対魔忍戯作:斬鬼忍法帖   作:天野じゃっく

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その二十二

 実際、多くの諜報活動がそうであるように、原則として対魔忍の存在が人目に触れるのは御法度である。

 相手は社会通念から逸脱した魑魅魍魎たちだから、その活動のほとんどが超法規的になるのも当然といえよう。

 万が一にも素性のバレないよう各地の“草”たちが偽装工作に余念が無いのは想像に難くないが。──

「腰にさげた物をはずして、足もとに置きなさい!」

 懐中電灯を左手に浅見由衣は相手に警告した。

 暗色のレインコートにパンツスタイル。足もとはスニーカー。──巫女装束こそ着けていないが、浅見巡査部長が凜子のことを例の巫女集団の一人だと思ったのも無理はない。

 怪しげな女は背中を向けているが、腰のあたりから細長いものがレインコートの端を押し上げており、形からして帯刀しているのは明らかである。橋楯堂の関係者だとしても改める必要は十分ある。

 それに、周囲に立ちこめる熱気──これは怪異と対魔忍との激しい剣戟の名残だが──これは荒事の現場に漂っている物々しい空気に似ていた。

「建造物侵入に銃刀法違反、他にもありそうね」

「………」

「いますぐ、言う通りに!」

 女は微動だにしない。

 わずかに刀の鞘がピクリと動いたのを見て、とっさに浅見由衣は腰のホルスターに手を伸ばした。そして固まった。

 このとき浅見の心は、あまりに予想外の出来事にまったくの空虚になった。──ホルスターのなかに収まっているはずのモノがない。ベルトに繋いだ盗難防止のランヤードこそ行儀よく入っているが、指先で手繰り寄せると、そのさきに付いているはずの拳銃がない!

 ──盗られた!いつ?私の伸びていたときに?……では、盗ったのは佐竹だとでも言うの?

 沸騰しそうな頭からサーっと血の気が引いていくのと同時に、胸の中央が激しく鼓動している。

「引き返せ」

 不意に耳もとに息を吹きかけられて浅見由衣はハッとした。

 目の前の女と自分以外に人の姿は見えないのに、右の耳穴を愛撫してくる女の吐息がある。──

 ありえない事が立て続けに起こると、流石に自分がどうにかなってしまったのではないか、という疑念に取り憑かれてしょうがない。

「来た道をまっすぐ戻れ」

 脅しているような説得しているような、底に響く女の声だ。

「な、なに言ってんの、いまさら帰るわけにいかないでしょ」

 浅見由衣は唇を戦慄かせながら、

「こちとら仕事でやってんのよ!」

 と、あろうことか空に向かって啖呵を切りはじめた。

 ──面倒な奴だな。

 言わずもがな、声の主は秋山凜子であった。いま彼女の空遁術は彼女自身の声を浅見由衣の後方へと跳躍させたのだ。

 死角から音を出すこの忍法スピーカーは──凜子は"雲雀笛(ひばりぶえ)"などと呼称しているが──もとは仲間同士の通話手段として確立された古典的なものだが、度々、陽動や騙し討ちとしても効力を発揮する。

 大抵の相手は反射的に声のするほうに注目するか、恐怖にかられて腰を抜かしたり、わき目も振らずに逃げ出したり、気絶する者もある。

 今回もちょっとした猫騙しのつもりに笛を吹いた。が、巡査部長は凜子の思った通りに動いてくれなかった。

 それどころか、なにかを察して眉をひそませて、

「……アンタ、()()()に何したの」

 と、凄みを帯びた声で言う。

 あいつとは恐らくスバルの見たという、怪異に憑かれた男のことだろう。お堂の奥の洞窟のなかで予想外の一悶着があったようだが、凜子は笹浪に道を塞がれてそれどころではなかったから、その男がいまどうなっているのか凜子は知らない。

「……男の身を案ずるなら尚のこと、これ以上は踏み込まないことだ」

「やっぱりそうか」

 この女、佐竹巡査のことを知っている。

 自分はその佐竹から不意打ちを食らったのだが、だからといって彼に裏切られた、とは思っておらず、むしろ上司として部下の安否を気にしはじめている浅見巡査部長である。

 巫女たちを尾行させたあとで合流してからの佐竹の変貌ぶりは異常だった。連絡を受けて駆けつけるまでに彼をおかしくしたのが彼女たちである可能性は濃厚だ。

 怪しげな巫女集団に加えて、これまた怪しい老和尚のことさえ脳裏に浮かんでくる。すると、ますますムカッ腹がたってきて浅見の眉間のシワがいっそう深くなる。

 ──佐竹巡査になにかあれば公務執行妨害で引っ括ってやる。

「部外者が首を突っ込むのは、あまり感心しない」

「ええ、ええ、なんとでも言いなさい。これから説明してもらうから」

 浅見由衣はベルトから警棒を取って伸ばした。

「いいわね?」

「………」

 何者もそれには応えず、どこかの(こずえ)が風に揺れる音だけが鳴った。風を切る音が頭上に流れて、それが鳥であることがわかる。

 ──が、その鳥が浅見の目の前になにか重たい塊を落とした。懐中電灯がそのほうを照らすと、真っ黒な金属の光沢が見えた。

 ハッとして反射的に浅見は近づいて、それを拾いあげていた。見間違えようのない、本来ならホルスターに収まっているはずの自分の拳銃であった。──しかし、どうして鳥が?

 と、考えていたのも束の間、顔に一陣の風が吹きつけられた。

「うっ!」

 背中を見せて沈黙していた女が、いつの間にすり寄って来ていて、ふぅ──っと、息を吹いたのだ。

 その際、口もとに寄せた手のひらから極微細な何かが飛散して、浅見の目鼻口を薄絹(ベール)をかぶせたように覆っている。 

 虚を突かれた浅見由衣が目を見開いて叫ぼうとしたが、ヒッ、ヒッ、と数回、喉仏を上下させると、それまで猛虎みたいだった彼女は嘘みたいに、瞳孔はトロンとひっくり返り、肩を落として膝をカクカク笑わせながら崩れ落ちていく。

「あっ」

 驚いたのは凜子のほうで、あわてて彼女を抱きとめた。

 夢見心地な巡査部長は目の焦点が定まらず、ぷっくりふくらんだ唇のあいだから悩ましげな吐息を漏らしている。

「……静流先生、いったい何を混ぜたんだ?」

 吹きつけた凜子自身がその効き目に圧倒されて、思わず粉を乗せた左手をレインコートの水気で拭った。

「やっぱり使わないほうがよかったのかな……」

 草木をかきわけて参道に現れたのは烏丸スバルだ。

「大丈夫?」

「スバルさん、助かりました」

 拳銃を落として巡査部長の視線を誘導したのはスバルであった。はるか頭上の枝にとまっているハヤテの眼が、二人に応えるようにきらりと光った。

「あの子がよくやってくれてる。ところで、それは?」

 スバルは凜子と、彼女ともつれ合っている警官を指した。

「はぁ。知り合いから餞別にもらったもので、麻酔薬と聞いていたのですが、それにしては様子が……」

 いま浅見由衣は恍惚とした表情で、自分を抱きかかえる秋山凜子の腕に指を食い込ませている。

「いててて、なんだ、この人……」

 引き剥がそうとしても、今度はその手に頬ずりしてくるので気味が悪い。たしかに無力化こそしたが別の刺激に侵されているように思える。

「本当に麻酔薬だったの?」

「それはなんとも。その人のお手製(ハンドメイド)というか、密造品(ブートレグ)みたいなもんですから」

 首をひねる凜子をみて、スバルは内心、納得した。

 異彩まみれの対魔忍の界隈では、武具やら道具やらを自作する者も少なくないし、それらをこっそり試して、てんやわんやの大騒ぎになるのは五車学園の名物と言えよう。

「……ま、凝り性なのは悪いことじゃないわ」

「まったく、尻拭いはいつも私だ……」

 やむに止まれず、凜子は浅見由衣をぐっと引き寄せて、胸のなかに押し込めた。すると彼女は脚をバタつかせながら感極まったような声を漏らし、やがて動かなくなった。

 まるでカリスマミュージシャンと対面して興奮のあまり失神するティーンである。

 

 始終を見守っていた瑞穂たちが、ようやく石灯篭の陰から姿をみせた。

 乃愛を背負った瑞穂は、のびている警官を憎々しげに睨みながら、「はやく医者を」と

 手ぬぐいでおざなりに止血されてはいるものの、場所が悪いのか乃愛の流血は完全には止まらず、瑞穂の肩口を変色させるまでになっていた。

「傷の具合は?」

「撃たれたの。わからないけど多分ヤバそう」

 そのとき、頭上のハヤテがバサッと一度だけ羽音を立てた。気付いたスバルがハヤテの目を借りてそちらを見通すと、

「おや、また別のが来る……」

 その正体は凜子や巫女たちにもすぐにわかった。

 夜霧の立ちこめる山道にのびる光の筋があった。──寺の門前に停まった二台の白い車体は、側面に市の病院名のプリントされた救急車であった。

「すごい、呼んでいてくれたんですね」

 唯愛は凜子とスバルを見たが、二人ともキョトンとしている。

 救急隊員の一団が降車した。四人が凜子たちのもとに、三人が石段を上がって鍾乳洞の方へ。

「あれは、いつか境内でみた()()()でしょ」

 瑞穂は横切っていった三人を見送って言った。

「お仲間って?」

「偽物よ。不審者そのものの私たちを華麗にスルーしていったじゃないの」

「そんな」

 唯愛はまさかといった表情だ。現れたのは救急車に救急隊員で、人も備品も何もかも本物と遜色無い。しかし、実際に真贋を確かめたこともない。

「負傷者をここに」

 手際よく担架を展開させて、瑞穂から乃愛を預かった隊員が彼女をそこに寝かせる。傷の状態や瞳孔を確認して、脈をはかり、ひと言ふた言やり取りすると、二人が担架を持ち上げて運んでいく。

「そちらも」

 凜子が抱えている浅見由衣のほうを指差して、別の担架を展開させた。

 その際、隊員の一人が頭にかぶった記章入りの白いヘルメットの前をくいっと上げてみせた。

 凜子にはその顔に見覚えがあった。この町に入った日、列車で相席になった青年であった。

 ──なるほど、やはりこれは“草”の人たちだ。

 ……と、察したところで、お互い挨拶を交わすことはなく、救急隊員に扮した彼らは本物と遜色ない手際で、浅見由衣も救急車に搬入していった。

 数十秒も経たないうちに、お堂のほうから若い男を乗せた三つ目の担架が、小川を流れる笹舟のように過ぎていく。

「ねえ、あの人たち本物じゃないの?」

 なおも唯愛は心配そうに言った。

 大丈夫。と、スバルは唯愛の肩に手を置いて、

「腕は間違いない」

「本当に?どのくらいで治るの?」

「あとで必ず連絡が来るわ」

「信じていいんだよね?」

「もちろん。私たちもそこまで非常識じゃなくってよ」

「“そこまで”って」瑞穂は苦笑いした。

 二台の救急車は、一方に乃愛、もう片方に浅見巡査部長と佐竹巡査の二人をのせてUターンした。このとき救急隊員の一部が乗車せず、かわりに浅見のパトカーと佐竹巡査の私用車に乗り込んで回収していったことも記しておく。

 警察官のいた痕跡は、鍾乳洞の暗闇のどこかに紛れてしまった弾丸をのぞいて、綺麗に除外された。

 

 浅見由衣がベッドの上で目を覚ましたのは、翌日の朝方であった。

 彼女は市内の病院の一般病床の片隅に寝かされていた。意識が鮮明になって病床から起き上がるなり、軽い診察があって、首すじに巻かれた包帯以外は大した異常は無いから、その日の昼ごろには退院となった。

「おう浅見、お前、クマとやりあったそうだな!」

 警察署にて、驚愕の表情を浮かべる課長代理の言葉に、浅見も驚いた。

 どうやら自分と佐竹巡査は、昨晩、独断で市内の山林を捜索中、好奇心旺盛な若い熊に遭遇し、二人とも襲撃されたらしい。そのせいで佐竹巡査は片方の眼球をひどく傷付けたらしく、すでに県内の大学病院に移されたらしい。

「はあ、そうだったんですか」

 と、浅見由衣は他人事のように頷いた。

 課長代理は意外そうに、

「なんだ、お前おぼえてないのか」

「……恥ずかしながら、なんだか昨日の記憶が曖昧でして」

「なるほどな。まあ突然のことで無理もないわな。夏のクマってのは腹を空かせて、山の低いところまで降りてくるって言うしなあ」

 彼はひとりでウンウンと納得している。

 ──熊の出てくるような山のなかに、私と佐竹は何しに行ったんだろう?

 首に巻かれた包帯を指でなぞると、ズキズキと鈍い痛みが胸のほうに伝っていく。

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