介人がジュランの前では素直でいていいと気付く話。
時系列としてはスシワルドの後になっています。
Pixivにアップしたものをこちらにも載せました。
配達を終えて軽くなったコンテナを後ろの荷台に括り付けたまま、仕事用の自転車を細路地の奥へ停めると、五色田介人は自宅兼店舗『駄菓子カフェ カラフル』の勝手口から台所を抜けて、店表に顔を覗かせた。
午後一時を少し回ったばかりの店舗に客の姿はない。学校帰りの子供達が押し寄せるにはまだ早く、勤め人達の昼休憩も終わった時刻で、ちょうど客足が引いたところらしい。
路地の突き当たりに表戸を構えている『カラフル』は表通りの往来とは無縁なので、人波が途切れると急にぽっかりと静かな時間が訪れる。
両開きに開け放ってある表戸の外から、ひょいと暖簾を掻き分けて、竹箒を下げた祖母のヤツデが現れた。両親が不意に消えてからのこの十年、親代わりになって育ててくれた、介人のたった一人の肉親である。
「ヤッちゃん、ただいま」
「お帰り、介人。随分かかっちゃったね。ガオーンちゃんが作ったお昼ご飯、残ってるよ」
小柄だがちゃきちゃきとしたヤツデはそう言いつつ、カフェ部分に作り付けされたキッチン台の上からラップのかかったオムライスを二人分持って来て、食卓代わりになっている鉄板付きテーブルに並べて行く。
「あれ、ごめん、ヤッちゃんも食べてなかったの?」
「こっちはジュランの分。さっき戻ったとこだから」
「あー、寶屋のお婆ちゃんのとこで、棚卸し手伝ってたんだっけ?」
外の水道をじゃぶじゃぶと使う音が止まり、今度は暖簾を分けてジュランが店に入って来た。赤を基調とした機械の身体を持つキカイノイドでありながら、事あるごとに痛めている腰の辺りを撫で擦っている姿は、悲哀と愛嬌が入り混じって笑いを誘う。
介人は隣の椅子を引いてやり、ヤツデが出した温かい番茶をジュランの前に置いた。
「お疲れ様、ジュラン。俺の代わりに行ってくれて、ありがとね」
「おー。結構、腰にきて参ったわ」
「寶屋のお婆ちゃん、今年はキカイノイドが手伝いに来て驚いてたでしょ?」
「最初はメチャクチャ不審がってたけどな。ま、俺らはここに居候してる分、労働で返さなきゃだろ」
でも次はブルーンに行かそう、と本音でぼやきながら、ジュランはオムライスに手を伸ばした。
カラフルが属している寺乃町商店街は、昔ながらの下町の商店が軒を連ねており、最近は例に漏れず高齢化の波が押し寄せている。店主が七十代、八十代という店は少なくなく、そのほとんどに跡継ぎがいない。当然、店舗を維持する雑務をこなす人手も足りず、商店街で最も若い人員の一人である介人が、常にあちこちの店舗で季節の棚卸し、荷運びといった手伝いをしている経緯があった。
キカイトピアがこちらの世界と融合し、トジテンド王朝が平定と称する侵略行為に及び始めて三ヶ月。介人にスカウトされる形でゼンカイジャーの一員となり、五色田家で居候するに至ったジュランとガオーン、ブルーン、マジーヌの面々は、外で稼がない代わりにと、町内や商店街の雑事を進んで引き受けてくれている。そして、これが意外と好評なのだ。
中でも気さくで親身なジュランは、また手伝いに来て欲しいと頼まれる率が多い。ヤツデによれば「ジュランは年寄り寄り」だからだそうだ。本人は出逢った当初から終始、イケてるオジさんのつもりだけれど。
「ねえ、ヤッちゃん。他の皆は出かけてるのかな?」
ゼンカイジャーの残り三人の姿が無い静かな店内を一渡り見回して、介人は台所に引っ込んだヤツデに問いかけた。
ジュランを含めた四人のキカイノイドが駄菓子屋の狭い店内を埋めている景色が日常になったせいか、三人分の色彩が欠けていると一層静かな気がする。
すぐにも奥から朗らかな応えが上がった。
「ガオーンちゃんは夕飯の買い物、ブルーンちゃんは図書館、マジちゃんはオカルト同好会の子達と放課後にパワースポット廻りするって、張り切って出かけたよ」
「ええー、何だ、そっかぁ。マジーヌにあげようと思ったのに、行き違いになっちゃったなぁ」
心底残念そうに声を上げた介人の手が、青地のベストを飾る大振りなポケットから折り畳まれた紙片を摘み出す。と、ジュランの方へくるりと身体を回転させて、悪戯っぽくそれを広げて見せた。
ポップなレタリング文字と観覧車のイラストが躍るそれには、ここから然程遠くない場所にある、小さな遊園地の名前が印刷されている。『カラフル』にも割引券付きのチラシが置いてあったはずだ。
いかにも子供が喜びそうな愛らしいチケット越しに、介人がキラキラと瞳を輝かせている。
「これ、配達先で貰ったんだけどさ、今日までのペア券なんだって。マジーヌを連れてってあげようと思ったけど帰って来ないみたいだし、折角だからジュラン、俺と行かない?」
「遊園地? 俺と?」
「そ。無駄にするの勿体無いじゃん。行こうよ!」
その圧にジュランは僅かばかり怯んで、スプーンを銜えたまま視線を彷徨わせた。
マジーヌがいないと知っても諦めない辺り、その実は介人の方が遊びに行きたがっているのだと容易に察しが付く。と言って、平日の昼間から男二人で遊園地と言うのも、些か腰が引ける。何より、後からガオーンにばれるのが怖い。あの介人フリークときたら、誰かが介人と『二人きり』で何かしようものなら嫉妬と羨望を隠さないのだから、手に負えない。
「いや~、でも、このあと店番が‥‥」
「あらまあ、良いじゃないか、二人で行っておいでよ。今日はお昼も遅くなっちゃったし、もう休憩って事にして」
助け舟を探したつもりが、台所からお茶のお代わりを運んできたヤツデにそう言われてしまうと、ジュランにあえて否と言う理由はなくなった。何より店主たる祖母の許しが出た介人は、
「やった! じゃ、早く食べちゃお」
と、両腕を上げて喜び、いつもの全力全開ぶりでオムライスの残りを頬張っている。無理に突っぱねたら完全に臍を曲げそうだ。
ここのところ立て続けに、トジテンドが送り出してくるワルドを相手にしていた事だし、たまには介人も羽根を伸ばしたいだろう。ジュランは両肩を軽く竦めて、皿に残った最後の一口をスプーンで掬い取った。
押上にスカイツリーが建つと、この辺りにやって来る観光客の大半はそちらに流れてしまったが、地元の子供達にとって行楽地と言えば今も昔も、少ない小遣いで一日遊べるここ『ハッピードリームランド』に他ならない。
開業は高度経済成長期と言うから、かれこれ六十年以上この下町の一角で、時代に合わせたアトラクションを増やしたり減らしたりしながら続いている訳だ。何とヤツデも若かりし頃に遊びに来た場所だと介人に聞かされて、ジュランは入場口で配られた園内パンフレットから顔を上げた。
「そりゃ凄いな。年季が入ってる」
「この辺で育った子はみんな、一度は来てると思うよ。他の大きな遊園地には敵わないけど、その分、懐かしい感じがして居心地良いんだよね」
確かに、次々と目新しい遊興施設が犇めき合う東京で、こんな小規模の遊園地がよく残っていられるものだと心配になるが、園内は平日の午後にも関わらず、まずまずの人出だった。大学生らしき私服のグループが多いが、カップルや未就学児を連れた親子も同じくらいそぞろ歩いている。無論、今では当然の光景として、人間とキカイノイドが半々だ。
親子連れなどはアトラクション目当てと言うより、飲食物の持込みを許している園内を公園代わりに、青々とした芝生や休憩コーナーでちょっとしたピクニック気分を楽しんでいる。こののんびりした雰囲気が、いかにも地元密着型で心地良い。園内に流れるBGMも耳障りにならない程度の音量で、走り回って遊ぶ子供達の歓声の方が良く聞こえた。
「よーし、久々に遊び倒すぞーッ!」
居並ぶアトラクションを前にするなり人目も憚らず大声で宣言した介人が、ジュランの手をむんずと掴んで、真っ直ぐにジェットコースターの入場ゲートへ向かって走り出す。ジュランはつんのめって踏鞴を踏みながら、すれ違いざま、介人の勢いに振り返って笑う他の客達に頭を下げ下げ、どうせ右から左に流されるであろう苦言を呈してみた。
「おい、介人! 逃げるもんじゃねぇんだから、もうちょっと落ち着いてだなッ」
一番人気のアトラクションは園を一周する〝危険度0〟のジェットコースター。二番手は園の中央にでんと鎮座している観覧車。と、パンフレットには書かれてあるものの、列が出来ているのはジェットコースターの方だけで、何もわざわざ最初から突撃しなくてもよさそうなものを、と老婆心ながら思ってしまう。
「駄目だよ、ジュラン。時間は無限にある訳じゃないんだから、遊ぶ時は目いっぱい遊ばないと、時間に失礼じゃん」
「そこ擬人化する必要―――」
「聞ーこーえーな~い」
肩越しのあっけらかんとした笑顔でジュランの反駁を封じて、こうなったら、どうでも介人の勝ちだ。出逢った瞬間からジュラン自身が、暖かな日差しのように放射される介人の天真爛漫さに絆されてしまったのだから、仕方のない事だとは言え。
「はいはい、お付き合いしますよ」
「素直でよろしい。とりあえず、乗れるだけ乗ろうね!」
結局、お化け屋敷だけは嫌だと断固拒否した代償にジュランはジェットコースターを三度味わわされ、二人でほとんどのアトラクションを制覇した頃には、太陽もゆっくりと西に傾き始めていた。
園内唯一の売店からソフトクリームを二つ買って戻った介人は、飲食用に置かれているパラソル付きのテーブルで待っていた疲れ気味のジュランに一つ手渡し、隣の椅子に腰かけて満足げに冷たいクリームの天辺へ齧り付く。
背中側から当たった蜜色の陽が、地面に二つの長い影を落として帰りの時間を告げている。いつの間にか周囲のBGMもテンポの緩いオルゴール調の曲に代わり、親子連れの姿が随分と減っていた。
「美味しーい。やっぱり、こういう場所で食べるアイスって格別に美味しいよね。ジュランもそう思わない?」
「自分の店で散々パフェ食ってる奴が、何言ってんだよ」
家族経営ではあるが、介人は一応、店主のヤツデにアルバイトとして雇われている態で微々たる給料を貰っている。孫とは言え、立場的にはジュラン達とあまり変わらない。
茶化された介人は、心外そうに横目でジュランを睨んだ。
「あれは摘み食いとは違うんだってば。商品開発の一環で、ヤッちゃんがお腹壊さないように、若い俺の胃袋が助けてんの。仕事仕事」
「ま、そういう事にしといてやるか」
ジュランはふやけ始めたコーンをばりばりと咀嚼し、さて、と腰を伸ばして立ち上がる。
「そろそろ帰ろうぜ、介人。晩飯までに戻らねぇとガオーンがうるさい」
「あ、待って待って、最後にあれに乗らないと」
コーンの残りを口に放り込んだ介人が慌てて指差したのは、点灯したばかりの照明で円く浮かび上がった観覧車だった。こじんまりとした園に不釣り合いなほど大きい円環は、西日を浴びながらゆるゆると時計回りで動き続けている。
確かに、二番人気のアトラクションという謳い文句ではあった。しかし、引き摺られるままあっちからこっちへと園内を移動している間、何度前を通り過ぎても観覧車に乗ろうと介人が誘わなかったので、ジュランはてっきり、興味が無いのだとばかり思っていたのだ。大体、ゴンドラの乗り場は暇そうな係員が一人いるだけで列も無く、ずっと待ち時間なしで乗れる状態だった。
それが、今さら乗ろうと言い出すとは。
「空いてる時に乗っちまえば良かったんじゃねぇか?」
「そうなんだけど、この時間帯が一番綺麗だから、ジュランに見せてあげたくってさ」
「綺麗‥‥」
ジュランは仰ぐようにして円環を見上げ、その上空に広がる燃えるような夕暮れに視線を止めると、
「確かに綺麗だな」
呟いて、うずうずと待ち侘びている介人に笑い返した。
★
「―――それはいいとして、何で今頃こんな行列になるんだよ?ってか、昼間より客増えてねぇか?」
ジュランが不平の一つも言いたくなるのは尤もで、ゴンドラの発着台へ続く乗り場にはすでに列が出来上がり、順番を待つ十数組の楽しげなさざめきが辺りを埋め尽くしていた。
陽が高いうちはあれほど空いていたものを、まるで嘘のように歩道側まで溢れた人波を、三人に増えた係員がてきぱきと誘導している。介人の言う通り、ピンポイントの時間帯に乗客が増える事を承知している手際の良さである。
おかげで乗降が滞る事は無いのだが、ジュランは、自分達の後ろに長く伸び続ける行列を振り返って、介人に囁きかけた。
「おい、介人。人気があるってレベルじゃないぞ。それになんか、カップルばっかだと思うんだが、気のせいか?」
「カップル? あー‥‥今日って十五日?」
「だな、確か」
「で、水曜日だっけ?」
「おう」
長身を竦めてそろりと周囲を見回した介人は、ゆったりと進んでいく列の前後に、学校帰りの制服姿で並んでいる初々しいカップルの数を目顔で確かめると、得心顔で頷いた。
「ここの観覧車って、十五日の水曜日に恋人同士で乗って一番星を見ると、絶対に別れないってジンクス? おまじない? みたいな、近隣学校の言い伝えがあるんだよね。それで俺も高校の時、付き合ってた子と乗ろうと思ってたくらい」
「え、お前、彼女いたのか」
観覧車が人気の理由よりも、不意に飛び出した〝元カノ〟話に、ジュランは思わず頓狂な声を上げていた。何とは無し、介人はそういう事に根っから疎いのだろうと思い込んでいて、普通の青少年らしい恋愛話に素直に驚いたのだ。
当の介人はけろりとした様子で、とっくに消化された昔話のように言う。
「うん、タイミングが無いうちに半年でフラれちゃったんだけど。高二の誕生日に告白されて、うわー、俺のこと好きになってくれる子がいるんだーって嬉しくて速攻付き合って。でもその子が進学組だったから、三年になったら会う時間が減っちゃったし、高卒で家事手伝いになる予定の俺とは、やっぱ無理、みたいな」
「‥‥悪い。聞くんじゃなかった」
明るい未来しか想像していないだろう前途洋々のカップルだらけの中で持ち出す話ではなかったかと、反射的に詫びを口にするジュランに、介人は大げさに首を振る。
「えー? 全然悪くないよ。その子と付き合ってたの、すっごい良い思い出だからさ。あの時は乗れなかったけど、いつかは大切な人と乗るぞ! って目標にもなるじゃん?」
「じゃ、なおさら俺と乗ってる場合じゃないだろうよ。あー、返す返すもマジーヌが出かけて無けりゃなぁ。折角の機会に隣が俺って、テンション下げまくりじゃねぇか」
「そう? 俺はジュランと思い出作れて、嬉しいけどな。ほら、もう俺達の番になるよ」
片足でとんと跳ねて互いの肩先をぶつけ合わせる、お得意の仕草で応じた介人は、ジュランの腕を引いて乗降台を進み、たったいま別のカップルを降ろしたばかりの丸いゴンドラに素早く乗り込んだ。
係員がにこやかに、行ってらっしゃい、とピンク色の小さなドアを外から閉じて手を振ると、途端に足元がぐんと浮力を感じて、ゴンドラごと全身が宙に持ち上げられる。夜景が良く見えるようにとの配慮なのだろう、籠の中の照明がすうっと消え、フットランプだけが四隅に灯った。
一周十五分程度の空中散歩。最高到達点まで約七分。
ジュラン達が機界変形で巨大化し、合体して戦う度、街全体を見下ろす巨人の視点など何度も経験しているはずなのに、向かい合わせで作り付けの硬いベンチに腰を下ろした介人は片側の窓に額を寄せ、上昇する毎に小さくなっていくネオンの瞬きを楽しそうに眺めている。頬の稜線に差した夕陽の残りが映えて、整った横顔がくっきりと浮かんでいた。
ジュランも窓枠へ寄り掛かるようにして、茜色から藍色に塗り変わってゆく、ほんの一時で消えてしまう暮れなずむ景色に視線を投げた。
すぐ真下は点在するアトラクションを包む色鮮やかな照明。その周囲を波のように走るジェットコースターのレールを越えると、下町の風情を残した町の灯が光の粒となって一気に散らばる。窓明かり、ネオンサイン、大通りを家路へと急ぐ車列のヘッドライト、テールランプ‥‥そして一際高々と天を突くスカイツリーの輝きの向こうに、夜へと続く最後の紅が滲む。
ジュランは感嘆の呼気を吐いた。
「ほんとに綺麗だな、この世界は」
キカイトピアの夕暮れはどんな風だったろう。
大昔の事はよく知らない。だがジュランの記憶にある限り、トジテンド王朝が興ってからのキカイトピアは、庶民が肩を寄せ合い、反乱分子と見做されないよう息を詰めて暮らしている印象ばかりで、いつもどこかに薄暗い影が落ちている。
朝日が清々しいと感じたり、夕陽が美しいと感じる余裕も無い。庶民は庶民なりの、倹しいが平和な生活を手に入れられれば御の字で、それ以上を求めるなら死を覚悟するか、トジテンドの傘下に加わるしか道はない、そんな閉ざされた世界だ。
介人が住む世界とキカイトピアが混じり合った時、ジュランは途方に暮れる暇もないほど、この並行世界に魅了された。キカイノイドを無闇と恐れる人間も居るには居たが、人々は概ね友好的で親切だったし、日雇い仕事を世話してくれた工事現場のおっちゃん達は、一つの現場を終えてある程度の稼ぎを手にしたジュランを、食うに困ったらいつでも連絡しろよ、と笑って送り出してくれた。
程なくしてジュランは、一緒に戦ってよ、と真っ直ぐな眼で告げる介人と巡り合う。その瞬間の為に二つの世界が溶け合ったような出逢いだったと思うのは、少しばかり考え過ぎなのだろうが、ジュランの人生はあの時点から百八十度変わった。
「ジュラン、見て見て、あそこに一番星光ってる」
介人の指差す方向を見上げれば、下弦の月のすぐ傍で金星が強く瞬いていた。電球を一つ、天から吊り下げてでもあるように、地上を覆う濃紺のシルエットとの対比が素晴らしい。他のゴンドラの中でも今、大勢があの星を見上げてそれぞれの願いを掛けているのかと思うと不思議な気分だ。
「キカイトピアに居たら、こんなイイもんは一生見れなかったぜ」
呟くと、介人が目を丸くして振り返った。
「え? キカイトピアは、星って見えないの?」
「いや、見えた‥‥と思うが、あんま記憶にねぇんだわ。こっちみたいに星座がどうこうとか、教わった事もねぇし」
第一、教育制度自体が崩壊した社会で学ぶ事と言ったら、生きて行く為に必要な知恵や知識が大半で、大方は大人達からの口伝えで事足りる。知識欲が止まらないブルーンなどは、キカイノイドとしてはむしろ珍しい例だ。
「そう言や、お前はあんまりキカイトピアのこと、聞きたがらないよな。いや、トジテンドが支配してる訳だし、こうだって話せるほど楽しい世界じゃないから、俺としては聞かれなくてほっとしてんだけど」
ゴンドラの位置が高くなるにつれて陽は沈み、介人の片頬を照らしていた淡い光線がついに届かなくなると、二人きりの狭い空間は薄闇と僅かな静けさに満たされた。
う~ん‥‥と、唸って介人は、首を捻りながら腕を組む。
「聞かない、って言うか、話したければジュランから話してくれるかなって、俺は思ってて。この前スシワルドに巻かれちゃった時も、そういうのちょっと話したじゃん?」
「ああ、あの時か」
ゼンカイジャーに変身する為のギアトリンガーを作成した世界工学博士の両親、五色田功と美都子が十年前に失踪した事。以来、杳として行方の知れなかった二人がトジテンドに拉致されているらしい事。
それを知った介人は両親を想う余りに気が逸り、スシワルドとの戦いの最中、隙を突かれてジュランと共に動きを封じられてしまった。背中合わせの状態で、公園のベンチに巻き寿司よろしく拘束されて一晩。二人は隊を組んでから初めて、互いの身の上にまで触れる話をしたのである。
ジュランの口から、自身の家族もいなくなった、キカイトピアではそれが〝よくある事〟だと教えられた介人は、それでも両親が心配でならない介人が引き起こした無茶な行動を、「当然だ」と肯定してくれるジュランの優しさに胸が詰まった。
父達が連れ去られたキカイトピアがどんな世界なのか、知りたい気持ちはある。けれどジュランの口調から、そこに付随している過去や記憶の多くが辛いものだという事も理解できる。話したくないし、聞かれたくない。普段のジュランの明るさや力強さが、ここから先は踏み込んで来るなと予防線を張っている。
両親が消えてしまったあの日から、介人自身がその事実を口にしたくなかったように。
「‥‥この観覧車、子供の頃にも一度乗ったんだ。父ちゃんと母ちゃんがいなくなる前に、三人で」
もうすぐ天辺に到着だ。曲線を描いている天井側の窓から夜空を仰ぎ見て、介人は言った。
黙って耳を傾けてくれるジュランの気遣いがありがたい。
「父ちゃん達が行方不明だって事、あんまり口にしたくなかったって言っただろ? あれさ、子供心に凄く怖かったからなんだよね。俺が『二人はもういない』って言っちゃったら、本当にこの世から存在を消しちゃうみたいで」
思い出の中にいる父と母は、ゴンドラの下でミニチュアのように小さくなっていく街を見下ろして、幼い介人よりも楽しげにはしゃいでいたものだ。息子の目から見ても恋人同士のように仲睦まじい両親は、介人の自慢だった。並行世界の実存性という特殊な研究は苦労の連続だったろうに、一人息子と過ごす時間だけは惜しまず作ってくれた、優しい両親。
だからこそ失踪当初、ヤツデは警察に何度も出向いて息子夫婦の捜索を依頼した。大切な介人を置いて、それも二人一緒に失踪するなんて有り得ない、と。
「俺もヤッちゃんも、失踪なんかじゃない、何か深い理由があって帰って来れないんだって信じてた。実際、十年掛かっちゃったけどトジテンドに居るって分かって、変な感想だけど安心した。でもさ、子供って結構残酷だから、昔はわざわざ嫌なこと言ってくるクラスメイトもいて、」
―――介人、親に捨てられたってマジ?
―――変な研究してるから、外国のスパイに殺されたんだ!
―――どっかに埋められてたりして?
誰の受け売りなのか、周りの大人達の噂話をそのまま口にしているだけなのか、それでも、振り下ろされる無慈悲な言葉で介人の心は幾度も切り裂かれた。
違う、そうじゃない、そんな事ない―――反論すればするほど面白がって囃し立てられる。そう気付いてから、介人はどんな言葉にも笑顔を返すと決心した。
父ちゃん達はどこかに行ってるけど、帰ってくる。
ヤッちゃんが一緒だから、ちっとも寂しくない。
父ちゃんと母ちゃんが教えてくれた通り、何でも全力全開で挑戦するんだ。俺は元気にしてるって、父ちゃん達がどこにいても分かるように―――
「毎日、全然平気だよって笑ってたら、みんな何も言わなくなった。周りも『可哀想な子』みたいな目で見なくなったし、ヤッちゃんも元気になってくれた」
孫に気付かれないよう、夜中に店の隅で泣いていたヤツデの弱々しい背中が、今でも介人の脳裏から消える事は無い。どんなに明るく振る舞っていても、唐突に息子夫婦を失ったヤツデが介人と同じだけ周囲の言動に傷付けられ、苦しめられている事は明らかだった。
泣きたいのは、自分一人じゃない。
ヤツデの笑顔を守れるのは自分だけ。強い自分だけ。
強くなるんだ、どこまでも。誰のどんな言葉にも視線にも負けない、意志を貫ける自分になるんだ。
「‥‥そうしてる内に、十年経ってた」
振り切るようにとびきりの笑顔を見せて、介人は盛大に伸びをしながらジュランを見返した。ベンチに座ったままでも、ぐっと伸ばした両の拳が天井に届きそうになり、自分が随分成長したのだと実感する。
背も手足も伸び、顔立ちも変わった自分を見て、父達は帰って来たら何と言うだろうと、介人は最近よく考える。その日が近いと思えるのは、共に戦ってくれるジュラン達が傍に居るからだ。
十年経って、やっと掴まえた糸口。手繰り寄せる為の仲間も、両親が残したゼンカイジャーという形で見つけることが出来た。だが、十年と一歩進んだだけだ。
「俺、まだまだ強くなんなきゃね。トジテンド倒して、父ちゃんたち連れ戻して、全部の並行世界を平和にするんだから、もっともーっと頑張んないと」
告げた介人の朗らかな声音に、ガチャンという金属音が被さる。一瞬だけゴンドラが停止して、観覧車の頂点に到着した事を軽やかなアナウンスが報せてくれた。
前後左右の窓外を、夜の帳と星屑のような光が満たしている。じっと介人を見詰めていたジュランが小さく身じろいで、外装に反射した赤い光線が床面を滑った。
「もう強くならなくていいんだぜ、介人」
「―――え?」
「お前は自分で思ってるより断然強いし、充分立派だ」
ゴンドラ全体が夜の波間へ漕ぎ出したボートのように微かに揺れ、下降に転じた重力が踵を引く。
ジュランは、ぽかんとした顔でこちらを見詰めている介人に、一息で告げた。
「ヤツデの為に、泣くより笑っていようって、自分で決めたんだろ? 自分の辛さを後回しにするなんて、誰にでも出来る事じゃねぇ。十年間、お前は立派に役目を果たしたよ。これからは俺達がいるから、ちょっとくらい弱音吐いたって大丈夫だ。―――一人でよく頑張ったな」
驚いた眼をして、喘ぐように息を吸い込んだ介人は、ジュラン、と呼び返そうとして喉を詰まらせた。虚を突かれたせいなのか妙に声が掠れて、上手く続きが出て来ない。
「‥‥あ、あー‥‥あれ‥‥? なんか俺‥‥」
咄嗟に頬へ手をやると、勝手に眦から溢れ出た涙が指の間をすり抜けて、ぱたぱたと太腿へ落ちていく。ああ、自分は泣いてるんだと自覚した途端、介人は思わず泣き笑いの表情になって言い訳した。
「‥‥泣き方‥‥忘れたと、思ってたのに‥‥」
「そっか」
「ジュランに、な、泣かされた‥‥!」
悲しむ事も嘆く事も心の底に閉じ込めて、十年間振り返りもしなかった。それで生きて来られた。けれどどこかで、充分頑張ってる、よくやってきたと、誰かに肯定して欲しかった。称賛でも否定でもなく、過ぎ去った十年を受け止めて欲しかったのだ。
「不意打ちだよ―――こんな、」
命綱を求めて彷徨うように伸ばされた介人の腕を、片手でしっかりと掴まえたジュランは、ベンチの片側を叩いて引き寄せた。ふわりと隣に移動した介人の縮こまった身体を両腕ですっぽりと抱え込めば、ジュランの硬い胸元に伏せられた頭が嗚咽を堪えて震え出す。
「介人」
ぎゅっと縋り付いて来る指先の白さが、十年目にして対峙した傷の深さを物語っているようで痛々しい。十年前の、幼い介人にこうしてやりたかったと痛切に想う。全てを抱え込まなくていい、怖がっていい、泣いていい―――そう告げてやれる大人がいなかった事が、無性に辛い。
ジュランは宥めるように、介人の背をそっと叩いて囁いた。
「十年分、まとめて泣いとけ。どうせ俺しか見てねぇんだ」
うん、と頷くより先に、介人は額を摺り寄せたジュランの胸に凭れたまま、押し殺していた声を張り上げて泣き始めた。
★
堤防沿いの一本道は、川から吹き寄せる夜風で涼しい。
春には満開の桜を付ける大木の羅列に、この時期は濃い緑の葉が生い茂って鮮やかだが、日暮れと共に木々はその形をした背景になってしまう。
それだけが夜目にも目立つ車両止めの黄色い柵を避けて歩行者専用の道に逸れると、ぽつぽつと建つ街灯の明かりだけが、並んで歩くジュランと介人の影を追いかけた。真っ直ぐ帰宅するならバスに乗るのが早道なのだが、遊園地を出てからこっち、二人はお互い、何も言い出さずに歩き続けている。
ジュランはともかく、明らかに泣き顔の介人が人目を避けたがるのは、当たり前と言えば当たり前の事だろう。前髪で隠れるよう伏せ気味にしているが、涙でうっすらと腫れた目の周りの赤味は、明るい所では誤魔化しようがない。夜風で冷やしながら、なるべく時間をかけて帰り付かなければ、皆に観覧車での一件を説明しなくてはいけなくなる。
ぽつりと介人が零した。
「‥‥俺達絶対、痴話喧嘩の後だと思われたよね?」
「まあ、あの状況だとそうかもな」
介人が大泣きしていたのは正味五分かそこらの事だったが、乗降口に着いたゴンドラのドアが、お帰りなさーい、という朗らかな声と共に係員の手で開けられた瞬間、ジュランは半泣きの介人の手を引いて脱兎のごとく飛び出し、居並ぶカップルを押し退けて逃げ去るという手を打つ以外になかったのである。顔は覚えられていないと思いたいが、相当の誤解をばらまいて来た事は間違いない。
「楽しく遊んだのに、なんか、最後の最後でみっともないとこ見せてゴメン」
介人は肩を落としながら歩調を緩めてジュランの背に言い、手の甲でごしごしと頬を擦った。そのまま立ち止まってしまった介人を気遣うように振り返ったジュランの影が、介人の爪先へと長く伸びてくる。
半身になったジュランは大げさに両肩を持ち上げると、からかいを含んだ声音で言った。
「何言ってんだ。泣くののどこがみっともないんだよ。お前がちゃんと、踏ん張って生きてるって証拠じゃねぇか」
「ジュラン‥‥」
「だから、抱えきれねぇって思った時は、遠慮なく誰かに吐き出せ。みっともなくて他の奴には見せたくないってんなら、今日みたいに俺が傍に居てやる」
「‥‥うん、ありがと」
ぐすんと鼻を啜り上げて、介人は微笑んだ。
「俺、結構ジュランに甘えちゃってるね。でも、そう言ってくれて嬉しい」
「キカイノイドの胸で良けりゃ、いつだって貸すさ」
言って、とんと拳で叩いた胸元から金属質な音が響く。
血の通った脆い生身の人間と機械で象られたキカイノイドは、まったく違う生き物に見えても本質は同じだ。記憶と感情と、個を成す意志で生きている。互いが抱えているものを分け合い、支え合う事は出来るのだ。
死線を潜り抜ける仲間としてだけでなく、不恰好でも一つの『家族』として。少しずつ欠けた部分を持った自分達だからこそ。
「じゃ、うちに帰ろうぜ、介人」
ジュランが微笑み返すと、頷いた介人は数歩をタッと駆けてきて、ジュランの手を強く握り締めた。人肌の発する温もりが、金属の冷えた掌をじんわりと温めていく。
「皆にお土産買って帰ろうよ、ジュラン。駅前にフルーツ大福のお店が出来たって、マジーヌが言ってたんだ。みかんとかキウイとか、色々あるんだってさ」
「へぇ、美味そうだな」
離す事も出来たのに、ジュランは介人の指先を包むように握り返して、川風の当たる遊歩道を肩を並べて歩き始めた。
END
ゼンカイジャー本編も終盤ですが、
今さらながらの最初期辺りの小説、
楽しんでいただけましたでしょうか?
感想お待ちしています。