Re:呪は月を擁いて 作:鉄屋
外は雨が降っている。
雨粒の数は多くはないが、一つ一つが大きい。身を晒せば、貫かれるだろう。今の俺にとって、それは望ましい。この身を終わらせられるなら、酷く望ましいと、少しだけ思った。
「ありがとう、神威君」
窓の外を引かれるように見入っていると、隣に居る柳韻さんがぽつりと漏らすように声を掛けられ、窺う様に視線を向けた。「龍我と絆さんの二人を見送ってくれて……」と言う柳韻さんが浮かべる表情は、憂いか、愁いか、それ以外かよく分からなかった。擁いた感情の向ける先は、俺であることは間違いないと思うのだが……。
「俺で、良かったんでしょうか」
「うん、きっと二人も喜んでいるよ」
「そう、ですか……」
気遣いではなく本心からの言葉……だろう。だが、俺は受け取れない。そんな資格は無い。本来居るべき者ではない。だから、受け取る訳にはいかない。
「我慢しなくても、いいんだよ?」
「……え?」
「見送る時、飛び出しそうに成ったでしょ?」
「っ――」
違う! そう叫んでしまいたかった。
漆月 龍我と漆月 絆が、その身を焼く炉へと向かう時、確かに此の身体は飛び出したい衝動に駆られた。だが、それは決して俺の意思では無い、筈だ。今の
在るとしたら、微かに感じる痛みに対する懺悔。薄い痛みは、まるで泣いている様に感じた。だが、それも俺では無く、神威だ。俺が泣きたい訳では無い。
「――少し、一人に成りたいのですが……」
「……三十分で始まるから、それまでだよ」
「はい、ありがとうございます」
二人が身を灰に変える迄の時間、許可が出た。礼を言い席を立ち、その場を後にした。柳韻さんの顔を見ない様にして……。
人気の無い通路に出ると窓越しに見える雨に目が付き、自然と足が止まった。風は無く、雨は大地に真っ直ぐと振っていた。その振り方はとても力強く見え、引かれる様に建物から外への扉に手を掛けた。
っ――
中と外の気温は大きく違ったが、今の俺には心地よく、浸かっていたい冷気だった。屋根が途切れ、目の前に振る雨も、酷く、魅力的だった……。
――冷たい。
手を伸ばしてみると、直ぐに撃たれ、冷気を纏っていった。感覚が段々と薄く成り、自分のものでは無いように感じる。だが、この感じが“正しい”のだろう。そして、何処となく重く、芯まで響くような冷たさは、とても心地良かった。
次第に下がる視線の先、眼下に在る水溜りに、
確認など、出来る筈がなかった。それに、今と成っては如何でも良い事でもあった。そして何より、それを考える事自体が億劫であった。
冷やした方が、良い……のか?
そう思いながら一歩を踏み出す。何も考えないように、何も感じないように……楽に成る為に――。
「寒くないの?」
掛けられた無垢な声に止められ、四散した。欲しかったもの、手に入れたかったものが、散って行ってしまった気分だった。
「風邪ひくよ? ねえ?」
「……うん」
声元を辿ると、済んだ水色の髪をし、紅い瞳をした二人の子供が居た……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
曇りゆく窓の向こう、踏み留まった神威を見て、柳韻は強張っていた身体から力を抜いた。肩を落としながら吐息する様は、安堵をありありと現していた。
横を見ると、柳韻と同じような表情で苦笑する女が居た。
「……仰る通り、でしたね」
「確信は有りませんでしたが……」
柳韻は神威と別れた後、神威の心有らぬ様子に危機感を感じ、秘かに後を追っていた。だが、外にあるベンチに座る三人の様子に、多少の猶予が有ると判断し女の方へ向き直った。
「更織 楯無さん、で宜しかったですか?」
「……ご存じで?」
「触り程度ですが、龍我から聞いております」
柳韻に向き直った更織 楯無は、扇子を開き口元を隠し、ほんの少しだけ目を細めた。
漆月とは切る事など出来ない関係にあるのが更織であり、楯無は更織の頭である。そして、日本の裏に属する者であるが為に、それ相応の思考に成った。
「口煩い女、とでも聞いていますか?」
「……まさか。良い幼馴染、と聞いております」
柳韻が答えるまでの若干の間、表情、声色から、大体の当たりを付けた。裏に関する事には触れているが、ボーダーは越えていない、と。
「ふふ……そうですか」
「ええ、懐かしそうに言ってましたよ」
「さも可笑しそうに、ではなくて?」
「……はは」
楯無は思考を億尾も表面に出さず、笑い話へ変えた。実際、裏を知らない表の人間にとって、更織のような人間は眉唾な話だ。ただの表の人間に知られたところで、大した意味は持たない。それに、眉唾な話を聞いて動く“敵”が居るのなら、逆に儲けものなのだ。だが、これらの話題を続けるには旨くない為、機を見て話を変えた。
「あの子は、これから大変でしょうね……」
楯無の視線が外に居る神威へと移り、柳韻はその後を追うと同時に、昨夜からの事が思い浮かんだ。
先日の通夜から神威は自分を責める様子があった。それを察知した柳韻は、やんわりと、だが確りと否定したが、何を言っても納得しなかった。事故前の神威ならば、性格は知っているので多少なり言い聞かせる事が出来たのかもしれないが、今の変わってしまった神威には、踏み込んだ事は言えなかった。下手な事を言えば、どうなるか判らないからだ。大した事を言えず、内心を引き出す事も出来なかった柳韻は、自分を恥じた。
「龍我の周りには、俗な輩も居ましたから」
思い起こされるのは、先日から目に付く、冥福を祈っている様には見えない、神威を邪(よこしま)な目で見る者達。何人かは神威に近づこうとしていたが、壁と成っていた柳韻に威圧され、歩みを止めていた。だが、諦めた様には到底見えなかった。
「護りますよ、必ず」
柳韻は己に言い聞かす様に、神威と再会してから誓った事を口にした。親友への恩返し、でもある。親友の忘れ形見だから、でもある。娘の為、でもある。だが、それ以上に、単純に放っておけないのだ。柳韻にとっては、十分に足る理由であった。その様は、断てないものなど無い名刀に見えた。斬るものだけを斬り、他は傷付けない名刀に。
そして、柳韻が名刀ならば、楯無は――
「お手が必要ならば、お呼び下さい」
――必要以上に身を出さない暗器。影に隠れ、獲物を確実に狩る暗器。
だが今の楯無は、昔を想う一人の女でもあった。
「……宜しいのですか?」
「ええ、幼馴染の子……ですから」
確認を取る様に訊く柳韻に、楯無は決定とばかりに扇子を閉じ、鳴り響かせた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ベンチに座り、雨を眺めている。雨は、随分と小降りになった。もう、霧雨と言って良い位に。
隣に座る二人は、どちらも同じような顔の作りで、髪は肩下で切り揃えている。違う点と言えば、若干の身長差と、髪が外にはねているか、内に丸まっているか、だ。俺は、この二人は姉妹なのだと、何故か確信している。
「ねえ」
「……何だ?」
「雨は嫌い?」
「別に」
「そっかぁ。今の雨は好きなんだけどなぁ。ね?」
「……うん」
頻繁に話し掛けてくる、口数が多い方は姉だろう。地に着かない足をプラプラと揺らしながら、俺ともう一人を行き来している。逆に、話し掛けず、殆んど肯定か否定しかしない、口数が少ない方は妹だろう。俺をマジマジと見ている。
「ねえ、何で嫌いなの?」
「……晴れないからだ」
「じゃあ……晴れれば好きになるの?」
「……たぶん」
「そっかぁ……。でも、晴れもすきだなぁ。ね?」
「……うん」
俺に話し掛けて、何が楽しいのだろうか。楽しい筈が無いのに、何故声を掛けたんだろうか。姉の方は、笑みを作った顔が崩れない。
「何故……」
「うん?」
「俺に、話し掛ける」
問い掛けに、虚を突かれたように笑みが崩れた。だが、それも一瞬、直ぐに笑みを作りながら話し始めた。
「寂しそうだったからかなぁ……」
「俺が……?」
「うん、そんな感じかぁ。ね?」
「……うん」
そんな表情を、していたのだろうか。だが、そんな
「あ、またしてる」
「……泣きたい……みたい」
――俺、なのだろうか……。今、泣くような痛みは無い。在るのは、冷たくなった感覚だけ。悲しさは存在しない、筈だ。
「あ、そうだ」
「……? 何を……」
何か閃いたのか、俺の手を自分の懐へ引き、両手で握った。冷えて感覚が薄く成っていた俺の手には、熱は遠く感じた。
「すっごい冷たいよ」
「そうか」
「ほら、ね?」
「……うん」
妹の方も、重ねるように両手で握った。暫くその儘の状態でいたが、手を動かし始めた。何をしているのか、何をしたいのか、全く解からない。だが、姉の方は解かったらしく、同じように動かし始めた。
「何を……?」
「擦ってあっためてるの。ね?」
「……うん」
摩擦熱で温めようとしているのか。確かに、段々と熱く成ってきている。冷えていたせいか、余計にそう感じる。ただ、手を退けることも、止めさせようとすることも、行動に移すには酷く気怠かったが……。
「……んっ」
「あちちっ」
二人は限界だったらしく、手を放し冷ます様に振っている。そして、振りながら「あったかくなった?」と訊いてきた。実際に熱く成ったので正直に頷くが、信じてないようだった。
「ホントにあったかくなったの?」
「ああ」
「……ねえ、見える?」
「……ううん」
欠片も信じておらず不満顔に成ったが、直ぐに表情を変えた。挑むような目をしている。
「もう一回だねっ!」
「……うんっ! 負けない……」
勝負……と取ったようだ。また手を擦り始めた。ただ、先程よりも強く、速く擦っている。どうやら、二人とも負けず嫌いのようだ。姉は兎も角、妹の方は意外だった。姉は外向的で髪も外に、妹は内向的で髪も内に、と思っていた。だが、根の部分は同じのようだ。現に、懸命に擦る表情は、全く同じだった。
「――ふ」
何を必死にやっているんだか。そう思ったところで、声に出てしまった。耳に入れた二人は動作を止め、弾かれるように俺を見た。そして、咲くように、段々と笑い始めた。
「やっと笑った」
この二人がしていた事が、漸く解かった。温めようとしていたのではなく、暖めようとしていたんだ。手ではない『場所』を。
礼を言おうとしたところで、雨が止み、雲の割れ目から日が射してきた。此処ではない遠くを射す光は、霧掛かった空を割り蹴散らすようだった。
「わあぁ……」
「……凄い」
ただ、見惚れた。只の天気の変わり目だが、別物にも見えた。
「ねえ、雨の日は嫌い?」
「別に……」
ベンチから飛び降り、振り返り、日を背負った。そして、同じ問い掛けをしてきた。だが、こんな景色が見られるのなら……。
「――嫌いじゃない」
「そう、よかった! ね?」
「うんっ!」
――悪くない、そう思った。