対魔忍戯作:斬鬼忍法帖   作:天野じゃっく

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その二十一

 四散した大蛇の血潮によって鍾乳洞の一区画は漆黒に塗りつぶされたようであった。むせかえる血肉の沼のなかに、のたうつ小さな塊がある。

 朱に染まった白髪頭をひたいと首筋に張りつかせた老婆が、海老反りになって、あばらの浮きでた平たい胸を無我夢中で掻きむしっている。──身体に突き立った()()()()()を掴んで引っぱり出すような動作にみえる。

 双子の放った霊気の矢は、大蛇の口から喉奥のひそむ老婆に見事的中した。矢を放ったあとで横並びにたたずむ二人は、内心、打ち震えるほどの感動を覚えていた。

 全身を覆う堅固な龍鱗に歯が立たないのなら、ただ一点、柔軟な口内器官をのみ狙う。──夜導怪・濡蛟龍(ぬれみずち)の大顎から間一髪逃れ、かつ体内にひそむ老婆の姿を認めた瑞穂が思いついた作戦だが、紗世や多恵からあまりにも無謀だと却下された。リベンジに燃える瑞穂が無茶をしそうで怖かったのだ。

 そこに縦長に伸びる鍾乳洞の傾斜を利用しようと提案したのは、弓使いの双子姉妹であった。遠くから体内に矢を届けるには、自分たちが相手より高い位置を確保しながら、相手が上方に向かって口を開く瞬間を狙うより他ない。

 桁外れに巨大な怪蛇の激流のように奔騰する姿を真正面に捉えながら、臆することなく弓の弦を弾いた二人の胆力は計り知れないものがある。── 

 狛犬たちが殺到し、枯れ枝のような手足や首にガブっと噛みついた。

「ぎゃっ」

 老婆に抵抗する間をも与えず、式神が全身を一枚の布に変化して巻きついた。──あっという間に低学年児ほどの大きさのミイラが完成した。

 鍾乳洞に静寂が戻った。

 入口から登ってきた三人と、出口から駆け下りてきた三人は合流した。

「みんな、怪我ないね?」

 六人は顔を見合わせてうなずいた。

「さて、これから(これ)を何処へ運べば良いのやら」

 柚月が頭を掻きながら言った。

 耳をすませば雨音がする。水に触れれば式神はたちまち溶けてしまうから、いま外に移すのは難しい。

「ここで焚くとか」

「流石にマズくない?」

「どうせあとで爺さまが口きいてくれるでしょ」

「まずは和尚さまに報告を」

「なんだ、圏外じゃん……」

 携帯をかざしながら、もと来た道を引き返そうとした乃愛は、うす闇の奥に人影を見た。

「あ──」

 それが何者かを確認するまえに、相手の手もとがカッと鋭い光を放ち、発砲音が鼓膜をするどく突いた。

 砕け散った液晶の破片とともに、乃愛のからだが階段を転がり落ちた。

「なにっ、──誰だ!」

 一瞬遅れて、巫女たちは階段から通路の左右に飛び退いていた。柚月の問いかけにその何者かは応えず、うすく湿った階段を降りてくるかたい靴底の音だけが近づいてくる。

「乃愛……乃愛っ」

 唯愛は通路に倒れる乃愛に向かって声をかけた。返事はない。周囲に散らばる黒いガラス片のようなものは弾丸に粉砕されたスマートフォンの液晶に他ならない。

「なにいまの。誰か見えた?」

「銃だよ、銃。ポリが憑かれたに違えねえ」

「制服着てないよ」

「幻覚じゃなくて?」

「じゃあ、どうして乃愛が倒れてんのさ」

 ──彼女たちは拳銃の音にすっかり怯えていた。

 もっとも危険で不気味な怪異とは何度も対峙してきた梓巫女ではあるが、非現実的で悪夢のようなそれらと違って、生身の人間から放たれた殺傷武器の咆哮は、現実に迫った恐怖となって彼女たちの肝を芯から冷やしたのである。

 乃愛はもとより、怪異を封じた繭も通路にそのままだから、怪異の息のかかった相手に渡すわけにはいかない。

「繭だけは絶対に手放すな。破られたらお終いだ」

 覚悟を決めたように五人は顔を見合わせた。

「よし、いいな。──ええい、行くぞ」

 深く息を吐き、袖の奥から紙玉を取りだした柚月は、岩陰から何者かへそれを投げつけた。

 硬球のような速度で真っ直ぐ進んだそれは、タイマーでも仕掛けてあるかのような正確さで、男の眼前で分裂し、十数の色とりどりの蝶になった。

 それは小さな色紙を重ね合わせた()()()の折り紙に柚月の霊力を吹き込んだものだが、眼前を飛び交う蝶の群れを男は苦々しげに振りはらい──その拍子にバォッ、と二発目の銃撃が、巫女たちの頭上をかすめ過ぎた。

「行け、走れ走れっ」

 巫女たちは一斉に階段を駆け下りた。それまで荷物然としていた白繭も、つきたての餅のように柔軟な四本の白い脚が生えてヨタヨタ歩き出した。

 突っ伏したままの乃愛のもとへ、いちばん近くにいた瑞穂が走った。瑞穂は、うつ伏せの乃愛を肩に乗せて両足の間に腕をまわし、垂れ下がる細腕を掴んだ。

 ──風呂敷みたいに乃愛を軽々と担ぎながら、右腕には刃の剥き出しの長巻、口に黒鞘を一文字に噛み締める瑞穂の姿は、必死の形相もあいまって、さながら生娘をひっさらう猛々しい鬼女であった。

 先頭をはしる繭犬と紗世が、鍾乳洞の入り口手前で立ち止まった。

 外はもう雨が止んでいた。しかし、狭い林道は長雨でぬかるみ、山肌を伝い流れる雨水は小川となって道を塞いでいる。さらには夜空をおおう高い樹木の枝葉からも不規則に大粒の雫が音を立てて落ちてくる。紙でできた犬にとってあまりに酷な環境だ。

「──乃愛ちゃんを先に。唯愛ちゃんも!」

 乃愛を担いだ瑞穂と唯愛が暗闇に駆け出していった。

 追いかけるように雷鳴が轟き、弾丸が風を裂いた。

 入れ違いに奥へと引き返えそうとする紗世は、薄明りの奥にひかえる多恵と柚月の後ろ姿と、そこからさらに数メートル奥にみえる下り坂を、亡霊のような足取りでやって来る──白い胡蝶の群れを目や鼻、首、手足の先までまとわりつかせた男の姿を認めた。

「誰か、撃たれたの?」

「いや……」

 三発目の銃撃は誰にも命中せず、暗闇にまぎれた。

 柚月のくす玉はたしかに目眩しとして有効だった。しかし、順路の誘導灯にそって設置された金属の手すりに左手を這わせながら、男は歩みを止めることなく、両者の距離は着実に縮まっている。

 三人の足はその場に縫いつけられたように動かない。男は音のするほうに素早く銃口を向けて彼女たちの位置を探っている。──レンコン状の弾倉がついたリボルバー銃が、いったい弾丸をあといくつ残しているのか、彼女たちには知る由もない。

「………」

 奇妙な静寂があった。

 男の右手がなにかを察したかのように動いて、撃鉄の起こされた銃は二、三メートル先にある柚月のこめかみをとらえた。──

「………」

 ウワーッ、と絶叫したのは男のほうであった。その右手に拳銃はなかった。三人は飛来した影を呆然と見送った。

 鍾乳洞内部を滑空し、風のように男の右手から拳銃をかすめ取った一羽の猛禽がある。──忍鳥ハヤテの足が、銃身と撃鉄のあいだに食いこんで暴発を防ぎつつ、もう片方のかぎ爪を男の手の甲に食い込ませたのだ。男の絶叫は予期せぬ痛みに対する反射的なものであった。

 同時に、男の背中に飛びついて羽交締めにしたのは、いつの間にそこにいたのか烏丸スバルだ。

 うくく、と息を詰まらせた男だが、スバルの両足が地面から浮くほど彼の余力は凄まじい。

「だりゃーッ」

 前方の三人も飛びかかった。多恵と紗世が手足に飛びつき男を転倒させ、その口に柚月が紙サイコロを挟んだ二本指を喉奥まで挿しこんだ。すぐに男が痙攣をはじめた。四人がかりの拘束でも地面から飛び上がらんばかりに全身を弾ませた。

「も、もう十分じゃない」

「まだまだッ」

 柚月は男の顎を両手で押さえて口が開かないように四苦八苦している。

 男の体内でなにが繰り広げられているのか、激しい痙攣が十秒ほど続いたあとで、男の瞳孔が上にひっくり返った。と、その途端──右の眼球が、筋繊維とつながったままツルっと()()()()。真っ黒な眼窩から細長いモノが、チンアナゴのように起立した。

「びゃっ」

 驚愕のあまり柚月は尻もちをついた。

 血潮に彩られながら現れたのは、お互いの喉もとに牙を立てた二匹の蛇であった。──半透明のモノと、ふやけた紙細工のモノとが、人体を縦横無尽にのたうちまわり、行き場を失った挙句、男の眼球を押しのけて噴出したのである!

「あれっ、絶対に逃すなッ」

 紗世が立ち上がり、右足を振り抜いた。もつれあう怪異と式神は、ゴルフのティーショットさながらの放物線を描いて、四散五裂、はるか頭上の石灰の岩壁に鮮やかな赤のシミを残した。──

 

 鍾乳洞から本堂まで戻ってきた瑞穂と唯愛の脚は、緩やかな傾斜のつづく参道の途中で止まった。

 石畳の敷かれた道の先、常夜灯の明かりのわずかに照らす薄闇のなかで対峙する大小二つの影があった。

 小さな影の正体は秋山凜子だった。小さいといっても大きな影が桁外れに大きいからそう見えるだけで、くわえてレインコートを羽織った彼女は、脚を広げて、やや腰を落とし静止している。対する大きな影──道のはずれの杉林から一本抜け出してきたかのような長身の影は、抜き身の一刀を上段に構えたまま微動だにしない怪異・笹浪である。

 瑞穂たちは石灯篭の陰に身を隠した。怪異に弓を向けようとした唯愛を「いけない」と、怪我人を背負ったままの瑞穂は小声で制した。

「あんなとこに割って入ってごらん、あっという間にみじん切りよ」

「いまさらなに言ってんの」

 そう言う唯愛の吐く息もかすかに震えている。

 笹浪の一刀が真っ直ぐに振り下ろされた。わずかなレインコートの断片を残して凜子の影は消えていた。彼女の身体は豪刀と入れ違いに高く舞いあがり、宙返りで裏にまわりつつ、笹浪のかぶる浪人笠へ唐竹割りに斬りつける。──

「ぬうっ」

 石切兼光が火花を散らし、凜子の体はすさまじい剣風にあおられ宙を泳いだ。

 ──死角から斬りつけたつもりが、この怪異にはそれがないかのようだ。

 ふたつの影は行きつ戻りつ銀光を引いて参道を乱舞する。巫女たちにはおよそ目で追うことも困難なほどの凄絶怒涛の剣戟である。

 参道の入り口にある「橋楯堂」と刻印された高さ三、四メートルほどの石標が、ちょうど「楯」の字のところを袈裟斬りにされて、上半分がズシンと地面に落ちた。その残骸をはさんで凜子と笹浪は動きを止めてふたたび対峙した。──遠く離れた唯愛の目が両者の姿をようやく捉えたのは、このときであった。

「……お見事」

 笹浪が満足そうに笑うと、()()の伸びきった浪人笠もさやさやと揺れた。

「女、お前やはり人間ではないな」

「さて、どうだろう」

 凜子は答えた。

「いいや、おれ達は似たもの同士。……お前は認めないだろうが、お前のそれは正直だ」

 笹浪は石切兼光の剣先を指した。向かいあう両者は鏡をはさんだ実体と虚像のようであった。

 草色の着流しを背中から霊気の矢が貫いた。

 おや、と笹浪は振り向いて、小さな巫女のすがたを発見すると、

蛟龍(みずち)(ばば)も逝ったか。……では、そろそろ退散するとしようか」

 と、平然として言った。唯愛の矢は腕と胴の隙間を通り抜けただけであった。

「また日暮れ時にでも逢おうぞ」

「今夜はもう終いか」

(たの)しみはとっておく。おれはお前が居てくれさえすればいい、秋山凜子──」

 刀をおさめた笹浪は道をはずれて、鬱蒼とした暗い森のなかへ紛れていった。

「梓巫女からは逃げられないんだろう」

「お前こそ、おれから逃げるなよ。ハハハ……」

 渋味のある男の声は遠ざかっていった。梓巫女たちのことは眼中にないかのような振る舞いだった。

 ふぅ。と息をついた秋山凜子はしばらく呆然とその場に突っ立っていたが、不意に背中を照らされた。

「動かないで!」

 懐中電灯の持ち主──浅見由衣が事の顛末をどこまで見ていたか……もとい、見えていたかはわからない。

 佐竹巡査に絞め落とされた後、雨上がりに意識を取り戻した彼女は混乱の極みにあった。

 ふらついた足どりで寺院の前までやって来て、そこに日本刀をぶら下げた見慣れない女を見つけるや否や、眼の色を変えて警戒をはじめたのは警察官の本能だったかもしれない。

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