風雨にひかる街をはなれて西の山林へと移動する女子集団を後方から見届けるのは私服姿の佐竹巡査である。
これは浅見巡査部長の密命を受けての行動だった。浅見は、いつかみたボヤ騒ぎの巫女たちと、その後に現れた和尚を名乗る老人に異様な執着をみせている。
もとより彼女は、走り屋や交通違反者、酔っ払いにも物怖じせず、むしろ啖呵を切って相手を黙らせる女傑である。佐竹巡査は大胆さと冷静さに驚き、呆れつつ、どこか彼女に対して好感をもっていた。──その巡査部長が、あの巫女と老人には何かある、と言っている。彼は浅見の警察官としての勘に賭けた。
さびれた丘の上にある廃寺の境内でテント生活をする女たちを見つけるのに半日もかからなかった。彼女たちの移動範囲は予想以上に小さかった。銭湯へ通い、コインランドリーを往復し、百貨店に寄り道したり、身なりを整えて学校や職場へ行った者もある。彼女たちは驚くほどに地元の人間であった。
しかし、それも夕方までの話で、日が暮れてからはどうも様子がおかしい。
夜、慌ただしく支度をして廃寺から何人かが出て行った。巡査部長へ具申して境内の監視を指示された佐竹巡査は、やがて奇妙な光景を目の当たりにした。朽ちたお堂と境内は──突風か地震か──柱が折れ、瓦が飛び、敷石が砕け、林の一部が激しく左右に揺れた。
廃墟は総じて脆いものだから、それが壊れることには大した疑問はない。それより佐竹巡査がそら恐ろしかったのは、その前後に彼女たちが弓や模造刀を振り回し、叫び、乱舞し、まるでなにかと戦っているように境内や木々のあちこちを飛び跳ねはじめたことだ。
悪ノリにしては
呆気にとられているうちに残りの女たちも戻ってきて、万が一にも見つかったら何をされるかわからない、こっちは丸腰の一人だから、ひょっとすると口封じに消されるのでは……と思った佐竹巡査は、彼女たちがその場を立ち去るまで──近隣住民の通報を受けたパトカーの赤色灯のひかりを目にするまで、すぐそばの雑木林の真っ暗な茂みのなかで声を殺して潜んでいた。
──女たちは明らかにヤバい連中だ。住居侵入。器物損壊。藁人形を打ち付けでもしていたら脅迫の容疑も加わる。未成年らしき背格好の者もいた気がする。飲酒もしくは薬物使用の疑いも否定できない。
素性を検める理由はいくらでも思いつくが、たとえいま彼女らを連行しても前回のように老いた和尚がひょこひょこやってきて──署のお偉方は、あの坊さんのなにが怖いのか──談合の末になかったことになるのは容易に想像できる。
いま、ファミレスから飛び出した六人の女は、一台の軽バンに乗り入れて西へと走る。佐竹巡査は私用の四駆車で二百メートルほど距離をあけながら後を追う。
曇天の夜にひときわ濃い影となって浮かぶ
街灯の数が次第に減っていき、いつしか前方を照らすヘッドライトの光だけが頼りの漆黒の世界へと突入している。
もうずいぶん行き来した地域なのに、こんな心細くなるような道がいままであっただろうか、と佐竹巡査が驚いたほどに、その日の夜道は異様に暗く、草木を揺らす風と雨の音も相まって森全体がざわめいているように感じた。
ゆるやかな上り坂を右に左に曲がるたび『武洸山』『橋楯堂』『この先〇〇メートル』と書かれたいくつかの看板が電柱にくくり付けられているのが見える。
「
──とっくに閉まっているだろうに、この時間に何の用がある?
路肩に車を停めた佐竹巡査は懐中電灯を片手に道を登っていく。道中、暗闇にも虫の声のやかましい駐車スペースには一台のみ、女たちの乗っていたオレンジの軽バンが無造作に停まっている。
その車内を照らして無人なことを確認した佐竹巡査は、車体の下の、真っ黒な陰からニョロっと這い出てきた線虫状の物体を捉えた。
それが世にも珍しいアルビノの蛇だと気付いて、彼が「うわ」と声をあげた瞬間、その白蛇はカエルのように彼の顔めがけて跳んだ。
細く長い、ツルツルしたものが身をくねらせて入り込んでくる感覚と同時に、彼の意識は自身の奥底へと追いやられてしまった。
同じ頃、市内の応援に駆けつけ、これから帰途に着こうとしていた浅見由衣の携帯電話に着信があった。佐竹巡査からである。
「──どうしたの?」
「あ、浅見さん。至急こちらへ、お願いします。大変です」
「大変って、なにが?」
「いま、橋楯堂の前です。武洸山の麓の。あの女たちもいます」
「間違いないのね?」
「ええ、車両も確認しました。とにかく急いで。──」
取るものも取り敢えず、浅見はパトカーを走らせた。
確たる証拠はないものの、浅見は、女子集団と老和尚、芦ヶ窪の車両事故、横勢町内の爆発騒ぎとは繋がっていると考えていた。そして今夜、同じく町にある小高い丘の上の廃寺に、ただの経年劣化では片付けられない不可思議な破壊の痕跡が刻まれた。
すべて書類上は解決済みとされている、とるに足らない案件ばかりである。あるいは誰しもが人生の中に見つける
道中、佐竹の私用車らしき四駆を発見して、そこから浅見は徒歩で山道を登りはじめた。ほどなくして、オレンジの軽バンの停まる駐車スペースに出くわした彼女は周囲を見回しながら、
「竹っ、おたけっ」
小声で呼びかけるも反応はない。
不意に背筋をゾッとさせる冷風が吹いて、
「ひゃっ」
と、柄にもなく肩をびくつかせて振り返ると、いつのまにか佐竹巡査が立っている。
「はっ。あ、あんた。──」
「浅見さん、女たちはあっちに」
佐竹巡査は無表情で参道のほうを指差した。
「刀剣等を持ち込んで施設内へ侵入しようとしています」
「そ、そうなの……人数は?」
「ファミレスから軽に乗るまでは六人だったと思いますが、いまは七人か八人に。まだまだ増えるかもしれません」
「そう。もうすこし様子見して、応援を呼ぼうか。──」
何食わぬ顔で数歩すすんだ浅見由衣は、その背後から佐竹巡査の両腕が伸びてきて、首元に絡みついてきたのに対処しきれない。
「ちょ、あんた、なにしてんのッ」
突然の裸絞めに喉仏を潰され、
「………」
雨に打たれる浅見由衣を見下ろす佐竹巡査の顔は生気を失ったかのように青白く、両眼は黒く塗り潰されていた。
装備品の付いた彼女のベルトに彼の手が伸びる。──
沙世、多恵、瑞穂の三人は
直前に白衣と緋袴の巫女装束に着替えたのは彼女たちの決意のあらわれであろうが、傘もささずにいるから髪も服も地肌にしっとり張り付いて、知らない人間が見たら鬼女か地縛霊と見間違えるのは必定である。
「この中にいるのは間違いないのね?」
「柚月の放したイヌが奥に入ってったから、恐らく。……なにも臭わなければ式神が動くわけないもの」
「本当に上手くいくんでしょうね。失敗したらこっちが袋のネズミじゃない」
洞窟内は寺の和尚にお願いして照明を点けてもらったから、荒天の外界とは打って変わってずっと明るく、雑音もない。
地球の原初を思わせる鍾乳石のトンネルを、手すりのついた鉄の階段が上へ続いている。
「これは、すごい」
沙世はつぶやいたが、これは神秘的な光景に目をとられて漏らした感動のため息では決してない。
ここはすでに大怪異の巣であった。不意をつかれて大口に呑み込まれる絵が容易に想像できてしまうほどに、──いや、もうすでにここがヘビの喉の内側で、自分たちは知らないうちに胃袋へと向かっているのではないか?とすら錯覚するほどに、幻妖な気に満ちている。
「立ち止まったりしてたら、こっちが先におかしくなるわ……」
抜き身の長巻を八双に構えた瑞穂は、たまらず早足で階段を登ろうとする。
「待って、それこそ思う壺よ。──追い込まれているのはどちらか、いま分からせる!」
多恵と沙世が、それぞれ右手に持った神楽鈴を振りはじめた。リャン、リャン、シャリラン──と、金属の澄んだ響きが、寄せてはかえす山吹色の波となって増幅を繰り返し、充満する邪気を祓う。
と同時に、凄まじい圧迫感をはらんだ風が押し寄せてくる。
「なんてすごい視線」
「静かに……」
霊力を受けて力尽きたか、それとも捨て身の特攻か、天井の
やがて、ズズズ……と洞内を揺さぶる低音がして三人は足を止めた。順路を示す照明の光がチカチカと点滅し、不気味な振動が足もとから伝わってくる。
「近い」
瑞穂は片方の手で袴をたぐり寄せて固く絞ると、あふれ出る水を白刃にうつした。
「どこ?」
「わからない」
なおも二人は鈴を鳴らし続けていて、小さな蛇などはもはや相手ではなかったが、洞窟を上へすすむにつれて緊張感だけは右肩上がりに高まっていく。
「………」
周囲を見回していた沙世は、天井の岩盤の一部が外れて降ってきたように錯覚した。
「てえぇいッ」
瑞穂が頭上を薙いだ。刃から飛んだ水滴が透明な
水を刃に変える秘剣・
「アオオォーッ」
咄嗟にそろって身を伏せた三人の頭を特急快速のごとき夜導怪・
「ダメだ、斬るには厚すぎる」
反撃の神楽鈴が怪異を地底から追い立てる。
元来、蛇という生き物は耳の代わりに全身で振動を敏感に受け取るというから、鍾乳洞のなかで巨体が受け取る情報量は凄まじいものになるだろう。実際、濡蛟龍は三人のもとへ引き返して来ることはなく、そのまま外界を求めて上へと登っていく。
前方から五、六匹の純白の狛犬たちが階段を駆け下り、一斉に飛びかかった。
──小賢しや!
真っ向から対面する大蛇と犬の群れ。しかし体格差は歴然としていた。まさに隆車へ向かう蟷螂の斧、怪異が猛進する勢いに任せて大きく口を開き、それらをひと呑みに消し去ろうとしたのも頷ける。
だから、その直径三、四メートルの肉色の空洞を激しい稲妻が射抜いたのに、当の濡蛟龍さえもしばらく理解が及ばなかった。濡れそぼる巨体の頭から尻尾まで、無数の赤い水泡が沸々と浮き上がり、膨れあがった全身はボワッと弾け飛んで血潮の吹雪となった。
はるか上方──鍾乳洞を見下ろす位置に、残心の姿勢を保つ唯愛と乃愛の姿があった。