対魔忍戯作:斬鬼忍法帖   作:天野じゃっく

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その三

 松永蔵人は、あまりの不気味さに足を止めた。

 不二典親と別れて五分ほど経ったいま、蔵人の足は横勢(よこぜ)町を離れて、合流地点の翔丸(しょうまる)トンネルへと向かっている。

 敵と人目を避けるため山中を突っ切ろうとする蔵人だが、奥深い森の中で、ふと小さな人影を認めてギョッとする。最初は樹木の葉や枝の見間違いだろうと高を括っていた彼も、二度三度、四度と立て続けに目にすると、いよいよ覚悟が出来てくる。

 その影は子どもだ。女の子だ。和装をした童女が、山の中の獣道にぽつねんと立っている。蔵人のほうを向いて、なにをするわけでもなく、見つめてくる。

 すでに民家もない大自然の夜闇のなかで、同じ姿形をした子が──自身は鹿のように疾駆しているというのに──なぜこんなにもくっきりと目に入ってくるのか、蔵人自身にもわからない。

 ナナフシの妖怪も、典親の言っていた黒い影も見えない。それはきっと典親がうまいこと陽動してくれているに違いないが、自分にも新たな脅威が迫っていて、それは決して自分を逃さないのだろうと肌で感じる蔵人である。

 実際、それは彼の行く先に立ち塞がった。

「何者だ?」

 女の子は、フフと笑った。

 緋色の振袖に身を包み、艶のある黒下駄の赤い鼻緒を、白足袋を履いた小さな足先がつまんでいる。おかっぱ頭に小さな瞳はこけし人形のようで、肌つやも健康的で可憐だし、すこし前に遭遇した怪異などと比べるといささか拍子抜けするが、森のなかで土埃ひとつ付けずにたたずむ姿は異様としか言いようがない。

 いますぐ(きびす)を返して逃げたいところだが恐らく無理だろう。

 この少女は、からかうように何度も自分の視界を横切ってきたのに、それでいて息のひとつも弾ませていなければ、汗のしずくの一滴も浮かべていない。そもそも呼吸や気配といった一般的に存在を察知しうるものを、この子供からは微塵も感じないのだ。

「何者だ?」

 と、もう一度投げかける。

「ふふ、もう逃げないのかえ?」

「なに?」

「退屈だからこちらから出てきてやったのに、挨拶の一言も無しとは不躾な男よ」

 ニュッと口もとを歪めて、童女は不敵な笑みを浮かべた。

「お前も妖怪軍団のひとりか?」

「ひとり?ひとり、とは──」

 はっとして蔵人が右を向くと、

「わっちのことも、ちゃんと数に入れたかえ?」

 まったく同じ外見の少女が、これまたニタニタ笑っている。

 それだけではない。目をこらせば、彼女の奥に三、四人、振り返れば茂みの中にさらに四人──合わせて十人ほどの少女が蔵人を包囲している。

「ほれ、ちゃんと数えてみい」

「これは、幻覚か…」

「そんな(まなこ)をパチクリさせて、お(ねむ)かえ?」

 ケラケラと甲高い笑い声が響き渡った。

 声が折り重なって膨らんだ音の波をたしかに感覚した蔵人は、これが視覚的な()()()()ではなく、実体を伴った高等かつ精巧な幻術だと悟った。

「待ってくれ、きみの邪魔をするつもりはない」

「わっちは、すこしもお前さんを邪魔だとは思ってないよ」

「おれは人を探しに寄っただけだ。すぐに帰らなきゃいけない」

 自然と子どもに言い聞かせるような口調になってしまう。

「そう言わないで、わっちと遊んでいってたも」

 童女は、公家か貴族の真似事なのか、袖で口もとを隠してホホと笑った。

「…なにをして遊ぶ?」

(まり)つきを──」

(まり)?」

 童女は恍惚の表情を浮かべて、

「鞠つきをしたい…お前さんの、その、まん丸い頭で」

 一斉に懐剣を抜いた。すぐにでも男の首に飛びついて、肉を根こそぎ掻き切ってやるといった体勢である。

 それより早く、松永蔵人は小さな筒のピンを抜いて放り投げている。筒は破裂し、ボフッと白煙を噴き上げて、小さな影たちを煙に巻いた。

「ひゃっ」と、童女は意外そうな黄色い声をあげた。

 同時に、足もとが泥沼のように流動して華奢な足が膝まで沈んだ。──忍法・泥裏(ひじり)落とし。

 蔵人が腰に忍ばせた短刀で少女の顔面を縦に割った。彼は幻影を次々と斬り払っていった。敵とはいえ、まだあどけなさの残る子どもを躊躇(ためら)いなく手にかけていく姿は、さすが忍者といった手さばきである。

 声もなくのけぞった小さな体は、当然ながら倒れるかに思えたが、このとき、蔵人の入れた切断面から無数の羽虫が飛び立った。

 ──()だ。

 驚愕した蔵人の全身に蛾の群れが吹雪のごとく吹きつけ、羽ばたきが猛烈に鱗粉を撒き散らした。

 やがて少女の皮膚や振袖すらも、三角形の昆虫のシルエットになっていく。うぶ毛のそよぐ瑞々(みずみず)しい肌は生気を失い、緋色の蛾となって木々の隙間ヘと散っていった。

「あはは、もうおしまいかえ?」

 どこからか、あの童女の嬉々とした声がする。

 蔵人の視界は、陽炎のように乱れはじめた。あの鱗粉のせいだと気付いたころには、天地がはっきりしないほどに三半規管を揺さぶられている。

 ジェットエンジンのタービンに投げ込まれたような激しい回転と揺れは、体幹の鬼たる忍者でさえも膝をついてしまうほどであった。わずか数グラムの鱗粉で、松永蔵人はグロッキーな状態になってしまった。

「フフ、案外、あっけなかったの」

 瞳孔の散大した蔵人を、再び現れた童女は傷ひとつない姿で見つめている。藁にもすがる思いで蔵人は短刀を投げつけるが、胸に刺さった切っ先は、わずかに二、三の羽虫を枯葉のように散らせただけだった。

「ほっ、怖い怖い!」

「………」

「のう、聞け、坊主頭、この雀女(すずめ)には誰も触れられん。お前に勝機など無かったのよ」

 自分を小さな影が、真っ黒な(ふち)を炎のように揺らめかせながら、ふたつの眼が妖しく光っている。

 ──進退極まった。遠くから鈴の音がする。地獄か極楽か、どちらにしろ、とうとう迎えが来たようだ。と、蔵人は内心、絶望の淵にいながらも不思議と晴れやかな気持ちでいた。

 無数の鈴の音色が近づいてくる。これは幻覚ではない。その証拠に、雀女という少女もまた、その音にハッとして周囲をうかがっているのだ。

夜導怪(やどうかい)、そのくらいにしておけ」

 女の声が聞こえた。童女よりだいぶ年上の声だ。──年上といっても、若い娘であることは確かである。烏丸スバルかとも少しだけ期待したが、そうではないらしい。

 その声に、童女──雀女(すずめ)のまとう気配が明らかに変容した。これは笹浪と遭遇したときに感じたものと同じ、妖気そのものである。

「ほほ、なまっちょろい巫女が、こんなところまで山菜採りかえ?」

「お前こそ、()()()()()が板についてきたじゃない」

「黙りゃ、小童(こわっぱ)!」

 金切り声がこだまして、ピンと張り詰めた空気が漂いはじめる。

 松永蔵人には誰がいて、何が起きているのかさっぱり分からないが、怪童女がいまや自分ではないそちらに警戒の念を置いていることを察した彼は、新たに煙玉のピンを抜いて煙幕を発生させた。

 煙幕の効き目を確認する余裕もなく蔵人はすぐに地中に潜り、とにかく重力のままに滑り落ちていった。

 

 

 大地を流体化させる松永蔵人と言えども、それは目に見えて、知覚したものでなければ難しい。視力のほとんど働かない現在の彼は、木の根に足をとられ、枝に肌を裂かれ、岩に身を打ちつけるという、忍者として惨憺たるありさまだった。

 いったいどれほど滑落していったのか、ようやくアスファルトの舗装された地面を指先に感じた彼は、ようやくそこが谷あいの道路であることに気付いた。傷と土にまみれた彼は抜きたてのゴボウのようで、道端を転がって息も絶え絶えだった。

 ピーヒョロロ!と、頭上でトビの鳴き声がした。

「……ハヤテか!」

 やや遅れて、ワゴン車が蔵人の数メートル手前で止まった。

「月」

 窓を下げて身を乗り出した運転手が、ヘッドライトに照らされた彼に投げかける。

「ほ、ほし、星っ!」

 それを聞いて、はじめてワゴン車は蔵人のほうへにじり寄って来た。傷だらけの蔵人は車体に体をこすりつけて、手探りでスライドドアを開けると後部座席にどっと倒れ込んだ。

 ハンドルを握る烏丸スバルはそれを見届けることなく急発進させた。最後部に載せてある偽装用の機材がガタタと音を立てて崩れるが、そんなことを気にする余裕はない。

 蔵人はすぐに車内に積んでいた水分補給用の水筒を、飲み口の部分から外して頭から水をかぶる。血や土が洗い流されて、スバルはバックミラー越しにようやく松永蔵人の顔をみた。

「くそっ、目が熱い……」

「どうしたんですか」

「わからん……女の、子どもが、俺に幻覚を……」

「子ども?」

 スバルは万一のために助手席に用意しておいた救急用の赤いポーチを後ろに投げる。全身の傷をどうにかする為に渡したポーチだったが、蔵人は足先に当たったそれを手繰り寄せると、中から新品のガーゼを取って水に濡らし、眼のまわりのなにかを落とそうとばかりしている。

「あの、大丈夫ですか?」

「何が?」

「傷に決まってるでしょ!」

 スバルは苛立たしげに答えた。

「傷なら治る。だが眼はまずい。わけのわからん虫が……」

「ねえ、(のり)さんは?」

「あ、あ、ああっ!」

 柄にもなく蔵人が絶叫したので、スバルがミラー越しに見ると、彼は座席のまわりを一心不乱に探している。

「どうしました」

「お、おれの、眼が落ちた……シートの下に!」

「なんですって?」

「停めろ、いますぐ停めろ!」

 驚愕の表情で蔵人は叫ぶ。──その顔に眼球はふたつ、きっちり収まっている。

「ちょっと松永さん、落ち着いて」

「あっ、くそ、なんだ、このっ!」

 突然、蔵人は車内でひっくり返って、天井をガシガシ蹴り始めた。

「む、虫だ、蛾だ、スバル!鱗粉がくる!」

 スバルも見回すが、そんなものどこにも存在しない。

「しっかりしてよ、松永さん!」

「ああっ、下からも!」

 今度は全身を掻きむしりはじめた。傷だらけの体に爪を立てて引っ掻くので指先は鮮血に染まり、彼はまさしく血達磨になった。

「ダメだ、この車はもうダメだ!」

 窓ガラスを叩き、蹴破ろうとするが力が入らない。蔵人が忍法によって車外に落ちてしまわないかスバルはヒヤヒヤしていたが、体内の氣を練ってこの状況をどうにかするといった判断能力も、自分がそういった能力の持ち主であるという自覚すら失ってしまったようだ。

 後部ドアを開けようと施錠(ロック)された取っ手をいじくる蔵人を言葉で制しながら、スバルはせめて合流地点である翔丸(しょうまる)トンネルまでは彼を繋ぎ止めたい一心でアクセルを踏む。

「スバル、逃げろ、逃げろ!」

「わかったから、じっとしててよ!」

 蔵人のほうを見て一喝して、道路に視線を戻す。

 薄暗闇の道路の先、常夜灯の明かりの下に線の細い人影が立っていた。

「えっ」

 ──このとき、ワゴン車より先行して上空を飛んでいたトビは、道路の彼方に控えている怪異の存在を察知し、眼下の烏丸スバルに合図を送っていた。

 しかし、判断が遅れたのは、幻覚に怯える松永蔵人を前にして、彼女に突如ふって湧いたヒロイズムゆえか。

 避けようとして、とっさにスバルはハンドルを右に切る。ヘッドライトが人影を照らす。それは、黄土(おうど)色の毛を全身に吹かせた、人間大の獣──いや、獣人である!

「ブゥッッ──!」

 見えない大波が車体をすくい上げるようにして、ワゴン車が宙を舞った。二、三度、空中で回転(スピン)し、天井から道路に落ちた。車輪を空回りさせながら、それは(いびつ)な長方形のスクラップとなった。

 天地の逆さになった車内で、スバルは頭を揺らしていた。

「ま、松永さ……」

 車内に蔵人の姿はなかった。投げ出されたかどうか、それを確かめる術はない。車外に這い出すと、ソロリとたたずんでこちらを見ている影が目にとまった。

 胴がしなやかにくびれて、五体が長くて、胸と臀部には(あで)やかな曲線がある。シルエットこそ洗練された女性のそれだが、尖った鼻と漆黒の両目からは一切の感情が読み取れない。獣毛が頭のてっぺんから手足の指のさきまで茂っていて、そこから凶暴そうな鋭く長い爪が伸びている。

 女人とイタチ属の哺乳類が融合したような風貌は、優美でありながらグロテスクだった。

「ねえ、どうしたの?l

 と、そいつはひっくり返ったワゴン車を指差して言う。

「なんで転んだの?」

「………」

「ねえ、なんで転んだの?」

 スバルは目の前の怪異がワゴン車を横転させる瞬間を運転席から見ていた。怪異が息を吹きだすと、数メートル手前に空間をゆがませる透明な渦が発生した。風を受けた凧のように、ワゴン車はその渦に乗り上げて制御を失い、空高く舞上げられたのである。

 松永蔵人や不二典親が言っていた怪異とは違うが、これはこれでそういった厄介な存在の一匹に違いない。

 そう思ったスバルは、

「あなたは、誰なの?」

 と、無謀にもコンタクトを試みた。

「ねえ、遊びぼうよ」

「名前を教えて」

 それは首をかしげて、

「ぼくは、忌津那(いづな)──」

 と、子どもが大人に尋ねられたときのような、すこし恥ずかしそうに呟いた。

「イヅナ……イヅナっていうのね」

「ね、遊びたい」

 忌津那(イヅナ)というそれが不意に近づいてきたので、烏丸スバルは腿のベルトに収まっている小刀を抜いて胸のまえで構えた。が、その切っ先は小刻みに震えている。

 ──実働役たる男二人が不在のいま、監視役の自分に一体なにができるというのか。

「それで遊ぶの?──ま、いいか」

「………」

 このとき、それまで旋回していたトビが滑空してきて、前を横切った。

「んもうっ、ジャマだなぁ」

 忌津那は上昇していく鳥の影を睨みつけると、牙を剥き出してグルルと唸った。──と同時に、スバルの来た道、すなわち町の方向からカーブを曲がって現れたのは、スポーツタイプのオートバイだった。

 黒のフルフェイスにレザーのスーツ、細長い包みを背負ったライダーは、スバルとイタチ女の姿を認めるやいなや、スロットルを全開にして対峙する二者めがけて突っ込んできた。

 左手がハンドルから離れて、背中の包みを掴んだ。ホッケースティックのように小脇に抱えて、風に布地を剥がされて現れたのは、長ものに銀光を放つ刃──俗に長巻(ながまき)と言われる、長大な柄を含めて二メートルほどはある打刀である。

「なにあれ」

 駆動音に振り向いた忌津那は、これまた忌々(いまいま)しそうに一瞥(いちべつ)すると「フゥッッ」と、バイクに向かって息を吹いた。

 三十メートルほど先にいたバイクの外装(カウル)に刀傷のような細いヒビがはいって粉々に飛び散った。そしてライダーのメットにも亀裂が入り、スイカを割るように縦に砕けた。

 あらわれた顔は女だった。黒い樹脂の破片を振り落とすと同時に髪留めがほどけて、栗色のロングヘアが泳いだ。剥き出しになったマシンは速度を落とすことなく忌津那の左側にまわって、すれ違いざまに斜め下から斬り上げた。

「あれっ」

 反射的に振り上げた忌津那(イヅナ)の指先の爪が四本、付け根から斜めに消えていた。

 アスファルトに黒いタイヤ痕を深々と残しながらバイクはとまった。

「痛ったいなあ、もう……」

 ただ立ち尽くすだけのスバルは、イタチ怪女の周囲につむじ風のような空気の動きを感じた。妖気とも呼ばれる凄まじいエネルギーは、ワゴン車が飛散させた部品やガラス片を螺旋状に宙に浮かせるほど強力なものだったが、緊張が極限まで達するかと思われた直後、それは緩やかに収まっていった。

「……だめだ、もう帰るわ」

 忌津那は爪を亡くした掌をプラプラ振りながら、ため息混じりに(きびす)をかえすと、背後の森の夜陰のなかに消えていった。

 いつしか朝日が昇り、谷あいの道にも日の光が差し始めていた。

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