対魔忍戯作:斬鬼忍法帖   作:天野じゃっく

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その二十四

 太陽が山の向こうに沈みんでも昼の容赦ない暑さが落ち着くことはない。とくに盆地では周囲にそびえる山々が高い壁となって空気がなかなか入れ替わらないので、夏はいっそう暑く、冬はすこぶる寒い。

 宿坊の戸締りを順々に確認していたお手伝いの堀田は、縁側をまわっている途中で、おや、と立ち止まった。

 そこから見える庭園は、浄胤和尚や僧侶たちの手入れによって樹木や草花が見事な彩りを放っているが、庭園の中央の日当たりのいい空間には地蔵くらいの大きさの人工的な置物が、日時計のように規則正しく置かれている。それは発電機で、頭部にひらいた傘状の黒い集光パネルから支柱まで強化プラスチックでできている。形状から和尚はエノキ、エリンギ、シイタケと、その日の気分で好きに呼んでいる。

 その発電機の並びのそばに影があった。敷地を横切っていく野生動物は珍しくないが、どうも人のような気がする……と思い始めたら、にわかに人がいるように見えてしまって、さすがに堀田もドキッとした。

 タヌキか、あるはクマか。いずれにしても人の気配や電灯の明かりは届いているだろうに一向に逃げようとないし、辺りを気にする素振りすらみせないから、いっそう気味が悪い。

 彼女はガラス戸をすこし開けて、

「おーい」と、音を立ててみた。

 にゅっと影がわずかに上に伸びた。やはり人……それも子供である。曲げていた膝をまっすぐにして立ち上がったのだ。

「えへへ」

 無邪気な笑い声を聞かせたのは、市松人形のような、おかっぱ頭の和装の童女だった。

 ぼじゅっ、ぼじゅっ、ぼじゅっ、ぼじゅっ──。

 胸の位置で右手を上下に揺らしている。

 ぼじゅっ、ぼじゅっ、ぼじゅっ、ぼじゅっ──。

 なにかを地面に弾ませている。水たまりを足裏で踏み鳴らすような音がする。

「ねえ、そこでなに──」

 子供を凝視しながら、堀田は言葉を詰まらせた。

 空中を上下しているのは(ボール)のようで、実際には球状でない、童女の頭くらい大きくて不自然な塊であった。

 どう見ても弾みそうにないそれを、童女は力任せに芝生に叩きつけ、跳ねあがったそれを五本の指でむんずと掴みあげている。そのたびに塊から汁気がジュっとあふれて飛び出し、そこだけ芝生の色を変えているのだ。

「…………」

 関わっちゃいけない。──堀田本人ですら不思議でならなかったが、そう思わせたのは生き物としての本能に他ならない。

 堀田はガラス戸をぴしゃりと閉めた。直後に落雷みたいな音がして、わあっと彼女は叫んだ。

 眼前に赤黒い綿雲が広がっていた。──ガラス戸を枠ごと大きく揺らしたのは、みずみずしい血と肉、縦長の瞳孔、茶トラの毛皮……世にもおぞましい屍骸の曼荼羅(まんだら)である。

「えっ──」

 堀田の顔は青ざめた。目の合ったそれは、寺院のなかを縄張りにしている家族も同然の猫ではなかったか!

「ああっ、ネネ──」

「あはははは……」

 ご機嫌な足どりで庭先を駆けまわる童女──夜導怪・雀女(すずめ)の顔は悦びに満ちていた。足もとから頭まで血吹雪のグラデーションをつくりながら。

「はぁ〜ありがたやァ、ありがたやァ、ハハハ……」

 強烈な視覚情報に慄然とした堀田の、腹から背中を隆起させ、開いたまま塞がらない口の輪から大量の青虫があふれ落ちる。

「──目ェ閉じてッ」

 悲鳴をさえぎったのは、不穏な気配をいち早く察知して駆けつけた紗世であった。

「顔伏せて、はやく奥に!」

 硬直して動けない堀田を遠慮のない体当たりで障子ごと真横の部屋に突き飛ばした。

 天井の蛍光灯がはげしく明滅し、ズンッ……と建物の基礎から天井まで突き抜けるような縦揺れが縁側のガラス戸を軒並み震わせた。──曼荼羅の中央から虎ほどの大きさの真っ赤な怪猫(かいびょう)が現れた。ガラス戸のうえに四本の足を垂直に置いて、そこに血泥の足跡をまぶし、巫女の姿を見つけると牙をむいて吠えかかる。

 縁側に立つ紗世は両手をあわせて印を結んだ。ミシミシと柱と(はり)が悲鳴をあげ障子紙がそれを反響させた。廊下の蛍光灯が風船の弾けるように破裂し、あたりは闇に包まれた。皮膚の痛いくらいに粟立った紗世のからだに、さらに突き刺さる圧力(プレッシャー)があった。対峙する怪猫だけでなく、外にひろがる夜の暗闇そのものが敵となったかのようであった。

 指先が痺れ背中を冷たいものが落ちていく。吐く息もすっかり白くなっている。足裏に感じる床板の凸凹がもぞもぞ(うごめ)いて、青虫やヒルといった小動物がくるぶしのあたりを伝いのぼってくる感覚まである。

「ほほ、これじゃ小娘どころか赤子よ」

 雀女の立っている方向から宿坊へ一陣の風が吹き荒れた。砕け散るガラス片とともに紗世は障子とふすまを突き破って宿坊のなかに飛ばされた。客間の押入れの重なった布団に埋もれながら──全身をあらゆる破片に裂かれても──両手の印は微動だにさせなかった。

 怪猫がグルルと唸った。怪猫はまだ板戸の中央にいた。──宿坊への侵入を拒んでいたのはガラス戸だけではなかった。板戸を破壊された縁側沿いの敷居には紗世によって障壁が張り巡らされ、いま梓巫女と怪異の霊的波動は完全に手四つ(ロックアップ)して、お互いを制しているのだった。

 ……が、すぐに紗世の眉間に苦悶のシワがあらわれた。

 真っ向からぶつかったものの、梓巫女ひとりと怪異一匹とでは力量に大きな差があった。それでも逃げるために印を解いたら、途端に二対一、雀女と怪猫が猛威をふるってくるのは間違いない。いまは他の面子がそろうまで怪異を釘付けにしておくのが自分の勤めなのだ。と、紗世はみずからを奮い立たせた。

 紗世の目の前、敷き詰められた畳のふちが盛り上がり、一人、二人、三人……と童女の影がタケノコのように隙間を割って出てきた。

「──閉め出されて寂しかったからの」

「──こちらから入ってやったぞえ」

 紗世を包囲する六つの影は、むき出しの懐剣に月明かりを反射させた。六つの刃が童女の微笑を浮かび上がらせた。

「──せいぜい畜生との相撲に興じるがいい、ほほほ……」

 

 ──バギャッ。竹を割ったような音が響いた。

 雀女たちが振り返った。板戸にとまる怪猫の頭から尻尾の付け根までが垂直にすっぱり裂けて、しかし自身はそれにすら気付いていない様子で、半分ずつになった頭と首を左右に揺らして警戒している。本能から喉をゴロゴロと鳴らしているが、実際には破壊された気管と声帯がフシュフシュ、ベチベチと肉味噌をこぼしている。

 ハッとして怪異たちが懐剣を構えると、怪猫のよこを抜けて縁側にゆっくりと足をかける秋山凜子の影があった。石切兼光は金色の(つば)が青白い夜闇に鮮やかだった。

 紗世は印を解き、たまらず押入れの奥深くに避難した。

「おまえ、巫女か?」

「いいや、鬼だよ」

 凜子の左手が鯉口を切り、右手が柄を握った。

「きえええィッ」

 六つの刃が金切り声とともに舞い、上下左右から凜子へ突撃していく。

 客間の畳六枚がすっくと立ち上がり凜子を取り囲んだ。懐剣の刃が()()()の壁にズッと食い込んだ。六人の雀女は、秋山凜子の抜刀一閃、畳ごと細首を横一文字に薙ぎ払われた。

「ぎゃっ!」

 転がった首は五つ……残る一人は畳の残骸のあいだを縫って庭に跳んだ。並走して追いかける凜子を、頭の半分を失くした雀女がわらった。

「ほ、こりゃ鬼ごっこかえ?」

 着地に伸ばした片足がビュッと膝関節から断ち斬られた。芝生をすべった雀女の肩甲骨あたりから、マントのような二枚の(はね)が飛び出して地面をあおぎ風を巻き上げた。

 凜子の視界を塞がれるほど猛烈な突風だった。

 ──十秒も経たないうちに騒々しさは止んで、紗世は恐る恐る顔をあげた。いつ間にか戦いは客間から庭のほうに移っていたようで、ひっくり返った畳と、物々しい気迫の残滓だけが熱気のように残っているのを除けば、ひどく静かだった。

 庭のほうを見ると、秋山凜子がひとり立って頭を掻いている。(きのこ)のかたちの発電機が袈裟がけに斬り落とされて横倒しになっていた。

「ちょうどいい背格好で立ってたもんだから……」

 凜子は照れくさそうに言いながら刀を鞘に収めた。すでに雀女の姿はどこにもなかった。

「よかった、来てくれて。……はあ、死ぬかと思った」

「どうして一人で?」

「トイレへ行った帰りに堀田さんの悲鳴を聞いて、駆けつけた勢いで押し合いが始まっちゃって……みんなが来てくれるまでは、と思ったけど、ちょっと甘かったな」

 二人の視線のさきには、幽霊のような足どりで庭先におりる堀田がいた。

 紗世と凜子には目もくれず、うなされるように「ネネちゃん……ネネちゃん……」と口にしながら、とっくに事切れた怪猫の亡骸からあふれ出た臓物の山に手をつっこんでかき回している。

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