「レースに出たいだって?」
驚いた顔で言葉を復唱してくる沖野トレーナー。
驚きが多分に混じるのも無理はない、今のチームスピカの方針はトウカイテイオーとメジロマックイーンをレースに出させて勝利の栄冠をつかませること。
無論私もそのためには協力を惜しまないつもりではあるが、いつも走っていたあの場所で行われるレースと聞けば興味は膨れ上がるという物。
「レースと言っても、URAのトゥインクルシリーズの公式ってわけじゃなくてですね……なんて言ったらいいんですかね? アマチュアのレースが来年の初頭にあるらしいんです」
「アマチュア……ねえ。確かにシンバシはデビューしたウマ娘と遜色ない地力がある、ダンスは兎も角、練習も卒なくこなしているからスぺみたいにデビューを早めても良いとは考えていた。だが……」
沖野トレーナーはそう言うと、沈黙で言葉を濁した。
今すぐデビューするともれなくチームスピカの仲間たちと克ちあうことになる。沖野トレーナーは、言外にそう言っているのだ。
すでにデビューして先月の菊花賞を制覇したメジロマックイーン、そして今週末の日曜日にシクラメンステークスに出走するトウカイテイオー。
きっと彼女たちは夢の舞台に立つ、うれしいことにトレーナーは自分にも同様の期待を抱いてくれていた。ダンスは兎も角。
会長との模擬レースか、それとも入学後の練習風景からか、期待しているだけに今デビューさせるのは憚られる。
未だ編入して一年もたっておらず、ゴルシやウオッカとダイワスカーレットも後に控えている。
彼女らよりも先にデビューさせるのも手だとは考えてはいたが、技術面でまだ成長の余地のあるシンバシをレースに出す選択肢を選ぶには時期が早過ぎるというのがトレーナーの判断だった。
「しかしレースを体験していた方が自覚できることもある……か。シンバシはそのレースで本番同様の想定外な場面を学びたいってことでいいのか?」
「そうですね、チームのみんなと走っているとみんなの癖が分かってきて対策の仕様があるので、マークしていなかった相手と競い合うって状況を体験してみたいんです」
「……確か小さい頃にレース経験が無いんだったか……。分かった、俺は二人のトレーニングに集中する関係上余り力添えできない。本人には言っとくから代わりにマッちゃんに付き合ってもらえ」
「わかりました!」
「くれぐれも無理な走りはするなよ!」と締めくくられた言葉に感謝を告げてトレーナー室から出た。
今頃練習用のコースでテイオーが首を長くして待っているはずだ。ウマなのかキリンなのかわからない存在になったテイオーを想像して可笑しくなりながら、私はスピカの部室へと足を運んだ。
。 。 。
部室でいつもの練習ジャージに着替え、芝生のコースに辿り着くと既にスピカのメンバーたちは揃っていた。
ダイワスカーレットとウオッカが勝負していたり、ゴールドシップがスペシャルウィークを巻き込んで珍妙な事をしている中でポツンと一人立っているトウカイテイオー。
捜してるものがあると言わんばかりにあたりを見渡していた彼女の青い瞳が自分を捉えると、へにゃりとなっていた耳を立ち上がらせてこちらに走り寄ってきた。
「もぉ~! 遅いよ」
「ごめんなさい……。ちょっとトレーナーに用があって」
「ふぅ~ん……? 僕を差し置いてトレーナーと何話してたの……っていうか口調戻ってるし!」
「あ……、すまない」
話し言葉でも得意分野を伸ばして苦手なところは放置するのはトレーニング同様良くない、そうテイオーは教えてくれたというのに気が付いたら口調が戻ってしまっているのだから、癖とは厄介なものだと思う。
うっかり崩してしまっていた口調を戻し、詫びを入れれば「しょうがないなあ」とテイオーはわざとらしい態度で許してくれた。
「……まあトレーナーと話すときには崩せないタイプだもんね、シンバシ。ヨシ、今日の練習中は引き続きその口調でいたら見逃してあげよう!」
「うん。寛大な心、感謝するよテイオー」
「ふふーん。ボク、待ちきれなくてうずうずしてたんだから、早くはじめよう!!」
「やっぱりテイオーは体が柔らかいな」
ターフの端、走っているウマ娘達の障害にならない場所に陣取ると二人でストレッチを始めた。
向かい合ってのストレッチ。最初は屈伸などの一人で出来る運動から、次いでペアになってする運動へと移行する。
そんないつもの手順を手を抜くことなく取り掛かり、伸ばす間、手持無沙汰になった視界を前方に向けると可動域ぎりぎりまで体を伸ばした姿になったトウカイテイオーが居た。
「そりゃあもうボクの自慢だもんね! そういうシンバシだっていいところまで行ってるじゃん、ボクには敵わないけど!」
若干照れた様子で茶化してくるテイオー。
彼女の言う通り、シンバシもできる限りストレッチを欠かさずにいたお陰で結構体を伸ばせるようになっていた。
流石に才能の域に至っているトウカイテイオーの体までとはいかないが、シンバシがウマ娘じゃなかった頃を考えれば気持ち悪くなるくらいには柔軟な体だ。
「柔軟な体をバネにして、走る勢いを衰えさせない。私も参考にしたいと思っているんだが、テイオー程の恩恵はなさそうだな」
「そうだね~。ボクの場合はこの走りを極めれば無敗の三冠だって目じゃないと思うけど、シンバシは走法がまず違うから」
ストライド走法とピッチ走法。
トウカイテイオーのジャンプする様な走りは足が接地する回数を減らして、勢いの減衰と体力消費を抑制させる走り。
対してシンバシやギンシャリボーイがしている走りは速度調節のしやすさや足自体への負荷が小さい代わりに、体力消費が激しい走り。
長距離向けのテイオーの走法と短距離向けのシンバシの走法はまさに真逆だと言える。
「ボクの奥義──名付けて”テイオーステップ”は誰にも負けない。シンバシがカイチョーと走った時に見せたあの走りにもね。……せっかくだからあの走りにも名前を付けたら? なんならボクが着けたげよっか」
「……。厚意に甘えたい所だが、あの走りは借り物なんだ。仮に名付けるとしたら……『スシウォーク』だろうか……」
「え゛」
“ボクの走りがステップならシンバシのはウォークだ”
オープンキャンパスの日に初めて見たシンバシの走りを思い出してトウカイテイオーも納得する……わけにはいかなかった。
話の流れを鑑みて、テイオーステップから着想を得て考えたのなら、テイオーの部分に名前の『スシ』が入ることになる。
スムーズにシンボリルドルフとそっくりでありながらよくわからん名前のウマ娘に憧れるウマ娘像、が目の前のウマ娘に対してテイオーの中で築かれようとしていた。
「……前々から気になってたんだけど、シンバシの憧れのウマ娘って誰なの? ボクみたいに大々的に公言してないから気になっちゃった」
「多分知らないと思うが、ギンシャリボーイというウマ娘だ」
「銀シャリだから寿司……えっ? 松岡サブトレーナーの所のあの子?」
トウカイテイオーはスシウォークに関しては一先ずの納得をした。
しかし今度は憧れのウマ娘に対しての疑問。聞き覚えが無いわけではない名前の在り処は思ったよりも身近なところにあったが、逆にわからなくなっていた。
ギンシャリボーイことクリスは、シンバシルドルフに憧れるまだ幼いウマ娘である。
嘗てトウカイテイオーが日本ダービーでシンボリルドルフの走りに魅入られた時とほぼ同じくらいの子だ。
その事が気になって尋ねてみれば、シンバシは神妙な顔を浮かべる。
「……実は、今年のダービーに行った時に不思議なものを見たんだ」
「不思議な物……?」
ダービーの時の光景を思い出すかのように、目を伏せて呟くシンバシルドルフ。
見た目のせいで奇妙なくらい様になったシンバシを前に、トウカイテイオーも次の言葉を固唾を呑んで待った。
「あの日、私は夢みたいなレースを見た」
諳んじた夢のレースの語り部と化したシンバシ。
日本ダービーを夢の舞台だというウマ娘は数多くいるけれど、シンバシの日本ダービーの日の語り草は、テイオーの見たそれとは別の事を言っているように感じた。
それは決して間違いではなく、続けられた言葉には全く知らないウマ娘達の事が語られてゆく。
黒いリーゼントをした紫と白の特攻服姿のウマ娘、妙に際どい赤色の勝負服をした白いウマ娘、途中で転倒したから近くで見えなかったウマ娘、スペインっぽい意匠の緑色をしたメンコのウマ娘、ストライプ柄の葦毛っぽいような緑色の勝負服を着た褐色のウマ娘、(胴が)長いウマ娘、(首が)長いウマ娘。
そしてその中で勝利を飾ったウマ娘。
赤と黄、赤い着物に黄色い袴、襦袢や帯などの細部は白の和服に似た勝負服を着た彼女の名前こそギンシャリボーイ。
ダービーとは別の幻のようなレースを制した覇者。
「その子の走りなんだ……」
「多分、そうだ。それでどこかから聞こえてきた実況で言っていた名前を反復してたら……クリスちゃんが」
名前を知った後に考えると、勝負服はまるで寿司下駄に差し出されたマグロ寿司のようだった……。と感慨深そうにボケるシンバシを前にテイオーはあることに気付く。
「もしかして、未来のクリスちゃんだったりしてね~!」
「そんなこと……あるかな」
「あるかもよ~? だって僕が会長に出会ったときもシンバシに会ったときも、運命的なものを感じたもん。もしかしたら三女神様がした運命のイタズラかもね!」
多くのウマ娘達が運命的なものを感じた相手に安心感を抱いたり憧憬を抱いたり、相性が良かったりするものだというトウカイテイオーの言葉を前にシンバシは思考の淵に居た。
夢の彼方にある景色、その先で待つ彼女が私を慕ってくれている彼女と同一人物なら、運命は確かに彼女と自分に切っても切れない程に結びついている。
自己満足だった走りを広げてくれたクリスちゃん、走り続けた先に辿り着く景色を見せてくれたギンシャリボーイ。
それはシンバシの世界が広がった切欠の両方に『ギンシャリボーイ』が関わっているということ。
与太話と頭ごなしに言えない程、運命のイタズラはとっくに味わっている。
ならばそういう与太話を信じて生きてみてもいいかもしれない。
「だったら、なおさらクリスちゃんの想いに応え続けなければな……」
憧れや期待が込められた応援に背中を押されたあの日の模擬レース。
視線に込められた想いはとても、心強かった。
だけどそれだけじゃないとしたら、自分の前を走ったあのウマ娘が想像通りの存在なら──私はギンシャリボーイに背中を押されて手を引かれた。
なんとも至れり尽くせりだ、足を向けて寝られないなとシンバシは苦笑いを浮かべる。
「でも、テイオーはどうしてこんな妄想じみたことを信じてくれたんだ?」
「あの日のキミの走りを見て、ウソだ~メイシンだ~だなんて誰も言えないよ。それに、ボク含めウマ娘達にとって想いはとても大事なものだからさ。──三女神の時代から想いは遥かな時を超えて僕たちに受け継がれている、そう考えたら未来から遡る想いだって有ってもおかしくないんじゃないかな」
それはトウカイテイオーの経験上の答えだった。
夢の原風景、シンボリルドルフがダービーで三冠にリーチを掛けたあの日、トウカイテイオーは奇跡的なものを感じた。
まるでシンボリルドルフが走る景色を目撃したこと自体がまるで奇跡だと言わんばかりの感覚、本来なら絶対叶わない事が叶ったような、きっと実際に目撃していなくても憧れを抱いて無敗の三冠ウマ娘を志すようになっていた筈のトウカイテイオーを後押しした出来事。
三女神さまたちはどうやらお節介が好きらしいというのは、まだ幼いテイオーにでもよく理解できた。
──いつか志す道の先にある景色、其処に立つウマ娘の姿を目撃する。
それがシンバシとテイオーが見た”夢”の共通点。
ボクはいつもあの時のカイチョーの姿に励まされている。
シンボリルドルフがダービーを制覇したあの日、彼女と話した時から変わることなく夢を映し続ける青い眼。想いは自分の時が近づくほどに強く鮮明になってゆく。
無敗で三冠を制覇した時、彼女を讃えるように京都競バ場に轟いた歓声が今度はボクの為に響き渡る、その時の為に。
「僕がシンバシに何か感じたのに対して、いったいキミはどう思ってるわけ~? カイチョーにもさ~」
「会長か……。この容姿に名前だ、無理もないと思うが運命というより、作為的なものは感じたな。逆にテイオーに対しては……従姉妹みたいな感じかな」
「なんだよそれ~!」
甥っ子姪っ子という言葉を飲み込んで代わりの言葉を吐き出すシンバシに、不服を申し立てるテイオー。
話しながらではあったが恙なくストレッチを終わらせていたので、彼女は勢いのまま立ち上がる。
「ヨシっ! だったらシンバシから憧れの熱視線を浴びるためにも、早速併走トレーニングを始めるよ~!」
先輩風を吹かせるテイオーに、吹かれるシンバシ。
チームスピカでは見慣れた光景が、今日も行われようとしていた。
「……ところで、トレーナーといったい何の話をしてたのかな~?」
「……忘れてなかったか」
「当然! 僕を甘く見ないでよね!」