夜が明けた。
多恵を介抱するのに大事を取って、町の診療所に連れて行こうと紗世が提案した。結果として車を運転できる烏丸スバルが二人を軽バンに乗せて送迎することになった。残された巫女四人によって、捕まえた夜導怪を焚き上げる準備が進められた。
一方、秋山凜子は境内の石畳に積もったを赤銅色の土を手で丁寧にすくい、かき集めて、土のう袋のなかに入れていく。
お堂の裏手──階段も足場もない雑木林の斜面から、エプロン姿の専業主婦じみた
「今日は資源回収日だよ」
と、凜子のほうには目を向けずに言った。
「いま片付け中ですよ」
「もう一人はどこだい?」
凜子は境内のなかの
「気付いたときには手遅れでした、申し訳ありません」
「いいんだよ、
おばさんは手水舎の袋と、足もとの土にそれぞれ手を合わせた。
「……市営霊園に安置してあった不二典親だけど、昨日、
「そうですか。……不二典親、とうとう会えなかったな」
エプロンの前ポケットから束になった数本の鉄串を取り出して、
「あの子に代わって使ってやりな」
受け取った棒手裏剣は軽くて硬く、
黒のポリ袋二つと土のう袋を両手に、それこそゴミ出しするように、おばさんは何食わぬ顔で正面の境内から出ていった。
「えっ。誰か来てるの?」
物音に気付いた乃愛が顔を出した頃には、その姿は石階段の下に消えていた。
「知り合い?」
「さぁ、きょうは資源回収日だってさ。──」
こうして不二典親と松永蔵人、二人の対魔忍の
死して屍、拾う者なし。──とは、あくまで近世日本における隠密の非情な掟であって、昨今の国家公務員たる対魔忍は、たしかに忍務によっては証拠隠滅のために過酷な選択を強いられることもあるが、大抵の場合、遺体は各地の『草』の手によって秘密裏に回収される。
秋山凜子も例外ではなく、内心、明日か半日後の自分と、持ち去られた黒のポリ袋とを本人も知らないうちに重ね合わせている。
二十分も経たぬうちにスバルと紗世が戻ってきた。
多恵は熱中症で倒れたという
祝詞が粛々と唱えられつつ、夜導怪・月狡を包んだ瓜型の紙風船が護摩壇の火中に投じられた。極限まで加熱され橙色に発光したそれを錆びたヤットコでつかみ出し、四方から砂と束にした
「やっぱ多恵さん抜きだと仕上がりが微妙ね」
汗を拭いながら梓巫女たちは首をひねった。とは言え、よれたシワやら曲線やらを指差して議論している彼女たちをお堂の外から眺める対魔忍二人には、先日見たものとの違いがわからない。
「仕方ないよ。あとは和尚さまか誰かが、どうにかしてくれる」
紗世は楽観的に言った。
「暑っちぃな……
「ちょっと。アレを渡すまでは駄目よ」
「あたしら午後から補講あるんだけど」
双子は人目を気にせず汗を吸ってクタクタになった巫女装束を脱ぎ捨てる。
「シャワーだけでも良いから、あとはすこしでも寝ときたいな」
「じゃあ、お前達は例外として……紗世と瑞穂、ジャンケンすっか」
「やーよ」
「私だって寝たいんだけど」
不貞腐れながらも、いざ拳を突き合わせると二人の顔色が打って変わって、
「ジャン、ケン、ポイッ!」
と、迫真の声がこだまする。柚月がパー、二人がチョキを出した。
「んがっ」
「あははっ、やっぱりパーだと思った」
瑞穂は高らかに笑った。
「な、なんでわかったんだ」
「いかにも“私はパーです”って顔してるもの」
「なんだとっ。お前ら、なにか仕組んだな」
「諦めなよ、柚ちゃん。言い出しっぺがみっともない」
言いながら紗世はすでに着替えを終えて、道具一式を詰めたバッグを肩にかけている。
「くぅ……もういい、風呂でもどこでも行っちまえ!」
「そんないじけないでよ。すぐ戻ってくるんだから」
「そうよ。二、三十分チョロっと浴びてくるだけじゃない」
「ランドリー寄るから、洗い物あるなら持ってくけど」
なだめるように言われて、柚月はムスッとしたまま巫女装束を脱ぎ捨てると、大ぶりなレジ袋に下着類とともに乱雑に突っ込んでよこした。吠えかからんとする彼女から逃げるように、四人は小走りで消えた。
「仲良いのね」
烏丸スバルは遠巻きに笑っていた。
どうだかね、と柚月は照れ臭そうに言いながら、クーラーボックスから取り出した栄養ドリンクをひと息で飲み干した。
ほどなくして例のごとく引取人がやって来て──今回は白衣の神主たちだった──怪異の結晶を
平日の午前、アスファルトの街に陽炎のような純白の集団は、そこだけ時代が千年ほど逆行したかのように荘厳で幻想的、かつ怪奇であった。
遠巻きにその列を見送る佐竹巡査は「ありゃなんだ?」と、となりの原田巡査に耳打ちする。
「あれは……きっと神さまの引っ越しだろう。伊勢の式年遷宮みたいな」
「ほんとうに?」
「でなきゃ、あんな物々しい行進しないだろう」
二人の若い巡査たちが、そう言って疑問を飲み込んだのも無理はない。
誰しも自分の住んでいる地域を──地図くらいは見たとしても──風俗のすべてを把握してはいないし、大体はある程度の深さで引き返すだろう。古い文献や考古資料まで掘り返して解き明かそうとする猛者はひと握りである。
とくに、光の速さで寄せては返す、
町の銭湯・横勢温泉にて。
脱衣所のロッカーのまえで上着を脱ごうと手をかけた紗世が、ふと左隣りから圧を感じて目を向けると、
「あっ」
昨夜こっぴどく説教を浴びせてきた警察官が──さすがに私服だったが──箱四つほど離れたところから同じようにこちらを見ていた。浅見由衣巡査部長の目もとは
浅見も紗世も、お互いに会釈をして、やがてなんとなく居た堪れなくなった紗世が、
「おつかれさまです」
と、言ったが、一夜のことを思い出して、もしかして嫌味と捉えられやしないかと、言ったあとでヒヤッとした。
「ええ、どうも……」
浅見は憮然として、
「誰かさんが夜中に焚き火したせいでね。仮眠も出来ずに、だいぶ長引いちゃったわ」
本当は浄胤和尚の言い訳の裏を取るために朝から更地や役所を西に東に奔走したせいだが、骨折り損を打ち明けるほど親しい間柄でもないから、浅見は言わない。
「そっちも、どうやら夜更かししたようね」
「まあ、なにかと忙しいですから……」
まさか妖怪退治のことなんて白状するわけないから、お互い大した話題も思い浮かばず、浅見は早々に浴場へ向かった。
ため息をついた紗世を、遅れてやって来た瑞穂が「どうした」と声をかけた。紗世が警察官のことを話すと、彼女も同じようにウウンと眉をひそめた。
「どうする、帰る?」
「余計に怪しまれるよ」
浴場と脱衣所はすりガラスで仕切られていて顔までは見えなくとも二人のシルエットは十分見えるはずだ。執念深い巡査部長のことだから、紗世と立ちならぶ瑞穂の存在にガラス越しに気付いているに違いない。
──別に逮捕されたわけでも、悪いことをしているわけでもないから堂々としていれば良いのだが、そんな振る舞いが出来るほど肝のすわった二人ではなかった。
女湯の暖簾をくぐろうとした双子を、瑞穂が手で制した。
「
そうね。と言いながら、紗世は服を脱いだ。
「もう行かないと怪しまれる」
「まったく。喧嘩っ早いのが来てなくて良かったわ」
瑞穂も小さく笑いながら脱衣して、二人は浴場のサッシを開けた。浅見は一番端の鏡のまえに座って髪を洗っていた。
「…………」
「…………」
「…………」
ここは銭湯で、三人とも素っ裸なのに、取調べ室みたいな空気が流れているのは紗世と瑞穂の思い過ごしに違いないが、実際二人の喉は湯気の立ち込める室内に反してカラカラに渇ききっていた。
三人が同じ湯船に浸かった頃、双子の姉妹が浴場に入ってきて、なんとなく雰囲気が和らいだのは
並んで浸かる紗世と瑞穂は、ようやく肩の力を抜いた。
「ハァ、しばらく出られそうにないや……柚月には悪いけど」