対魔忍戯作:斬鬼忍法帖   作:天野じゃっく

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その十九

 もとより梅雨明け宣言はおよそ一週間前に発表されていて、この日も前日の天気予報では快晴で、暑さも八月にむけて本格的になるだろうとされていた。

 しかし巨大な暗雲はS県西部を中心に、生ぬるい風雨を下界に渦巻かせている。

 駅近郊のファミリーレストランに入っていく浄胤和尚の姿があった。

 涼しげな甚平の上下に農作業用の長靴を履いて、雨水のしたたるビニール傘を傘立てにさした彼は店内を見渡し、ひときわ熱気のこもった一角に目がとまった。

 そこにいる女子集団──ふたつのボックス席に三人ずつ座った六人組は──会話の声もほぼ無く、ただ食器の無機質な音だけが不気味に響いていた。

 鉄板から音を立てるハンバーグにステーキ、半熟の卵黄とコショウのたっぷりのったカルボナーラ、分厚いウナギの蒲焼きのぐったり乗った丼メシを、立ちのぼる湯気に顔をつっこんで、ムッハムッハと無心にかきこむ姿は、ある種の狂気さえ感じさせるものがあった。

「ほっ、うまそうなもん食っとるのう」

 年老いた坊主が躊躇せず女の園へと入っていくのを、若いバイトの店員などは店内を往復するたびに二度三度と振り返ったりした。ふぞろいな不良女たちに老年の夜回り先生といった風態だったから、その点については大した疑問もないが、ケンカ騒ぎでも起こしやしないだろうかと警戒しているせいもある。

 よいしょ。と息を吐きながら斜め向かいの席に腰をおろした浄胤和尚は、彼を迎えてもなお食事を止めようとしない巫女たちを見渡してふっと笑った。

 なに?と、柚月が口まわりのソースを指で拭いながら彼を睨んだ。

「お前たちの食いっぷりは清々しいくらいに欲の塊よのう」

「缶詰と栄養ゼリーだけじゃ人は満たされないってことに気づきましたわ」

 紗世が言った。

「差し入れしただろう、お茶に煎餅、最中(もなか)……」

「あんな喉カラッカラになるの寄越すんじゃねーよ!」

求肥(ぎゅうひ)入りの良いやつでも?」

軽食(スナック)程度じゃ保たないって言ってんの」

 大事なのは塩と脂ね。──と、双子が熱々のステーキを前に感慨深そうに呟いた。

 六人の巫女はそれぞれ二、三品のメイン料理と複数のサイドメニューを頼んだようで、次から次へと料理が運ばれては入れ替わりに同じくらいの量の大小の皿が下げられていく。

「和尚さま、実は、拠点が崩壊しました」

 口の中にものを飲みこんだ多恵が思い出したように、ようやく言った。もとより浄胤和尚を呼び出したのは、このことを相談するためである。

「これからどうしましょう」

「うん、ここに来るついでに儂も見てきたところだ。空いてる場所はまだあるから、あとで追って案内させよう」

 和尚は取り乱すことなく言った。

「どうもイヤな湿っぽさのある夜だが、雨のせいだけではなかったか。相手はどんな奴だった?」

 と、たずねると、巫女たちは「人ひとり余裕で呑めそうな大蛇」だの「人に憑依する小さな白蛇」だのと、それぞれ遭遇した怪異の特徴を述べた。

 とくに一人だけ風呂上がりみたいに濡れ髪の瑞穂の恨み節は凄まじい。

「なるほど、ヘビか。……するとやはり(ぬれ)蛟龍(みずち)かのう」

 浄胤和尚は腕組みして言った。

「雨夜に出でて川をくだり、里にて人心を惑わす一匹の蛇ありけり……」

「なんて?」

「なに、ただのお伽噺よ」

 浄胤和尚はホッホッと老人らしく笑って、

「それより、すこし前に影森の橋楯(はしだて)堂から連絡があってのう」

「橋楯堂というのは、岩壁と鍾乳洞の足もとにある、あのお堂ですか」

「そうだ。その鍾乳洞の奥から奇妙な音がするという」

 浄胤和尚は語りはじめた。

 ──橋楯堂は、正式名称を石柳山(せきりゅうざん)橋楯堂といって、秩武地方に三十四ある札所のひとつである。

 雄大豪壮な武洸山(ぶこうさん)の西の麓、高さ七十メートルを超える石灰の岩壁を背に、江戸中期に建立された観音堂が禅僧のごとく鎮座している。

 夕暮れ時、戸締りに外へ出た橋楯堂の和尚は、木々の葉を揺らし岩壁をうつ大粒の雨と風に混じって、なにやら奇妙な音を聞いた。ズルズルと巨大なものを引きずるような、地の底でうごめく亡者たちの唸り声のような怪音が、岩山のどこかから地響きとともに伝わってきた。

 切り立った岩壁からは古代の土器や装飾品が発掘されるほか、雨水と地下水に数十万年かけて浸食された、木の根のように縦にのびる鍾乳洞がある。そこは考古資料や観光名所のほか寺宝を保管する奥之院としても大事にしてきた歴史があるから、橋楯堂の和尚は他人事ではいられなかった。

 はじめこそ近隣の採掘場が地盤を揺らしている所為ではないかと思ったものの、いつまでもその音は止むことはなく、むしろ時間が経つにつれて──夜が深くなるにつれて──読経にも呪詛にも似た、独特の抑揚を孕みつつあった。

 夕暮れから二時間あまり後、前代未聞の天変地異に辛抱たまらなくなった和尚は、かといって警察や消防に連絡するには心許なく、根拠にも欠けるので、()()()()()()の相談相手として実は真っ先に頭に浮かんでいた浄胤和尚へと連絡した。

「山鳴りというのは地震や噴火、不吉の前兆とも言われるからのう」

「それと私たちの相手した蛇と、なにか関係があるってこと?」

「所詮は迷信。そうかも知れないし、そうではないかも知れぬ。……といって、無視できないのは皆が承知のとおり」

 罠かもしれない。という疑問は当然ながら誰の頭にも過ぎったが、そのことを口に出すものはなかった。──すでに闘う覚悟を決めていたから……ということではなくて、若いバイトの店員が食後のデザートをもってやってきたからである。

「失礼します、マンゴーとイチジクのパフェでございます」

「あ、はい」

 紗世と多恵と乃愛が手をあげた。

「それと、白玉抹茶ぜんざいになります」

 唯月と瑞穂、唯愛が手をあげた。甘いものを前にすると彼女たちは再び無言になって、犬みたいに夢中で皿に向かいはじめた。

「あ、ちょっとお兄さん、熱いお茶をいただけるかな」

 浄胤がチョイチョイと手招きして店員に言った。

「お茶でしたら、ドリンクバーをご利用になりますか?」

「それって、お茶あるの?」

「ホットとアイス、両方ございますが」

「あ、そうなの、じゃあそれで」

 和尚が慣れない手つきで煎茶をいれたカップをもって戻ってくるうちに、梓巫女たちは消えていた。飲み食いした跡とおびただしい注文数を記した伝票を残して。

「やれやれ……夕立みたいに去っていきおった」

 浄胤和尚は苦笑いした。彼が呼び出されたのはこのときの為でもあった。まだ匂いと熱気の残るボックス席に茶をすする音が蕭々(しょうしょう)と流れた。

 

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