汝、新橋の皇帝の神威を見よ   作:アあゝ

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はちみーと帰り道

 

「っ──はあ……」

 

 

 併走トレーニングを始めて数時間。

 十二月下旬の年越し前ということもあり、陽が落ちかけて橙色の光がトレセン学園へと差し込んでいた。

 

 

「お疲れ様、テイオー。今日は随分飛ばしたな」

「うん、だって明日には京都に現地入り、金土でコンディションを整えなくちゃだから全力を尽くして走れるのは日曜のシクラメンステークスまでお預けなんだもん。……ボクも大分限界なのになんでついて来れてるの!?」

「まあ、本当に無理な時の感覚をつかんでるからな……」

 

 

 そう告げて思い返すのは、只の人間だったころの新橋の姿。

 会社と家の往復だけで極限まで運動を削ぎ落した生活。自分から進んで運動する気になれなかったのは、遅刻しかけた時に全力疾走して地獄を見たからだ。

 50メートルも走っていないのに暴れ狂う心臓、酸素を渇望して過呼吸になる感覚。とても気持ち悪かった。

 

 ウマ娘になってからは一度もその状態に陥ったことは無くなった。

 極度の疲労に包まれたことはあれど、体が拒否反応を起こすなんてことは無くなってしまった。

 

 そんなこんなで、本当に無理な時の顔面に嫌な汗が伝う感覚は記憶の中のみのモノとして私の中に息づいていた。

 

 

「もしかしてステイヤーの適性もあったり? ますます隅に置けないなあ」

「ステイヤー……か」

 

 

 いつか挑戦する三冠目、菊花賞に備えての併走相手として非常に頼もしい後輩に笑みをこぼすテイオー。

 対して私は、歯切れ悪くテイオーの言葉を反芻した。

 

 ──思い返せば、幻想の方のギンシャリボーイはマイルでのレースに勝ったウマ娘だ。

 私が憧れを抱いた走りは、1600メートルの中で披露された走りである。テイオーが言う通り、仮に私にステイヤーの気質があったとして、走法自体が適性距離の違うかもしれない『スシウォーク』を上手く扱えるかと悩みを抱えるのも無理はない筈。

 

『スシウォーク』を習得せしめるのが、夢の先への第一条件だと私は定めた。

 未だ完成する目途の立たないこの走法を活かすのも殺すのも自分次第、むしろ自分の色に染め上げてしまえばいい。

 想いばかり先走って、その事を失念していたのかもしれない。

 

 

「──じゃあ、今日はここまでにしていっしょに帰ろっか」

「……ありがとう」

 

 

 急に黙り込んでしまった私を慮ってか、テイオーが心なしか優しい声でそう伝えてくる。

 彼女だって近々のレースのプレッシャーに苛まれているだろうにと、無理させてしまったことを恥じて感謝を告げれば「なんだよも~! もしかして本当は疲れちゃってたんじゃないの~?」とわざとらしく的外れな茶化しが襲い掛かってきた。

 

 

 

 。 。 。

 

 

 

 

 部室で着替えた後、私たちはトレセン学園から駅方面へと向かった。

 寮から離れたその場所に向かう目的は蜂蜜とレモンの風味が広がるテイオーお気に入りのドリンクを買うため。

 

 

「併走トレーニングに誘ってくれてありがとう。私もとても有意義だっ「もう無理しなくていいよ~」──そっか」

「大分暗くなっちゃったな……、今日は練習に付き合ってくれてありがとね! これ、お勧めのフレーバーのはちみー」

 

 

 両手に大きなサイズのドリンクを持ったテイオーは、その片方を私に向けて差し出してくる。

 

 

「でも、私も貰っていいのかい? 度々口調が崩れてたけど」

「途中から集中が途切れて『~~だが?』みたいな雑な感じになってたし、ダジャレじゃなくて韻を踏んでるだけになってたけど、ボクのお願いにわざわざ付き合ってくれたんだもん。──ありがとね」

 

 

「さっ、飲んで飲んで!」と差し出されたLサイズのドリンクとテイオーの顔を交互に見合わせながら恐る恐る受け取る。

 遠慮交じりに受けとったのを確と確認してテイオーは満足げに笑顔を浮かべた。

 そして私は、お店のメニュー看板を見て凍り付いていたので硬い表情のまま口に含んだ。

 

 ──あ、あまい。

 

 蜂蜜のしつこいまでの甘さが口の中に留まり続けている。

 口の中で中々溶けなくて喉を通らない、固めとオーダーしていたからか……。

 それでも気分が悪くならないのはレモンが絶妙なバランスで混ぜられているお陰だと思う。

 留まった蜂蜜の甘ったるさをレモンの清涼感が押し流し、この味覚の暴力を胃の中へと押し込んでいった。

 

 美味しい……のかな。

 

 これは何処かの朗らかなラーメンと同種の産物だ、食べた後は一生食べる気になれなくなって、でもしばらくしたら食べたい欲求に駆られる、そんな食物。

 テイオーみたいにファンになる子もいるだろうと納得はするけど、ちょっと草臥れて濃い物控えてた自分にはキツイかなあって。

 

 

「どう……? はちみーとレモンのハーモニーが素晴らしいでしょ!」

「ぁ……ウン。甘くておいしいね……でもサイズはもうちょっと小さくてよかったかなあ……」

「だめだよ~! シンバシだって成長期なんだから我慢はキンモツ!」

 

 

 これはダメだ。

 テイオーは完全に善意で言っている。そして善意をないがしろにするのは心が痛すぎた。

 飲みっぷりをにこにこと見守られている中、私はカップの中身を一瞬で飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 無事目的を完了した私たちは多摩川河川敷が一望できるサイクリングコースを歩いていた。

 夜の河川敷を二人して並んで歩くなんてことは、テイオーが寮暮らしな事もあって滅多にある事ではなかった。

 

 

「後味が凄いな……なにか口直ししたい」

「あはは! ニンジンとか食べるのも乙だよね。……ねえ、ボクとシンバシが初めて会ったのってここだったよね」

「そういえば、ここだね」

 

 

 陽が落ちて、辺りを照らすのは街灯と遠くに見えるビルの窓の光、そして多摩川を挟んだ対岸の道路を走る車の明かり位のモノ。

 それらを鏡のように映す多摩川の水面だけが視界に映る。

 初夏に入る前の朝、時間帯も季節も全く違うこの場所で二人は初めて出会った。

 

 その事を思い出したのか、テイオーが懐かしむように目を細める。

 

 

「ボクがカイチョーだと勘違いしてさ、いつもカイチョーと話すみたいに声かけて、シンバシはあの時どうだった?」

「焦った」

「あはは、だよねー」

 

 

 無論焦る。焦らない訳が無い。

 当時はシンボリルドルフや彼女の知己と出会うことなど一切考えておらず、不審に思われないようにその場しのぎの言葉を必死に考えたのだ。

 

 

「ちゃんと人違いだと言ったのに追ってくるしなあ……」

「だってまさか本当にそっくりさんがいるとは思わないじゃん!」

 

 

 信じてくれずに追ってくるテイオーを言いくるめるために会長ほどのカリスマなら言わなそうなことを言ったのに、それが見事にシンボリルドルフというウマ娘像と合致しているとは。このシンバシの目をもってしても分からなかった。

 トウカイテイオーから見ても疑いようのないくらい当時のシンバシはシンボリルドルフしていたと、後々出会ってから痛感することになって……。

 

 テイオーとの出会いは、クリスちゃんと同じかそれ以上に今の私を形成しているかもしれない。

 

 

「あのときは言い逃れもできないくらいカイチョーだったのに、今じゃ簡単に見分けられちゃうもんね」

「それはテイオーが会長と良く見比べてるからじゃ……」

「違うよ、違わないかもだけど。 気づいてる? 話し方がいつもと違うのに」

「……あっ」

 

 

 テイオーの指摘に、思わず手で口を抑えた。

 

 思い返せばさっきから口調が崩れっぱなしだ。

 そのことに気付いた恥ずかしさから咄嗟に両手で口元を抑えてしまう、多分耳も大きく跳ねてる。

 その姿を見てテイオーはいたずらっぽく笑顔を浮かべた。

 

 

「そういうところもカイチョーとは大違い! 」

「ごめん、なお「直さなくていいよ」……わかった」

「最初はマックイーンの所みたいにお家柄かなって思ったから気にしてなかったんだけど、スピカで一緒に練習したりしてるうちに取り繕ってるものが剝がれて来たんだもん」

「……見抜かれちゃってたか……」

 

 

 スピカで過ごした三か月間、凝り固まった喋り方や振る舞いは、どうやら温かいトレセン学園生活の中で自分でも気づかないうちに解きほぐされてしまっていたみたいだ。

 

 

「でもさ、そっちの方がボクは好きだな。カイチョーと同じ見た目してるのに、走り方も努力の仕方も、笑い方も違う。ドッペルゲンガーなんかじゃなくて、これがチームスピカのシンバシルドルフなんだな~ってさ!」

「……そっか」

 

 

 シンバシルドルフを只のそっくりさんから名前と見た目が似ているだけの別ウマ娘へと押し上げてくれる言葉。

 会長の最も身近にいるかもしれないトウカイテイオーから告げられた言葉は、そっくりさんとして本物の品格を損なわないように繕う必要はない、自分らしさを前に出せという激励だった。

 

『シンバシルドルフ』のように深く気にしていた訳ではないが、それでもテイオーの言葉が心を軽くしてくれた気がした。

 

 

「そういえばさ、あの日のランニングもだけど、シンバシはいつもあっちの橋より先の家まで帰ってるんだよね? 大変じゃない?」

「うん、疲れてるときは流石にキツイ。けど朝にはウォームアップになるし、帰りはクールダウンにもなる。新年度になって会長と同じ部屋になるまでの残り短い期間だけどね」

「門限を考えなくてもいいのかあ……ちょっと聞き捨てならない事言わなかった?」

 

 

 今学期と来学期が終わるまでの間は自宅通学。

 それは編入準備として夏休みの期間を挟んでいるトレセン学園側の問題ではなく、シンバシ家としての意向だった。

 シンバシがシンバシになる前にふさぎ込んでいた事実を踏まえて、両親は少し過保護気味になっていた。いきなり寮生活になって上手くやっていけるのか、そう不安になるのも無理もない。

 

 自宅通学で様子を見てから慣れた頃に寮に入る。

 そう入学前に話し合って決めたのだ。無論お世話になる寮長のヒシアマさんや、会長やエアグルーヴさん、デジちゃんやクラスメイトの皆、そしてチームスピカのメンバーとはうまくやっているから不安要素はない。

 

 なんて、これからの生活の事を脳内で考え続けて逃避しても現実は移り変わる事は無く……。

 テイオーの心胆の底からの深い追及には屈してしまう。

 

 

「カイチョーと同じ部屋ってどういう事!? 羨ましい!!」

「……生徒会と同じだよ、ややこしくないから」

「むむむぅ~! 沢山遊びに行くからね!」

 

 

 テイオーは納得できない感情を、チームの後輩の面倒を見る序でにカイチョーに会いに行くことが出来ると変換させた。

 ……きっと毎日のようにやってくるな……。

 

 私は中々眠れない未来を想像して苦笑いを浮かべた。

 からかい交じりの言動の後、トウカイテイオー暫しの硬直。

 練習やはちみーで優先順位が低かった疑問が、寮の話題に割り込みを受けながらもようやくメインとしてシンバシの前に姿を現した。

 

 

「……で、ボクは待ってたのに、トレーナーとはいったい何の話をしてたのかな~?」

「忘れてなかったか……」

「当然! 僕を甘く見ないでよね!」

「……実はレースに出ようかなって思ってるんだ」

「レース!?」

 

 

 人差し指を遠くに見える橋のアーチを超えた先に見えるビルに向ける。

 指先の透明な導線を追ってテイオーの視線も多摩川の下流へと向けられた。

 

 

「私の家のすぐ近くでアマチュアレースを開催するみたいなんだ。開催する場所が思い入れのあるコースでさ、走れるって思ったらいてもたってもいられなくて……」

「へえ~! どんなところなの?」

「朝か夜以外はいつも誰かしらウマ娘がいて、様々な要因で踏み荒らされて常にバ場状態が重以上のコースかな……流石にレース前には一度整えられると思う」

 

 

 年越しして半月ほどに行われるらしいレース。

 記憶の限りだと同時期にはお守りなどを纏めてお焚き上げする行事があり、コース周辺の伸び散らかした野草たちはきっと櫓づくりのために綺麗に刈り取られ、辺りはレース時には参加者の待機スペースや観客席に様変わりしているだろう。

 

 

「だったらさ、行こうよ下見! 年明け早々にさ~!」

「えっ、いいの? テイオーは確か新年も直ぐにレースが控えてるんじゃ……」

「うん。残念だけどシンバシの雄姿を見には行けない、だから代わりにその時に付き合ってよ、ひとっ走り」

 

 

 自分に出来た初めての後輩の初戦、それを見ることは叶わない。けれどその結果を充実させるためには協力を惜しまない。

 前走での勝利は次の勝負を勢いづかせてくれる、その積み重ねできっと無敗の三冠は出来ているんだ。

 ──あの時もデビュー戦でも勝った、だから今度も勝つ。

 

 人生で初めてのレースでの勝利は自分に勇気を与えてくれている、テイオー自身トレセン学園に入ってくる前にアマチュアレースを経験して勝利していたからこそ抱いた想いをシンバシにも味わわせてあげたかった。

 

 

「……断るような理由もない、か。うん、だったら年明けして三が日過ぎたくらいがいいんじゃないかな」

「異議なーし! 序でにニコタマ行こうよニ・コ・タ・マ!! マックイーンと限定はちみー飲みに行ったお店もあるし、一緒に見に行きたいところもあるんだ~!」

 

 

 指差ししたビルからコースの場所に勘付いた様子のテイオー。

 実際”ニコタマ”はコースからかなり近かった。春の天皇賞より短いくらい。

 

 

「よ~し! 次会えるのはその時だね! 良いお年を~! スマホで改めて連絡する~!!」

「良いお年を……? っお疲れ様~!」

 

 

「またねー!」と手を振りながら寮の方向に駆けだしていくテイオーに自分も姿が見えなくなるまで手を振り返す。

 レースは23日、疲労をため込んですぐ帰ってくるとは思わないが……まあ、そこは人によるか。

 

 現地には行けないけれど、ライブ配信や中継を見て応援しよう。──そして、その流れで今年の有馬記念を見るのだ。

 得も言われぬ違和感を感じつつ、頭を振って気持ちを切り替えた。

 そして私は道を駆ける。さっき飲んだ蜂蜜レモンが疲れた体に過剰なまでの栄養を与えてくれている気がして、今日はいつもより速く帰れた気がした。

 

 

 




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