在の菊花賞を制したのはリオナタール」
その日私は京都レース場にいた。テイオーと一緒に最前列で、いるべき者がいない、されども主役たちが走る菊花賞にいた。
「一番強いウマ娘は私だ!! だから! トウカイテイオー! 次はあんたをぶっ飛ばす!」
ウィナーズサークルでの私の横を指さしての宣戦布告。それは勝ったけれども認められないウマ娘から認められながらも勝てなかったウマ娘へのラブコール。
「良かったわね、テイオー。あんたは恵まれてるよ」
目に涙を溜めて、それでも前を向いて、
「もちろん! だってみんなワガハイのライバルだからね!」
「終わったわね」
「ああ。今年も無事とは言えないが終えることができた」
菊の花も秋の華も咲いた後バカと二人、夜の学園の端の方。知ってる子も少ない観音様の前で温もりがなくなり始めた缶飲料で暖を取る。
「いつからかしらね、菊花賞の後あんたと二人でこんなことをしだしたのは」
「いつからだろうな。無事にレースが終わることを祈り始めたのは」
「いつまで経っても上れないロートルの悪あがきね」
たった二人でさっむいこんな時間に冷たい水を使ってきれいにしていく。汚れもゴミもレースを走るあの子達の代わりに良くないものを引き受けてくれた結果なのかもしれない。
ひとしきり作業も終わり、お供物もちゃんとして改めて手を合わせる。これまでの無事か、これからの無事か。効能があるかもわからないけどずっと見送ってきた私達は、いつからかこんなことをするようになっていた。時間をかけて丁寧にやるべきことを終えた後近くのベンチで冷めきった缶コーヒーを飲む。ただでさえ寒いってのに体の芯から冷えそうだ。
「テイオーから復帰は来年になりそうだと言われたよ」
「いいんじゃない? 焦ってまた怪我するよりもちゃんと元に戻してあげるほうがマシでしょ」
そうか、長い足踏みになるわね。それでも今のテイオーなら大丈夫でしょう。
「テイオーはすごいぞ、何でも来年の中長距離のG1を全部取ってやる! とのことだ」
「大口叩いてるわね。そんなの夢物語でしょうに。ああそれでも、夢は見るものであり叶えるものだものね」
G1一つ取るだけでも無茶した私からすれば夢で見ることすらできない話だ。隣のバカも結局はいくつかのG1には縁がない。
「ああ、テイオーならできるかもしれない。だがしかし壁も多い。特に菊花賞を走れていないテイオーに春の天皇賞は未知の領域だろう。それに……」
「マックイーンね。あんなスイーツスイーツ言ってた子供が立派になったもんね」
メジロの宿命を、外から見れば呪いにすら見えるそれを見事に果たしたメジロマックイーン。今年もシニアの主役であることは間違いない。
「あの娘もあんたと同じでつまらない勝ち方するものね、テイオーにとっては一番嫌なタイプでしょうね」
「つまらないとはなんだ、つまらないとは」
「褒めてるのよバカ」
つまらない、それは逆転もビックリもない。一番強いウマ娘が一番強いレースをして問題も波乱もなく勝利する。見てる方からすればつまらないかもしれないが、走る方からすれば理想の勝ち方だ。
「来年のクラシックも面白そうね。スプリンターがクラシックに勝てるのか。今まで数えきれない涙の上に立つジンクスがどうなるのか」
「ああ、きっと来年も素晴らしいレースが見れるだろう。誰が勝つかは分からないが誰が勝っても皆が満足するレースになるだろう」
「そうあることを祈って……、願ってるわ。冷えてきたし私はそろそろ戻るわ。あんたは少し汚れて汗もかいてるし水でも浴びてから帰ることをおすすめするわ」
文句をたれるバカは放っておいて帰る準備をする。最後にもう一度観音様を拝んで寮へと戻っていく。
ああどうか、無理なことは分かっているけれど来年こそは誰もが笑って終われますように。
途中で 止まるんじゃねえぞ……て書きそうになったのは内緒の秘密