ティム・マルコー。かつてセントラルの研究機関に在籍していたやり手の錬金術師。
錬金術を医療に応用する研究に携わる第一人者だったが、イシュヴァール内乱後のドサクサに紛れて姿を消し、研究資料とともに行方不明となっていた。
その真相は、上層部から命じられた非人道的実験――賢者の石作成という悪行に良心が耐えられなくなっての失踪だった。多くの犠牲を出した自分の罪は命をもってしても償い切れるものではない。しかしそれでも何かできることはないかと、今はこの田舎町でマウロと名を変え、医者として従事しているのだという。
「ほぇぇ……これがそうなのかぁ」(つんつん)
「なるほど、エネルギーの塊っていうのも納得だね」(ぷにぷに)
「…………」
そんな過去を悔いる男・マルコー氏は、ただ今ひたすら困惑していた。
汽車の中で負傷していた少年をたまたま発見し、医者としての責務から声をかけちゃったのが運の尽き。なんとかつての知り合い――アームストロング少佐が彼らに同行しており、顔を合わせるやいなや素性がバレて自宅まで押し掛けられてしまったのだ。
今更中央に戻る気など毛頭ない彼は、なんとか三人にお引き取り願うべくこうして過去について語っていたのだが……。
「これが、赤きチ○コトゥラ」
「……ティンクトゥラね」
「あの有名な、賢者タイムの石」
「……タイムとか付いてないから」
「なんだか見た目もいかがわしく見えてきたね。女性の服だけ都合よく溶かしそう」
「断じてエロスライムでもないッ」
おかしい。自分は割とシリアスな空気で独白していたはずなのに、なぜにこの兄弟は賢者の石にまつわるエロトークで盛り上がっているのか?
「アームストロング少佐、この子らは一体?」
「国家錬金術師ですよ。エルリック兄弟と言えばお分かりになるかと」
「
――この男子中学生のような下ネタで盛り上がっているエロ少年たちが!?
本来の世界線とは違う意味でマルコー氏は驚愕した。子どもの身で人間兵器に身をやつした愚かさを嘆くはずだったのに、今は別方面で彼らの将来のことが心配になってきた。
そんな引き気味の気持ちも知らず、兄弟は興奮した様子で身を乗り出してきた。
「なあマルコーさん、持ち出した研究資料を見せてくれないかな?」
「なに?」
「僕からもお願いします。もしかしたら僕たちの研究に新しい着想を得られるかも」
熱意を持って手がかりを求める少年たちだったが……。
「…………」
酸いも甘いも嚙み分けた男・マルコー氏は騙されない。
どうせこの会話も下ネタかエロ話に行き着くに決まっているのだ。
ベテラン術師は、かつてホムンクルスたちが人間に向けていたような目で兄弟を見た。
「悪いが、資料を見せることはできん」
「む……そうだな。確かに、事情も明かさず一方的に情報をくれと言うのも虫のいい話か」
「いや、そういうことではなく……」
「じゃあ兄さん、僕たちの情報も開示しようよ!」
「そうだな! 俺たちの過去についてもきちんと説明しないとな!」
「待って。話を聞いて……」
「マルコーさん! 実は僕たち、四年前にとても罪深い行為に手を染めてしまって――!」
「なんでそんなにウキウキなの、君たち?」
エルリック兄弟、ツッコミも気にせず嬉々として己の禁忌(笑)を語り出す。
曰く、
――悲しみからのダッ○ワイフ錬成。
――チ○コの喪失と肉体の消失。
――弟の魂を自身の金〇で補填。
――鋼の義チ○コと国家試験のチ○コ。
――そしてその後も続く、チ○コにまつわるエピソードの数々。
ほーれ見ろ、やっぱり下ネタだった。伏せ字のない文章が一行もない。
マルコー氏は自らの予測の正しさを確信し結論を述べた。
「資料を見せることはできん」
「そ、そんな……!」
「話は終わりだ、帰ってくれ。元の身体に戻るなどと、それしきの事のために石を欲してはならん」
「それしきの事だと!?」
「ドクター、そんな言い方は……」
アームストロングは厳しい表情で立ち上がった。
「……いや、間違ってはいませんな。確かにしょうもない理由でした」
だがすぐに納得して腰を下ろした。
「おい少佐、ひでえぞ!」
「ひどいのはお前たちの過去の方だ、このエロリック兄弟」
「なんてこと言うんですか! 男なら誰だって同じ道を通ってきたはずでしょう! 少佐だって!」
「いっしょにするでない! 吾輩の若い頃はもっと慎ましかった!」
「なんだとぉ! NTR漫画の竿役みたいな良い身体してるくせに!」
「そうだ、そうだ! 変態役が似合いそうな渋い顔のくせに!」
「褒めているのか侮辱しているのかどっちだ!?」
――ギャイ、ギャイ、ギャイ!
「…………」
ツッコまない。
私は決してツッコまないぞ。
気を抜けばギャグ時空に引きずり込まれそうなところを必死で耐えるマルコー氏。
これは決して笑い話の種にして良い話題ではないのだと、必死で太腿の肉を抓りながら感情を抑える。
「ゴホンッ、さあ、早く帰ってくれ」
「ま、待った、マルコーさん! さ、最後に一つだけ質問させて……!」
「断る。こっちには話すことなどもうない」
どうせまたぞろ下らないことを言い出すのだ、この後輩は。少しは耐えているこっちの身にもなれ。
マルコーは苛立ちながらエドワードの背をグイグイ押す。
「さあ、早く帰ってくれ」
「あのさ! ひょっとしてこの石――!」
「だから、石についての質問には答えられないと――」
――人間の命、使ってる?
「ッ!?」
反射的に叫ばなかった自分を褒めてやりたい。そう思えるほどの衝撃が彼の身を襲っていた。
動揺するマルコーの目に映るのは、凪いだ瞳でこちらを見る兄弟の姿。
これが先ほどと同じ人間なのか疑いたくなるほどの怜悧な視線。常の軽薄さなど微塵も感じさせぬ知性の光が、ジッと彼を貫いていた。
「ど、どういうことだ、エドワード・エルリック?」
困惑するアームストロングに、エドワードは卓上の赤い液体を指で弾きながら答えた。
「インチキ教主のときからずっと疑問に思ってたんだよ。賢者の石はあらゆる錬成を可能にする夢の物質と言われてるけど、決して魔法のような空想の代物じゃない。あくまで錬金術の範疇である以上、等価交換の基本法則からは逃れられない。なら、その膨大なエネルギーの源は一体何なのかなって」
同意するように弟も頷く。
「いろいろと候補を調べてみて……、理論だけは提唱されている『核反応』の類かとも考えたんですけど」
「この小さな石の中で実現できるほど核の研究が進んでいるなら、錬金術以外の科学技術としてもっと広まってないとおかしいんだ。動力源やら兵器への転用やら、ちょっと考えただけでも莫大な利益を生むことは明白なんだからな。だけどそんな施設も研究内容もまるで聞いたことがない」
「だからこの石にはもっと……世間には言えないような恐ろしい技術が使われているんじゃないかって思ったんです」
「それで……人の命を使っている……と?」
「ああ。以前
一旦話を切ったエドワードは、チラリとマルコーを見る。
「その様子を見るに、的外れってわけでもないみたいだな、マルコーさん?」
「……ッ」
――あぁ、どうやらこの小さな後輩は、想像以上に優秀で、目端が利いて、それでいて頭が
あの地獄のような真実に独力でたどり着き、かつ感情を荒げることなくカマをかけられる程度には。
…………。
………………。
「…………ふぅ」
「マルコーさん?」
老錬金術師は小さく息を吐く。
それは何かを諦めたようにも、あるいはどこか腹を括ったようにも見えた。
「その質問について、私にはイエスともノーとも答えることはできない。軽々に口に出して良い内容ではないからだ」
最上級の国家機密であり、人道上も法律上も決して許されることのない禁忌だ。知ってしまえばどのような危険が忍び寄ってくるか見当も付かない。
しかしだからと言って、ここで誤魔化しても意味はない。おそらくこの兄弟はすでに確信へと至っている。この場で必要な情報を得られなくとも、必ず自らの足で闇の中へ分け入り、遠からず真実に辿り着くだろう。
「私から渡せるのは、この情報だけだ」
「――国立中央図書館、第一分館?」
「なるほど、木を隠すなら森か。あそこの蔵書量は半端ではないからな」
ゆえに彼ができるのは、ある程度の情報をこちらから渡して手綱を引いてやることくらいだ。
この少年たちが取り返しの付かない場所にまで足を踏み入れ、国家の闇に潜むナニカに消されてしまう前に……。
「ここに、手がかりが……」
「一歩前進だね、兄さん!」
「つっても、コレを直接使う案はボツになっちまったけどな。さすがに人の命を俺らの身体の再生に使うのは申し訳が立たねえよ」
「でも、手掛かりの一端にはなるんじゃない?」
「……そうだな。また一から模索していくか」
あの状況からでもまだ、しらばっくれることはできた。
いや、最初から賢者の石の話などせず、当たり障りのない過去を語っていればバレることもなかっただろう。
しかしそれでも話してしまったのは、秘密を暴露して楽になりたいという逃げの気持ちがどこかにあったのかもしれない。
「よし、アル! ばっちゃんたちに修理してもらったら、すぐにセントラルへ戻るぞ。解読に備えて脳みそのウォームアップしとけよ?」
「任せて。暗証番号も隠しファイルも僕の目にかかれば一発だよ」
……あるいは彼らならば、本当に何かを成し遂げてくれるやもしれないと、そんな淡い期待があったのかも。
「お前たち、あまり危ないことはしちゃダメだぞ?」
「分ーかってるって。調べるときは嗅ぎ付けられないようにコッソリやるさ」
「隠れてコソコソ活動するのは僕らの得意分野ですからね」
「むぅ……それならば、まあ」
「よーし、三日で解読してやるぜ!」
老いてしまった自分にはもはや縁遠いもの。
前しか見ずに突き進む若者たちの輝きに、マルコーは新たな時代の幕開けを感じて目を細めるのだった。
「あ、そうだ、マルコーさん! この件とは別件で一つ相談したいことがあったんだよ」
「ん? なんだね?」
これで話も終わりかと気を抜いていると、不意にメモ用紙を仕舞ったエドワードたちが振り返った。
「マルコーさんの医師としての経験から、ぜひアドバイスを求めたいって思ってたんだ」
「医師としての?」
「はい。これは患者さんのQOLにも関わる重要なことなんです。先生の知見を得られれば、僕たちの研究も大きく進められるかも」
「……ふむ」
一つ息を吐くマルコー氏。
暗い話を聞かせてしまった詫び代わりというわけでもないが、最後に一つくらい、若者たちの導きとなるのも悪くないだろう。
彼とて人々を幸せにしたいと医の道を志した者の一人だ。この国の医療に貢献してきた若き天才たちの一助となれるなら、医師として自分がやってきたことも無駄ではなかったと胸を張れる。
「どういう悩みなんだね? 聞かせてくれ」
どこか憑き物が落ちたような晴れやかな笑みを相貌に浮かべ、マルコーは二人の求めに耳を傾けた。
そして、頼もしい後輩たちは輝く笑顔で口を開き――
「女の子の頭に安全にケモ耳を付けるには、どうすれば良いかなッ?」
…………。
………………。
「…………は?」
空気が死んだ、音がした。
「動物と人間を直接合成するのはいろいろリスクが高いし、やっぱり耳とかの部位だけを錬成なりして、後からくっつける方が良いと思うんだけど」
「それでもやっぱり、どこまでも拒絶反応のリスクが付き纏うんですよねぇ」
「それなー」
「…………」
マルコー氏は気付いた。
こいつら天才じゃなかった。
ただの変態だった。
「いっそのこと機械工学でメカ耳でも作っちまうか?」
「え~、そこはやっぱりナマの感触が欲しいでしょ」
「いやいや、安易に可能性を切り捨てるな。メカ娘という選択肢もあるだろう? あの無機質な瞳で見られるのもきっと悪くない」
「それはちょっと時代を先取りし過ぎじゃないかなぁ?」
「でも興味はあるだろ?」
「そりゃまぁ、少しは……へへ」
「…………」
――やはり自分は早まってしまったのかもしれない。
――ホムンクルスの陰謀とかより先に、この兄弟の淫脳の方から何とかすべきなのでは?
「「ねえ、マルコーさん! 俺(僕)たちどうしたらいいかなッ?」」
もはや知性から恥性に切り替わった後輩たちの顔を見ながら、マルコー氏は死んだ目で茶を啜り、答えた。
「とりあえず、脳外科で頭を診てもらってはどうだね?」
「辛辣ッ!?」
名医は空の彼方に匙をブン投げた。