艦これ小説 習作   作:From

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第4話

 

 

「サーチアンドデストロイ、オーバー」

 

 

    ──────────突撃時の海兵隊員

 

 

 8月11日迄に切り込みは合計3回行われ最終的に、小型種230体、人型深海棲艦80体を討ち取る事に成功したが、我が方も600人が戦死又は行方不明となった。しかし、1日20体以上の人型殺害は、海上での撃破率より遥かに高く深海棲艦を大いに足止めできたと私は信じている。

 

 

 

 8月12日0430海兵隊が出撃、同時に残存する自走砲による射撃が開始。そのまま第3海兵師団は沖縄市内の深海棲艦を攻撃した。

 

 

 

 1000沖縄市の深海棲艦が潰走、海兵隊は西進して北谷の深海棲艦の後方に進出、遮断にかかる。

 

 

 1100深海棲艦後方集団に海兵隊が接触、攻撃開始、深海棲艦は北上を開始する。

 

 

 

 1200嘉手納基地前面に深海棲艦到達、帝国軍攻撃開始、沖縄の戦いで始めての陣地戦と言うこともあり深海棲艦を効率よく撃破。半包囲に成功する。

 

 

 

 この日私と小倉上等兵は原隊のなくなった他の者と共に嘉手納基地で管理班をしていた。管理班とは部隊に交付されたレーションやらを配ったりする臨時に編成される集団であった。

 

 

 このため私達が戦線の状況を知ることはあまりなかったが、勝っていることだけは何となく察していた。

 

 

 

 「結局海軍はもう来ないんでしょうか?」

 

 

 「分からんが、もし何もしていなければ今頃別の場所から上陸されて俺ら皆殺しなんじゃないかな。」

 

 

 

 「定期的にミサイルとか飛んでるし。一応いるんじゃないの、まぁ知らんけど。」

 

 

 

 「そういえば避難は大分進んでもう少しで終わりそうって本部天幕で話してましたね」

 

 等と大分気の抜けたような有り様であった。

 

 

 この日結局班包囲した深海棲艦の装甲が厚すぎて、日中には撃破できずに終わった。

 

 

 夜間には那覇から、北上する増援に日米の猛爆が加えられ、その激しさは、嘉手納にいる私達にも分かるほどであった。

 

 

 

 13日から15日まで同じような戦いが続き私達はかなり腑抜けていたが包囲されこれ程叩かれても、深海棲艦は全滅していなかった。そもそも連中の腕力はそれ自体が重機並みである。偵察の結果、素手で掩蔽壕を掘って持久している事が判明した。

 

 

 とはいえ全滅は既に時間の問題、後はどれほど早く犠牲を出さずに達成出きるかが課題であった。

 

 

 海岸線で連合艦隊と対峙する深海棲艦が連日連夜繰り返される攻撃によって減少傾向にあることもこれを助長した。だがこの時沖縄島に上陸した深海棲艦はそもそも何体いたのか、それを誰も知らなかったのである。

 

 

 

 状況が変わったのは18日の早朝の事であった。嘉手納弾薬庫に極めて巨大な砲による攻撃が加えられる。弾薬庫の分厚い鉄骨鉄筋コンクリートを容易く貫通したことから艦砲射撃と断定されたこの砲撃は宜野湾から加えられていた。更に言うならその砲撃は推定16インチの巨砲、戦艦の主砲であった。

 

 

 

 それが100発程降り注ぎ弾薬庫は壊滅し、我が方は僅か数時間で燃料弾薬の備蓄を失った。そしてその砲撃が此方に向くのは弾薬庫攻撃から2時間程だった。一撃で歩兵連隊がほぼ壊滅し、数百人が吹き飛ぶ程の砲撃は4時間程で嘉手納基地を防衛する南方軍を粉砕した。

 

 

 世界一機械化され、高速で移動する海兵隊も砲撃こそなんとか逃れたが、北谷から逆襲する深海棲艦に捕捉され壊滅、歩兵連隊が一つと戦車5両しか生還できなかった。

 

 

 後の研究によりこの攻撃は南部にいた戦艦が上陸、徒歩で宜野湾まで前進し、そこからまた海に入る事で行われたと推測されるている。

 

 

 

 最終的に南方軍は全ての火砲を喪失し、死傷者1万5000名を出した。第10、17師団はほぼ消滅、第4師団もかろうじて、部隊として行動ができる程度だった。奇跡的に南方軍指令部と海兵隊指令部も無事だった。

 

 

 

 嘉手納基地は砲撃によって機能喪失防衛も不可能になったが、指令部からの命令は撤退ではなく、転進であった。

これは先の砲撃に理由がある、当初恩納港で脱出するはずの避難船が砲撃の危険を避けるため名護に変更となったからであった。

 

 これにより、南方軍残余は恩納村から金武町までのライン迄後退して更に防衛戦を続けることとなった。

 

 

 

 こう言うとあれだが私は恐怖が麻痺して楽観的だった。生き残った隊員の中にもこの時既にシェルショックとなった者も大勢いた。敵の砲撃は大層恐ろしかったが数日前の白兵戦に比べればまだマシな気がしていたからである。

 

 

 

 撤退は混乱の割に速やかに行われ19日朝には布陣まで完了した。もはやこの時全将兵は生還より何体道連れに出きるかを考えている状況だった。

 

 

 

 数日前まで覇気に溢れていたストーン少将も少し見ただけで分かるほど憔悴していた。この時第3海兵師団は1個連隊程になっていたので当たり前であった。

 

 

 

 

 20日から深海棲艦は現れるようになったが防衛戦といっても特に大した作戦はなかった。あの砲撃に撃たれないよう、乱戦に持ち込むか夜襲する位しか無かった。

 

 

 当たり前だが被害は凄まじいものだった。1日の戦闘で1000人も死ぬような戦いである。それでも我々は踏みとどまったが、3日目にして遂に戦線は崩壊した。第4師団長兼南方軍司令官大谷大将以下指令部要員は自決し、帝国軍の組織的抵抗は終わった。海兵隊もこの時430人で中隊位しか残っていなかったが、ストーン少将は健在だった。

 

 

 24日にはこの時点で生存しているものは各個に逃走し、山に潜むもの洞窟に隠れるものひたすら北を目指すもの等様々であった。ちなみにこの日の襲撃で海兵隊は完全に離散してしまい、最終的にストーン師団長は、ストーン小隊長となった。

 

 

 何故知っているかと言うと私と小倉上等兵と後何名かはストーン小隊長と行動を共にしていたからである。偶々アメリカ人の負傷者を見つけ海兵隊の天幕に届けたところで深海棲艦に襲撃され、偶然目の前に出てきた深海棲艦の首を締めそのまま岩に叩きつけた私は左腕の骨と共に深海棲艦の首を折って倒した。

 

 

 そこをストーン少将に見つかり共に逃げたと言うわけである。尚私は英語が分からないので会話はもっぱらスマホで筆談だった。

 

 

 

 数日分の水、食糧を背負って山の中をさまようのは私の人生のなかでも最大の辛さだった。自分で折っておいて何だがとても痛かったのである。

 

 

 

 「俺はもういい立てないここで置いて行ってくれ」

 

 

 「じゃあ、担ぐので元気出たら歩いて下さいまだ生きてますよ」

 

 

 と言う会話で私を背負って歩いてくれた小倉上等兵は私の命の恩人である。ここで置いて行かれて死んだ者も大い、まさに死の道であった。

 

 

 

 この時沖縄県民の避難は完了していたが、我々の苦難はここから更に10日程続くのであった。

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

あとがき

 

 

遂に4話迄完成しました、沖縄戦もそろそろ終わらせていい加減艦これらしくしないと行けないですね笑

 

 

感想等あれば宜しくお願いします‼️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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