対魔忍戯作:斬鬼忍法帖   作:天野じゃっく

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その二十三

「──ふごごッ」

 寝ていた柚月がガバっと身を起こした。驚いたのは自分の()()()の音であった。

 六畳間に五枚の布団が、散らしたカルタ札のように無造作に敷かれていて、その隙間にクシャクシャの巫女装束の紅白が脱ぎ捨てられている。

 五人の梓巫女は半裸姿で眠っていた。

 橋楯堂で夜明けをむかえた彼女たちは、橋楯堂の和尚に繋いでもらったとある寺の宿坊に移った。巫女装束から滴るほどの雨風を浴び、怪蛇と拳銃男との大格闘を経て、一同は疲労困憊であった。

 たどり着いた宿坊の畳部屋には真っ白な布団が積まれてあった。巡礼者や観光客のための部屋である。くたびれた廃寺にテントを張ってミノムシみたいに寝ていた彼女たちには目もくらむほどの桃源郷も同然であった。

 部屋に時計はない。だが閉じた障子紙を白く光らせているのは真昼のつよい日差しに違いない。

「──がぁ……暑っちぃ!」

 はりついた喉をこじ開けるように叫びながら、彼女は立ち上がって真横の障子戸を引き開けた。縁側へ這い出ると、右から左へ、青くさい夏の風が流れた。

 木々の緑や、ユリやアジサイの花々の色彩豊かな庭先が目に飛びこんできた。

 花園のなかに麦わら帽子が見えた。被っているのは作務衣姿の小柄な男で、軍手を外しながらこちらにやって来る。

 柚月はその顔に見覚えがあった。

「あれ、爺さん?」

 浄胤和尚は彼女と目が合うと、おはよう。と笑った。

「まいった。今日はまた一段と暑い」

「あんた、なにしてんだ」

「庭の手入れに決まっとるがな」

 麦わら帽子を取ると、球の汗の浮かぶ坊主頭に、首に巻いていた手拭いをかぶせた。

「夏の直射日光は禁物じゃの……とりわけ年寄りと坊さんは、へへっ」

「ここ、あんたの家なのか?」

「さて、家か職場か学舎(まなびや)か……」

 柚月は開いた口がふさがらなかった。休めると聞いたからここに居るだけで、この宿坊の名前や誰のものなのかなど柚月の知ったことではなかった。

 縁側に腰を下ろした彼は、雪駄と足指についた細かい土を払いながらヘラヘラ笑っている。この老人も和尚と呼ばれているからには、それ相応の立場というものがあるはずなのだが、どうも彼自身それを屁とも思っていないらしい。

 ぼーん、と梵鐘の重厚な音が聞こえた。

「お昼の支度ができましたよ」

 つづいて足音がして、廊下の曲がり角からエプロンを掛けた女が顔を出した。

「ご飯ですよ、和尚さん。──あら、みなさんお目覚めですか」

 障子戸がすうっと開いた。

 ご飯、という単語を無意識にとらえたのか、次々と覚醒した巫女たちは生き血を求める亡者のように身を起こしていた。

「よく私らに廃寺なんか当てがって、涼しい顔していられたな、爺さん」

 柚月は恨めしそうに言った。

「自分はこんな立派なとこで寝起きしといてよォ」

 居間では扇風機が首をふりながら風を送っている。大きな座卓を囲む五人の女たちは、平たいガラスの器に盛られた冷麦(ひやむぎ)の白い山を箸で崩してかすめ取っては口に運んでいく。

「仕方ないでしょ。何かあったときにどう言い訳するの。お寺や周りの皆さんまで巻き込むの?」

 沙世はとなりの柚月をさとすように言った。

「でもよ、なにも汗かきながらテント暮らしなんてしないで済んだわけだ」

「案外、楽しそうだったじゃないの、柚ちゃん」

 ほかには酢醤油をかけた冷やしトマトの輪切り、キュウリやナスの浅漬け、すし桶に詰まったのり巻き、いなりずしなどがあるが、どれも大皿からあっという間になくなってしまう。

「みなさん、よく食べますねえ」

 奥の台所から小太りの女が感心しながら冷麦をこんもり盛った追加の器を運んできた。

「茹で甲斐がありますわ。和尚さんってば少食だから」

「──そうじゃ、みんなに紹介しよう。こちらは執事の堀田さん」

「執事?」

 瑞穂が二人を交互に見て、

「へえ、大層なご身分じゃないの、和尚さま」

「なにを言うか」

 皮肉っぽい笑みをみせる彼女に、浄胤和尚は呆れたように笑い返した。

「堀田さんは、この泰陽(たいよう)寺に勤めてらっしゃる職員。お前達のいままで寝とった宿坊の管理や、宿泊者への応対やら、いまもこうして昼メシを作ってくれる、ありがたいお人よ」

「はぁ、そういうこと」

「それに、お前らは気にしてないようだが、儂が"大層なご身分"なのは間違いないからな」

 堀田という女は、合宿みたいで楽しいわぁ。と目を細めてうなずいた。顔が丸くて、細長で、カワウソみたいな愛嬌のある人だ。

「──そうじゃ、乃愛が怪我したって聞いたよ。二の腕の粉砕骨折で、二、三ヶ月は様子見だと」

「聞いたって、誰から?」

 唯愛は顔を上げた。目もとに泣き腫らしたあとが薄く残っていた。

「乃愛はどこにいるの?」

「市立病院で世話になっているらしい」

「らしいって……会ったんじゃないの?」

 和尚は首を振った。

「いやいや、顔をあわせたわけじゃない。わしも今朝、聞いたんじゃ。──疲れ果てたお前さん達が宿坊で眠りについて間もなくという頃だったか……門前の掃き掃除をしていたウチの僧侶(もん)が、カブに乗った新聞配達の兄ちゃんから突然、伝言を託されたという」

「なんですそれ」

「見ない顔の配達員だったが、バイトか苦学生の類いだろうと、さほど疑いの目で見なかったというから、どこの誰かはわからないが……」

 烏丸スバルの言っていた連絡というのは、この事かも知れないと巫女たちは薄々察していた。しかし、報連相のなんと大雑把な連中か。

 台所の方から平皿をもった堀田が、居間を抜けて縁側に出た。

「ネネちゃん、お昼よぉ」

 堀田が呼ぶと、てっててってと茶トラの太った猫が軒下を小走りでやって来て、平皿に盛られた粒状のエサに飛びついた。

「──しかし、撃たれるとは意外だったな」

「生きた心地がしませんでしたわ」

 多恵は昨夜を思い出して苦笑いした。

「お焚き上げは出来そうか?」

「一人や二人欠けたって、べつに出来ないことはないけど。仕上がりは微妙になりますよ」

「そうか。……まあ無理はせず、思うようにやってくれい」

「場所はどこを使えば良いのでしょう?」

「この寺の敷地内を使ってくれて構わんが、儀式につかう護摩木が足りるかどうかは要相談じゃの」

 すでに多恵抜きで夜導怪・月咬(げっこう)を封じたという彼女たちだから、そのことに関して不安はなさそうだ。

 しかし、怪異のお焚き上げを始めたのは、たかだが二、三日前だろうに仕上がりの良し悪しの区別がつくのか。──という疑問を和尚は喉もとで呑みこむように、

「なんにせよ、あの妖怪たちを祓えるのはお前さま方だけだからな」

 と、氷入りの麦茶を煽った。グラスについた水滴が二、三落ちて、シワシワの細い足首を濡らした。巫女たちの箸は止まらず、ズズズぅ……と、まるでカエルの輪唱するみたいに、たちまちのうちに一人あたり三人前ほどの冷麦を平らげていった。

 ──泰陽(たいよう)寺は武洸山の麓近くにあった。すぐよこを南の三つ子山から北の荒川へと合流する横勢川が流れ、近隣には果樹園や植物園、自然公園などがある。

 古びた土塀に囲まれているが敷地の四分の一ほどは武洸山からつづく森林の侵食が土塀を突き崩さんばかりに凄まじい。

 ヒノキ林のなかにポツンと空に抜けた平地がある。枯死した数本を切り倒したばかりの場所で、草も刈られている。外部からは林にさえぎられて火も煙もさほど目立たないだろうと踏んだ和尚と梓巫女たちが、そこを儀式場に決めた。

 若い僧侶たちが束にした護摩木を担いで、巫女が“井”の字に組んでいく。あっという間に準備は完了されたが、それでもいざ祈祷を始めるという頃には全員水をかぶったように汗だくであった。

 木陰で小休止したあとで、意を決した巫女たちは日陰のない真っ白な熱天の下で火を起こした。夜導怪・濡蛟龍(ぬれみずち)を捕らえた繭は火焔と祝詞によって焼き固められた。──睡眠と昼食で蓄えた英気を丸ごと吹き飛ばすほどの酷烈さが、お焚き上げにはあった。

 

 沙世たちが命の火を燃やしていた頃。

 市立病院のある市の中心部から荒川を南西へのぼって二、三キロ。──のどかなキャンプ場からすこし離れた林のなかに木目調のコテージがひとつある。

 そのなかで病衣(びょうい)姿の乃愛は安らかな寝息を立てていた。ここは“草”たちの隠れ家のひとつである。

 背中を傾斜のついたベッドにあずけて、銃弾を受けたほうの腕はわき腹に沿うようにぴったり固定され、もう片方の腕の内側から伸びる細い管は真横のスタンドに吊り下がる点滴袋に繋がっている。

 昨夜、乃愛と警察官二人をそれぞれ乗せた二台の救急車は市立病院へ直行したが、治療が一段落ついたところで、乃愛だけは草たちの差配によって密かに病院から隔離されたのだった。

 病床のかたわらには乃愛を見守るように丸椅子に座る烏丸スバルと秋山凜子、そして乃愛を治療した医者がいた。

「体型は平均よりやや細め。腕の銃創と骨折以外は……あとは熱中症らしい眼振も見られた」

 バインダーにとじた書類を読み上げている白衣の女は、この土地に医師として勤めながら"草"としての一面も持っている。……実際のところは"草"の家系に産まれた彼女が医師免許を取得した、と言ったほうが正しい。

「採血の結果は……肝臓も腎臓も、いたって健康、感染症、血球の数も問題なし。ゲノム解析のほうも、いわゆる和人といったところの、弥生人と縄文人の混血」

「──純度百パーセント、混じりっ気なしのホモ・サピエンスね」

 烏丸スバルがつぶやいた。

「梓巫女──純粋な人間が、対魔忍(わたしたち)や魔族のような、怪異と渡り合うような能力を持っているなんて聞いたことない」

「浄胤という和尚が言っていました。夜導怪を封じ込めるのは、現世にあぶれた荒魂(あらみたま)幸魂(さきみたま)として祀るため、だと」

「つまり、これは神事か。巫女たちの能力が修得ではなく、授かったものだとしたら……」

「では、()()はどのように」

 女医の手もとにはケースに入った注射器と液体の入ったカプセルがある。

 ──それは五車の里からの贈り物で、対魔忍・新条友奈から抽出された血液製剤であった。

 五車学園で保険医を勤める新条友奈のもつ対魔粒子は少々特殊であった。身体機能を向上させる対魔粒子だが、彼女のそれはもっぱら細胞を活性化させ、人間の自然治癒力を爆発的に促進させるのである。戦闘の苦手な友奈が後方支援の要として作ったのが血液製剤であった。病気やウイルスを根絶させるほどの万能薬ではないが、深い傷や砕けた骨はたちまちのうちに修復されるだろう。

 本来は松永蔵人を回復させるために送られたものだが、そのまえに蔵人が怪異と差し違えてしまったので血液製剤はそのままスバルと凜子のために保管されていた。

 もしや対魔忍の治療薬が梓巫女にも役立てられるのでは?……と、その時はひらめいたスバル達だったが、乃愛が真に人間だと判明したうえに梓巫女たちの能力がいまだ不可解な状態では、さすがに彼女に対魔粒子を注入するのは躊躇われた。夜導怪に対抗しうる唯一の能力にマイナスの作用があってはならないのだ。

「どうでしょう……はじめは量を抑えて、すこし様子をみて判断するというのは……」

「──それは、やめていただきたい」

 女医の提案に凜子とスバルよりはやく応えた声は、聞いたことのない女のものだった。三人はギョッとして立ち上がり声の主を室内に探した。

「あっ」と凜子が声をあげて、すぐに不思議そうな顔をした。

 彼女はコテージの高い天井の、部屋を横切るながい(はり)に茶褐色の毬藻(まりも)みたいな小さくてまん丸のものを見た。

「あ、あれは……リスですか?」

「ネズミじゃないの?」

「でも、尻尾が太くて……ほら、フサフサしてる」

「じゃあ、ムササビかしら」

「──わたしが何であるかなど、どうでもよい」

 毛玉が動いて梁の陰から顔をのぞかせた。

「──梓巫女のからだに対魔忍(あなたたち)の因子を持ち込むのは好ましくない」

 くりっとした黒い両目が三人を見下ろしている。──それがリスかネズミかはさておいて、声は依然としてそこから降ってくる。

「──梓巫女たちの鎮撫の力と、貴女たちの破魔の力とでは根本から性質が異なる」

「あなた誰なの?」

「──梓巫女の儀式を見届ける者、とでも名乗っておこう」

「この子たちの上司ってこと?それとも寺社仏閣の関係者?」

「──明言するのは控えさせてもらう」

 スバルと凜子は目をあわせて肩すくめた。

「……儀式というのは、荒魂を鎮めて祀る、というやつのことか?」

「──そう思っていただいて差し支えない。これは国家の存亡に関する重大な事柄である」

「国家って、ずいぶん大きく出たわね」

 こらえきれずにスバルは鼻で笑った。

「胡散臭いやつほどデカい言葉を使うものだけど」

「──我々は当初から梓巫女と貴女たちを観察していた。部外者の参入は予想外だったが、成り行きとはいえ助力してくれていることを我々は高く評価している」

「そりゃどうも。こちらも退くに退けない事情があるから」

「──巫女と貴女たちとでは力の性質が異なる、と言ったが、例外的に顕現(けんげん)した荒魂に対しては効果があるようだ。とくに、そこにいる凜子さん」

「はあ」

「あなたが荒魂を退けるとは思わなかった……願わくば、このまま友好的な関係を維持したい」

「はあ……」

 名前を聞かれるとは迂闊だった。と、凜子は内心、舌打ちした。変にかしこまった言葉遣いといい、文字通りの上から目線といい、なにか地球外の知的生物と交信しているようで彼女は気が引けた。

「夜導怪を退治しそこねた場合はどうなるのですか?」

 女医が口を開いた。見上げながら彼女は手のなかに忍ばせた携帯電話を操作している。

「──夜導怪とは、この土地での古くからの呼び名である。凶兆(きょうちょう)(あらわ)れである荒魂が、あれほど具体的な形となって顕現するのは珍しいことだ。そして荒魂は、この世に存在する間は限りなく負の波紋を広げる」

「具体的には?」

「──あれらを封じるのに手間取った()()では、その後の半世紀に異常気象や火山の噴火、水害が相次いだ。火山灰が太陽を覆い隠し、飢饉と疫病のために数多の人命が失われ、人心の荒廃を極めた。これは近世史にもある通りだ」

「まさか……無理なこじつけは感心しないわね」

 頭上の小動物にスバルは懐疑的だった。

「災害の原因が荒魂だったという確かな証拠は?そういう書き物でもあるの?」

「──これは戒めとして口伝(くでん)によってのみ受け継がれてきた歴史である」

 これだよ。と、スバルはため息を吐いた。

「勝手なストーリーをベラベラと……全部妄想なんじゃないの?」

「──どう解釈しようと自由だが、いまこの時代に武洸山から六つの荒魂がこぼれ、それを鎮めなければならないのは紛れもない事実」

「それなら、もっとたくさん人を寄越したらどうです?」

 眠っている乃愛をちらとみた凜子は、

「所作から察するに彼女たちはただの巫女だ。国家の存亡は荷が重すぎる」

「──梓巫女たちは(かんなぎ)の能力を天より(たまわ)った存在。ひとつの荒魂にひとりの巫女……ゆえに六人」

「そんな無茶な……」

「──無茶と思えばこそ、貴女たちの力添えに期待している」

「期待ばかりされても……やっぱり素性は明かせないの?」

「──あなた達なら承知のはずだ」

「なら、せめて名刺だけでもッ──」

 小動物が梁からパッと跳んだ。──手脚と胴体に薄い膜がひろがって、それは室内を数メートル滑空し、小窓の隙間から外へ消えた。

「ああ、やっぱりムササビだったか」

「あれはモモンガですね」

「逃げられました」

 女医は携帯電話を耳から離した。

「大丈夫よ。捕まえたとて、どうせ聞き出せやしない」

「何者でしょうか?」

 凜子がたずねると、スバルは首をひねりながら、

「ひょっとすると梓巫女と同じような人間が私たちのように組織として動いているのかも」

「信じられますか?」

「さてね……あの話の真偽に興味はないけど、私たちの力添えが必要なのは確からしい。とりわけ凜子ちゃん、あなたの剣には向こうも一目置いていた。本当に怪異への対抗策が無いのか、あっても出し渋っているのか……」

 やがて忍鳥ハヤテが一匹のモモンガを両足に握りしめて三人のもとに降りてきたが、どこを撫でても、それはただの物言わぬ小動物に戻っていた。

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