杏樹side
両親に連れられてたどり着いたのは小学校と言う場所だった。
保育所はなんとか通いきった。ママの教えをきっちり守ったらいつ行ってもエスコートを受け、なんでもない日にプレゼントをくれる。列になってくださいと言われたらクラスの男の子たちは一番前を譲ってくれる。ただ女の子たちにはいっぱい痛い目に遭わされたけれど。それも気づいたら男の子たちが助けてくれた。
ただその報告を受けたママとパパは頭を抱えていたから多分あまり良くないことだったんだろう。
「娘が保育園でハーレムを築いてるって先生が……誰に似たんだと思う?」
「お前だろ」
そんな両親の会話を耳にした。
そして小学校ではみんなからプレゼントをもらうこともエスコートも受けてはいけないとやんわり忠告されてしまった。わたしは頼んでないって主張したら余計頭を抱えられてしまった。
みんな小学校に通うのがルールなのだと言われてしまえば仕方がない。まるで捕まった宇宙人のように、パパとママに手を持たれほぼ宙ぶらりんで引きずられている。
「杏樹、ちゃんと歩きなさい」
「アンジュ、ママの腕がもげちゃうわよ」
「パパの腕はもげないから問題ないと思う」
駄々をこねるも相手にされず、引き続き引きずられたどり着いたのは大きな門。周りも同じように親子でぞろぞろと中に入っていく。
校庭を横切り、玄関で上履きと履き替える。
「これが上履き、こっちが外ばき。間違えないよう気をつけなさい」
「うん」
廊下を通り、教室に入るとわたしは大人に引き渡されママとパパは教室の後ろに行ってしまった。
「烏間杏樹ちゃんね、入学おめでとう。今からお席に案内するね」
そう言って案内された席には自分の名前が書かれたプレートに、青い箱。中にはハサミとかノリとかおはじきとかが入っているのと、教科書が何冊か積み重なっていた。
わたしが座ってから数分後にはもう先生が話始めた。このクラスの担当の先生らしい。初めはしっかり聞いていたが、だんだん退屈さが勝ってきた。
式では案内された席で静かに座っていることみたいなことを言われたが、その座っていることが難しいのだ。今も立って歩きたいと言う気持ちとママとパパが見てるからきちんと座ってなくてはと言う気持ちでぐるぐるしている。
なんとか教室での苦行は耐えきり、体育館に移動する。
そこでもずっと座りっぱなしでお話もおめでとうございます見たいな話ばかりが続いて面白くない。
しばらくキョロキョロしたり手遊びをして過ごしてとうとう何もすることがなくなった時、足元にバッタを発見した。
そう、バッタだ。しかもオンブバッタではなくてクルマバッタ。顔が仮面○イダーに似ている方。
思わず手を伸ばす、それに気づいた隣の男の子も手を伸ばす。
周りの子は全員その一匹のバッタに興味しんしんで周りのことなんか気にする人は誰もいなかった。退場の合図がかかっていたらしいがわたしの周りの約10人ほどはどうやってバッタを捕まえるか、誰が捕まえるかと言うことしか考えておらず動かない。後ろで見守っていた保護者も退場の合図にぴくりともしないその集団にざわめき出す。
「ほら、みんな退場しようね〜」
そんな声が聞こえたが、そんなことよりもバッタなのだ。
一人の男の子が手を素早く動かし捕まえようとするが、危険に気づいたのか大きく飛び跳ねる。そして固まっている一人の女の子の肩に飛び乗った。
女の子は悲鳴をあげ体を左右に揺らす、別の男の子はその女の子の肩から離れようとしないバッタにまたもや手を伸ばす。そしてついに捕まえた。
「はいあげる。僕からのプレゼント」
そっと掌にバッタを乗せてくれた。わたしのためにとってくれたらしい。
結局知らない先生が何人もやってきて、一生徒一人の先生が付き添い体育館から引きずり出された。もちろんわたしも頑丈そうな男の先生に引きずられて退場させられる。結局もらったバッタを見失ってしまった。
教室に戻っていろいろ説明されたあと、担任の先生に学校は集団行動をする場所だから指示はきちんと聞きましょうと、パパとママの前で言われてしまった。
これだけだったならまだ問題はなかったらしい。ただ、わたしが先生と面談をした回数は1ヶ月で4回。つまり週1ペースだ。
大体、授業中立ち上がりぎみだとか、女の子のお友達と喧嘩したとか、文字を書くのが人より遅れているとか、話を聞いていないことがあるとか、それに男の子のお友達の興味や関心を巻き込んでの授業妨害は先生が対処するのが大変だ、一度病院で検査した方がいいと言うものだった。両親はひたすら謝り、すぐに病院の予約をとっていた。
「わたし悪い子だから病院行くの?」
「いや、何も悪くないよ。人によって得意と不得意が違うのは当たり前だからな。杏樹がやっている勉強はパパにもわからないことがあるし、逆にパパができる二重跳びはまだ杏樹は上手にできないだろ?そういうふうに杏樹ができることと苦手なことをはっきりさせるお手伝いをするために病院にいくんだ。杏樹が悪い子だから病院に行くわけじゃないよ」
「そうなんだ」
「アンジュ小学校楽しい?」
「お友達はいっぱいできたけどつまんない、体育は楽しいけどそれ以外はやだ」
病院につくと優しそうなおじいちゃん先生が出迎えてくれた。いろいろと尋ねられ、テストを受け、血をとられ、脳波をとられ……結果は二週間後ですと言われた。
結果はtwice exception
対人、論理、言語学習、身体運動神経、内省的知能が優れているが一方、多動、衝動性があり、文字を書くことや反復することがを苦手であること。簡単にまとめるとそんな感じらしい。
学力も渚のおかげで大学の教養過程までは問題がなさそうだということ。海外の大学に通って得意を伸ばしつつ、苦手を平均レベルにするのがこの子の一つの選択肢であると言われた両親は驚き半分、納得半分の顔をしていた。
「アンジュはどうしたい? 小学校いく? それとももっとお勉強できるところ行く?」
「小学校やだ、知らないことやりたい」
この発言により、パパを日本に残してママとアメリカに渡ることになった。
こうして7歳で渡米し、9歳で学士取得、
そのまま博士後期課程に進もうと思っていたのだが、周りの人が言う『華の高校生活』『一生の友を得た』『高校時代に戻りたい』なんて言葉が気になり始めていた。そんなに言われると興味が湧く。
そこでママに高校に行ってみたいと相談をすることにした。
乗り気なママはいろいろ探してくれたみたいだが、今は10月。すでにどこの学校も新学期がスタートしていた。
「日本に戻れば時間があるわね、タダオミに相談しましょ」
そこからは早かった。
パパが一年だけ勤めてた学校の元理事長に当たってくれて、その元理事長の知り合いの理事長に推薦を書いてあげようということになり、トントンと話が進み日本に帰ることになった。
わたしがマスコミに追われていることも考慮して、なんと3年間外部との接触ができなくなる高校らしい。
研究室の仲間にお別れを言うと盛大なパーティーを開いてくれて、いつでも戻ってきていいからと言ってもらえた。特に仲良くしてくれたハンナからは今時の高校生に流行っているものをわざわざ妹に聞いてまとめてくれたらしいが、アメリカと日本じゃ多分流行が違うのではないだろうか?
すっかり英語に慣れたわたしは入学までのあと数ヶ月、日本語の復習を始めた。会話は文句なし、よみもOK、聞き取りもOK。ママからはその3つはお墨付きをもらえたが、書きがよろしくない。
「アルファベットと平仮名と……カタカナはいけてるわね、あとは……漢字ね」
「難しい……これってこれであってる? 何かが違うんだけど」
「ここが一本多いわ、ほら見比べてみなさい」
書くとしてもタイピングで変換機能をバリバリ使って今までごまかしていたわたしにとってこれは苦痛な作業だった。とりあえずたぶん小学生で習う漢字はおおよそ形を覚えてきた。1、2本線が抜けたり増えたりはご愛敬ってことにしてほしい。
『普通』とは違う人生を歩んできたわたしだが、やっとみんなに合流する。
やっとよう実パートに入れます。