千夏先輩が結婚する話です

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二人のアオ

 花嫁のベールには魔除けの意味がある。その薄いベールはあらゆる災厄からこの日新たな旅立ちを始める花嫁の未来をまもってくれるのだ。  それをかけてあげるのが母親。自らの元を巣だって行く愛娘へのこれまでの想いとありったけの愛を詰め込んだ儀式である。その証拠に千夏にベールを優しくかける母親の瞳には、もう大粒の涙が浮かんでいた。 「綺麗よ、千夏…」  千夏の母は一生の中で一番綺麗な姿になった我が娘にありったけの愛を込めてそう囁いた。千夏は「ありがとう」と言って微笑んだ。千夏の眼にはまだ涙は出てきていない。  千夏がこの日を迎えたのは、当然ながらその相手がいたからだ。学生時代からずっと交際を続け、随分長いこと関係を育んできた。彼と付き合い始めてからは毎日が楽しかった。  互いに大学を出た後は小さなマンションで同棲を始めていた。とある事情で学生時代一緒に暮らしていた過去があったので「なんか懐かしい感じがするね」と笑い合った。  そしてその日はやってきた。千夏としては思ってたより遅かったなと感じていた。

 

 

「きっと幸せにします。俺と…結婚してくれませんか?」  いつもデートで行く場所よりは少しお高めのレストラン。一通り食事や談笑を楽しんだ後、真剣な顔になった君は私にそう伝えて指輪を差し出してきた。  率直な感想としては「ようやく言ってきたか」と言う感じだった。付き合ってだいぶ経つし、既に一緒に暮らしてもいる。特に話題にはならなかったけど、どこかで「そろそろ結婚も…」なんて空気もあったし、私も「結婚するならもうこの人しかいない」と考えていた。  ただ、予感はあったとは言えこんなにまっすぐな目でストレートな想いを伝えられると流石に少し照れてしまう。しかも特に前振りもなく「あの…」と言う言葉に続いて突然なもんだから尚更だ。  そう。君の告白はいつも突然だった。私に「好きです。付き合って下さい」って告白してきた時も、私が親の都合で海外へ行くと思ってそれを止めに来てくれた時も。君の告白はいつも突然で私の想いを動かし続けた。  私が承諾をすると君はそっと私の左手の薬指に指輪をはめてくれた。かなり手つきがおぼつかない。そう言えばいつ指輪なんて買ってくれてたんだろう。一緒に暮らしてるのに全く気が付かなかった。  ショーケースに並んだ指輪の中から私に似合うのを選んでくれたんだろうな。きっと店員さんも巻き込んで本気で悩んでくれていたに違いない。自惚れでもなく彼がそれ位私のことを大事にしてくれいるのは充分過ぎる程知っていた。  君のおぼつかない手つきとそんな姿を想像すると少しおかしくなってきちゃう。でもこの場で笑ったりなんかしちゃったら流石に申し訳ない。私は君が指輪をつけ終えてくれたのを確認して「ありがとう」と伝えた。  君は安堵と疲労感が入り交じった顔をしていて、とうとう私は一人苦笑してしまった。君も照れ臭そうに笑っている。私の左手の薬指には君がくれた綺麗な青い宝石の付いた指輪が光っていた。

 

 

 花嫁が父親と歩くのは花嫁のこれまでの人生の歩みを表しているとも言われる。父親と共に一歩一歩進んでいく。思えば仕事の都合で娘を置いて海外へ行くことへなったりと申し訳ないこともあったが、無事にいい人に出会え今日を迎えられたことは父親にとっても感慨深いことであった。  父も少し眼に涙を浮かべていた。今日から娘は嫁に行く。それは愛する人と名字を重ね、姓が変わることも意味していた。もう彼女は自分の娘と言うだけの存在ではなくなるのだ。  ベールに顔を隠した千夏はまだ涙を流してはいなかった。周りからは旧友や職場の同僚達の祝福の拍手が聴こえていた。  そして父と共に歩みを止め、最愛の人の元へと辿り着いた。

 

 

 まだ君が大学生の頃のことだ。就職活動を終えて仕事を始めた私の所へ一通の連絡が来た。 『今晩部屋行ってもいいですか?』  何故今さら敬語?等と思いつつ、承諾の返信を送る。30分くらい経って君が私の部屋にやってきた。スーツ姿に手には大量の缶ビールやらチューハイとお菓子を持っていた。どことなく落ち込んだ顔をしている。 「あ、今日もダメだったの?」 「うん…まぁ…」  君は自嘲気味に笑いながら言った。  昨年就活を終えた私の様に、今年は君が就職活動に勤しんでいた。しかしながら君の就活はなかなかに難航しているらしく、内定が貰えずにいる様だ。それで落ち込んでお酒を持って私の所へ来たという訳だ。 「はぁ…」  今日の君はやたらペースが早い。上手くいかない就活に焦りと苛立ちを感じてるのはここ暫くの様子を見ていて充分に伝わってきた。 「なんかもう…ダメだ…俺って奴はダメだよ…」  遂には酔って自己否定にまで走る始末だ。 「ちょっと呑みすぎだよ。ほら今日はおしまい!」 「…こんなダメな奴が彼氏でさぁ…情けないでしょ…」  君は自嘲気味ではあるが、完全に視線をこちらから反らしてそんな事をいい始めた。  私は「はぁ」とひとつ溜め息をついて立ち上がり、君のそばへ近づいていく。そのまま君の前でしゃがんで目線の高さを合わせる。そして君の両頬をピシッと叩いてこっちを向かせて言った。 「しっかりしろ!」  君はびっくりした顔で私の方を見ている。 「例えどんな会社や面接官が君を否定したって、私は君のいいとこいっぱい知ってるんだよ」  真っ直ぐ君を見てそう伝える。  君は驚きと照れの入り交じった、でも少し悔しくて嬉しそうな表情でコクンと頷いてみせた。 「〆にうどんでも食べてく?冷凍のだけど」  立ち上がって聞くと君は「…食べる」と溢した。 「負けるな。私、応援してるからね」  君が凄く頑張っていることは充分知っている。昔から何をやっても負けず嫌いで一生懸命だった。だからこそこんなに悔しがって落ち込むことが出来るのだろう。  うどんを食べて私の部屋を出る頃の君はまだ少し元気が無かったけど、少し腫れ物が取れた顔をしていた。  君のいいとこも弱いとこも私は同じ位に知っている。この時ふとそれに気付いた。そして君が歩いていく未来の道、その道を横で私も歩いて行きたいと、私はこの頃からより明確に思い始めていた。

 

 

花嫁のベールを捲るのは新郎。ここまで彼女を連れてきた両親に変わって、これから新婦共に歩んでいく存在だ。  目前からベールが無くなり、より視界が開けると千夏の目の前では今日から夫になる彼が微笑んでいた。  ここからは彼と共に歩いていく。周りの拍手はより大きく変わっていった。 「さぁここから新郎と共に新婦が歩みだします。同じ歩幅で歩いてくこれからの道はお二人にとってかけがえのないものになっていくことでしょう!」  司会の方がより一層場を盛り上げていく。  千夏の目には少しずつ涙が溜まり始めていた。「かけがえのないもの」思えば人生の中で何度も得てきた筈のものだった。例えば学校に入学した時も「これからの学校生活は皆さんの人生にとってかけがえのないものになっていくでしょう」なんて校長先生が話していた気がする。  しかしながら「かけがえのないもの」って一体何なんだろう。その答えをようやく手にしかけている事に千夏は少しずつ気付き始めていた。

 

 

「ねぇそう言えばさ…」  結婚式の前日、同じベッドで私の隣で横になっている君にふと尋ねてみた。 「どうして私だったの?」  別に答えの内容で気持ちを変えるつもりも無いし、その答え自体も私は過去に何度も貰っていたかもしれない。でもふと聞いてみたくなったその質問は二人きりの部屋の中にふと溢れてしまった。 「え…?」  君は面食らった様な顔で私を見てきた。しかし、照れながらもその回答を出す。 「そ、そりゃ…千夏のこと大好きだから…」  私もちょっと照れる。こういうことをちゃんと伝えてくれるのも君の良いところだな。 「じゃあさ…どうして私のこと好きになったの?」  今日の私は欲しがりさんかもしれない。明日が結婚式ってとこで聞くことじゃないかもしれない。それでも聞いてしまうのは、私の中にある「結婚」と言うものへの期待と不安がどちらも大きくなっているからだろう。 「え…」  君も流石にちょっと言葉に詰まってるみたい。別に言いたく無いとかじゃなくて、何て伝えてればいいか考えている顔だ。 「え~と…」  やがて君はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。 「中学の時、千夏が泣きながらシュートの練習してるのを見て…そう中学の引退の後の時。多分あの時、初めて千夏って人間をちゃんと意識して…それ位悔しがれるってそれ位に好きで本気だったんだなって思って…。多分その時に千夏の事を…好きになったんだと…思う…。それからずっと目で追う様にもなったし…応援する様にもなったし…」  最後の方はかなりしどろもどろって感じだったけど、君は私に最後まで伝えてくれた。  よく覚えている。本当にギリギリで全国に行けなくて、そのまま引退して…。悔しくて…。情けなくて…。弱かった…。  まだ君と出会ったばかりの頃も確かそんな話を私に聞かせてくれたね。あの時は少し恥ずかしかった。でも、あの時の君の言葉があったから、私はもう一度挑戦することが出来た。インターハイに行けた。  あの時は自分の不甲斐なさに泣くしかなかったけど、今なら言える。私は情けなくて弱かった。でも君に見つけて貰えたのが、そんな私で良かった。 「ありがとう」 「…いえ」  もしかしたら私の中で全てが動き出したあの日と同じ言葉で新しい私たちの明日からがまた動こうとしていた。

 

 

 病める時も健やかな時も互いを愛し、支え合っていくことを誓い合うと、新郎が千夏の薬指に指輪をはめていく。  緊張しているのかどこかおぼつかないその手つきに、千夏は少し可笑しそうな表情をする。 「それでは永遠の愛を誓う、誓いのキスを」  その言葉と共に、改めて二人は互いを見つめ合う。  何度も重ねてきた唇だけど、まるで初めてするみたいな感覚だった。彼の想いが千夏の体中を駆けていく。「幸せ」そんな感情が千夏の体を満たしていった。  閉じていた目から涙が静かに流れていく。それはこれまでの人生の中で流れたどんな涙とも違った。  彼と出会うまで生きてきた自分。今日まで共に歩いてこれた自分。これからも一緒に歩いていける自分。その全てが千夏にとって確かに「かけがえのないもの」だった。彼に出会わなかったら、きっと言葉でしか知らなかったことだったのだろう。  そっと唇を離して彼の顔を見ると、彼はハニカミながらニッコリと笑っていた。それを見た千夏も幸せそうに彼に笑顔を向ける。  二人を包む拍手の音はいつまでも鳴り続け、千夏の頬を流れる涙は、彼に貰ったアオい指輪の様に輝きを纏っていた。

 

 

 よく晴れた休日、私は君と川沿いの道を散歩していた。お互いに共働きだから、こうやって一緒に歩いてる時間はとても好きだ。 「しかし、涼しくなってきたな。嬉しいよ」  今年の夏は特に暑かった。ここ何日かでようやく涼しさが顔を出し始め、新しい季節の香りを届け始めた。 「ほんとだね、…でも私、夏の暑さ好きだよ」  ふと、道端に咲いてた花に目がいく。名前は知らないけど、この辺でよく咲いているのを見る。 「出会った頃を思い出すからね」  あの頃は夏が本当に暑かった様に感じる。そんな日々の全てが私の宝物だった。  君は一瞬呆気に取られた顔をしたけど、すぐに「ハハ」と笑ってみせた。それが嬉しくて私も「ふふ」と笑みを溢す。  もう一度道端の花に目をやると川沿いを流れる風にユラユラと揺れていた。何も飾らないそんな姿は君に似ている。 「もうすぐ秋だな~」 「早いね」  早い。本当に季節が変わるのは早い。まるで幻の様に一瞬で過ぎていく。だからこそ、そんな一瞬の時間を君と並んで歩けるのが凄く幸せだった。  秋の訪れを感じさせる空はどこまでも青い。それはどこまでも大きくて、自分の小ささや弱さを実感する。  一人だときっと弱かっただけの私たち。でも二人なら強くもなれる。弱いままでもいられる。きっとそんな風に君とこれからも歩んでいくのだろう。  君と繋いだ私の手には、君の反対の手にもついているお揃いの二人の「アオ」が優しく輝いていた。

 

 

 


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