対魔忍戯作:斬鬼忍法帖   作:天野じゃっく

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その十四

 お堂の軒下に腰掛けて、凜子はスバルから手当てを受けている。松永蔵人が担ぎ込まれてからというもの、包帯と絆創膏、消毒液、市販の鎮痛薬は潤沢にある。

「はじめは雀女を捕まえる作戦だったの。全員でおびき寄せて、燃やして、柚月さんが捕まえる。それ自体はすんなり成功した。──でも、どこから嗅ぎつけたのか、いつから潜んでいたのか、また別の夜導怪が多恵さんを人質に雀女を解放しろと言ってきた」

 息の荒い三人のなかでも比較的冷静な唯愛(ゆあ)が説明する。

「当然、柚ちゃんは無理だと言った。すったもんだしているうちに巡回中のパトカーがサイレン鳴らして戻ってきて、──たぶん私たちの起こした爆発に勘付いたんだと思う。怪異は多恵さんを連れて何処かへ。沙世さんと瑞穂さんは私たちを逃がすために囮になった……」

 ひと足遅れて、大型犬サイズの大福みたいな白塊が()()()()()()()()登ってきた。雀女を収容したその式神は柚月の指示でそのままお堂のなかに入っていった。

「二人はともかく、多恵さんはマズいって」

「後を追えるの?」

 三人の返事も待たずにスバルは口笛をピュイっと吹いて、ハヤテを飛ばした。

「雀女の身柄がこちらにある以上、相手もやたらなことはしないはず」

「おれに任せてくれないか」

 五人の女たちが、そろって声のほうを向いた。お堂の奥の暗がりで、海苔巻きみたいに縛られていた松永蔵人は、いつの間にか拘束をすり抜けて座っていた。

 唖然とする巫女たちはいざ知らず、彼は土も岩も自在にすり抜ける土遁(どとん)術の名人だから対魔忍の二人はとくに驚かないが、精悍なアスリート体型だった松永蔵人が、目をつむってネズミ色の布切れをまとう姿は、モノクロに写したチベット僧のようにみえて、その変貌ぶりには寒気すら覚えた。

「その怪異の行方、いまなら辿れる気がする」

「気がするって……まだ幻覚でも見てたりする?」

 そう皮肉っぽく言った直後に姉から肘で小突かれた乃愛だったが、実際ほかの二人の巫女も内心、同意見ではあった。なにしろ体調の良い松永蔵人を見たことがないから、任せてくれと言われて躊躇するのは当然といえる。

「あんた、夕方には汗だくでウンウン唸ってたのに、どうして?」

「どういうわけだか意識が戻ってな。恐らくはそいつのおかげだろう」

 蔵人は顎でお堂の奥に座っている白繭を指し示した。

「幻聴も幻覚もぱったり止んで──まあ、いっさい見えなくもなったが──代わりに健在の両耳がな、妙に音を拾ってくれる」

「音って?」

 蔵人は耳を澄ましてその音を聞いているようだが、もちろん他の五人にはまったく聞こえない。

「とにかく多恵さんでも、怪異でも、なにかしら辿れますか」

 凜子が聞くと、蔵人は「やってみせる」と言わんばかりに、口をかたく結んで頷いてみせた。

「ほ、本当にこの人に行かせるの?」

 唯愛が、なおも心配そうにうかがうと、しばしの沈黙の後に、

「手が多いに越したことはないわ。ハヤテにひと(まわ)りさせるより、当たりをつけて探したほうが良い」

 と、スバルは言った。

 実際、彼女も松永蔵人の提案には消極的だった。しかし、いまの彼に何を言っても黙って飛び出して行ってしまうだろうことは、その凄愴な、ある種の破滅願望が生みだす大胆不敵な言動が物語っている。

 松永蔵人は今夜、散華するつもりだろう。

 

 武洸山の北側の麓、びょうびょうと広がる山間の林野のなかを動脈のように伸びる送電線と、それをわたす鉄塔の列がある。

 ──烏帽子(えぼし)型鉄塔と呼ばれる、全高六十メートルほどの、アルファベットの「A」を逆さにしたような構造物の骨組みのうえで、干された布団のように鉄骨に引っかかったまま動かないひとつの塊がある。

 長い髪と白衣、緋袴の袖が風に揺れている。それに、右手にしかと握られた神楽鈴が、中身の玉がわずかに転がってシャラシャラと音を立てているが、それもすぐ夜風にかき消される。──その影が女、もしくは人間であると気付いた者はおそらくいないだろう。周囲に建物はなく、足元を照らす灯りすらない漆黒の山林地帯であった。

 その鉄塔に向かって、白い繭を抱えて道なき道をすすむのは松永蔵人であった。

 蔵人が耳を澄まして聞いていたのは、何を隠そう、この鈴の音なのである。──蚊の羽音ほども震わない極小の音の波を、並みのそれより敏感だとはいえ、彼の鼓膜は如何にして感じ取ったのか。という疑問がふつふつと湧いてくるが、これも対魔忍のなせる業か。

 森を抜け、例によって金網(フェンス)をすり抜けた松永蔵人は、手探りで鉄塔の脚部に触れると、そこに耳をピタと当てて様子をさぐり始めた。トクトクと一定のリズムをきざむ微弱な心音は、六十メートル上空に倒れる多恵のものに他ならない。

 履物を捨てて裸足になった蔵人は猿のように四本の手足を使って登っていく。一本の鉄骨をわたり、接合部のボルトの頭を摘み、足をかけてさらに上へ。──

 昼間、寝込んでいた男とは思えない順調ぶりで三分の二ほど登ったころ、ふと松永蔵人の動きが止まった。足場から伝わる振動に自分のものでも多恵のものでもない、三人目の存在を知覚した。

「貴様、巫女の使いか」

 そう遠くない頭上から声が降ってきた。やや荒っぽく、張りのある若い男の声だった。

「………」

「梓巫女の使いかと聞いてるんだ、答えろ」

「……いかにも」

雀女(すずめ)はどこだ」

「下の茂みに置いてある。巫女を渡してくれれば、こちらも引き下がる」

 返答はなかった。──代わりに、がら空きの蔵人の背中をするどい稲妻がはしった。

「ぐっ」

 痩せ細った広背筋を袈裟がけに斬られて蔵人は仰け反った。しかし、反射的に手足にぐっと力を込めて、転落だけは辛うじて防いだ。

「ご苦労、この月狡(げっこう)が褒めてつかわす。──」

 蔵人には見えていなかったが、このとき彼の背後には、コウモリのように逆さになって頭上の鉄骨からぶら下がる一匹の怪異があった。

 それは、全身に鱗を生やし、胴と同じくらい長大な尾を尻から伸ばした、ヤモリ然とする人型怪異であった。月狡(げっこう)と名乗ったそれがいま、松永蔵人を山刀で強襲しつつ、邪悪な笑みを浮かべながら入れ違いに落下していく。

 地表にビタッと着地した夜導怪・月狡は、すぐそばの茂みの、木の根もとにある赤ん坊ぐらいの大きさの白繭をみつけた。持っている山刀を振ると繭の表面に薄い縦スジが刻まれて、枝豆の()()みたいに簡単に裂けた。

「なんだァ?」

 中身はない……というより、繊維質な白い()が詰まっていた。

 ──実際、これは雀女を捕えた柚月の式神ではなかった。中身は大きく実った夕顔という(うり)の一種で、本来なら果実を薄く剥いて干瓢(かんぴょう)に加工したりする野菜だが、松永蔵人は近所の畑からとくに肥えたものを拝借し、これを包帯でぐるぐる巻きにして、あたかも繭のようにしてみせたのである。

「謀りやがったな……」

 上空に目を向けると、いましがた背中を斬りつけたはずの松永蔵人は、しかし相変わらず鉄塔をのぼり続けている。

 ──なんという迂闊(うかつ)

 月狡は踵をかえして鉄塔を駆け上がった。体がハーネスとワイヤーで頂上と繋がっているかのように、月狡の怪脚は重力を無視した垂直方向への疾走をみせた。壁を這うヤモリのように、月狡の手足の平たい指先にはナノサイズの繊毛が数千万とひしめいていて、滑らかな鉄骨の表面とそれらが互いに引き寄せあって吸着している。と、それらしい解説はともかく、松永蔵人のもと──高さにして五十メートルほど──まで五秒とかからなかった。

 

 ──せめて梓巫女たちには、頂上に眠る女か、途中にへばりつく男か、どちらかの首だけでも届けてやらねば気が済まない。

 巫女を人質に雀女の返還を迫ったのも、たまたま雀女と巫女の攻防を草葉の陰から覗いていて、それがあまりにも呆気なく終わり、梓巫女たちの首尾一貫した仕事ぶりが気に入らなくて、ならば邪魔してやろうという、ぽっと出の子供じみた思いつきに過ぎなかった。

 しかし、いま顔も名前も知らない人間の男──松永蔵人に邪魔されて、騙されて、火がついた。

 ──あの女の細首を断ち、彼奴のまえで高々と掲げてやる。そのあとで男の首も刎ねる。瓜みたいにぶら下げて届けてやる。

「きええいっ」

 セミのように鉄骨にしがみつく蔵人の背中を、ふたたび山刀が、今度は憎しみを込めて滅多打ちにする。花びらのように吹きあれる血飛沫……とは、ならなかった。

 月狡はハッとすると同時に身震いした。──この人間、たしかに手応えはあっても、まるで砂袋みたいにビクともしない。大きく開いた背中の傷は紛れもなく本物だが、皮一枚を隔てた内側では、血管や筋肉組織、骨に至るまで体内の何もかもが渾然一体として、煮立ったビーフシチューのように対流しているのが見える。

 絶句する怪異の表情が見えているかのように、松永蔵人はフフフと不敵に笑った。

「忍法・赤水泥(あかみどろ)──」

 月狡はとっさに背中の傷のさらに奥、心臓めがけて山刀を刺し込んだ……が、松永蔵人の()()()()には意味がない。のれんに腕押し、すでに形のないものを、どうして破壊できようか。

 反撃とばかりに、松永蔵人の背中の亀裂から間欠線のように半液状の飛沫(しぶき)が扇状にほとばしった。

 肉片は月狡の全身を汚しながら、一部が筋骨たくましい松永蔵人の上半身のシルエットを形作って背後にまわり、二本の腕で怪異の首根っこをキリキリと締めあげる。

「ば、化物っ……!」

 予期せぬ挟み撃ちに、自らを棚に上げて月狡は叫んだ。

 山刀を振ろうとしても身体に付着した肉泥は、尖った鼻先や口、大きな両眼、四肢の関節を鱗の隙間まで侵食し、石膏のように固まってそれを許さない。

 月狡の足裏が鉄骨から離れた……と言うよりは、分子間の絶妙なバランスを保っていた足裏が根をあげて、ついに滑り落ちた。

「おおおお……」

 怪異よりも奇怪な肉に取り憑かれた月狡は、断末魔を()()()させながら漆黒の山野に落ちていった。──

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