Re:呪は月を擁いて 作:鉄屋
謝罪地獄は約30分の時を得て、漸く途切れさせる事が出来た。
今は林檎の皮を剝いているが、再開する気配があるのでさっさと質問を終えてしまいたい。
「なんで、俺は怪我をしてるんですか?」
「……事故に遇ったからだ」
「なんで、事故に?」
「それは……」
「それは?」
「それ、は……」
剝く手を止め、俯いてしまった。如何やら、中々ヘヴィな事故らしい。仕方ない、質問を変えよう。先程とは違う気遣う視線が気に成るが、今は止めた方が良い……気がする。
「言いたくないなら、いいです」
「……いや、なんと言ったらいいか、判らなくてな……すまん」
「いえ、ところで……」
「……なんだ?」
「貴方は……」
「……ん?」
「貴方は、どちら様ですか?」
「っ!? 何を……」
「え?」
初対面じゃないのか? そう思い視線を向けると、纏う空気が変わった。
「――何を言っているんだ神威!!」
「……カムイ?」
「呆けるなっ! お前の『名』だろ!?」
「俺の……『名』?」
「そうだ! 忘れた訳じゃないだろ!?」
そんな名前で呼ばれた事は無い。とは、言えなかった。
「まさか……本当に、忘れ……たの……か?」
縋るような視線と、溢れそうな『何か』を耐える表情に気づいてしまったから……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
面会時間は疾うに過ぎ、俺はベッドの上に仰向けで、脱力しきっていた。
先程の出来事は、疲弊するには十分すぎた。訴える様な、縋る様な視線。何か言おうとして口を開くが、何も言えず堪える様に唇を噛み、歪む表情。そして、俺の身体の芯からくる咎める様な痛み。
だが、そんな中でもあの人が――織斑 千冬さんが教えてくれた事が一番堪えた。
漆月
織斑 一夏と篠ノ之 箒。神威の弟分と妹分、らしい。
最初は嘘だと思った。だが、嘘を言っているには……とてもじゃないが見えなかった。
「俺は神威じゃないっつーの」
虚勢を張る様に否定するが、目の前に翳す自身の手の小ささに裏切られた。だが、納得など出来ず続けるが、其れまでだった。
「俺の名前は……」
何時も名乗っていた、何時も呼ばれていた『名』が、わからない。渾名さえ、抜き取られた様に無くなっていた。それを理解した途端、凄まじい拒絶心と混乱が産まれた。
だが抵抗し、必死に『以前』を思い出そうとする。名前、顔、身長、体格、髪型等の、自分自身に関係するもの全てを絞り出す様に馳せるが、欠片も出てこない。出てきても、『今』と違う、それだけだった。
「な、んで……」
恐怖からか、身体が勝手に震え始めた。
そして、聞き覚えの無い声を出す自身の口を、堅く塞ぐ。だが、声は止められても、頭が止まってくれなかった。
俺、は……。
もう、答えは疾うに出ていた。
俺は……誰、だ?
もう、『以前』の『
俺は、拒絶する様に目を閉じた……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
日が暮れた道を、足を引き摺るように、歩む。あの子、神威の事を思いながら。
忘れられた、事が、信じられない。信じたく、ない。夢で、悪夢で在ってほしい。そう折に願う。全部、あの
――貴方は、どちら様ですか?
神威の、他人に向ける目が、言葉が、それらを否定し現実だと告げる。
「――――っ! ……はぁ」
歩みが止まり、ため息が出る。
「一夏に、何と言えば……」
一夏の顔が、頭の浮かぶ。そして、共に過ごした、暖かい日々も――
一夏は、神威に良く、懐いていた。
神威の後に続き、その後を、箒が追いかけた。
何時も、三人でじゃれ合っていた。稀に、三人で喧嘩していたりもした。だが、直に仲直りをし、三人で笑い合っていた。
私は、そんな三人を見ているのが、堪らなく、好きだった。
稀に、私もその輪に入り、笑い合っていた。「本当の兄弟みたいだな」と、言えば。一夏も箒も、神威も嬉しそうに、笑っていた。「金魚の糞みたいだな」と、からかえば。一夏は真っ赤になって必死に否定し、箒は恥ずかしそうに顔を伏せ、神威は困り顔で、笑っていた。
だが、
そして、そんな私達を見守る、二人の視線。龍我さんと絆さん、私と一夏の、本当の親と――言えた人達。
私達を産んだ
「よく頑張ったね」と言い、頭を撫でてくれた、龍我さんに。
「もう大丈夫よ」と言い、抱きしめてくれた、絆さんに。
逞しさに、安心感に、暖かさに、温もりに、護るように抱きしめてくれた、優しさに。涙が溢れ、私は、一夏は、声を上げて、泣いた。
この日から、龍我さんと絆さん、神威の住む家が、私と一夏の帰る『場所』に成った。
家へと帰る道中、私と一夏を挟み、歩調を合わせ、護り包むように、歩いてくれた。繋ぐ手に、恥ずかしさを覚えたが、それ以上に、比較にならないほどに、嬉しかった。
家に着くと、神威が「おかえりなさい!」と、迎えてくれた。一夏は直に、「ただいま!」と返し、嬉しそうに、笑っていた。
一夏の返事を聞いた後、神威は私を見上げ、一夏も釣られるように、私を見上る。
私は一夏と目を合わせて一度頷き、神威と目を合わせ、「ただいま」と返し、笑った。
この時から、私達は、家族と呼び合う、呼ばれ合う関係になった。
神威は、もう一度「おかえりなさい!」と言い、嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑った。
此処から、新しい生活が始まった。笑顔ばかりの、幸せと呼べる日々が。些細な事で喧嘩しても、稀に涙を流しても、幸せだと胸を張って言える日々が。
ずっと、ずっと続くと、信じていた――――かった、日々が。
――気が付くと、玄関の前だった。
扉を開け、習慣となった言葉を掛ける。
「……ただいま」
返す声は無く、私の声だけが響いた。
「……一夏?」
一夏を探そうとして、思い出す。明日まで、束に預けていた事を。
「……はぁ」
どうやら、相当堪えているらしい。危ない足取りで、自室を目指す。
如何にか辿り着き、扉を開ける。扉を閉めることを、忘れたまま進み、ベットに倒れ込む。そして、枕元に置かれた物が、視界(め)に入る。
「……縫い包み」
体を反転させ、手を伸ばし、胸元に抱き寄せる。
――――ハッピーバースディ!!
一夏と箒、神威がプレゼントしてくれた、兎の縫い包み。一緒にいた束は、嬉しそうで、悔しそうな表情をしていた。
「ふふ……」
思い出し、笑う。だが、直に溜め息へと変わる。
宝物を、強く、強く抱き締める。
「……神威、どうして……」
今朝別れたときは、
――――いってきまーす!
太陽を思わせるような、笑顔だったのに。病院で、目覚めた後は、
――――貴方は、どちら様ですか?
窓に映る欠けた月、暗い夜の象徴のような、冷めた空気を纏っていた。
逃げる様に月を視界から外し、開けたままの扉を視て気づく。
「此処で一人になったのは……初めてだな」
いつも、誰かが家にいた。そして……
「神威も……」
当然いた。だが、今は病院で、一人。
「初めて、会ったときは……」
お互い、一人だった。
「……神威は」
一人で、泣いていた。
「…………」
今、記憶の無い神威は?
「泣いているに決まっている!!!!」
私は、弾かれたように飛び起き、病院へと、駆け出した。龍我さんと絆さんが残した、『ねがい』を、思いながら――
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
俺は出た答えに、納得など、受け入れる事など一切出来ず、荒れた。
うそだ! うそ、うそだ! なんで、なんで思い出せない!? こんな、こんな馬鹿なことがあるか!! あって、あってたまるか!! こんな、こんな夢のような! ……ゆめ? ……そうだ! 夢だ、夢に決まっている!! じゃなけりゃ忘れるなんてない! あるわけない!! みんな夢だ! みんな……皆だ!!
俺は必死に想い、頭を毟り引き出そうとして、他の人達に想いをむける。
馬鹿をやり、もてる為に音楽を遣り始めた男友達に。
殴って叱っていた、男勝りの姉貴分に。
じゃれて、引っ付いてきた、弟分と妹分に。
嫉妬と嫉みを向けてきた、年上の女友達に。
破天荒だが、いざと言う時に頼りに成る父に。
何時も優しく、偶に厳しい母に。
だが、誰一人と思い出せず、『名』もわからない。わかるのは、擁いた印象程度だった。そして、同時に感じる痛みが、それが現実だと告げる。
糞……糞ぅ……。
せめてもの抵抗か、声は絶対に出さなかった。だが、納得も発散も出来なければ、心に泥の様に溜まるだけだ。
何で、こんな事に……。
溜まっていく泥は、恐らく恨み、だろう。更に、感じる痛みが、禍々しく増徴させた。
誰の、所為だ?
閉じていた目を開き、ぶつける対象を探し始めた。物では駄目だ、人が良い。罪悪感など感じない奴が良い。思う存分にヤれる奴が良い。この痛みを晴らせる奴が良い。そんな思いに囚われながら。
そして、辿り着いたのは、白い『場所』の出来事と、『以前』を喰った『影』だった。残念ながら奴の顔は浮かばないが、憎たらしく哂った口は憶えている。あの口を情けなく歪ませたら、どんなに愉快だろうか、どれ程までに痛快だろうか……。
「クッ――」
漏れる声を必死に抑えた。だが、湧き上がり、殺意に迄成った恨みは、抑えられない。
肩を震わせながら、歪んだ笑みを作る口を隠す。
どうやって、行く?
周りを見渡し、昼間使った果物ナイフに視界が留まった。
確か奴は、俺は死んだと言っていた。成らば、もう一度……と。哂い抑えられずに、俺は
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――駆ける。病院へ、神威の元へ、駆ける。大地を、踏み潰すように、蹴り砕くように、駆ける。神威に忘れられた衝撃で、抜け落ちた『声』を、拾いながら、駆ける。
――――神威を、頼む
――――神威を、お願い
何度も二人に謝りながら、何度も
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
手にした
俟っていろ、クソ野郎!
ナイフを逆手に持ち、腕を高く上げ、胸を目掛け振り下ろす。
「――ぐぅっ」
胸を刺す、その直前で刃が止まる。もう一度繰り返すが、結果は同じ。だが、信じず逃避し、何度も繰り返す。
――――死なないで!
女の声が頭に響いた。誰かはわからないが、知っている声だった。
――――遣り残した事が有るだろう!
今度は男の声。これも知っている声だった。誰だかわからないが、恐らく親しい間柄だった声達。それをもっと聞きたくて、強く成る痛みを振り切る様に胸に押し付ける。
――――ダメ!
あと少し、あと少しで影を殺しに行け、あの声の元に行けるのに、動けなくなった。そして――
「逝かせろよ……!?」
――漏れた声に絶望した。止めた声は、今、自身から出た声と同じだったからだ。俺が俺を止めている様で、俺自身にさえ裏切られた。そんな思いが駆け巡った。
「もう、嫌だ……」
吐いた言葉が全てだった。自分の事が解らず、身体の自由さえ無い。もう、何もかもが嫌に成っていた……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――程なくして神威の病室に辿り着き、扉を開けた。そして、ナイフを突き立てようとする神威の姿に固まった。だがそれは一瞬の事。
「もう、嫌だ……」
抜け殻の様に成る、過去の自身を思わす姿に、弾かれた様に駆け出した。そして、手に持つナイフを払い落とした。
ここまで、ここまで追い詰めていたのか!!
呆然と見上げてくる神威に、気づけなかった自身を罵倒する。恐らく神威が感じているものは、捨てられた様な思い。だが、私とは状況が違う。何と言えば良いのかわからない。段々と死んでいく神威の目に焦りを感じ、抱き締める。想いが少しでも伝わってほしい、解ってほしい。そう『ねがい』ながら強く抱きしめる。
暫くすると、ポツリと呟いた。
「何故……?」
抱きしめる事か、それとも、此処に居る事か。若しくは……立ち去のに、か。だが、如何いう意味でも、返す言葉は同じだ。
「決めたからだ」
例えどう思われようとも、もう、誓ったのだ。
「お前を守る、と」
今度は、私が家族を守る、と。自身にも言い聞かせながら、神威の頭を撫で始めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
何故だろう。神威では無く、お前と言った。この人からすれば、俺は紛い物なのに……。
「俺は、神威じゃ……無い」
それに、俺はこの身体にナイフを突き立てようとした……屑野郎だ。守るなんて言ってもらえる資格なんて、無い。そう思い口にしたが、返された言葉には……黙る事しか出来なかった。
「……では、何と呼べばいい?」
『名』は、わからない。寧ろ、俺自身が知りたい。
黙り続ける俺に、微笑みながら頭を撫で始めた。
「若し、無いのなら……貰ってくれないか?」
「……何を?」
「神威の『名』を」
良いのだろうか、俺が神威と名乗って……。
「何故……」
「お前が名乗らなければ……無くなるからな。だが、強制はしないさ」
そう言いつつ、浮かべる表情に、胸が痛んだ。そして――
「……そうか」
――気づけば、頷いていた。俺の意思かどうかは、わからなかった。だが、続いていた痛みは、無くなっていた……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
神威は頷いた後、身を茹だれる様に凭れ掛かってきた。
「……神威?」
声を掛けるが返事は無い。どうやら、眠ったらしい。
恐らく、無理していたのだろう。事故に遇った時、二人に護られて外傷は少ないが、その分心に傷を負ったのだろう。顔が見える様に抱え直して、見えた涙に、そう思う。
「我慢なんて、しなくていいのに……」
涙を拭いながら、思う。この子は、あの時の私のように救われたのか、と。
そして、これからの事を考える。一夏と箒は泣くだろう。束は……どういった反応をするかわからないが、大変な事になると思う。
「なあ、神威……」
だが、其れも全て明日だ。そして、何よりも先に言うべき事が在る。
「家族になろう?」
無意識に私の服を握る手が、頷き返してくれているかの様だった。
その事に安堵し、思う。もう一度始めよう、と……。