Re:呪は月を擁いて 作:鉄屋
時刻は夕暮れ時、窓の外から赤い日差しが顔の半分を染め上げる中、摺足と共に竹刀を振ろ下ろす。
一年前、“以前”と変えたくて、柳韻さんの誘いに引かれる様に始めた剣。擦れる音、空を切る音、何度も何日も繰り返しもう作業と言っても過言ではない行為の横で、柳韻さんの眼差しが俺に向いている。
腕を組み見下ろす眼には、剣の事しか映らない鉄の様な印象。出す足が出なければ、踏み出す足に上半身が乗らなければ、振り下げた切っ先がブレれば、容赦無い指摘の声が飛んで来る。それもタイミングを計り、何処か冷ややかな一太刀を思わせる一声で、まるで斬られたような錯覚さえ起こさせる程に通るもの。
もう既定の素振り回数は越えているのだが、型が崩れれば、型と認められなければカウントされないので、違えた分だけ回数が増えていく。
「其処まで」
腕は疾うに棒の様に、もう何度振ったか数えられなくなった頭に澄んだ一声が突き刺さり、漸く周りの音が戻ってきた。視界の端では、一心に竹刀を振る一夏と箒、対面に立ち手本の様に振る千冬さん、横からチェックする柳韻さんの妹である篠ノ之 雪子さんと、真剣な箒に心奪われる兎耳の姿が在る。
一夏と箒が剣を始めたのは、俺が始めてから直ぐ後くらいだった。最初は剣を振るう物真似で遊びの延長上のようなものだったが、一夏と箒が剣を交え勝敗が決した後から真剣みが増して行った。負ければ次には勝とうと必死に成り、勝てば次も勝とうと必死に成り中々に拮抗しているが、時々喧嘩に成りそうな雰囲気の時がある。大体は千冬さんの機転で回避できているが、兎耳が居ると悪化してしまう。特に、箒が負けた時に。ただ、今日は雪子さんが居て、更に基礎と言う基礎の繰り返ししかやらないので、噴火はまず起こらないだろう。
「神威君」
名を呼ばれ見上げると、身体全体を捉え見透かすような眼差しがあった。今日はもう終わりの筈だがこの眼差しがあるという事は、何かが在る。粗大半は練習量の増加だが、稀に新しい剣の振り方、詰まりは型の練習を増やしたりする。
「今日から、もう五キロほど走ろうか」
息切れしていて返事が疎かに成った所為か、ロードワークの追加を命じられた。恐らく、終盤に付いてこなく成った足や体力の強化を行いたいんだろうと思いつつ、一礼してから道場を後にした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
皮が一枚ある程度に底が薄い靴を履き、篠ノ之神社から長く続く階段を駆け下りる。
この石と泥で造られた階段は神社と共に古くから在るらしく、足を進めればデコボコした感触と踏んだ衝撃が伝わってきて、疲弊した足腰ではバランスを崩しやすい。更に、沈む日差しの強さも相まって、気を抜けば直ぐにでも転び、下まで転がり落ちてしまいそうだ。
「はぁ……はぁ……」
何とか下まで辿り着き、束さんが作ったストップウォッチの外見をした物のスイッチを押し、数値が進むのを確認しながら走り始めた。
此れは束さん曰く、「GPSのような物を組み込んで走行距離を測れるようにした」発明品で、オマケに「幾つか設定したタイマーを並べて繰り返す機能も付けたもの」らしい。だが、珍しく真面な発明品なので、此れを差し出したのが本人かどうか千冬さんと徹底的に疑ってしまい、機嫌を損ねて詳しい説明を省かれ、細かい機能は解らず仕舞いに成ってしまった。まぁ、実際に使ってみると特に其処まで使わないので、問題無しと判断して訊かない儘だったりするが……。
そんな事を、若干ながら懐かしいとも思える事を思い出しながら自分のペースで走っていると、笛を思わせる音が、全力疾走の合図が突如鳴った。
「っ――――」
笛の音が消え去る前に、俺は今出せる全速力で駆け始めた。
此れはオマケの機能を使い、一定の距離を自分のペースで走ったら一定の距離を全力で走らせるという事をしているので、もう何度かは有る筈。ただ、何時も設定する柳韻さんは食わせ者な所があるので、定期的な配分はしない事が半々くらいで有るので、今回はどちらなのだろうかと何時も同じ様に思っていたが、今回ばかりは如何でもよくなってきた。段々と、考える余裕が無くなってきたからだ。
「くっ」
存分に汗を吸い重さを増した胴着にバサバサする袴、踏み出す度に衝撃が走るような重い身体。何時もならもう走りきっている筈なので、如何にも終わりに意識が集中してしまう。まだか、まだ笛は鳴らないのか、まだ終わらないのか……! と。
そうして、また暫くして、また笛の音が鳴り、終わりを告げた。
「――――ハァッ!」
やっとだ、やっと終わった。今回は随分と長かった。若しかして、走行距離が伸びたのだろうか。それとも、俺が単に遅かったのだろうか……。だが、今はそんな事はどうでもいい、終わったんだからどうでもいい。それよりも胸が、胸が苦しい。コレはアレだ、空気が、酸素が足りない。
「ハァッ!! ハァッ!!」
急かした足を緩めながら上を向き、出来る限り大きく口を開いた。そして、乾いた喉を通し肺いっぱいに何処か涼しく感じる酸素が入り込むが、一瞬にして熱い火と錯覚する様な二酸化炭素が噴出され、焼けた喉が非常に水を欲している。だが、走行距離はまだ半分にも達していないので、当分はお預けを食らうだけだった。
無理やり作り出した唾を飲み込み、鉛でも付いてるんじゃないかと思うぐらいに重い体に鞭を打ち、走り始めより確実に遅く成った足を進めていると、右に並走する気配を感じた。
「はあ~い」
右を向くと、リムジンらしき車の後部座席から顔を出し、何が楽しいのか解からないがにこにこと笑いながら、ひらひらと手を振る光道音 麗が居た。
なんで此処に居る等の疑問が浮かんでくるが、今の俺にはそれを考えるのも訊くのも億劫なので、口は声を出さずに息を整える事だけをしていた。多少、楽そうにして座りながら話し掛けてくる此奴に、イラついているのもあるが。
「なんか凄いお疲れね~。どれくらい走ってるの?」
兎に角、今はロードワークの邪魔で五月蠅い。そう思う所為か、疲れ切ってる筈の体が勝手に走る速度を上げ始めたが、俺の事を読んでいた様に光道音が乗る車が追従してきたので、全くの無駄な行為だった。ただ、それでも速度を落とそうとしないのは……、意地なんだろう。だが、束さんの発明で走る距離は判り、決めているロードコースを逸れても問題無いので、その意地ももう少しで終わる。
「頑張るわね~……って、ちょっと!?」
目の前に見えた脇道に急転換してやると、光道音の声が忽ち後ろに成った。そして、後押しするように笛の音が鳴り、後ろで何か言っている光道音を余所に、俺はまた全力疾走を始めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
もう夕飯前の時刻の為、道場に居た他の者は家へと向かい其々に汗を流している頃だが、柳韻は一人、身体が冷えない程度に両手に持つ竹刀を振っていた。残る理由は当然ながら神威を待つ為だが、それが残る理由の全てでは無くもう一つあった。
(そろそろ、顔を出してきてもいい筈……)
もう一つの理由は、勘や感覚に任せに振るうのか、其れとも思考とも繋がり振るうのか、要は心底に潜む性質の見極め。此処一年間、何だかんだで神威は扱きに付いてくるのだが、強く成る為の目標やライバルの様な者も無い所為か、最近では作業の様になりがちな姿勢が事の発端だった。一応、一夏や箒に負けたくない様だが、理由としては如何せん弱く、底を中々見せない。なので、柳韻は心底に潜む顔を出しやすいように追い詰め、性質を見極めようとしたのだ。
(流れ、気配、動向、その全てを読み制し、行く行くは場すら制する剣だろうか)
先に思い至るは、片や受け、流し、捌き、片や斬り、断ち、貫くというのが二刀の基本動作であり、舞すら剣術に組み込み自分が修めた篠ノ之流剣術。二刀で自分に有利な場の流れを作り、舞を思わせる動きで相手を裂き、時に強く、時に弱く、だが地を滑る足腰は根強い柳の様に、柔の毛が強い剣。そして、舞の部分のみを強調したのが神楽舞である。
柳韻は篠ノ之流剣術をある程度学んだ神威を思い描くが、ある繋がりがそれを邪魔した。
(……其れとも、
血という繋がりに思い至るは、今は亡き
例えるなら、目に見えるもの全てを焼き尽くす炎。相手に思考の間も与えず動く前に刈り取る様な、防ぐ剣すら裂き斬られそうなくらい強く、瞬きも出来ない程に苛烈な剣が、柳韻の脳裏に描かれた。
「……」
ただ、描かれた龍我の前には、何時の間にか自分が居て、迫り来る炎を消す様に剣を振っていた。
その姿は、振れるもの全てを凍てつかせる流水。振るう剣は何処までも研ぎ澄まされて、その切っ先は断てないものが無いくらい鋭利で、円を模した途切れない流れが続いている。
だが、意思を持つ炎を消す事は出来ず、一瞬で気化されそうな程に荒々しく燃える。
だが、呼応する様に鋭利な冷水の流れが増し、一瞬で圧し潰せる程の激流へと変わり、削り合うような戦いへと変わって行った。
「……!」
そして、いつしか炎は浴びた冷気を纏う様な、背筋が凍る程に冷え冷えした鋭利な剣筋を放ち始め、対する流水も熱を帯びた様に、心身全てを薙ぎ払うかの様な力強い斬撃を放っていた。相手より先に、相手より鋭く、相手より強く、相手より上にと、そんな事しか頭に無いように。
だが、柔と剛は混じり合い、お互いの心情が解かるか笑みは深まり、何処までも馬鹿に成れる一時……だった。
「只今、戻りました……」
開け放たれた戸には、予想より遥かに早く到着し息を絶え絶えに言う神威が視界の端に居て、瞬く間に四散してしまった。
若干名残惜しくも、早くも思い出に変わろうとしている事から頭を放し、神威の方に向き直ると――――心臓を鷲掴みされたような錯覚に陥った。
心底に潜む感情なのか、それとも単に疲労からなのか、ギラつく様な目付きが、何処か対峙する龍我を思わせた。
「柳韻、さん?」
「……いや、何でもない」
頭を振り訝しがる神威に気にするなと誤魔化したが、柳韻の心は今後の方針を決めてしまっていた。今、目の前に居る子は、紛れも無く龍我の血を継いでいる。他の流派、それも剣術とも言えない剣技なので、何処まで仕込めるかは判らないが遣ってみよう、と。そして、何れはまた……、と。
だが、それには向上心や闘争心といったものが足らないので、神威に歩み寄った柳韻は架け橋に成りそうな事を訊いてみた。
「ところで神威君。隣の御嬢さんはどちら様かな?」
「………………クラスメイト、です」
「光道音 麗です。篠ノ之流剣術を学びたく、足を運びました」
自棄に苦々しく絞り出すように言う神威の横で、体操着(昼間の体育で使用済み)を着用した麗が意気揚々と頭を下げた。
麗が体操着なのは、神威に引き離された後に車の中で着替えて追ってきたからである。そして神威に追いつき、何か言い合いながら追い駆けっこしつつ、なんだかんだで入門を決意したのである。因みに、目付きが悪化しているのも、この所為だったりする。
だが、そんな事は一切知らず、何かと神威の対抗心を掻きたてられそうな存在に、柳韻は真っ先に浮かんだ事を訊いた。
「二人は、若しかして付き合ってたりするのかな?」
「私達は――――」
「ありえません」
遠慮を欠いた二人の様子に柳韻は訝しみ訊くが、麗を遮りドキッパリ否定する神威に納得し、入門を許可するのだった。