対魔忍戯作:斬鬼忍法帖   作:天野じゃっく

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その二十五

「みんな、どこ行ったのかしら」

 紗世は宿坊内の仲間のもとへ急いだが、ほんの十数分前まで一緒に過ごしていた部屋や居間に梓巫女四人の姿はなかった。携帯電話で連絡を取ろうとすると、各々が休んでいたであろう場所の、ちゃぶ台の上や座布団の下から四つの着信音が一斉に鳴るだけで、その持ち主が現れることはなかった。

 宿坊だけでなく、となりの僧坊や講堂も巡ってみるが、浄胤和尚や修行中の僧侶衆も人っ子ひとりいない。

 放心状態の堀田はそのままに──庭先の彼女は赤ん坊みたいに肉塊を胸のまえで抱えながら夢遊病者のように立ち尽くしている──泰陽寺(たいようじ)の境内の真ん中で紗世と凜子は合流した。

 夜導怪・雀女と一悶着あってから、土塀に囲まれた寺院のなかで動く影は二人だけだった。

 凜子もまた、しきりに夜空を見上げて、そこにいるはずのものを探していた。

 月が雲間を出入りする朧げな夜だが、西側にそびえる武洸山の兜じみた角張った山影は夜闇にも不動明王じみた重厚さと威厳を放っていた。

「スバルさんは?」

「何処かしらで見ていると思うけど……いまはわからない」

「みんな、雀女(アイツ)を追いかけて行ったのかしら……」

 そう言いながら、紗世は手に持っている輪っかを凜子に差し出した。

「凜子さん、念の為に渡しておくわ」

「──これは?」

 乾燥した植物の茎を編んでつないだミサンガのようなものだが、全体的にカーキ色で華やかさに欠ける。

(ちがや)のお守りよ」

 紗世の手首にも同じものが巻かれている。ふぅん、と頷きながら、凜子は手を通したものを不思議そうに眺めた。

「厄祓いの時にくぐる"茅の輪"みたいだ」

「強いて言うなら、その簡易版《ポータブル》って感じかしら。急ごしらえで申し訳ないけど」

「なるほど……」

 と、頷いてはみたものの、果たしてこれがどのようにして、どれくらいのご利益があるのか、効果の程度は未知数である。

「──あっ、あいつッ」

 寺院を囲む土塀の上に、小さな人影が腰掛けている。……草履の鼻緒を足先に揺らし、からかうような笑みを浮かべながら。宿坊の庭園で起きたことがウソのように五体満足である。

 秋山凜子が手の中の棒手裏剣をピュッと投げた。それは髪の毛先をわずかに散らしただけで、童女はからだを反らせて土塀のむこうに消えた。

 土塀のさきはわずかな木立と、あとは墓石と卒塔婆が広がっている。泰陽寺の管理する墓地である。御影石と経木(きょうぎ)の原っぱの中で、相手は姿こそ見せないが、カラカラっ、カラっ……と、草履を鳴らしている。

「誘っているな」

「ええ」と、うなずきながら、二人は臆することなく歩を進めた。

 四方から飛び出してきたのは、宿坊の庭で見たものと同じように、改造された獣たちであった。──からだの内と外を逆転されて膨れあがり、捻れた腸管をあちこちにビタビタ当てこすっているのは、シカやクマ、イノシシといった中型の野生動物である。

 紗世が身構えるよりはやく──秋山凜子は抜刀した石切兼光の刃を虚空に舞わせて、獣たちを一息のうちに断末魔ごと斬り刻んだ。周囲の墓石が血飛沫に染まった。

 それを嗅ぎつけたのか、新たな四足獣の大小さまざまな息づかいが重なって近付いてくる。

 きら星のような凜子の剣閃が、殺到する第二波をたちまちのうちに血煙に沈めた。

 しかし、すぐに第三波が……さらにその奥には第四の群れが見えた。

「数が多い」

「凜子さん、目を閉じてっ」

 紗世が袖から白い紙片を投げ上げた。──いわゆる紙垂(しで)と呼ばれる、紙を切り折りして雷を(かたど)った紙片であった。

 紙垂は風にそよぐ鯉のぼりのように、ゆらゆら揺れながら宙を昇ると、十メートルほどの高さに到達するとともに四方八方に激しい稲妻を放った。あたりは白黒の明暗にわかれ、またたく間に狂乱の波を止めた。閃光は闇にひしめく魑魅魍魎たちの姿を浮き彫りにし、かつ網膜から獣たちの本能へ強力な威嚇のイメージを焼きつけた。

 紗世と凜子は硬直した獣たちの中央を縫うように走った。墓地の端までたどり着くと、ふたたび土塀を超えて寺院の敷地外に出た。

 木立を過ぎると見渡すかぎりの耕作地で、野菜畑にブドウ棚、ビニールハウスが並んでいた。

「あれ、あそこに……」

 紗世が指差した方向には、あぜ道を歩く雀女の姿がある。それは一瞬、紗世と凜子のほうを振り向くや小股で駆け出し、すぐ近くの竹藪(たけやぶ)に姿を消した。

「……あいつ、なにがしたいんだ?」

「きっと夜通し引きずりまわして、私たちを息切れさせるつもりよ」

 竹藪のなかは獣道が奥へと続いていた。十メートルを超える孟宗竹(もうそうちく)が一本道の左右から壁のように並んで、ひときわ濃い暗闇を生んでいる。

 獣道のはるか先には和装の童女が陽炎のように立っている。──雀女は悪戯っぽく笑うと、またしても(きびす)を返して走り出した。呼び込まれているようでゾッとするが、たとえ幻覚による罠だとしても追わないわけにはいかなかった。もとより常識のかけらもない無謀な闘いである。

 二人の口からはたまらず溜息が漏れた。

「……梓巫女(みんな)から連絡は?」

 凜子がたずねると紗世は首を振った。そうか、と呟いた凜子もまた仲間の所在が知れないことに気を揉んでいた。すでに

「もう私たちだけで雀女(やつ)を押さえるしかない」

「捕まえる紙は持ってるの?」

「一応、みんな二、三個は持ってる。確実なのは柚ちゃんだけど……」

 紗世は、ほんの少しだけ寂しそうに言った。

「確実?」

式神(おりがみ)の扱いが抜群に上手い。パワーもコントロールも段違い(ダンチ)なのよ」

 雀女との距離は縮まらない。獣道と竹林は、いくら走っても景色が変わらない。

 前後左右どこをみても同じ景色だから、雀女の姿を目印にしているからこそ走っていられるが、立ち止まっていると自分達がどこにいるのか見失いそうになる。

「ちょ、ちょっと待って……」

 凜子はともかく、紗世のほうはすっかり息が上がってしまっている。

「コレ、いつまで走ってんのかしら」

 前方には相変わらず和装の童女が、ときおり振り返って凜子と紗世のほうをうかがいながら、付かず離れず、一定の距離を保ったままでいる。

 こちらが立ち止まると、むこうも止まった。凜子が一歩二歩すすむと、きゃきゃッと笑って逃げるが見えなくなることはない。

「……ほんと、馬鹿にしてくれちゃって」

 紗世は顎下に伝い落ちる汗を手の甲で拭った。

「時間稼ぎだろうか」

「どうせ大したことじゃない。あれは捕まえてほしくて逃げてるのよ」

 そんなものだろうか……と思いつつ、凜子が不意打ち気味に棒手裏剣を投げつけると、雀女は顔色ひとつ変えず、眉間の真ん中に飛んできたそれを白くて華奢な二本指で苦もなく掴んでみせた。

「──不粋なマネはよせ」

 彼女はタングステンの棒手裏剣を人差し指にクルクル巻きつけて針金みたいに弄びながら、

「捕まえるときは手で、じゃ」

「やぁ、もうそろそろ別の遊びにしないか」

「イヤじゃ。梓巫女(そっち)はともかく、おまえは嫌いじゃ」

 蝶結びされた棒手裏剣を指先でピンと弾いて飛ばすと、鉄クズはひらひらと黒い蝶になって横の竹林に消えた。そして雀女もまた「まだまだ終わらせぬわ」と、言い残して去って行く。

「憎たらしいやつ……」

「おかしい」と、秋山凜子は首をかしげてつぶやいた。

「まったく近付けなかった」

「なにが?」

 紗世はとなりに立っている女の、頭からつま先までをしげしげと眺めた。コンビニ帰りみたいな格好に、真剣をおさめた無光沢(マット)な黒鞘とそれを固定するベルトが、彼女の細い腰にからみついている。

 ずっと涼しげな表情で並走していた凜子が、立ち止まっている数分のうちに首筋にじっとり玉の汗を浮かべて、いくつか髪を張りつかせていた。

 凜子曰く、雀女が棒手裏剣を指先でこねくり回している間に、空間を割って距離を詰め、居合いを浴びせるつもりでいた。──が、着地した場所は、跳躍したのと同じく紗世の真横で、結局、彼女は雀女の前後左右と頭上から斬りつけようとして、空振りをそれぞれ五、六回は繰り返した、という。

 ──空間を割る……とか、跳躍できない……とか、紗世には説明されても何がナニやらといった具合である。それは夜導怪と梓巫女の怪奇合戦に巻き込まれた対魔忍たちにも同じことが言えるワケだが。

「どうしたってあいつには近付けないし、触れもしないってこと?」

「………」

「でもアイツは、凜子さんの投げた棒手裏剣(やつ)をたしかに掴んでたわ」

「そう見せかけただけなのかも。──それと、もうひとつ」

 凜子は足もとを指差した。一見しただけではわからなかったが、目をこらすと獣道のわきに棒手裏剣が杭のように立っている。

「それがなに?」

「実は、この竹やぶに入ってから、入り口から今までずっと道標(みちしるべ)代わりに地面に落としてきたものなんだが──」

 言いながら凜子が数メートル前方に進んで地面の土を探ると、同様の色形をした杭を引き抜いてみせた。彼女は土をはらいながら棒手裏剣の手触りを確かめたうえで「間違いなく本物だ」と言った。

「……道しるべに置いてきたそれが、どうして今から行く道に立っているのかしら」

「つまり、この道は先に続いているように見えて、私たちが少なくとも一度は通った道ということになる」

「それじゃあ、私たち幻を追いかけて、ひたすら獣道をグルグル巡ってたの?」

 さすがの紗世の目にも焦りの色が見てとれた。

 遠く、薄ぼんやりとした暗がりから、二人のやりとりを知ってか知らずか、──そうれ、こっちじゃ、こっち……と、あどけない笑顔で雀女は手を振っている。

 あまりの幻術の強さに紗世は言葉もなかった。いま彼女の脳裏にひしめいているのは、回し車のなかでがむしゃらに足を動かすハムスターになった自分たちの姿であった。

 夜導怪・雀女は毒鱗粉をまいて幻をみせると聞いていたが、果たして自分達がいつ幻覚に囚われたのか……泰陽寺の宿坊か墓地か、竹藪に入るまでに走った畦道か──いずれにせよ、凜子と紗世が一緒に行動していた時間帯に二人の五感を侵食していったのは想像に難くない。

 同じく鱗粉を受けた対魔忍・松永蔵人は、忍法の制御もままならないほど幻覚に精神を蝕まれたが、果たして自分たちが限界を迎えるまでに、あとどれほど時間が残されているのかは想像もつかない。

 二人はもう蜃気楼みたいな童女を追いかけることはなく、その場に立ち尽くしている。

「──望み薄だけど、このまま朝まで待てば、ひとまずは無事に帰れるかも知れない」

 凜子が退却をほのめかすと、それは無理、と紗世はかえした。

「もうあまり時間がないの」

怪異(アレ)を放っておくと、大きな災いが起きる?」

「そんなところ。──知ってたの?」

「親切なムササビが教えてくれた」

 そう……と、紗世は相づちを打ったあと、

「凜子さん、どうか気をつけて。あなたもスバルさんも……他のお仲間も、なるだけ早くここを離れるべきだわ」

「どうして?」

「そのムササビの“中の人”は、たぶん親切でもなんでもない」

「いったい誰なの?」

「教えたら死んじゃうよ」

 紗世が苦笑いしたその時、

「──追いついた!」

 和弓を引きしぼりながら後方からやって来たのは唯愛だ。

「──いきなり居なくなるんだから、まったく」

 進行方向からは、身の丈ほどある長巻を担いだ女の影……瑞穂がやって来た。

「──ここにいたか!」

 左右の竹藪が、にわかに騒がしくなって、左側からは多恵が、右側からは柚月が、茂みをかきわけながら現れた。

「──はぁ、これでめでたく全員集合ね」

 顔を見合わせて安堵の表情を浮かべる梓巫女のなかで紗世だけが険しい顔をしている。

「みんな……今までどこに行ってたの?」

「何言ってんだ。そっちがフラッと出て行ったんじゃないか」

 柚月が呆れながら言った。

「どうやってここまで来たの?」

「ずっと後ろから声をかけてたのに。気付かなかったの?」

 唯愛は意外そうに言った。

「うそよ、だって私と凜子さんは一度もそんな声……」

「凜子さんって、どこに?」

 えっ、と紗世は振り向いた。今しがた話していたはずの秋山凜子が影も形もないことに気付くと、背筋を痺れるような寒気がゾゾゾっと昇っていくのを感じた。

「そんな。さっきまでずっと一緒に」

「わたしには見えなかったな」

 瑞穂が言った。となりの多恵もウンウンと頷いた。

「かわいそうに。きっと幻を見せられてたのね」

「うそ、うそだよ。そんなはずないじゃん……」

 もはや紗世には、怪異の悪戯が自分を惑わせているのか、それとも自分自身が元からどうかしてしまっていたのか判別がつかない。

 四人の輪を抜けて距離をとろうとすると、どこ行くんだ、と柚月がついてくる。

「ち、近付かないで!」

「なに言ってんだ、紗世……」

「紗世ちゃん、ひとりは危ないわ!」

「うるさい!」

 制止を振り切って紗世は走った。

 ──どこ行くの。紗世ちゃぁん、待ってぇ。

 遠ざかる仲間たちの声……だが、これは頭の中だけの、記憶から抽出された仮初の残響なのかも知れない。どこまで行っても竹林と獣道しかないのはわかっていても、恐怖から逃れたい一心に突き動かされて彼女は走り続けるしかない。

「あっ、ちょっと……」

 ──突如として走り出した紗世に秋山凜子は遅れをとった。同時に、自分に迫る気配を感じとった彼女がとっさに身構えると、紗世の走り去った反対方向から誰かが走ってくる。

「た、達郎」

 凜子は一瞬、頭が真っ白になった。凜子と同じく青みがかった短髪の、どこか頼りなさげな細身の青年──秋山凜子の実弟、秋山達郎であった。

「お前、どうして……」

「応援に来たんだ。困ってるってスバルさんから聞いてさ」

「応援?……そんなの知らされてない」

「それよりも緊急事態なんだろ、急いでここを出よう」

 手招きしながら達郎が横の竹やぶに入っていく。足もとすらまともに見えない真っ暗闇の茂みのなかを、達郎は真昼の中にいるかのように歩を進めていく。

「……達郎、お前どうやってここまで来た?」

「おれの風遁(ふうとん)術なら、抜け道ぐらい楽勝さ」

「ひとりで来たのか?」

「当たり前だろ、もう子供じゃないんだから」

 照れくさそうに笑う背中は見れば見るほど達郎で、あまりにも唐突に現れた弟に凜子は戸惑うどころか、いままで棒手裏剣を道しるべに道を進んでいくほどの慎重さが嘘のように、彼の後ろに恋人のように付き従っている。

 もはや意志とは無関係にからだが動いている。それは、ある種の催眠状態に陥っているのではなかろうか。松永蔵人のように、秋山凜子もまた怪異の毒に侵されていくのを止められないのだろうか。──

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