艦これ小説 習作   作:From

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第2話

 

 

 

「最後の避難民が脱出する迄死ぬことを禁ずる」

 

       ───────南方軍指令部の訓示

 

 

 そろそろ私の動きについて語ろうと思う、私のいた4師団は当初宜野湾市に配置されていた、そして野戦砲兵連隊は中城城跡に布陣していた。

 

 

 

 野戦砲兵とは帝国軍の場合、装輪自走砲を装備し短時間に砲撃と移動を繰り返す師団火力の根幹である、野戦砲兵連隊には3個砲兵大隊30門の自走砲が存在していた。

 

 

 膨大な数の深海棲艦相手には少なく思えるかも知れないが、この時の帝国砲兵の練度をもってすれば十分であった。と言うのも大海洋戦争すべての期間を通してこの時の砲兵が最も高い技量だったからである。

 

 

 

 8月2日から始まった砲撃では第4師団野戦砲兵連隊は、1時間半に1000発発射し上陸してきた深海棲艦の内比較的大型の個体(駆逐イ級)を、20体以上地上撃破した。

 

 

 

 更に海上の巡洋艦の対砲迫射撃に対しては、本部中隊の砲迫レーダーがこれを探知し、即座に陣地転換を実施し、弾道の逆算から射点を割り出し反撃によって後に重巡洋艦と認定される個体を大火災発生により撤退せしめることに成功していた。

 

 

 しかしそれ以外ではかなり劣勢を強いられていたと言っていい。 敵上陸部隊主力の小型深海棲艦(PT小鬼)等は、小銃ではなかなか倒せず、重機関銃の集中射撃でようやく沈黙するような存在だったためである。

 

 

 戦車隊は善戦したが歩兵の支援のない戦車等敵を突破しても孤立するだけである。結局8月2日の戦闘では上陸阻止も南城市の防衛も失敗、深海棲艦隊は6キロ程の縦深を得て

橋頭堡を確保した。

 

 

 

 歩兵第60連隊は一部装備を放棄し後退第15師団は西原町で再び防衛線を引き直した。帝国軍はその後方に3個師団を集結させて反撃準備に入った。

 

 

 

 

 この時までは私も、誰も、負けるとは思っていなかった。確かに想像よりも敵は遥かに強い、だが倒せない訳ではない、と数日粘れば援軍が来ると思っていた、あの連合艦隊が助けに来ると信じていたのだ。

 

 

 

 だが我々は希望を語るよりももっと切実な事を忘れていたのだ、あの海兵師団を攻撃した夜間爆撃の事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が生き残ったのはただ幸運だったからだ。唯最も新任の下士官だったから、弾薬受領のため陣地を離れていた、唯それだけである。

 

 

 

 

 8月3日2000この日の戦闘は15師団がよく防ぎ深海棲艦を完全に押し止めた、更に師団長戦死から立ち直った米軍も参戦していた。この日野戦砲兵連隊は割り当てられた砲弾を完全に射耗し夜間には、補給が行われる予定だった。

 

 

 敵航空隊の夜襲は15師団から行われた。第1派攻撃で歩兵連隊の火力支援中隊が吹き飛ばされ瞬時に500人以上が戦死、第2派攻撃はうるま市の補給処とその車列が狙われた。

 

 

 

 

 

 

 「伍長、何か光ったような─────」

 

 「は?」

 

 

 爆撃の直前間抜けのような会話をしたのを今も覚えている、敵は車列の先頭と最後尾を攻撃して停止させた後機銃掃射してきたのだ。 しかも荷台に砲弾を満載している車両を、である。

 

 

 

 人間が紙屑のように何人も爆風で吹き上げられていた。あまりにも現実味がない爆発だった。思わず笑ってしまったほどだ。だがそれも長く続かなかった、後方の車両に追突されたからだ。

 

 

 

 その後のことはあまり覚えていない、気絶した助手席の小倉上等兵を背負って逃げたことは覚えている。状況もつかめなかったしその辺死体だらけだった。後で知ったがその南方、北中城村の砲兵陣地も攻撃され壊滅していたのだった。

 

 

 

 

 翌日私と小倉上等兵は、他部隊の車両に乗せて貰い連隊本部に帰還したが酷い有り様だった。自走砲は3分の2が破壊され、隊員も半数が戦死していた。死体の片付けも終わっていなかった。

 

 

 

 火力の要を失った15師団も戦車連隊は半壊、歩兵連隊はやむを得ず白兵戦になり撃退にこそ成功したものの3000人以上の死者を出して戦闘不能になっていた。

 

 

 

 更に悪いことに深海棲艦はこのタイミングで今まで砲撃しただけで放置していた那覇に浸透してしまう。地図を見ればわかるが那覇市を抜け浦添市まで出て東進すれば、そのまま中条村一帯を包囲可能である。

 

 

 

 このため南方軍指令部は、なんとか無傷ですんだ第10師団を那覇に送り後退を決断していた。だがそんなことを現場の4師団、15師団がわかるわけがない。これほどの損害を負いながら、援軍を送るどころか部隊を何処かに移動させる指令部に対して我々は罵倒しかなかった。

 

 

 更に言うなら米軍は後退していった。「お前らは殆どなにもしてねぇだろ」と喚くことしかできなかった私たちは、生きて帰ったら将軍共を必ず撃ち殺し市中引き回しにしてやると決意し蛸壺を掘り進め少しでも生存の可能性を引き上げる事しかできなかった。

 

 

 

 何故この時後退できなかったかについては後にはなそうと思う。那覇市に投入された10師団は市街地を活かして奮戦し、首里城で確認された新種の深海棲艦(重巡だった)を5体も撃破した。

 

 

 

 

 彼らはこの後一歩も引かずに戦い4日後に玉砕するが沖縄で仕留められた深海棲艦の内25%がこの那覇の戦いだった事を考えればどれほど凄まじいかは分かるだろう。戦死した10師団長永山実中将は2階級特進後軍神として奉られている。

 

 

 

 

 

 

 

 8月6日北中城村

 

 深海棲艦の主攻が那覇になったことによりなんとか維持されているこの防衛戦は意外な事にまだ士気は落ちていなかった。簡単なことである。まだ、連合艦隊が助けに来ると現実逃避していたからだ。減少した敵の数もそれを後押ししていた。

 

 

 

 実はこの時沖縄沖では各地から集結した連合艦隊と九州の第6航空艦隊が交戦、敗北していたのだった。深海棲艦の戦艦が10隻も現れたからだった。連合艦隊は敵の後続距離外から航空攻撃し徹底的に砲戦を避けミサイル攻撃に徹したが、対艦ミサイルで貫通できない戦艦クラスが現れると流石に分が悪かった。結局の所レーダーに映らず自由に浮き沈みする船をこの時の技術で一方的に倒すのは不可能だったのだろう。

 

 

 

 

 結局のところ連合艦隊が到着したのは9月に入ってからで敵のいない北方からだった。だがこの時点で生き残っていた将兵にとっては既に連合艦隊なぞどうでもよくなっていたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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