対魔忍戯作:斬鬼忍法帖   作:天野じゃっく

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その十八

 診療所からの帰り道、多恵は自身の眠っていた間のことを他の四人に尋ねた。

 蛾の怪異を封じた直後、多恵がヤモリの怪異に拐われたこと、紗世と瑞穂が警察に連行されたこと、松永蔵人が多恵の行方を単身追って怪異と相討ちになったこと、捕えた雀女は夜明けとともに逃走したこと。──

「そう、あの人、死んじゃったのね」

 訃報を受けた多恵はつぶやいて、それっきり黙り込んだ。

「松永さんのことで感傷的(センチ)になることはないのよ、多恵さん」

 その様子を察してか、前を歩く烏丸スバルは振り向くことなく言った。

「松永さんは自分と巫女とを天秤にかけて判断したまでのこと。……美談にするつもりは毛頭ないけど、それでも自分の最期を選択できたのは私たちの業界では幸運なことよ」

「そうなのかな」

「私たちの大半は目的を達成するために弾丸のように消費されていく。それでも無駄な死はひとつもなかった。あとに残った者がそうさせなかった。──雨粒は地面に消えても、風に運ばれ雲に乗り、いずれはふたたび地を打つ雫になる」

 感傷的になることはない。と言いながら、スバル本人がそんなことを臆面もなく言う。

 死生観はともかくとして実態のわからぬまま怪異に打ち負かされた不二典親のことがあるから、スバルにはより一層こたえる日々なのだろう。……と、最後尾で()()()()をつとめる凜子は思った。

「そう、なのかもね」

 うなずいた多恵だが、その表情から憂いの色が消えることはなかった。

 冷たい雨にけぶる町を並んではしる五つの影は、新盆にあらわれた幻影のように見えた。

 

 一方そのころ、廃寺は深刻な事態に陥っていた。

 障子もガラス戸もない吹きさらしで、夕涼みには丁度いいと笑っていられたのは昨日までの話で、虫食いまみれの古びたお堂に夏の雨は断続的に降りそそいで、雨漏りどころではなく、もはや浸水ともいうべき惨状である。

 留守番している双子姉妹と瑞穂は、とうとうお堂のなかには居られなくなった。全員の荷物や食糧を入れたスーツケースやボックス等をまとめてブルーシートに包み、ひとまずは境内の隅にある手水舎(ちょうずや)の屋根の下に安置しておいて、自分たちもその近くに二人用のテントを張って、身を寄せて雨風をしのいでいた。手水舎は大きく茂った一本杉の下にあるので小雨くらいには勢いが弱まる。

「あのオンボロ、潰れちゃうんじゃないの」

 と、ちょっとした滝のように水を滴らせる廃寺を眺めながら乃愛はつぶやいた。

「潰れてくれたらそのほうがマシよ。浄胤(じいさま)にホテルでも旅館でも取らせたら良いんだわ」

「そうか、アタシらでぶっ壊せばいいんだよ。──瑞穂ちゃん、長巻(それ)でさ、柱の一本にでも切り込み入れてきてよ」

 瑞穂のそばにおいてあるものを指差して乃愛は言った。

「捕まったらどうすんのよ、器物損壊ってやつでさぁ」

「わかりゃしないでしょうよ、あんな廃墟。むしろ感謝されるかもよ」

「あたしが捕まったら、アンタたち一緒に自首してくれる?」

「なんで」

 双子はそろって首を横に振った。

「高校までは無事に卒業しときたい」

「薄情ねぇ、この子たちは」

 呆れたようにため息を吐きつつ、でも拠点がなくなればもっと良い場所に移れるかもしれないと、いい加減うだるような暑さと蚊の多さにうんざりしていた瑞穂は、ちょっと本気で長巻を左手にテントの外に出た。

 遠目でみる廃寺は、醤油に漬けた割り箸で組んだのかと思うくらい真っ黒だった。居住には不向きだとひと目でわかる体たらくで、隠れ家に提案した浄胤和尚が布団に大の字で寝ているのを想像すると途端に憎たらしくなってくる。

 ──と、老人の顔を思い出したのと同時に、昼過ぎに神社の人間から芋羊羹の差し入れがあって、その残りがあるのを思い出した。

「ねえ、いまのうちに甘い物でも食べとかない?」

 テントのほうを振り返った瑞穂は、その奥の暗闇の、スギの高木の幹の模様がわずかに動いたのを見た。

「?」

 樹木の模様かと思ったそれは、植物にしては妙に艶かしい光沢と規則的な模様があって、それが鱗を生やした生き物だとわかったとき、ようやく彼女は、積み重なった重機のタイヤみたいな蛇腹がスギの幹に絡みついているのだと知った。

 ハッとして鞘を取っ払った瑞穂の頭上には夜空より漆黒の空洞があった。枝葉のあいだから飛び出した蛇の頭部が音もなく大口を開けて降りてきていた。

「──いまのなに?」

 地響きに驚いた姉妹が外をのぞいたとき、目の前には、巨大な蛇の上顎と下顎のあいだで口を閉じられまいと長巻を縦に突っぱらせる瑞穂の姿があった。

「な、なにしてんの!」

「見りゃわかんでしょ!」

 あきらかに雨ではない粘液を頭からかぶりながら瑞穂は叫んだ。

 長巻の刃は上顎の裏から左眼を貫き、縦長の瞳孔から鮮血を溢れさせて、スギの木に絡みついていた大蛇は唸りをあげて境内をのたうちまわった。暗がりで全体を捉えることは難しいが、電車一両半から二両ほどはありそうな巨体にモザイクタイルみたいな鱗を並べたそれが怪異でなくて一体何であろうか!

 双子は弓をとってテントの外に出た。二人が引き絞った弦を放つと大蛇の体表を火花に似た青白い閃光が何度もはじけた。──いや、細かく飛び散ったのは陶磁器みたいな鱗だけで、本体にはまるで効果がない。

「あっ、鱗が!」

 唯愛が叫んだ。地面に散った鱗の破片は形を変えて細長い白蛇になり、秩序ない動きで距離を詰めてくる。

 霊気の矢が鱗を打ち壊したというより、大蛇のほうから鱗を脱いで矢の侵入を邪魔したように見えた。──現代の戦車が砲弾への防衛策として反応装甲(リアクティブアーマー)を施すように、としたら、遠巻きに牽制したところで事態を悪化させるだけかも知れない。と、唯愛は思った。

 双子はやむなく地面を這う白蛇たちを狙いはじめた。幸いにもこちらはシラスみたいに細く、霊気の矢を受けるとたちまち四散するほどに弱々しかった。

 そのうち大蛇は顎を持ち上げて、蠕動する真紅の喉奥がガッポリ開いた。真上にいる瑞穂は両足も踏ん張って長巻の柄をいっそう強く握りしめた。横目に一本杉の頂点がみえる。長巻は突っ張って引き抜けない。自身が飛び退くにも高すぎるし、むざむざ丸呑みされるわけにもいかない。

「このバカダイショウ、()()になりたいのっ」

「そのまえにお前が胃の中じゃ」

 瑞穂の挑発に応えたのは、真っ黒な喉奥から逆流してきた濡れ白髪の老婆だった。

「巫女の血肉、吸い尽くしてくれようぞ!」

 老婆の枯れ枝みたいな両手が瑞穂のからだに伸びる。

 万事休す!──と、誰もが思った。

 直後、長巻を握りしめた瑞穂は境内の外の、斜面に群生する松の木の枝に引っ掛かっていた。

「……あれ?」

 呆然とする瑞穂だが、地上にいた姉妹はその一部始終を見ていた。──雨筋を裂く矢のように飛来した(とび)のハヤテが、彼女の背中をガッと掴んで、そのまま横っ飛びに大蛇の口内からさらっていくのを。

 いや、実際に目にしたとして、飛行能力のために余分なものを極力削ぎ落としてきた身軽な鳥類が、人ひとりを鷲掴みにしたままどうして滑空できようか。そんな妙技を可能にしたのもハヤテが対魔忍に訓練された忍鳥だからに他ならないが、巫女姉妹には永遠に謎として記憶されるだろう。

 油揚げをさらわれる。という慣用句そのままに、獲物を横取りされた大蛇は頭を右往左往させていて、そこに再びハヤテが足のかぎ爪を、蛇の死角である左側面から大きな目玉に食い込ませた。

「ギャオ」と、なぜか蛇の口からは女の金切り声がした。

 数百倍の体格差をものともせず大蛇と鳶は、ほぼ互角の攻防をみせた。というのも、大蛇はとぐろを巻いて威嚇しながら、尾を薙ぎつけるか噛みつくのが精一杯で、対する小柄なハヤテは屋根に枝に境内を飛びまわったかと思えば、傷付いた眼をかすめるように旋回し、大蛇をあおるのである。

 さながら、五条大橋の真ん中で薙刀を振るう弁慶と、欄干の上を舞う牛若丸のようであった。

 そのうちに、石段のほうから複数人の駆け上がってくる音が聞こえてくると、大蛇はお堂の一部とその裏手に並び立つ木々を破壊しながら境内を脱出して、土石流のように丘を下っていった。

「ど、どこに行った!」

 反対の斜面から瑞穂が、びしょ濡れの全身にいくつも松の葉をはりつかせて登ってきた。石段のきわに立ったレインコートの集団──紗世と柚月、多恵、そしてスバルと凜子は荒れ果てた境内を見渡して理解した。

「今夜の相手は青白いマムシと、掘削機(シールドマシン)てか?」

 廃堂の片側が大きく半円形にえぐれて、残された薄っぺらい戸板が風に吹かれるや否や、柱や梁がメキメキと限界を告げる音をたてて、重たげな屋根は濡れ瓦をこぼしながら四分の一ほどが崩落した。

 凜子があとを追うと、アスファルトの地面にべっとり土や枝のついた痕跡がある。それはしばらく道なりに続いて、柵を破って田畑を無理矢理に突っ切り、数十メートル先の河川のふちで途切れていた。

「上流に逃げたか……」

 

 ──土と埃とカビの混じったにおいが立ち込める境内に、町役場の土木課の職員と、紺色の雨ガッパを重ねた巡査数人が到着したのは、そこから十分ほど経ってからのことである。通報したのは廃寺の崩落音を聞いた近所の老夫婦であった。

 石畳は割れ、お堂は大きく傾き、裏手にある林はそこだけ台風が通過したように大木が中ほどでへし折れて、土砂の一部は道路に流れていた。周囲を巡回しつつ状況を見てまわった一同は言葉もなかった。

「こりゃ、イノシシかクマの仕業ですか?」

 さぁ、と老夫婦は顔を見合わせた。もとより通報した本人たちも現場を目撃したわけではないから何も言えない。

「もとから廃墟同然だったし、罰当たりな気もして普段から誰も近付かんのよ」

「それにしては妙に小綺麗ですね」

 枯れた手水舎に一片の落ち葉もないところを見てとった巡査のひとりがつぶやいた。

 不審者や見慣れない車両はありませんでしたか。という問いにも老夫婦は首をかしげて、

「そう言われても、そういうつもりで覗き見することはようせんからねぇ」

「傷んでいた(はり)や柱が、雨のせいで根を上げたってところか」

「すると裏手の地すべりも雨によるところが大きそうですね」

 その場にいる全員がおおむね納得したのは、崩壊したのが無人になって久しい廃寺なのと、その隣にながれる同じく古びた雑木林だったからで、そこに魑魅魍魎の爪痕を見つけることは、まず不可能と言っていいだろう。

 巡査は帽子のつばをペチペチと打つ雨空を見上げた。

「そんな土砂降りってほどでもないけどなあ」

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