対魔忍戯作:斬鬼忍法帖   作:天野じゃっく

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その十三

 夜導怪・雀女が梓巫女に捕縛されたのと時を同じくして、廃寺に伏せっていた松永蔵人が覚醒した。

「松永さん、起きたのね、松永さん」

 烏丸スバルがすぐに気付いて、上ずった声で彼を呼んだ。

 スキンヘッドで精悍な顔立ちだった松永蔵人は、嘘のように変わり果てた姿となっていた。怪異の毒に苛まれ自身の忍法すら満足に制御できず、心身を摩耗させた彼は眼窩が黒ずみ、唇は土色に乾ききって、骨に皮を貼りつけただけのように見える。

「……スバルか」

「『みだれ蜉蝣(かげろう)』──」

 唐突にスバルが投げかけると、ややあって「『細雪(ささめゆき)』」と蔵人は返した。対魔忍が仲間を判別するための合言葉だが、スバルはこれを聞いてようやく安堵のため息をついた。

「ここにいます。秋山さんも近くに」

 彼女のそばに座っていた凜子もいざり寄って「松永さん、具合はどうですか」と声をかけた。

「良い、とは言えないな……」

 松永蔵人は苦笑した。新品の包帯に手厚く巻かれたからだの上から、さらに全身を手足の指先まで麻縄でしっかり拘束されていて満足に寝返りも打てない。

「念のためですよ。朝になるまでは辛抱して」

「というと、いまは夜か……我々がここに来て、どのくらい経った?」

「あと四時間もすれば、ちょうど二日目の夜になります」

 もうそんなに。と、松永蔵人かため息をついた。

 彼の目は開いていたが、スバルとも凜子とも目線が合うことはなく、首を動かして声を頼りにふたりの位置を推し量っている。ためしにスバルが枕元のランタンの光を顔の前にかざしてみても、蔵人の眼は反応をみせない。──やはり視力は戻らなかった。しかし、自他を認知し合言葉のやりとりをこなすまでに意識が回復したのは、今までの錯乱ぶりを思えば劇的な復活であることに間違いはない。

「なにか、からだに異常はありませんか」

「さあ、記憶がすっぽり抜けた感じだ。──典親は?」

 スバルは躊躇いがちに息を詰まらせて、考えあぐねた挙句「死にました」とだけ告げた。蔵人のほうも「そうか」と言ったけり、詳細を聞き出そうとはしない。

「──ところで、ここはどこだ?」

「ここは、協力者の拠点、とでも言いましょうか」

「協力者?」

「梓巫女といいます。対魔忍(われわれ)よりも怪異に詳しく、唯一の対抗策を持っている人達です。松永さんの呪いを鎮めてくれたのも彼女たちのおかげなんですよ」

 ああ、と、蔵人は息を漏らした。

「ずっと子守唄のような、女の読経のようなものが頭に残っているのはそのせいか」

「きっと多恵さんね。半日付きっきりだったから」

 そうだったのか。と、蔵人は夢のなかで感じた安らぎや温もりの面影を思い出そうとしていたが、目が覚めたときにはすっかり忘れてしまっている。

「その巫女たちは何処に?」

「怪異を退治するために出払ってます」

「もう、戻ってくる頃か?」

「さぁ」

 スバルは首をかしげた。

「夜明けには戻ってくるでしょう」

「先ほどから迷わずこちらに歩いて来るやつがあるが、それは巫女の一人だろうか」

 言いながら、松永蔵人の表情がみるみるうちに険しいものに変わった。

 彼は背中から床板、土台、地面を通じて、何者かの足音のひびきを感知していた。同様の気配を感じとった秋山凜子も中腰になって、剣を左手に正面の格子戸の裏に控えた。

 お堂の屋根にとまっている忍鳥ハヤテの眼を通して、スバルは境内の(きわ)から石階段を登ってくる破れた唐傘の頭を見た。雨も降ってないのに、と思いきや、それは誰かが傘をさしているのではなく、傘そのものが自立して歩いているのだと気付いた。

 ──鳥の巣みたいな浪人笠をかぶり、くたびれた鼠色の着流しを着た、ゾッとするほど撫で肩の異形は、乾いた草鞋(わらじ)をカサカサ擦り鳴らしてやって来た。

「ここに巫女さま方はおらんかえ」

 と、壮齢らしい渋みのある男の声がした。

「梓巫女のお歴々はおらんかえ。コソ泥の坊主頭でも構わん」

 若い尾花のゆれる荒れ庭に屹立した夜導怪・笹浪(ささなみ)は、寂然としながらも殺伐とした妖気を放ち、青白い月光をまとう美しい一本松のようにも見えた。

「手土産を持参いたしたが、こう蒸し暑いと()()()()()()のう──」

 と、呆れたように言いながら、笹浪は右手にぶら下げていた西瓜(すいか)大のものを境内に放り投げた。石畳にボスンと鈍い音を立てて弾んだそれは、まだ血の気の残る、脂汗に濡れた額と頬に黒髪をまつわりつかせた女の生首であった。

 二人の背筋が氷結した。

 スバルが震える手で口もとを押さえた一方で、凜子は転がった首に、昼間、ダムの連絡橋で出会った“草”の面々のなかの、一人の面影をみた。

 あの"草"の一派が──話し合いで決着をつけたと凜子は思っていたけど──執念深く梓巫女の動向を監視し続けていたところに笹浪と遭遇したに違いない。

「あのナナフシか……」

 松永蔵人にも音から事情が読み取れて、同時に当時の記憶もピンポイントで戻ってきたのか、ウウンと唸った。

「笹浪……横勢の"草"を四人やったのも奴だ」

 お堂に巫女が──巫女でなくとも何者かが──潜んでいることを知っているのか、笹浪はひっそりとしてその場から動かない。

「ちょっと、朝まで粘るつもり?」

 いぶかしむスバルをよそに、凜子は決然と立ち上がった。

「こちらから出ます」

 

「む」

 やがて、細くしなやかな女の影が境内にそろりと降り立った。不動明王の化身かと思えるほど輪郭に闘気をまとわせており、怪異の目にも女が只者でないことは明らかであった。

「巫女はひとりだけか」

「さて、どうだか……」

 あいにく女は、夜だというのに、広い()()のついた紺色の日よけ帽子をふかく被っていた。怪異の背が女より頭四つほど高いのもあるが、帽子の落とす月影がベールになって彼女の表情をうかがい知ることは出来ない。しかし、それよりも、笹浪にしてみれば、あらわれた女の出立ち──ラフなシャツにアウトドア用の長丈パンツとシューズ、ベルトに差した一本差し──が妙に可笑しくて、今世の巫女は袴すら履かんようだ。などと言っては声を出して笑った。

「残りの巫女はどこだ」

「妖怪退治で出張中だ」

 ほう、と笹浪は間伸びした声で相づちをうって、

「なら、お前は何者か……いや、言わずともよい。おれが見えるということは、お前も()()()()()()の人間」

 左の腰に差した大刀の柄頭を細長い指先で撫でながら、

「察するに、いつぞやの男の連れだろう。仇討ちのつもりか知らんが、そちらから試し斬りの据物(すえもの)を寄越してくれるとは有り難い。──そこに転がる首とお前の首、それと奥のお堂にいる奴らもまとめて晒しておけば、巫女だろうが神仏だろうが、我らを無視できまいて」

 うくくっ、と愉快そうに笑う姿は、怪異ながらも人間臭さに溢れていて、それがかえって気味悪さを引き立てている。

「お前が人を斬った理由は、その愉快犯的な性格からか?」 

「なんの話だ」

 と、笹浪は自分で言ったあとで、ああ、と思い出したように呑気な声を上げた。

「あの家のことか。──なに、おれのことが見えるようだったので、これ幸いと剣の相手になってもらったまでのこと。ま。だいぶ期待はずれだったがな」

「ひとを斬って脅して、それで楽しいか?」

「さて、剣を振るうときは無心でいるよう努めているが、そういう心構えの話をされると、いささか返答に困る」

 笹浪は浪人笠をかたむけて

「相手を見定めもしない剣に意味などあるものか。それとも、殺戮そのものに快楽を感じる性質(タチ)か?」

「待て待て、問答はもうよい」

 笹浪は鬱陶しそうに手で払って、

「いつぞやの禿頭にも、誰の仕業だの、何故こんなことをしただのと随分くだらないことを聞かれたが、最近の剣法は講釈を垂れるのが流行りか?──時代は変わるのう」

 寒風のような嘲笑に煽られるようにして、凜子は左手で鞘をからだの前に寄せて、鯉口を切ってみせた。

「そうそう、物分かりがよくて結構」

 笹浪も待ち兼ねたように一息で抜刀してみせた。

 ──おそらくは大太刀や野太刀と呼ばれるものであるが、人間の並の男が携えてようやく大太刀と呼ぶのだから、超長身の怪異からしたらこれが()()()()()()サイズなのかもしれない。その昆虫然とした細長い腕をピンと伸ばしたら半径三、四メートルは軽々となぎ払われる。もはや槍や薙刀といった長物にちかい間合いである。

「剣法者は、ただ剣で語るのみ──!」

 枯れ木のような笹浪と、人間の秋山凜子とが、右に左に、お互い円を描きながら向かい合った。そして、一瞬の静寂の後、夜闇を切り裂くように、二、三度、両者のあいだに銀色の光がはじけた。

 格子戸の影から見守っていた烏丸スバルには、どちらが怪異でどちらが対魔忍か、もはや区別がつかなかった。

 ──が、決着はあっけなかった。

 ふと後ずさった笹浪は、そのまま動きを止めた。たった数瞬のせり合いのうちに、怪異の豪刀は鍔もとから十数センチを残して、その刀身の大部分を失っていた。

「逸刀流・(はがね)通し──。」

 秋山凜子は、寂として石切兼光を鞘におさめた。境内にはツヤのある金属の欠片が、星屑を散りばめたようにひろがっていた。秋山凜子の鋼通しは大太刀を刻みネギのように細切れにした。

 古くは戦乱の時代から、甲冑をまとった強固な相手をその武具ごと斬り伏せるために用いられてきた、悪鬼覆滅、冷酷無比の荒業(あらわざ)である。とはいえ、その実、丹田より精製された氣力──今日では対魔粒子と呼ばれる潜在的忍法力──を全身から刀身まで通わせることで異次元の切れ味と太刀筋を実現させる、まさに対魔忍のなせる業なのである。

 ──と、こういった事情を当然ながら知りもしない笹浪は、なにをされたのかわからず、呑気に手もとを眺めている。

「はて、こんなナマクラだったかな……」

 折れた剣の柄を鞘に戻しながら、

「お前、虚空丸の腕を飛ばしたやつだな?──いやいや恐れ入った」

 と言いつつ、笹浪の視線は石切兼光に注がれている。まるで綺麗な棒切れを見つけた小学生のように。

「今夜のところは大人しく退散するとしようか。ここで決着をつけるのは、ちと勿体のうなった」

 凜子の被っていた日よけ帽子が斜めに割れて、頭から足もとに落ちた。月明かりの下にあらわになった彼女の、白磁みたいなこめかみを一本の赤い線が流れ落ちた。

「これで、顔も覚えた」

「……ほかの巫女たちに手を出さないと約束すれば、毎晩でも相手してやろう」

「ほう、勇ましいのう。身代わりというわけか」

 毅然として言う凜子を、笹浪はフッと笑いながらも、どこか感心したようにうなずいて、

「ま、お前の心意気に免じて、今夜は大人しくしといてやろうかの」

 と、踵をかえして去っていった。

 その姿と妖気が完全に消えたあとで、事の成り行きを見守っていたスバルが凜子に駆け寄った。

「……追わないの?」

「あと一歩、踏み込めなかった。手加減してたのは向こうも同じ……」

 凜子の腕と肩には、鋭い生傷が服に血を滲ませていた。

「あいつ、まだ奥の手をみせていないように感じます」

 

 そのとき、怪異と入れ替わるように、これはバタバタと強かに靴音を鳴らして、騒がしく石段を駆けあがる者がいた。

 緋袴を膝上まで引き上げた唯愛と乃愛、柚月の三人は境内になだれ込んできた。

「た、多恵さんが(さら)われたっ。それに、沙世と瑞穂も逮捕(パク)られちまった!」

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