No,1.1
4月入学式。
学校に向かうバスに揺られて15分すでに杏樹の顔色は白から青へと変化していた。ブランコなど数分の強い揺れはなぜか平気なのだが、長時間の弱い揺れは杏樹にとって耐えがたいものであった。
降りるバス停まであと45分。目の前に今にもよろけて倒れてしまいそうなお婆さんがいることに気がついた。
「……あの、ここどうぞ?」
「あらまぁありがとう、でもあなた顔が真っ青よ。わたしよりも座っていた方がいいわ」
お婆さんに逆に心配されてしまった。杏樹は一度立った席に座り直し、静かに目を閉じた。この場合目をかっぴらいていたら逆にお互い気まずいだろう、そういう配慮だ。
「あなたこそ席を譲ってあげようとは思わないの?」
杏樹の行動の一部始終を見ていた1人の女性が杏樹の隣に座る男子生徒に向かってそう言い放った。静かなバスの中でその声はとても目立っていた。
「そこの君お婆さんが困っているのが見えないのかしら?」
畳み掛けるようにその女性はそう続けた。
「実にクレイジーな質問だね、レディー。なぜこの私が老婆に席を譲らなくてはならないんだい? どこにも理由はないが」
「君が座っているのは優先席よ、お年寄りに譲るのは当然でしょう」
「理解できないねぇ、優先席は優先席であって法的義務はないーー」
そこから2人の会話はヒートアップしていく。
「なっ……! あなた高校生でしょう?! 大人の言うことは素直に聞きなさい!」
OLはムキになっているが、話の中心であったであろう老婆はこれ以上騒ぎを大きくしたくないのかそのOLを必死になだめている。結局男子生徒の倫理以外はまったくもって間違いはない意見にOLは何も言えなくなり、悔しそうに歯を噛み締めていた。
「あの……私も、お姉さんの言う通りだと思うな」
OLの隣に立っていた女子生徒がそう述べた。
「今度はプリティーガールか。どうやら今日の私は思いの外女性運があるらしい」
「おばあさん、さっきからずっと辛そうにしてるみたいなの。席を譲ってあげてもらえないかな? 社会貢献にもなると思うの」
「社会貢献か。中々面白い意見だ。でも私はその社会貢献に興味がないからねぇ。そもそも譲る気配のない私を説得するよりも、他の乗客に頼んだ方がお互いにいいとは思わないかい? たしかに私が美しいから声をかけたくなる気持ちは充分理解しているよ」
結局近くにいた別の人が進まない論争に何かを思ったのだろう。それは善意かそれとも罪悪感か。さっきまでの論争は必要だったのか? と思われるくらいすんなりと譲って一件落着したらしい。
ただ、杏樹の頭痛や吐き気はこの些細な揉め事とは反対に落ち着くことはなさそうだった。
やっと目的地である学校前のバス停につき、揺れから解放される。杏樹は外の新鮮な空気を吸い込み、バス停目の前の学校の門を潜る。
先ほどの頭痛よりも新たな場所への興奮が上回り、自分が体調不良であったことをすっかり忘れてしまった。
周りは皆新入生、杏樹と同じ立場の人間だろう。こういう入学式は案内の係などがいるものだと思っていたが、実際はそうではなかったらしい。まぁ杏樹のまともな式への参加は小学校以来だ、そう思って係の代わりであろう立っている矢印の看板に沿って歩いて行った。
矢印を辿るとついたのは教室。
一人一人机は指定制らしい、周りの生徒を真似して自分もネームプレートを探す。
「えーと烏間、烏間……あった」
席は後ろから2番目窓際からも2番目。小学校の入学式とは違い、青いお道具箱はなかったが代りに教科書や手紙が大量に積み重なっていた。
杏樹の隣の席と前の席の人はまだきていない。後ろの席の人と斜め後ろの人は杏樹が席についた数分後同様に席についていた。
元同期に言われたことを思い出す。『新学期はなぁ、とりあえず話しかけときゃみんな友達だ』杏樹はそのありがたいボブからのアドバイスに従うことにした。
くるりと後ろを振り返る。
「こんにちは、わたし烏間杏樹っていうの。杏樹って呼んで。よろしくね」
後ろの子とはちゃんと目があったような気がしたが、すぐに本に目をむけてしまった。人見知りか何かだろうか。
仕方がないので、隣の男子生徒にも挨拶をする。
「えーっと、よろしくね?」
「あぁ、オレは綾小路清隆だ。好きなように呼んでくれ……杏樹はどこかのハーフか?」
綾小路は杏樹の見た目と名前、そして日本語の習得度合いから日本育ちのハーフだと判断したらしい。
「そう、ママがスラブ系でパパが日本人。ミドルネームがイリーナなの」
「それじゃ母方に似たんだな」
「そうみたい。パパとは親子って言ってもなかなか信じてもらえなかったもん。パパはザ日本人って顔してるの」
「確かにその顔から純日本人は想像がつかないな」
杏樹と綾小路は無難に話を繋げられていた。綾小路の隣の少女は好きな小説の話になった時に少し反応したような気がしたが、話に入ってくることはなかった。
「えー新入生諸君。私はDクラスを担当することになった茶柱佐枝だ。普段の授業は日本史を担当している。この学校には学年ごとのクラス替えが存在しない。卒業までの3年間私が担任としてお前達全員と学ぶことになると思う。よろしく。今から一時間後に入学式が体育館で行われるが、その前にこの学校の特殊なルールについて書かれた資料を配らせてもらう。以前入学案内と一緒に配布してあるがな。そして今から配る学生証カード。それを使い敷地内にある全ての施設を利用したり、商品を買うことができる。ただしポイントを消費するので要注意だ。学校内においてこのポイントで買えないものはない。学校の敷地内にあるものならなんでも購入可能だ。それからポイントは毎月1日に振り込まれる。お前たち全員、平等に10万ポイントが既に支給されているはずだ。なお1ポイントに1円の価値がある。それ以上の説明は不要だろう」
一瞬クラスがざわついた。ざわついたことは想定内とでも言うように茶柱先生は補足説明を始めた。
「ポイントの支給額が多いことに驚いたか? この学校では生徒を実力で測る。入学を果たしたお前達にはそれだけの価値と可能性がある。そのことに対する評価みたいなものだ。遠慮することなく使え。ただし、このポイントは卒業後現金化したりできないから、ポイントを貯めても得はないぞ。振り込まれた後ポイントをどう使おうがお前達の自由だ。譲渡しても構わない。だがカツアゲをするような真似はするなよ? 学校はいじめ問題だけには敏感だからな。以上、式典までは自由時間だ」
杏樹は一通りされた説明を噛み砕いで解釈していた。
自分の価値をあげれればポイントは増加し、逆に下げれば減少する。杏樹にとっては10万は微々たる金額だ。これは普段の感覚のままだと使い切ってしまう可能性もある。早急に収入源を増やさないと。杏樹は自分が研究のためにしかお金を使ったことがないのを忘れて、その時はどんな事業を始めるべきか考えていた。
しばらくして、自分がそんなにお金を使わないことに気づきその思考もすぐ止めてしまったが。
「みんな少し聞いてもらってもいいかな? 入学式までの時間に自己紹介を行なって1日でも早く皆が友達になれたらと思うんだ。どうかな?」
さわやかな男子生徒からのありがたい提案にみんな賛成の声を上げる。
「じゃあ僕から。僕の名前は平田洋介。中学までは洋介って呼ばれることが多かったから気軽に下の名前で呼んでほしい。趣味はスポーツ全般だけど特にサッカーが好きで、この学校でもサッカーをするつもりなんだ。よろしく」
杏樹はみんなに合わせて拍手を送りながら顔名前を一致させていく。日本式自己紹介の仕方は一応学んでいるので、心配する必要はない。
順々に自己紹介は進んでいき金髪ボブの明るそうな子の番がやってきた。
「私は櫛田桔梗といいます。中学からの友達は1人もこの学校に進学していないので一人ぼっちです。だから早く顔と名前を覚えて友達になりたいと思っています。私の最初の目標としてここにいる全員と仲良くなりたいです。みんなの自己紹介が終わったら連絡先を交換してください。以上で自己紹介を終わりますっ」
櫛田は杏樹がバスの中で思った通り誰とでも仲良くできそうなタイプだった。ただ少し胡散臭さも感じたが、気のせいかもしれない。この手の第一印象の杏樹の的中率はオッズ2倍だ。
その後も順調に進んでいた自己紹介は1人の生徒によって一度中断された。
「俺らはガキかよ。自己紹介なんてやりたいやつだけやれ」
そう言っていかつめの男の子は外に出ていってしまいそれに続いて何人かも出ていってしまった。その中には杏樹の後ろの席である彼女、名前はネームプレートによると堀北鈴音というらしい、も含まれていた。
「強制じゃないから抜けたい人がいたら抜けても構わないよ。じゃあそこの角の子達も自己紹介お願いできるかな?」
平田と目があった。
杏樹はこくりと頷き席を立つ。
「烏間杏樹、気軽に杏樹って呼んでね。好きなことは体を動かすことかな? 見た目の通り、ハーフです。仲良くしてくれると嬉しいな」
杏樹は無事挨拶を終え席につく。
趣味や特技は、研究、製薬、研究発表とでもジョークとして(事実だが)言おうと思ったのだが、それは初日から目立ってしまうからアウトとママに止められてしまった。この学校では友達を作って恋愛をして楽しむのが杏樹の目標なのだ。最初から地雷原を設置するわけにはいかなかった。
杏樹の次、つまり最後の自己紹介をするであろう綾小路は直前までぼーっとしてたのか、少し慌てて立ち上がっていた。
「えー……えっと綾小路清隆です。その、えー……得意なことは特にありませんが、みんなと仲良くなれるよう頑張りますので、えー、よろしくお願いします」
杏樹が綾小路の自己紹介から得られた情報は特に何もなかった。
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