艦これ小説 習作   作:From

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第5話

 

「既に広島と長崎に落とされたじゃないか、後1発自ら落とす事に何をためらう、国会滅亡を避けるためなら尚更だ」

 

          ────────某閣僚

 

 

 

 

 9月、沖縄戦の開始からほぼ1ヵ月のち、各地で深海棲艦による掃討が行われ生きた人間がほぼ全滅した頃に私達は名護市に到着した。

 

 

 

 この頃になると全員が押し黙って殆ど会話の無い状態で、疲労の極みにあった。私などは目を空けたまま眠る始末だった。

 

 

 

 

 

 20XX年9月、太平洋は深海棲艦によって文字通り死の海となり、インド洋、オホーツク海でも深海棲艦の活動が確認されるに至った。

 

 

 沖縄救援を急ぐ帝国政府であったが、それ以前にシーレーンが崩壊、かろうじて維持されていたホルムズ海峡からの南方ルートも沖縄を完全に失ったため消滅寸前となってしまった。

 

 

 

 

 

 

 ここで日本の周辺国について話そうと思う、9月の時点で深海棲艦はハワイと沖縄以外では戦闘状態になかったが、環太平洋全域で目撃されていたうえ既にセイロン島、マダガスカルでも確認されていた。

 

 

 インドネシア、オーストラリア、フィリピン等の南太平洋諸国では、軍の動員が開始され戦争状態同然となっていたし、ベンガル湾ではタイ海軍、インド海軍が出撃し沿岸防衛に当たっていた。

 

 

 アメリカ政府は国連安全保障理事会でこの未知の敵に対し一丸となることを訴え、国連軍の結成と沖縄への派遣を提案したが、中国、ロシアが拒否権を行使したことで失敗。有志連合と言う名目での多国籍軍組織も英仏が渋った事で頓挫した。

 

 

 中ロからすれば長年の仮想敵国である日本帝国の弱体化は両手を上げて歓迎する事で助ける気等更々無いのであろう。英仏も地球の反対側の日本を助けるために動く気は無かった。

 

 

 太平洋の制海権を失いこのまま日本も失うようなことは合ってはならない。失えばアメリカの覇権は確実に崩壊する。

というのがペンタゴンの共通見解であり米政府は、第7艦隊と合わせて第5、第6艦隊及び在韓米軍も投入した沖縄反攻を提案したが、帝国政府はこれを固辞し独自に反撃作戦を立案する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ◇

 

 

 

 

 

 

───【火号作戦】

 

 

 後にそう呼ばれる作戦は3つの単純明快な方針によって立案された。

 

 1.可能な限り速やかに行えるもの

 

 2.作戦発動から遅くとも2週間以内に沖縄に上陸した敵戦力を撃滅

 

 3.沖縄沖の敵艦隊を1戦で撃破する

 

 

以上の3つである。南方軍、海兵隊合計5万近い犠牲を出してこのような目標を達成できるのかと言う話だがたった1つだけこの状況を打開できるかも知れないジョーカーがあった。

 

 

 【閃撃1型】と呼ばれる核弾頭である。この戦略兵器は原子力潜水艦からトライデントD5によって発射され、TNT爆薬30万トンと言う核出力であった。

 

 

 勿論沖縄に撃つのではない。沖縄を囲む深海棲艦隊に向けて撃つのだ。この為連合艦隊は敵艦隊に接近して交戦した後、敗走を装って南に進むことになっていた。

 

 

 

 【閃撃1型】の炸裂は名護市に身を潜める私達でも分かるほどの威力だった。

 

 連合艦隊は大損害と引き換えに数百の深海棲艦を葬った。これにより即座に沖縄反攻が始まり島の深海棲艦は掃討された。9月10日の事であった。

 

 

 沖縄から全ての深海棲艦が駆逐されるのは更にその20日後で10月1日帝国政府は沖縄での勝利を宣言した。

 

 

 

 戦死行方不明合計5万余戦後最多の損害を帝国陸軍に与えた沖縄の戦いはこうして幕を閉じた。

 

 

 

 

 私達の話しに戻ろう、名護市は最も最初に回復された都市でありその周辺に潜伏し続けた私達もすぐに回収されることになった。

 

 

 ストーン少将以下私と小倉上等兵を含めて15名だった。道中の戦闘で顔に傷を負っていた私は直ぐに治療を受けることができた。

 

 

 この15名以外に生存者は殆どいなかったようであった。

 

 「君達がいなければここまで来ることは不可能だった本当に感謝の念にたえない」

 

 

 「それは此方も同じです、閣下の諦めない指揮によって我々は生き延びることができたのです」

 

 通訳を通して互いの健闘を讃えた後私達は別れた、ストーン少将とはこの後も友人としても軍人としても関わることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 数少ない生存者達はこの後内地に戻り凱旋式に出席する事になった。その中でも私や小倉上等兵等は深海棲艦を撃破した事を評価され、金鵄勲章が授与されることになった。

 

 

 そこからは完全に英雄扱いであった。新聞やニュースは沖縄の戦いについて書きまくりどれほどの激戦であったか、以下に名護市まで移動したかを報道した。軍には寄付が集まり私達の実家には花等が届いたりした。

 

 帝国軍と海兵隊の生き残りが助けあいながら生還したことは、日米両国の美談となり戦後映画化される程だった。

 

 

 

 

 日本国民としてはなし崩し的に始まった正体不明との戦争に帝国が勝利したことに一先ずは喜んでいたが国際的には非難の嵐であった。

 

 

 中国、ロシア、北朝鮮は日本の核発射にたいし激怒していたし、中国では急遽戦略ロケット軍を緊急展開し、北朝鮮に至ってはミサイル発射態勢であった。

 

 

 日本政府は自国防衛の為致し方無い事であると言い張っていたが、アメリカ政府も庇いきれるものではなかった。ただこの後の事を考えれば決してこの時沖縄を奪還し断固たる反撃の実施は間違いでは無かったと私は信じている。

 

 

 叙勲が終わり私が療養していた10月の半ば遂に深海棲艦はセイロン島に上陸、同時に環太平洋全域、インド洋沿岸、アフリカ東岸に攻撃を開始する。

 

 

 

 10月20日この日をもって大海洋戦争は世界中に拡大した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

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